#54 湯けむりに撒かれし一幕
「っていうか……デカくない!?」
「愛依ちゃん!?」
宗一が壁の向こう側で独り、静謐に耳を傾けていた一方……女湯の露天風呂は琴葉と愛依の二人きりであった。
愛依は琴葉の体に強い関心を示した。……特に胸部に。愛依から見た普段の印象では、琴葉のモノはせいぜい平均的な大きさだとばかり思っていた。しかしその想定と、こうして実際に見た実物の間にはある程度のギャップがあったのだ。
「琴葉ってめっちゃ着痩せしてたんだな……ふかふかだぁ」
愛依は両手を琴葉の……ここは直接的に書くべきではないのかもしれない。”許される境界”というものがいまひとつ掴めていないが故のこのような対処であるが、幸い、文脈から察することは難くないだろうか。くわばらくわばら。
「いや……でも私よりおっきい人なんて、いくらでも……」
「うぐっ! それに比べてあたしは、なんてちっぽけな……うぅ」
琴葉の胸の中ですすり泣く愛依。一方で壁の向こう側では、独り勝手な『きまずさ』に耐えかねた宗一が露天風呂から屋内へと戻っていた。ここからは、彼の与り知らぬ会話である。
「…………あ、あのさ。いるんだ。あたし」
「『いる』? えっと~……何が?」
六町琴葉。彼女は幼少より芸能活動に身を捧げ、歳不相応に偏った人間関係の中で生きる期間が長かった。……故に、時として色恋の話題にはニブかったりする。興味こそ人並みにあれども、婉曲的な仄めかしに反応できないことは少なくない。
「ううっ……その…………多分、好きな人ってやつ」
「『好き』!?」
琴葉はひどく驚いた。……色恋の話題が出たこともそうだが、それが全てではない。
男兄弟に挟まれて育ったゆえ、愛依はいわゆる少女的な言葉遣いをあまりしない。しかしそんな愛依でも自分の恋を語るときには、こんなにもいじらしく、可愛らしくなるのかと。……琴葉はそこに最も驚いていた。
「今までは何て言うか……確信が持てなかったんだ。けど一度言葉にしたら、自分の中で取り返しがつかない気がして。ひとりごとですら言葉にしないようにしてた」
「でも、今は違うってこと?」
「まぁ……最近色々あってさ」
琴葉は『恋』について知りたがっている。故にその『色々』のほうに興味津々だったのだが、愛依としてはそこまで話す勇気がまだなかった。
「……やっぱ小さいのって、ダメなのかなぁ」
「『大きい方がいいのかなぁ』じゃないあたり、相当悩んでるんだね……」
「あたしはなんでこんな……身長も、胸も……」
うなだれる愛依。
「でも、世の中胸だけで女の子の良し悪しを決める人ばっかりじゃないと……おも……うよ……?」
「なんでそこで自信をなくすんだよっ!?!?」
愛依を慰めようと口をついて出た言葉は、たちまち勢いをなくした。自信を持って言い切れるほど、琴葉の恋愛にまつわる見聞は深くなかった。
「にしてもな~、琴葉は胸以外も色々と……やっぱり遺伝子パワー?」
「ど、どうだろう……?」
肯定しても、否定しても、どこか嫌味っぽさが抜けない。琴葉は返す言葉に困り、ただただ乾いた笑いを見せることしかできなかった。
「……あっ。そ、そうだ! 愛依ちゃんは、お風呂出た後ってどうするの?」
「どうするって?」
「着替えだよ。制服か、持ってきた着替えか……」
露骨に話題を変えた。
「……そういえば、館内着の浴衣ってあったよな?」
「えっと、確かにあったね」
「そんな長居しないのは分かってるけどさ……き、着てみようかな……なんて」
愛依は恥ずかしそうに、そう口にした。
~~~
それからしばらく経って、二人は風呂を出た。
「……」
宿の浴衣を手に取り、袖を通す。その間、愛依はひとりの男の顔を思い浮かべた。
(……浴衣のほうが、嬉しいのかな。見てくれるかな……?)
初めて自分の恋心を認め、初めて恋心を意識して行動を選び取った。期待し過ぎてしまうと、期待が外れたときにつらくなる。それを分かっていてもなお、期待せずにはいられなかった。
そんな愛依の姿を見つめて……。
「……やっぱり私も着ようかな?」
「えっ?」
「せっかく温泉に来たんだし! それに……」
琴葉は浴衣に袖を通し、帯を軽く巻き付けると背中で握りおさえた。
「これでおそろいだね!」
愛依はそんな屈託のない笑顔を見せられ、肩の力が抜けた。
「……うんっ。友達とおそろい……それで十分、か」
ふふっ、と愛依は笑った。
それから二人は着替え終わり、備え付けのドライヤーで髪を乾かしていた。琴葉は最初、無心でいつも通りに髪を乾かしていたが……ドライヤーの電源を切ってヘアゴムに手を伸ばそうとした瞬間、
(……あえて髪を結わない、とか)
思案の末、掴んだヘアゴムはポケットに入れた。飾りっけのない、ストレート。
愛依が自分の気持ちを意識して、行動を選び取った一方……。
(二駄木くんも、こっちの方が新鮮かな?)
琴葉は未だ、自分に髪型を選ばせたその気持ちを正しく認識していない。
やがて二人は脱衣所を後にし、暖簾をくぐる。暖簾の向こう側には人影が見えた。
「二駄木くんっ。……待たせちゃったかな?」
その顔が見えた瞬間に感じた、琴葉の内心の僅かな昂揚。それに一番気づけていないのは、ほかならぬ琴葉自身であったのだった。
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