#34 二つのヒント
「忘れもしないよ。あの日、お仕事が終わった帰り……私は鶴見先輩と一緒の車に乗せてもらってた。運転してたのは先輩のマネージャーさん。それで、乗ってる途中に私がコンビニに寄りたいって言ったの」
そう語る六町の目つきは、今まで見たことのない類の哀愁をたたえていた。
「マネージャーさんは道の端に車を停めた。鶴見先輩は行かなくていいって言うからコンビニには私とマネージャーさんが行ったんだけど、そこで買い物をして店を出た瞬間……」
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・・・
(激しい衝突音)
「……えっ、な、なにっ!?」
「まさか……いや、そんな……。危ないかもしれないから、六町さんはしばらく店の中にいて下さい」
「今の音って……」
「私が見てきますから、ここでおとなしく待機してて下さい。お願いします」
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(鳴り響くサイレンの音)
「う、うそ。こんなことって……」
「里香……」
「……あの、すみません。私も救急車に乗せてくれませんか、お願いします……!」
・・・
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目を閉ざしながら事故当時のことを語った六町は、やがて再び瞼を開いた。
「今でも思い出せるよ。遠くから走ってくる車の走行音と、それからほとんど間を置かずに耳を襲った激しい衝突音。霧のせいで目には見えなかったけど……だからその分 ”音”ははっきりと、全部覚えてる」
その語りに淀みはなく、記憶の鮮明さを裏付けているかのようだった。
……やはり、桐生タクヤの事故の直前にあった”もう一つの事故”。タクシーがぶつかったという車の中にいたのはあの『鶴見里香』だったのだ。そして記事によれば、鶴見里香はもうこの世には……。
「……あのメモを見た瞬間、分かっちゃったんだ。その意味が。あれは事故のことを記したメモだったんだよ」
『桐生タクヤと事故に遭ったのは佐野沙織』という事実を踏まえれば、六町視点ではメモの後半はおのずと『鶴見里香と事故に遭ったのは雨海愛依』という意味になる。つまりあの新聞記事にあったタクシーの”乗客の少女”とは、雨海のことだったのだ。
これで3年前の事故のこと、そしてあのメモのこと、全て解き明かしたと言っていいだろうか。
「雨海本人には聞くなって六町が言った理由、今なら分かる気がするな」
雨海は自分が乗っていたタクシーが死に追いやった相手を知っている可能性がある。……そして、それに罪悪感を抱いている可能性も。あれはきっと六町なりの優しさだったのだ。
「とにかく、先輩の事故の真相を確認できたし私はもう十分」
「……そうか」
それからしばらく、沈黙が続いた。しかし謎を解き終えたものの六町はどこかすわりの悪そうな様子で、実際先に沈黙を破ったのも……やはり彼女だった。
「…………あのね。実は私、二駄木くんにまだ隠してることがあったの」
「ん? なんだよ、急に」
「……私が芸能活動を辞めた理由。二駄木くんには以前単に諦めただけって言ったけど……実はそれだけじゃなかったの」
六町は突然、意味深なことを言い始めた。
「実は鶴見先輩が亡くなった数日後、急にお仕事が回って来るようになったんだ。CMの仕事に、脇役だけどドラマや映画の出演。……全部、鶴見先輩がやるはずだったお仕事」
「……穴埋めってことか」
おそらく鶴見里香はこれから飛躍しようという時期だったのだろう。それが事故に巻き込まれて……。
「鶴見先輩がいなくなったことで、私はもう一度機会が与えられた。……でね。一瞬、たとえ一瞬だったとしてもだよ……それを『嬉しい』って思っちゃったんだ。私、そんな自分がすっごく怖くなって……」
「……」
……とてもじゃないが軽はずみに共感なんてできる内容じゃない。六町の思いを完全に理解してやることは俺にはできない。ただ……その”感情”だけは、痛いほど伝わってくる。
「それから、『私には向いてなかったんだ』って思うようになったんだ」
「向いてなかった……?」
「芸能の世界でやっていくなら、与えられた機会はもっと素直に喜ぶべきなんだよ……たとえ人の不幸によるものでも。でも、私はそれができなかった。だから辞めたの。これが……本当の理由」
……ぞっとした。かくも芸能界というのは狂った世界なのかと、俺はその片鱗を思い知らされた気分であった。
「でも少なくとも俺は、そんな狂った世界に俺の友達がいなくてよかったって、今思ってるわ。……お前の選択は間違ってなかったと思うよ」
「そっか……ありがと」
俺がそう言うと、六町は儚く微笑んだ。
気付けば地下を走っていた電車は地上に顔を出しているようだった。窓の外を見る。さっき槙人さんと話していたときは晴れていたのに、いつの間にか空は曇天へと変わってしまったらしい。
「今日のことはやっぱり、雨海さんには黙っておくことにしようか」
「そう…だな……」
やがて高架を走り続ける電車は六町の最寄り駅へと到着した。
「じゃあ、また明日」
「ああ。じゃあな」
電車を降りて手を振る六町に、俺も手を振り返した。
扉が閉まり、再び電車は動き出す。電車の慣性力がいつもより重く感じる。
……。
…………なんだ、この違和感。
事故の新聞記事、六町の証言。これらを併せて導かれるこの結論は妥当なようにも思える。だが……何か見落としてはいないか?
