#35 逆だったんだ
その翌日の放課後、将棋部室。
いつもは俺と雨海、たまに本庄先輩がいるくらいの部屋だが……。
「……来たか」
部室の扉がガラガラと音をたてた。雨海はすぐそちらの方へ顔を向けたが、俺にその必要はなかった。彼女を呼んだのは他でもない俺だからだ。
「お邪魔します」
入ってきたのは六町だった。
「……それで、どういうこと? この前私と話してたときに、真相は分かったと思ったんだけど……」
「ああ。でも違ったんだよ」
「違った……って?」
俺は彼女の方へ向き直り言った。
「してきたんだよ、答え合わせ」
「答え……合わせ……?」
「ああ。あの事故はお前も無関係じゃないし、知る権利くらいあると思ってな」
昨日、俺は一通のメッセージを送った。送った先はつい先日手に入れたばかりの槙人さんの連絡先。
そのメッセージを送って数時間後、俺は槙人さんにもう一度会わないかと持ち掛けられた……。
~~~
昨日
東京 御茶ノ水
俺は槙人さんに指定された場所へと向かっていた。地図を見る限り、駅からさほど遠くもない場所のはず。
「……ここか」
辿り着いたのは入口から和の雰囲気ただよう料亭。槙人さんは既に待っているらしい。俺は引き戸を開けて中に入った。
「いらっしゃいませ。ご予約はされていますか?」
「い、いえ。先に雨海って人が来ていると思うんですけど……」
受付では着物に身を包んだ30前後くらいの女性従業員が出迎えた。
「……はい、雨海様ですね。ご案内いたします」
女性はにこやかな笑顔で応え、俺はその後に続いて店の奥へと入っていった。どうやら客が入る場所は全て個室となっているらしく、通路の両脇には絢爛な襖がいくつも並んでいた。店内の装飾もかなり凝っているように見える……。
(いやいやいやいやこっっっわ!! 急にこんな高そうな店に呼び出されるとか怖すぎだろ!!)
こんなの〇沢直樹の世界じゃん……。おおよそ制服で来るような雰囲気ではなさそうである。
「こちらの部屋でございます。どうぞごゆっくり」
そう言って女性はお辞儀をすると戻って行ってしまった。……深呼吸。襖の取っ手に手をかけ、開く。
「やあ、こんばんは。今夜は来てくれてありがとう」
「……最近よく会いますね」
部屋にいたのは槙人さん一人だった。
「まぁ座って」
そう言われ、俺は靴を脱いで中に入った。畳と座卓、座布団、それから掛け軸や花瓶のある和室だ。荷物を壁際におき、俺は槙人さんがしているように座布団の上で正座になった。
「無理する必要はない。楽にしてくれていいよ」
「いや、大丈夫です」
「そうか……では、本題に入ろう」
槙人さんは俺の目を見つめて話し始めた。それはまるで、目を逸らすことを許さないかのように。
「3年前……事故が起こったあの日、タクシーは濃霧のせいでオルビス・エンタテイメントの社用車に追突した。その事故によって、中にいた15歳のモデルが亡くなった。これは各メディアによって報じられている”真実”だ。……そして、そのタクシーに乗っていたのは、愛依だった」
槙人さんは目を閉じた。その瞼の裏側に浮かんでいるのは、当時の光景だろうか。
「だが……君が送ってきたあのメッセージ。君はこの真実が偽であると、そう考えているのかい?」
「……はい」
俺が送ったメッセージ、それは……。
『雨海が事故に遭った相手、もしかして違うんじゃないですか?』
……このようなものだ。
「何を根拠に、どういった理屈でそんなことを?」
怪訝な目を俺に向ける槙人さん。妹の事故のことだ、部外者に無責任なことを言われるのはたまったものではないのだろう。だがそれでも……俺は確かめに来たのだ。この答えが、正しいかどうかを。
「俺の知り合いに、あのとき事故現場にいたってやつがいるんです。濃霧で事故を目撃することはできなかったけど、アイツは鶴見里香の乗ってた車の付近にいた。そして、こんなことを言ってたんです」
・・・
『今でも思い出せるよ。遠くから走ってくる車の走行音と、それからほとんど間を置かずに耳を襲った激しい衝突音』
『濃霧のせいで目には見えなかったけど……だからその分 ”音”ははっきりと、全部覚えてる』
・・・
「……それで?」
「一方で雨海本人から直接聞いた話によると……」
・・・
『タクシーが急に死ぬほどデカい音をたててブレーキをかけたと思ったら、ついさっきまでは霧で見えてなかった車にぶつかった』
・・・
「……事故の直前にタクシーは急ブレーキをかけた。『死ぬほどデカい音をたてて』です。けど、俺の知り合いはブレーキの音なんて聞いてないんですよ。よって……俺はこう考えました」
槙人さんは黙ってじっと俺の話に耳を傾けていた。……俺はついに、一つの結論を口にした。
「『鶴見里香の乗る車に追突したのはタクシーではなかった』」
ひとまず、ここが中間地点。説明が不十分な点はここからだ。
