#73 風が吹いた日
俺はとんだ愚か者だ。
自分のことしか見えてないせいで、自分にとって大切な存在を傷つける。そんで勝手に、自分も傷つく。
どの面下げて傷心なんてしてるんだろうな。それこそ、自分のことしか見えてないって証拠だろ。
「……結果論なのは分かってるつもりだ。でも、俺が安中のことを好きになんてならなければ、なっちゃんの気持ちに気付いて安中のことを諦めていれば、こんなことには……」
「そんなこと、言わないでよ……ッ!」
突然、六町が俺の言葉を遮った。
六町は目元に涙を溜めていた。
「自分の幸せより、ひとの幸せを大事にしなきゃなんて……二駄木くんって、そんなに悪いことした? ……なんでそんな風に考えるの?」
「……俺は恩を仇で返したんだよ。こんなに分かりやすい悪徳もないだろ」
「もう3年も前のそんなこと、いつまでも気にしてるのはきっと二駄木くんくらいだよ! 誰も気にしてないし、だからもう誰も赦してくれない。……結局は二駄木くん自身が許さないと、一生終わらないよ」
六町の語る理屈は分かる。俺みたいな奴が俺の目の前現れたら、俺も同じことを言ってしまいそうな気がする。だが……。
「お前には分からないだろう。俺にとって彼女の存在は本当にデカかったんだ。自分で自分を、勝手に許した気に、なんて……そんなの無理だ」
「だったら……っ!」
……咄嗟の出来事で、一瞬何が起きたのか分からなかった。
視界は真っ暗。それから、温もりに包まれている感覚。
……俺は六町の腕の中にいた。
「なっ……」
「だったら……私が許してあげる」
優しく、温かく、包むように。六町は俺を抱きしめていた。
「な、なんで……なんで俺が、お前に許されなきゃいけないんだよ」
「だって二駄木くん一人じゃ、いつまでも自分を許せないんでしょ?」
「答えに……なってねぇ……」
力いっぱい引きはがすという選択肢もあった。でも、できなかった。
不意に涙が溢れてきた。……泣き顔を見られたくなかったのだ。
「ワケ、分かんねぇよ……何なんだよ一体……」
「何だっていいよ。君が望むなら……神様にだって何だって、なってあげる」
そんな言葉を聞いて、俺は……。
「うっ、うぅっ…!!」
「つらかったよね。……でも、大丈夫だよ」
思わずしがみつくように、腕を六町の背中に回して、顔をうずめた。
彼女が今どんな顔をしているのかは見えない。ただ……聞こえてくるその声は、あまりに優しく、心に沁みた。
「……何でっ、お前は俺のためにっ、ここまで……してくれるんだよっ……!」
……その問いの答えは、少しだけ間を置いて返ってきた。
「私、昨日聞いてきたんだよ。……奈緒ちゃんが二駄木くんのこと、どう思ってたのか」
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・・・
「ホント私、最低だよね……昔自分で振った人に、今度は告白なんてしちゃって。しかもそのせいで、そーくんを傷つけた……」
「……どうして、二駄木くんのことを好きになったの?」
奈緒の独白に、琴葉はそう問いを投げかけた。
「……中学に入ってから、そーくんは変わった。バスケ部に入ったり、オシャレに気を遣ったり、昔はあんなにひ弱だったのが嘘みたいにね。……でも、変わらないところもあったの」
遠い目をして、奈緒は続ける。
「帰り道、躓いた私に手を差し伸べるとき。部活中、点を決めて私に笑いかけるとき。そーくんはどんどんカッコよくなってるのに、それでも私に対する距離感だけは子供の頃から変わらなくって……」
語る彼女の目は、懐かしむようであり。
「……ドキドキさせられたんだ」
呟く彼女の声は、照れるようであり。
「気づけば私の方がそーくんのことを目で追ってて、些細なふれあいに幸せを感じるようになってて……あの頃は気付かなかったけど、ホント都合良すぎだよね」
「そう……なんだ……」
・・・
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「……でね。この話を聞いて私……やっと分かったんだ」
六町はそんなことを、意味深に呟いた。
「自分がいつの間にか抱いてた想い、その正体が何なのか。奈緒ちゃんの話を聞いて……確信したの」
