#55 甘いひと時
海や温泉に行った、その翌日。
日曜日。
夏休みで日付感覚が狂ってきているが、それでも日曜日だけは必ず忘れない。もちろん、女児向けアニメを見るためである。キラマジがんばえ~! と今週も心の中で叫び、30分が過ぎた。来週もまた見てね!
「……兄さん」
次回予告まで見終わり、ソファに座っていたところで声をかけられた。俺のことを『兄さん』と呼ぶ人間はこの世でただ一人。……実子だ。
「なんだ?」
「あの……その……琴葉先輩の家、今から行ってきなよ」
そう語り出す妹は、未だに俺に対して接しづらそうにしているようだった。まぁ互いに無視し合ってきた期間が長かったから仕方がない。
ならばせめて、こちらがリードしてやるべきだろう。俺は自然体を装って口を開く。
「琴葉……って六町のことか? え、なんでお前の口から?」
「……琴葉先輩、帰り道がほとんど一緒なんでしょ? あれから何度か、帰りの電車で一緒になることがあったの。そこで連絡先の交換とか、お話とか……」
「なるほどなぁ。つーか今『家』つったか? え? なして同級生の女子の家に……」
花火大会、海、温泉ときて自宅かぁ……いや無理だろ。クソデカハードルすぎぃ。
「……風邪なんだって。昨日の夜から」
「風邪……って、まさか」
昨日、海でずぶ濡れになったせいか……。結局、温泉までは濡れたまま歩くしかなかったからな。
「心当たり、あるんだ……ならナオサラ、行ってきなよ」
「いやいやいや……」
「いいから」
気付けば俺は自室で着替え、洗面所で身だしなみを整え、六町の家へ行くこととなった。ちなみに住所は実子が知ってた。だからなんで知ってるの……?
~~~
実子の寄こしてきた住所を地図アプリにコピペしてみた。六町の自宅はウチから自転車でおおよそ20分程度。最寄り駅は鐘ヶ淵の3つ手前……押上だ。思っていたよりは近かったな。
なお、行く前に一応六町に連絡をしたところ……。
『実子から聞いたけど、風邪なんだってな?』
『うん。昨日家に帰る途中に』『けどもう熱は引いてきたから、心配いらないよ~』
『俺もそう思ったんだけど、実子がお見舞いに行けってうるさくてな』『来て欲しくないならそう言ってくれて構わないんだが』
『全然。むしろ嬉しいよ!』
……かえって逃げ場を失った。
というわけで俺は今、一軒の家の前に立っている。”六町”と、表札にはそう書かれている。
俺はおそるおそる敷地に入り……遂に、ドア横にあるインターホンを押した。
ピンポーン……。
『は~い』
それは聞き覚えのある声だった。しかし思い違いという可能性も、なきにしもあらず。一応、俺は形式的な名乗りをすることにした。
「富坂高校2年B組の二駄木といいます。りく……琴葉さんは……」
『ふふっ。ちょっと待ってね!』
俺の話を最後まで聞くことなく、その声は消えた。それから数秒。ガチャと鍵の開く音がしたかと思うと、扉が開いた。
「……おはよう!」
「おはよう」
扉から顔を覗かせていたのは、やはり六町さんちの琴葉さんだった。
~~~
俺はリビングに通された。中に他の家族はいなかった。みんな出払っているらしい。
「体調はどうだ?」
「うんっ、今はだいぶスッキリしてるよ~」
風邪と聞いて俺はてっきりパジャマ姿を想像していたのだが、目の前の六町はいたって普通の格好をしている。
「ところで、いつまで寝込んでたんだ? その格好……」
「いや、それは~……実は二駄木くんからの連絡が来るまで、部屋でゆっくりしてたんだ……。あ、キラマジ見るときだけリビングにいたけど」
「今週の見たかッ!? って、いやそうじゃなくて……なんかすまん。俺も実子も」
急いで着替えて、俺が来るまでに準備したってことだよな。……悪いことしたかな。
「いいのいいの! あ、でも……部屋の掃除までは間に合わなかったから、今日はちょっとご勘弁……」
「女子の部屋になんてハナから行くつもりないから、安心しろって」
さて……あれ、やることなくね? もう帰宅? いやそれで全然構わないのだが。
「……あれ?」
六町はテーブルの上に置かれたスマホを手に取った。何かメッセージが届いていたらしい。
「えっと……お母さんからみたい。買い物してきてだって」
「そっか。今からか?」
「え? うん」
「なら家を空けるのに俺がいちゃ邪魔だよな。そろそろ……」
「それなんだけど!」
六町は声をあげて俺を引き留めた。
「……せっかくだから、一緒に行かないっ?」
~~~
……と、いうわけで。
「わざわざ買い物でここまで来ることになるとはな」
「ただの食品とか日用品なら、もっと近所でもよかったんだけどね……」
六町家から徒歩10分程度。そこには全長634メートルを誇る国内最大の電波塔が立っていた。用があるのは、その1階から4階に入っている商業施設だ。
「しかし涼しいねー……」
暑い外を歩いてきたワケだが、中は冷房が効いており生き返る心地だった。
「二駄木くんもよく来るの? ここ」
「ああ。こっちの最寄りはマジでなーんもないからな。本とか服とか、ここなら色々あるしよく来るぞ」
六町に親より課せられた”おつかい”とは、ここに店を構える一軒のケーキ屋で期間限定商品を買ってくることだった。
俺たちはそのケーキ屋へと向かって歩いていた。お互いここには慣れており、地図も見ることなく雰囲気で進んでいる。
「……あっ、ここだね」
六町が立ち止まった。その目線の先にあるのは、例のケーキ屋。名を『ラ・ムール』という。俺も名前くらいは知っている、超有名店だ。
「思ってたより広そう……つーかかここ、ケーキ屋だけじゃなくてカフェもやってるんだな」
いつも来るときは用のある店にだけ行って帰るから、知らなかったな。ふと六町の様子を見ると、彼女の視線はいつの間にか店の看板に注がれているようだった。
……『新発売 メロンパフェ』、これに興味があるのか。
「……時間も全然余裕あるだろうし、ケーキ買う前に入るか?」
「い、いいのっ!?」
六町はそう言うと、嬉しそうな顔をした。俺は何にしようか……と店の前に張り出されたメニューを見てみた。
するとそこには……。
「『カップル割りセット』だってー。安くなるうえに紅茶もついてくるんだね~」
実在したのか……カップル割り……。
「……カップル割り、しよっか?」
「まぁ、六町さえ構わないんなら俺は別に。安くなるに越したことはないからな」
カップル割りとは言うものの、何か証明が必要なワケではない。カップルを装ったところで何も問題は生じないだろう。合理性のみを考えれば利用しない手はない。
しかしそれを提案する六町は顔をうっすらと赤くし、どこか嬉しそうな様子にも見えた。
……最初こそ『恋を知りたい』なんて抜かしていたが、やっぱりコイツは……。
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