#22 たとえ受け入れ難くても
「私、しょーじきその赤色の絵の具あんま使いたくなかったんだよね~」
東金は床に転がった絵の具の容器を見ながら、唇を尖らせて言った。
「えっ?……あぁ~そういうこと。天才絵描きだから、微妙にあの色合いが気に入らないみたいな……」
「今朝、実は蓋に絵の具をこぼしちゃって……まだ乾いてないんだよね~ソレ! 洗うの面倒だからこっそり新しいの開けちゃおうかなって思ってて~」
「勿体なっ!ってかそういう意味かよっ!? 『使いたくない』って!」
いちいちツッコむのも大変そうだなぁ。雨海、アイツやっぱ絶対いい奴だろ……ボケれば全部拾ってくれる……最高すぎ……。
俺は例の蓋を手に取ってみた。どうやら蓋の色は、絵の具によらず全て緑色らしい。一見するとなんともないように見えるが……たしかに、触ってみると手が汚れた。蓋の緑色とほぼ同じ色の絵の具で汚れているらしい。気付きにくいな。これも手がかりになるだろうか……。
……。
改めて整理してみよう。金子の言うことを信じるとしたら、あの赤色の絵の具は金子が青色をドジでぶちまけた後から、何者かによってかけられたということになる。
今になってよくよく考えてみれば……
・・・
『……制服によって隠されていた床には、青色の絵の具が付着していた。』
『……水晶のように透き通った素材も相まって中々オシャレに仕上がっているのだが……見ての通り、青色の絵の具で針も時計盤も汚れてしまっている』
・・・
……金子に繋がる証拠には青色の絵の具ばかりが関わっていた。しかし、ならこんなことをする理由って何だ……? キャンバスにぶちまけられてるのが赤色でなければならない理由……
もしくは、青色では都合が悪かった理由……?
「っ……!!」
俺は美術室を飛び出した。”金子に繋がる証拠”に青色の絵の具ばかりが付いていたのなら、逆に赤色の絵の具がついていた証拠はその『何者か』へと繋がっているはず。
・・・
『川口先生が何かを見つけたらしい。先生は端から端まで真っ青なナニかを摘まんでいた。……いや、よく見ると真っ青なだけじゃない。赤色の絵の具が付着している……?』
・・・
あのマスコットだ……!
「お、おいっ! どこ行くんだよ!?」
俺は雨海を置き去りにして、全力で駆けていった。階段を下り、1階へ。1階廊下へ出ると、すぐそこを一人の女子生徒が通りかかった。
「大学生くらいの、若い男を見なかったか!」
「えっ!? あ……つい今さっき見たかも。自販機で何かを買って、そのまま玄関から正門の方へ出ていきましたけど……」
「お~い! どうしたの琴葉ちゃ~ん?」
「助かるっ!」
「どっ、どういたしましてっ!?……ちょっと待ってー!今行くよ~!」
俺は礼を言うと同時に走り出した。玄関を通り抜け、上履きのまま外へ。
……見えたッ! 槙人さんが歩いていた。正門の方だ。このままなら追いつけ……いや、バスか!
ちょうどそこにはバスが到着しており、槙人さんは今にも乗ろうとしている瞬間だった。もう間に合わない……!
「兄ちゃんッ!! ……痛っ!!」
後ろから雨海の声が聞こえた。振り返るとそこには……脚を抱えてうずくまる雨海がいた。
……その瞬間、背後から激しい足音が聞こえてきた。
「愛依ッ!!」
槙人さんだ。すぐに俺を抜き去り、雨海の元へと駆けつけた。
「大丈夫かッ!? 」
「大丈夫だいじょーぶ……ってて。ちょっと無理しちゃったかな……」
槙人さんは雨海の体を支え、どうやら脚を観察しているようだった。表情を見る限り、何やら尋常じゃなさそうな雰囲気だ。
「まぁこれくらい、大したことないよ。ホント大したことないの。たまにあることだし……あっ、二駄木も別に気にする必要ないからな? って、いてて……」
それから、雨海をいつまでも道の真ん中に置いておくわけにもいかないので、一旦近くにあるベンチに雨海を座らせた。隣には槙人さんが座り、俺はスペースがないのでそのまま突っ立っていることにした。
「脚、悪いんですか」
「……少し事情があってね、その通りだ。しかし今回は全て僕のせいだ……愛依に無理をさせてしまった……ッ!」
槙人さんの表情はまさに悲痛で、その目は雨海を真っ直ぐ見ることができずにいるようだった。
「そんなことより……二駄木。アンタが急いで兄ちゃんのところまで来たってことはさ……」
「あぁ。おそらく……あの赤い絵の具は槙人さんがやったものだと、俺は考えている」
槙人さんは、ずっと目を逸らしていた。
「でもっ、兄ちゃんは部外者だよ! ここ富坂は母校ですらないし、そんなことする理由なんて……」
「そもそも、最初に絵の具をぶちまけたのは金子だ。その時点で既にあの絵は青色の絵の具で汚れていたんだから、赤色の絵の具に関しては『絵を汚すこと』を目的として行われなかったと考えられる」
