#50 マグロ喰らいし猫
「驚かせてしまい、申し訳ない……」
そう謝っているのは、今さっき現れた若い男だった。名は富岡。本庄先輩がさっき遠くに見えた工事中の建物、あの工事に携わっている作業員らしい。
「あの、この子のこと『マグロウ』って呼んでましたよね? お兄さんのネコだったんですか?」
『ニャウ…』
例の猫は、ベンチに座る雨海の膝の上で丸くなっていた。
「いや、それが……実は最近、ずっとここでの工事を行っているんだ。現場主任たちなんかは昼休みに昼食を食いに行く一方、俺は林の中にあるテーブルで親友とコンビニ弁当を食うのが通例なのだが……」
林の中にあるテーブル……この手の自然公園にはありがちなやつだな。十中八九、木製のやつだろう。見なくても分かる。
「……ある日、寿司の弁当を食ってたらこいつが寄ってきたんだ。物欲しそうにしてるから、マグロを半分だけやったんだが……それから毎日お昼にやってくるようになった」
「だから『マグロウ』なんですね」
マグロウを見つめる富岡さんの目は優しかった。
「でもウチの現場の主任、大のネコ嫌いでな……しかもかなり荒っぽいんだ。コイツがもし主任に見つかったら……とずっと思っていた。軽率に飼うのもどうかと考えていたが……次に出会ったら連れて帰ろうと、昨日やっと決心したんだ」
「けど、なかなか見つからなかったってワケですね~」
「ああ。実は恥ずかしながら、今日の昼はあまりの腹痛でトイレに籠っていてな。昼にマグロをやれなかった分、夕方にはすぐ寄って来ると思っていたが……来なかった。主任に見つかって酷いことされたのかと心配したぞ」
『ニャ~?』
「その主任って……どれくらい怖いんですかね?」
俺は怖いもの見たさでつい聞いてしまった。
「例えばだが……そういえば今日、午後から仮設トイレが開かないって出来事があったな」
仮設トイレ、確かに工事現場にはよくあるイメージだ。先輩もこの公園はトイレが少ないって言ってたし、工事に際して設置したのだろう。
「いくつかバラけて配置されてるうちの一つが、午後からずっと鍵が閉まった状態だったんだ。あそこだけ入ろうとしても鍵がかかっていた、という声が多くの作業員から上がってて……」
「う~ん、よっぽど便秘の人がいたんですかね??」
「ところが、作業員全員にはなんらかのアリバイがあった。だから、件のトイレにだけは誰も入れていないと分かっている。にも関わらず主任は俺たちに当たって……」
富岡さんは嘆いた。……作業員は誰も入っていないはずの、しかし鍵がずっとかかっていた仮設トイレ……ねぇ。六町がこの場にいたら今頃、
『なんだか、謎めいてるよね?』
……とか言ってそうだ。
「『私、気になります!』」
「そのセリフは大丈夫なやつですかね、本庄先輩……?」
「君たちも気になるか。工事現場はすぐ目と鼻の先、実際に見てみたらいいんじゃないか? 中に入ることは叶わないが」
そう言われ、富岡さんが指差す方向を見た。入口では結構遠くに見えたのが、たしかに目と鼻の先だ。意外と歩いてきたんだなぁ……。
「花火まで時間はあるしさ、暇つぶしだと思ってちょっと考えてみないかい?」
「うーん、先輩が言うなら……」
そう言って俺たちは工事現場のほうに近づいた。
柵で囲われた中には、様々な資材やパイプの束、それらを持ち上げるクレーン車などがあった。既に今日の作業は終了したようで、照明もないのでやや薄暗い。
「ここって何が建つ予定なんですか?」
「確かね……公園の新しい事務所、足りないと言われ続けてた公衆トイレ、それからカフェなんかも入るらしいよ!」
「よく知っているな! しかも、カフェはペットも入店可能らしい。この公園はペット連れも多いから、喜ぶ人は多いだろう」
工事現場を覗き込むと、たしかに仮設トイレはいくつかあるようだ。
「あの一番手前にあるヤツが、件の仮設トイレだ」
見たところ何の変哲もない、ただの仮設トイレだ。ポツンとその場に置かれている。
……鍵のかかった仮設トイレの謎、か……。
「トイレの鍵って、どういう仕組みのヤツですか?」
「あのトイレの鍵はいわゆる”打掛錠”。意外と簡素なつくりだよ」
打掛錠……つまり取っ手をクルっと回転させることで引っ掛け、鍵がかかるタイプか。だがこれは……もしかして。
「何か気づいたことってありませんか? あの仮設トイレや、その周辺のモノについて」
「……そういえば! トイレの横にパイプの束が置いてあるだろう?」
俺もそっちの方を見た。現在、パイプの束は正面から見て左手に置かれている。
「あのパイプの束、午前中はトイレの右に置いてあったはずだが……午後になる頃にはいつの間にか、トイレの左に置かれてたんだ」
「え、でも今はトイレの右にありますよね?」
「その通り。そして今はまたトイレの右に戻っている。今日は特に触れる予定もなかった資材のはずだが……」
……これはきっと重要な情報だ。となると気になってくるのは……。
「そういえばさっき、お昼休みに『親友と』食べてるって言ってましたよね?」
「そうだな」
「その人、クレーンの運転できますか?」
「何故分かったんだ!? その通り、俺の親友は重機……特にクレーンの扱いに長けているんだ」
富岡さんは誇らしげに語った。
「……なるほど。トイレにずっと鍵がかかってたって話……その親友の仕業じゃないかって、俺はそう考えます」
「えぇっ!? ど、どういうことっ!?」
雨海は目を丸くしていた。
「いや……アイツはそんなことをする奴じゃない。第一、鍵がかかっていた午後の作業時間も、アイツは確かに働いて……」
「『中に人がいた』なんて一言も言ってませんよ」
「えっと……どういう意味? 二駄木」
「富岡さんの親友は、外から仮設トイレの鍵をかけたんですよ」
あの仮設トイレの『鍵の仕組み』、そして富岡さんの親友の『技能』。これらを考慮すれば……。
「でも二駄木君、一体どうやったって言うんだい?」
「おそらく、クレーンを使って仮設トイレを回転させたんです」
……。場が静まり返った。え、もしかして滑り倒した?
「う~ん……理解が追い付かないや。トイレを、い、一回転っ? なんでそんな……」
「えっとだな雨海、まずあの仮設トイレの鍵は『打掛錠』だ。で、打掛錠を掛けるために回す取っ手……例えばソレに重りを取り付けることを想像してくれ」
「……ふんふん」
「で、その状態で仮設トイレを一回転させる。すると……どうなる?」
「……あぁっ! もしかして!」
本庄先輩が声を上げた。
「取っ手は重りによって真下に引っ張られ続け、一方で仮設トイレは一回転する。すると……」
「鍵がかかる!!」
つまり富岡さんの親友は持ち前のクレーン技術で、鍵の方ではなく、トイレの方を回したのだ。
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