そこまで聞いてやっと、俺は察した。彼女が今から言おうとしていることが一体何なのか。そして、それは今まで俺が忌避してきたものであるはずだった。
だが、もはや今の俺には止める余力などなかった。
彼女は俺の両肩を掴んで体を引きはがすと……目を合わせてきた。
そしてゆっくりと、口を開いた。
「……好きです」
今まで歯の浮くような台詞を大真面目に言ってのけてきた彼女が、今日は顔を赤らめて……そう言った。
「私、二駄木くんのことが好き……っ!」
「……」
何と返せばいいのか分からなかった。告白されること自体は初めてのことじゃないかもしれない。ただ……突然のことで、頭が回らなかった。
「それにしても……今思うと、本当に運命的な出会いだったんだね」
「……? どういうことだ」
六町はそう言うと、何かを取り出した。
「それは……リボンか?」
取り出したのは白いリボン。よく見ると花柄の刺繍が入った、まぁどこにでもある代物。だが、俺は六町のそのリボンに見覚えがあった。
「懐かしいよね。……私が正体を隠して二駄木くんに出会った、あの日。覚えてる?」
「あぁ……覚えてる」
青井颯、放課後の令嬢……懐かしいワードだな。この白いリボンは、あの時に六町が身に付けていたものだ。
「このリボンね。実は……3年前のクリスマスに、奈緒ちゃんからもらったんだ」
「……は?」
耳を疑った。
……確かにあの日、俺はなっちゃんに白いリボンを贈った。……言われてみれば、あのリボンに似ているような気がする。
だが、こんなものはよくあるデザインだ。まさかこの六町のリボンが、俺の贈ったものだったなんて……思いもよらなかった。
「私にしてみれば、このリボンが私と二駄木くんを繋いでくれたんだよ。だから……何一つ無駄な事なんて、間違いなんて、なかったんだよ」
そう……だったのか。
……全てはあの日に始まったのだ。俺が飛んでくるリボンを掴んだあの日。白いリボンを乗せた、風が吹いた日。
……『無駄な事なんて、間違いなんて、なかった』。
そんな言葉を聞いて俺は、ほんの少しだけ。救われた気がした。
「それでなんだけどさ……お返事、聞いていい?」
六町は少し目を逸らして、恥ずかしそうに尋ねた。
「…………すまん、六町。それなんだが……まだ決められそうに、ないんだ」
そこまで言ったところで、彼女は微笑した。
「……ふふっ、なんとなくそう言う気がした。二駄木くんの方も、まだ色々事情があるんでしょ?」
「それは……その通りだ」
……そうか。
最初の頃とは違い、今の六町は『恋』というものを知った。ということは……今までは気付くことのできなかった、”他人の恋”にも気付けるようになったのかもしれない。
そして……予てから俺も気づいているように、俺の周りには一人、ずっと恋心を抱えているらしき者がいる。
「アイツを放置したまま終わらせるのは……やっぱダメな気がする。だからアイツが気持ちを伝えてくるまで、待っててくれないか? ……いつかちゃんと、答えは出すから」
そんな俺の言葉を聞いて。
「うん、私も同じ気持ち。だから……待つよ」
六町は、慈愛に満ちた笑みでそう言った。好きだと言う相手にそんなことを言わせてしまうのは、どこか残酷な気さえしたが……今だけは、彼女に甘えることにした。
「……ありがとう」
「いえいえっ」
彼女が笑顔を崩さずにそう言ってくれることが、今は何より救いだった。
こうして俺は、六町に背を向けて教室を後にするのだった。
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……少女は、唯沈黙していた。
(なに……これ……)
廊下にいるその少女は、教室の壁にもたれ、聞き耳を立てていた。
『……好きです』
宗一と六町がいる教室。彼らを追いかけ、そこで壁越しに耳を澄ませる少女……そう、愛依だった。
(…………ッ!!)
聞くに堪えなかった。
愛依は音をたてないよう、ゆっくりと。その場を離れた。
……そして少し離れたところで、駆け出した。
「こんなの……こんなの……っ!!」
勢いを増すごとに、押さえ込んでいた感情もだんだんと溢れ出す。
彼女は……泣いていた。
物語の終わりも、もう目前です。
結末まで見届けていただければ嬉しいです。