「あの交差点では二つの事故が起きていました。最初は『桐生タクヤと佐野沙織』、『鶴見里香と雨海愛依』の事故だと思ってたんですけど……実際は”逆”だったんです」
槙人さんは眉をひそめた。
「追突した車が逆? そんな間違い、起こるはずがないだろう」
「それも”逆”です。……あの2つの事故で追突されたのは両方ともオルビスの社用車だった。これは確かなことです」
「……何が言いたい?」
「”逆”だったのは追突した車じゃなくて、追突された車に乗っていた人間ってことですよ」
あの日、同じ交差点で二つの事故が起きた。そして何の偶然か、これらの事故で追突された車は『両方とも同じオルビスの社用車』だった。
要するに、桐生タクヤが追突した車に乗っていた人物こそが鶴見里香だったのだ。その上で、オルビスは桐生が追突した車を『佐野沙織が乗っていた』ことにし、タクシーが追突した車を『鶴見里香が乗っていた』ことにした。
六町は濃霧のせいで追突した車を”見る”ことはできていない。だから”上書きされた事実”に何の疑問も持てなかった……。
「……仮にそれが正しいとして、オルビスがそのようなことをする理由があるとすれば……」
「オルビスがスファエラの子会社だから……ってことになるでしょうね」
俺が読んだ新聞記事にも書かれていたが、オルビス・エンタテイメントはスファエラ・エンタテイメントの子会社。そして桐生タクヤはスファエラの所属だ。
「桐生タクヤは事故った相手も有名な女優で、しかも軽傷だった。そのおかげで復帰できたようなものです。でもこれが当時無名な15歳の少女で、しかも死なせてしまったとなれば……どうなってたでしょう?」
「……」
当然、復帰どころの話ではない。法も社会も決してそれを許すことはなかっただろう。桐生タクヤは音楽家、役者、両面で高い評価を受けるまさに”大スター”。スファエラはこれを失いたくなかったのだ。だからオルビスに『事実の上書き』をさせてまで守ろうとした。
……そして。ここまでの推理を踏まえたうえで改めて検討すると、”その持つ意味合いが大きく変わる証拠”がひとつ存在する。
「あの”メモ”……実は不自然な点があるんですよ」
「メモ……先日君が見せてきたアレか」
「例の俺の知り合いは『あのメモは事故のことを記したものだったんだ』と言ってました。でもよくよく考えてみるとアレ、マネージャーとタクシー運転手の存在が無視されてるですよね」
そう。みんな自分が知っている名前につい目が行ってしまいがちだが、事故に遭ったのは何もメモに名前が書かれた四人だけじゃない。
佐野沙織を乗せて運転していた彼女のマネージャーも、雨海を乗せていたタクシー運転手も、事故に遭ったことに違いはないはず。であれば、メモに名前が書かれるか否かの基準とは何だったのだろうか。
「話すと長くなるんですが、このメモはオルビスの事務所から見つかったものです。つまりこれを書いたのも多分オルビスの人間。俺が思うに……メモに名前が書かれた四人というのは、スファエラやオルビスにとって”重要な人物”だった。俺はそう考えてます」
「……二駄木君。君が今言ったこと、本気かい? その主張が暗に意味すること、自覚して言っているのかい?」
「はい」
俺の言葉を聞いて、槙人さんはこちらを睨むような目つきを見せた。だが、もうここまで来てしまったのだ。もう引き返すつもりはない。
「あのメモはおそらく……事故の直後にスファエラとオルビスの間で交わされた話し合い、そのときに取られたメモだったんです」
つまりメモに書かれた四つの名前は、単に事故のことを示していたのではなく、”このような事故に見えるよう偽証する”という意味だった。
……となると。
そもそもの発端として、メモに雨海の名前があったことの謎が今回の一件の始まりだった。……俺の推理に則って考えれば、これはつまり”『雨海愛依』の名前がスファエラとオルビスの話し合いの中で出た”ということを意味する。
即ち、その”始まりの謎”の答えは……。
「雨海に近しい何者かが、事故のあと芸能事務所と接触を……」
「そこまででいい」
俺が最後まで言い切る前に、槙人さんが制した。その目は俺ではなく手元のスマホへ向けられているようだった。槙人さんはスマホの画面を一瞥すると、ゆっくりと立ち上がった。
「……どうやら僕の役目はここまでらしい」
「えっ」
槙人さんはそう言い残して、部屋を去った。
……それから少し間を置いて、足音が近づいてきた。ソレは程なくして襖を開けた。
「えぇ……っと」
そんな間抜けな言葉を漏らしてしまった。現れたのは見知らぬ男性だった。白髪交じりの頭髪に白衣姿。だがこの顔つき、まさか……。
「……お初にお目にかかります。雨海基雄、槙人と愛依の父です」
面白かったら評価・ブックマークよろしくお願いします。
「評価」というのは、
この下↓の ☆ マークのことですね。