#36 生殺与奪
「……マジですか」
まさか、ここで親が出てくるとは。
「本日はわざわざ足を運んでいただき、ありがとうございます。ここなら私の仕事場からも近いので、すぐに来られると考えまして」
なるほどな……だからここ、御茶ノ水か。
「で、なぜ親御さんがこんなところに?」
「単刀直入に言います。先ほどまであなたが語っていたお話、あれは秘密にしておくべきです」
……そうきたか。
「っていうか、知ってるんですか? もしかして最初から全部……」
「ええ。通話を通して聞かせてもらいました」
「……驚きました」
雨海父は眉ひとつ動かさずにいる。
「驚くほどでしょうか?」
「いや驚きますよ。だって……こっちとほぼ同じことしてくるなんて思わないでしょ」
「……なんですって」
かすかに、足音が聞こえてくる。
そして……向こう側から勢いよく、襖が開けられた。
「……今の話、ほんと?」
明るく染めたショートカットの、小柄な女子。
「愛依……」
……そう、雨海愛依だ。俺はスマホの画面を雨海父に見せた。
『めい RAINオーディオ - 20:13』
「こっちも最初から聞かせてるんで、流れ説明し直す必要はないっすよ」
「……」
「本当なの?」
雨海は真剣な目つきで父親を見つめていた。
「基雄さん……もしかしてあなたは事故が起きてから、芸能事務所の人間と会ったのでは?」
「……本当は、ずっと秘密にしておくつもりだったんだがな」
「教えてよ、全部」
雨海は憤っている様子だった。娘の存在が効いたのか、雨海父は語り始めた。
「あの日、2つの事故の被害者が運ばれてきたのは私が勤める病院だったんだ。その中でも特に桐生タクヤと鶴見里香は酷く、必ず助かるとは言い切れない状態だった」
「お父さんの病院……」
「私はこれでも院を代表する外科医として名が知られている。二者の状態を比較した結果、私は鶴見里香を手術することにした。だが……奴らが来た」
「……スファエラの人間、ですか?」
「その通り、奴らはあろうことか私に桐生タクヤを手術するよう迫ってきた。だが、このようなことは初めてではなかった。金と権力を持つ人間のやることというのは似ているからな。私はそういうものは好かない。今回も断ってやるつもりだった」
しかし現実は桐生タクヤが助かり、鶴見里香は命を落としている。ということはおそらく……。
「……どうやら私の名前は、ネットではしばしば悪評や黒い噂を伴って知られているらしい。おそらく私が断ってきた者たちの腹いせだ。しかし、それだけならまだよかった」
それから雨海父は悔しそうに顔を歪めた。
「私はその場で、事故に娘が関わっていることを知らされた。そして私が桐生タクヤの手術をしなければ、娘の顔や名前をネットに流すと。……奴らはそう言った」
「……そんなこと?」
雨海はどこか唖然としたような表情をしていたが、しかしそれは憤りの籠った声だった。
「そんなことのために……15歳の女の子より、芸能人の命を取ったの?」
雨海の言い分はつまり”雨海父こそが生殺与奪の権利を握っていた”と、そう言っているのだ。語気は強いものの、雨海の気持ちも分かる。だが……。
「『そんなこと』じゃなかったんだろう」
「それって、どういう……」
「基雄さんだけに悪意が向けられるならまだいい。だけどよ、もしそんな状況で雨海の素性が広まったら……どうなる?」
「……っ!」
正確な推測はできないが、親子の関係に気づかれて娘にも悪意が及ぶ可能性というのは、否定しきれない。雨海父はそこを恐れたのだ。
「っていうか事故の後に事務所と接触したのって、事故の工作に基雄さんも関わってたのかと思ってました。であれば、あなたは”いつ”、”どうやって”事故の真相を知ったんですか?」
「……桐生君から直接聞いたんだ」
「桐生タクヤが……?」
「ああ。手術が終わってから数日後、回診のときだ。事故の工作は、事務所によって彼の意思に関わらず行われたものだった。一人のうら若き少女の命を奪った彼の所業を擁護するつもりは毛頭ない。……だが真実を打ち明ける彼の顔は、絶望そのものだった」
桐生タクヤの復帰は彼自身が望んだものではなく、事務所の都合によるものだった……なるほどな。『復帰に2年もかかった』なんて長すぎじゃないかと思ってたが、復帰の障害となっていたのは肉体より精神の問題だったわけか。
しかし、雨海父の話を聞いて俺が思考をまとめる一方……。
「……それなら……なんで」
かすかに、声を震わせて。
「……なんで黙ってたのさっ!」
……雨海は目に涙をためて、そう言い放った。
「私、ずっと気にしてた。あれから3年も経ったけど……未だに、たまに頭に浮かんでくるんだよ。同じくらいの歳の子で、なんで私が助かって……向こうは死んじゃったんだろうって……!」
それは、どうしようもないくらい悲痛だった。
いわゆる、”サバイバーズギルト”のようなものか。……奇跡的に生き残ったものの、死者に対して罪悪感を感じてしまう心理。
・・・
『まぁこれくらい、大したことないよ』
『ホント、こんなの大したことないって』
『あたしなんてホント、大したことない方だったんだよ』
・・・
思えば今まで雨海は自分の脚の話になる度に『大したことない』と、しきりに繰り返していた。……彼女が抱え続けた気持ちを知った今、初めてその真意に触れた気がした。
「もっと早く……話してくれれば……」
「……話せるものなら話していた」
そう言う雨海父は、ただ目を伏せていた。
「桐生君が語った事故の真実が本当か調査するため、私は個人的に金をつぎ込んだ。……よくよく考えれば、被害者が乗っていた車を逆にするなど普通に考えてできるはずがない。調査の結果、あの事故には我々が普段知りようのない芸能事務所の”力”が働いていることが分かった」
口にはしないが、その顔には悔しさが滲んでいる。
「間違っても子供たちや他人を巻き込むわけにはいかなかった。……二駄木君、今日君を呼んだのも同じ理由だ」
「同じ……」
「槙人がふと君から送られてきたメッセージの話をし出したとき、気が気じゃなかった。もし万が一その推理が当たっていれば、そして君がそれを公にしようとすれば……君の身に危険が及ぶ可能性がある。もし間違っていれば私は出てこないつもりだったが……実際、君は真実に手を掛けてしまった」
だから、さっきも『秘密にしろ』と言ってきたのか。
「……っ」
……話を聞く雨海の顔には、やりきれない思いが表れていた。
「……槙人さんはどこまで知ってるんですか」
「実は槙人は真相をほとんど知らなかった……今日までは。知っていたことは愛依とそう変わらなかったはずだ」
あくまで一人で抱え込むつもりだったんだな。雨海父は座卓に両肘をつき……そしてうなだれた。
「今でも本当に後悔している。……あの日救急車がこちらに到着したとき、鶴見里香と共に救急車に乗ってきた少女がいたんだ」
~~~~~
・・・
「あのっ、先輩……鶴見里香さんは、助かりますか?」
「六町さんっ! 手術前なんだ。先生に話しかけちゃだめだ。すみません……」
「いえ。……かなり厳しい状況だが、必ず私が救って見せる。大丈夫だ」
・・・
~~~~~
「だがどうだッ!! 私は結局のところ脅しに膝を折り、彼女の手術は他の医者に任せた。……傲慢な物言いだが、私がやっていれば助かっていたのではないか? この3年間、そう思わない日はなかったッ……!!」
拳を座卓に打ち付ける音が和室に響いた。
その日初めて、努めて冷静であり続けていた雨海父が感情を吐き出すところを見た気がした。
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