#48 鴉と一緒に帰りましょう
歩きながら、ふと視線を真横に向けてみる。眼下には川沿いのサッカー場。クラブチームの少年たちは今日も練習に励んでいる。それから遠い対岸に見えるのは首都高。多くの車の行きかう音がかすかに聞こえてくるが、姿は小さすぎて確認できない。
俺たちは土手を歩いていた。今日は雲一つなく、西の空では夕日が燦然と輝いている。本来、真っ直ぐ帰るのであれば寄る必要のない場所だ。
「帰りの電車で、七海に言われたの。『この機会だから、お兄さんと仲直りするんだよっ! 絶対だよっ!?』……って」
「仲直り……ねぇ」
気付けば何年も話していなかった妹と、二人で話す。それは本当に、なんとも言い難い、フワフワするような不思議な感覚だった。
この土手には子供の頃に何度も来たことがある。……もちろん、実子と一緒に来たことだって。
「……懐かしいな」
「うん……」
ぎこちない会話だ。俺もこいつも、その気まずさに戸惑っている。それにしたって……まさかこいつの方から声をかけてくるとは思わなかったが。
「花見川は、お前が何か『負い目のようなもの』を感じているんじゃないかって言ってた。舞浜も『悲しい理由で頑張り続けるくらいなら』って理由で事件を起こした」
「……意外とみんな、私のことよく見てるんだね」
「やっぱり、お前がずっと気にしてるのって……」
可能性こそ浮かんではいたが……まさかな、と思っていた。
なぜならその仮説は俺が唱えるには、あまりに浅ましく、みじめなものだったから。
「私が兄さんよりピアノを上手になったり、慧明に受かったり。私が兄さんを超えるたび……兄さんは私に笑顔を見せなくなっていったよね」
……当たってしまったらしい。
やはり実子の抱える『負い目』とは、俺に対するものだった。実子は自身の成功が俺を傷つけたのではないかと、罪の意識を抱え続けていたのだ。……だが。俺もそんな妹の温情を素直に受け入れられるほど甘ったれた人間ではなかった。
「……あのなぁ、お前は俺なんかよりもずっと才能溢れる存在なんだ。そんな奴の足を引っ張るのは俺だって本意じゃない。ピアノだって、受験だって、お前が”勝手に一人ですごくなった”ってだけだ。そこに負い目を感じる必要なんか……」
「違うのっ!!」
実子は俺の言葉を遮った。
「違う……そんな綺麗な話じゃない……」
その声はどこか辛そうで、たまらず飛び出たような勢いを持っていた。
「ピアノも受験も、最初は確かに兄さんの真似っ子だったかもしれない。でも最終的には、ただ自分が気持ちよくなるため……兄さんにマウントをとるためだったんだよっ! 『勝手に一人ですごくなった』なんて、言わないでよ……」
……唖然とした。二駄木実子という人間はいたって真面目であり、何事にもストイックで、その成功を鼻にもかけない。そんな”できた妹”だと、俺は今まで信じて疑わなかった。
しかし今こいつが吐露したのは『ストイック』なんて言葉とは真反対、自身の内面の汚い部分。決して見せようとしなかった一面だった。
実子は過去の自分の悪徳をずっと意識し続けてきたんだ。”過去の自分”を肯定できないから、その延長線上に立っている”今の自分”にも自信が持てない。
……こいつが『自分の在り方』に自信が持てなかった理由、ようやく分かった気がする。
「ごめん。やっぱり仲直りなんて、できないよ」
「……不器用なところは変わらないんだな」
昔は俺の後をついてくる妹だったのが、今では立派に成長した。すっかり人が変わったものだと思っていた。でも……その中に変わらないものもあった。
「仲直りなんて、そんなすぐには中々できないってこともあるだろ。諦めるのが早すぎなんだよお前」
「でも……」
「それに俺だって、お前のことを偶像化してた節があるからな」
実子は優れてる、すごい……そう思い込んで偶像化し、人として見ることをしなかった。全く向き合おうとしていなかった。
「でも今回、今までは『勝てるところなんてない』って思ってた相手に、意外な欠点があるってことを知れた。……それが嬉しかった」
実子は目を丸くして、俺の顔を見た。
「嬉しかった……?」
「こういう綺麗じゃない部分なんて、誰にだってあるんだよ。気にしすぎ」
欠点を見つけて嬉しい……綺麗な表現ではない。でも、だからこそ。ずっと敬遠していた妹のことが、ようやく身近に感じられるようになった。
「……そうだね。少しずつ、仲直り……」
「そういうこった。……もう帰るか?」
俺は無意識に手を差し出した。……思い出した。昔もこの土手で同じように、まだ小さな実子の手を引いて帰っていたことを。
実子は手を取り……笑った。
「うん……っ」
家に向かって道を引き返す。夕日に照らされながら土手の上を二人で歩く。そんな光景に、俺はかつての兄妹の影を見た。
同じようには戻れなくても、それでもきっと、新しく始めることはできるはずだから……。
~~~
「行ってきます」
翌朝、食卓。
俺が朝食を食べてスマホをいじくりまわしている間に、実子はいつもそう言って家を出る。父は既に出発しており、実子の次は俺。最後に母が出発するのが通例だ。
昨日あんな会話をしておいてなんだが、未だに気恥ずかしさが抜けない。お互い朝のあいさつなど交わさないのが数年続いており、やっぱり今朝もそうなった。……一抹の後悔。今日帰ったら、『おかえり』『ただいま』はせめて言うようにしよう。そうしよう。
鞄を背負い、食卓を後にする。玄関で靴を履き替え、俺は扉を開けた。
「……お、おはようっ!」
扉の横で待っていたのは、実子だった。
……どうやら後悔があったのは俺の方だけじゃなかったらしい。こうして向こうから言われたら、返事をしないわけにはいかないだろう。
今度は実子の目をしっかりと見て、俺ははっきりとソレを口にした。
「おはよう」
第十話、ここまで読んでいただきありがとうございます。
これから続きも、継続して読んで頂ければ嬉しいです。
面白かったら評価・ブックマークの方も、是非よろしくお願いします。