それから俺は電車に揺られ、自分の最寄り駅で降りて、改札を通り、駅から歩き、自宅に着き、制服を脱ぎ、米を研ぎ、弁当箱を洗い、夕飯を食い、部屋着を脱ぎ、風呂に入り、寝巻姿になり、階段を上り、自室へ戻った。
その傍ら、ずっと引っ掛かったままソレを掴みきれずにいた。
結局、その日はそのまま床に就いた。
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時は飛んで、翌日の放課後。将棋部室。
「でさ、昨日病院に定期検査に行ったんだけどー」
詰将棋の本を片手に、雨海は少し機嫌良さそうに言った。
「脚の状態だいぶ良いって言われてさ~! 体育祭で軽くとはいえ運動してこれは嬉しいよな~」
昨日のアレのことか。尾行にはちゃんと気づかれていなかったみたいでよかった。いやそもそも尾行はいいのか?
しかし昨日あんなことがあった手前、どのような会話をすればいいのか分からない。なんとなく口を衝いて出たのは……。
「……そういや、雨海が将棋を始めたきっかけって何だ?」
「えっなに突然。でも……きっかけ、かぁ」
雨海は握り拳を顎に添えて、しばし考え込んだ。
「……二駄木だから、教えてあげる」
その声色は、いつもより少し落ち着いたトーンだった。
「……実はあたしの脚、事故でこうなっちゃったんだよね。それで入院してるときめーっちゃくちゃ暇でさ、同じ病室のおじいちゃんに将棋でもやらないかって言われたんだよ。道具と本も一式もらっちゃった。きっかけって言われたら、多分それ」
……ちょっと予想してなかった。まさか雨海の将棋のルーツが件の事故につながって来るなんて、思いもしなかったな。
「あの日はお父さんの誕生日だったんだけど、お父さんは医者だから毎日忙しくて帰れなくてさ。そしたらお母さんがナイショでプレゼント渡しに行ってあげたら? って言ったの。そんで運賃もらって、一人でタクシーに乗って病院へ向かってたんだけど……」
「……そのとき事故に遭ったのか」
雨海は頷いた。
「あの日はすごく濃い霧だったんだ。タクシーが急に死ぬほどデカい音をたててブレーキをかけたと思ったら、ついさっきまでは霧で見えてなかった車にぶつかった。全身すごく痛かったし、歩けるようになるまでだいぶかかったけど……」
それから雨海は悲しげな目をして言った。
「……それでもあたしなんてホント、大したことない方だったんだよ」
……やはり、雨海は鶴見里香のことを認知していた。同じ事故なのに相手は亡くなり、自分は生きた。そこを彼女は気にしているのだ。
だが……やっぱり何か引っかかる……!
何だ? 何なんだ?
…………ああ、そうか。
「……ありがとな、話してくれて」
やっと、掴めたような気がする。
「すまん。ちょっと席外す」
俺は部室の外へ出るとポケットからスマホを取りだした。
……そして、一通のメッセージを送った。答え合わせの時間だ。
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