つまり絵がどうとか学校がどうとか、部外者という属性はもはや関係ないのだ。
「じゃあ……何が理由だって言うの」
「結果から言えば……雨海、お前に濡れ衣を着せるためだ」
「えっ……」
俺の言葉を聞いた雨海は、茫然とした。
「あの”ますますくん”、槙人さんとのお揃いって言ってたよな?」
数学ネタをデザインに組み込まれた、あの全身青いマスコットだ。
「あれが美術室から見つかったとき、お前は身に覚えがないみたいだったが……それもそのはず。あのとき発見されたのは、お前のマスコットじゃなかったんだよ。槙人さんは、予め自分のマスコットを美術室に残したんだ」
「で、でも! 兄ちゃんは、今も自分のますますくんを持ってるじゃん、ほらっ!」
雨海が指差す槙人さんの鞄には、確かに件のマスコットが付いていた。
「違う。むしろ、ソレが雨海のだ。おそらく槙人さんは雨海を呼び出した後、1年D組に行ってお前の鞄からマスコットを回収したんだよ。そして、その後何食わぬ顔で美術室にやって来た。……お前が犯人として疑われるよう、その場の人間を誘導するために」
今回の事件で厄介だったのは、槙人さんにとっては予防線が”二重に”存在していたこと、そして槙人さん本人は本当に直接的な犯人ではなかったということだ。
槙人さんからすれば、今回の一件は最悪失敗してもよかったのだ。雨海を想定通り犯人にできれば万々歳、失敗したら真に犯人である金子の方へ誘導すればいい。今思えば、俺にあの制服を調べるよう促したのも、槙人さんによる誘導の一環だったのだろう。
「あの大きな音の謎もこれで説明がつく。呼び出されたときに待ち合わせ場所として2階の階段付近を選んだのも、雨海を第一発見者に仕立て上げるための罠だったんだ」
美術室になるべく近い場所であの物音を聞かせてやれば、高い確率で雨海が第一発見者になるというわけだ。
「……本当にすごいな、君は」
ずっと押し黙って聞いていた槙人さんは、俯いたままではあるが、とうとう口を開いた。
……だが、
「違う……兄ちゃんが、そんなことするはずなんて……そ、そうだ。さっき東金が言ってたじゃん。汚しちゃった絵の具の蓋は、まだ乾いてないって」
声をかすかに震わせながら、未だ雨海は食い下がろうとしていた。
「なら……ならっ! 兄ちゃんの手は絵の具で汚れてるはずだよっ!」
「えっ……」
俺は瞬時に槙人さんの手を確認した。その手は……確かに、絵の具で汚れてなどいなかった。断水中だから校内で手を洗うことはできない。手袋も美術室で見たときは特に汚れてはいなかったはず。どういうことだ……? 俺は槙人さんを観察した。
……答えは、すぐに分かった。槙人さんのコートのポケット、そこからは1本のペットボトルが顔を覗かせていた。
天然水だ。
完全に失念していた。そうだ。断水中でも水を得る手段が全くないわけではない。実際、俺だってそれを目の当たりにしていたはずだ。
・・・
『いや~それにしても寒いよねぇ~。紅茶でも煎れようと思ってたんだけど、君もどう?』
『”自販機で売ってる天然水を電気ポットに入れながら、本庄先輩は言った”』
・・・
量は限られているものの、手についた絵の具を落とすだけなら十分と言える。だが、槙人さんがそれをやったという証拠を示さなければ雨海は納得しないだろう。
……だがひとつ、アテがないこともない。
渡り廊下で聞いた雨海の話、そして雨海が転んだときの槙人さんの反応。これらから考えると……槙人さんはまだ”アレ”を捨てずに持っている可能性がある。
「槙人さん。今はつけてないみたいですけど……まだ持ってるんじゃないですか、”手袋”」
「……!」
槙人さんはかすかに驚いたようであったが、すぐにこちらを真っ直ぐ見据えた。
「なるほど……あぁ、確かに持っているよ」
そう言うと……、槙人さんは手袋を取り出した。まさしく、期待した通りだ。
「ほら、その手袋だって絵の具なんかどこにも……」
「違う。……重要なのは、内側だ」
俺はその手袋の表裏を返した。表には確かに目立った汚れはなかった。しかしその裏側には……緑色の絵の具がついていた。絵の具の蓋に付いていたものと同じ色だ。
これでやっと、結論が出た。
槙人さんは美術室の絵の具にまみれた絵を見て、雨海をその犯人に仕立て上げようと工作した。
……しかしその時、絵の具の蓋によって手に絵の具がついてしまった。断水で洗い流すこともできず、その場では手袋をすることによって手を隠した。その時、手袋の裏側に絵の具が付いてしまったのだ。
二転三転した美術室をめぐる事件は、これにてようやく解決した。
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