#21 アディショナルタイム
時は戻って。美術室を後にした俺は金子を探し歩きつつ、雨海の話を聞いていた。
「兄ちゃん、ずっと逆らえずに生きてきたから……。だから忙しいウチの両親の代わりにこうして高校に行かされたりしてるの。その上、こんなあたしにも優しいんだよ」
その目には、温かみともいうべき何かが籠っているように見えた。普段の印象からはあまり想像のつかない表情だ。
「あのマスコットも兄ちゃんが誕生日にくれたお揃いのやつだし。……誕生日と言えば、兄ちゃんがつけてたあの手袋もあたしがあげたやつだっけ」
「……もしかしなくてもブラコンだな?」
「その『ブラコン』っていうのがどういう意味かは分からないけど……なんかバカにされてる気がするっ!」
「してないしてない」
雨海はむっとした表情をした。聞けば聞くほど兄妹仲がウチとあまりに違い過ぎて、眩しささえ感じた。冗談の一つでも言いたくなるというものだ。っていうかお揃いだったのかよアレ! 兄妹揃って独特なセンスをお持ちのようで……。
……渡り廊下を抜け、本校舎へ。たしか金子は俺にぶつかったあと、自習室に行ったはずだ。まだそこにいるとは限らないが、一応行ってみるか。俺たちは自習室のある方へと廊下を曲がった。
曲がった先……その向こうに、二人の人影が見えた。というかあれは……
「金子っ!?」
雨海は軽く走り出した。そこに見えたのは……たしかに、あの金子小鞠だ。こんなにあっさり見つかるとは。そして、もう一人の人影も気になった。あの髪色、やっぱりどう見ても……。
「あ~いいねいいね~っ! 恥じらう顔もカワイイ! 次はもうちょ~っと脚を開き気味な感じで……」
「ふ、ふえぇ……」
……やっぱりな。噂をすれば、あの絵を描いていた張本人・東金マリーだ。俺や雨海、金子と同様の1年D組だ。俺の予想通り、見れば東金は制服ではなく、ジャージ姿だった。
「……何やってるの、東金……?」
しかし、この奇妙な絵面は一体……? どういうワケか東金は金子をローアングルから観察し、手に持ったA3ノートに何かを書いているのだった。金子は非常に恥ずかしそうにしている。あれ、もしかして俺『百合の間に挟まる男』になってない? 大丈夫?
「えぇっ? ……って、誰かと思ったらアマミと……誰だっけ?」
「二駄木。てかもう二月だろ、苗字くらい覚えろよな……」
東金マリー。『全日本高校生美術コンクール・優秀賞!』と書かれた美術室の垂れ幕、あれは確かに彼女の賞を記念してのものだったはず。高校生としては全国有数の実力を持った彼女だが……なぜこんなことをしているんだ……。
まぁ、今はそこは重要ではない。いやめっちゃ気になるけども。
「ところで金子。……さっき美術室で起きたことについて聞きに来たんだが」
「っ!?!?」
「やっぱり……アンタがやったの? アレ」
「いえっ……私……」
金子は目を泳がせた。右へ左へ行ったり来たり、すごく……怪しいです……。そんな中、なにやら不服そうにしている人物が一人。
「ちょーっとちょーっと話についてけないんですけど~! 美術室がなんなの~??」
そういや当事者なんだよなぁコイツ……ノリが場違いすぎてスルーしてたけど。
「……えっとー、東金。落ち着いて聞いて欲しいんだけど……アンタの描いてた絵、いま絵の具でベチャベチャになってるんだよ」
「なるっほどなるほどぉ……私の絵がベッチャベチャにええぇーーっ!? 私の絵えぇーっ!?」
「やかましいわ!」
驚いた表情であわあわと動く東金。落ち着きのないやつだな……。
「っていうか自分の作品ほっぽり出して、お前はどこで何してたんだよ」
「えぇっ? それはね~、絵の続きを描こうと美術室で準備しちゃったあとに『そういえば今日の放課後断水なんだった!』って思い出してー、それから断水が終わるまで図書室でお絵描kゲフンゲフン……勉強シテタのっ!」
「とりあえず……細かい話はそこにいる先生が知ってるから、そっちに行ってきたら?」
「わかった!! 行ってくるーー!!」
東金は美術室の方へと駆けていった。完全に雨海に厄介払いされた形だな……。
雨海は例のハンカチを取り出すと、金子に突きつけた。
「……さっき美術室にあったスカートのポケットから、コレが見つかったの。あたしが貸したやつだよね?」
「そっ! それはぁ……」
金子は言葉に詰まった。……どうやら、美術室での出来事と”金子本人”の繋がりを示してやったほうが早そうだな。と言ってもまだ予測に過ぎないが……
「金子、さっき見せてくれたその両手の”絆創膏”だけどよ……」
「っ……!?」
「もし違ったら謝る。……剥がしてみてくれないか? それ」
「……っ!?」
金子は驚いた顔で、息を呑んだ。
その瞳は右へ、左へ、また右へ。動揺が全く隠せていない。
……そして、
「……うぅ、わたし……私が、やっちゃいました……うぅ」
今にも泣きだしそうな顔で、自白した。というか目尻からはもう溢れてきてる。
「今の『絆創膏』って何のこと?」
「さっき金子に会ったとき、両手に大量の絆創膏が貼ってあったんだよ。最初は何も思わなかったが……アレの犯人が金子かもって考えると、途端に引っ掛かってな」
金子は『紙で切っちゃった』と言ってたが。よくよく考えてみれば、金子がいくら何もないところで転ぶドジっ子といえども”そうはならない”だろう。
「おそらくあの絆創膏の下にあるのは、傷じゃなくて絵の具なんだよ」
「……うぅ、その通りですぅ……」
赤くなった目元を両腕で擦りながら認めた。やっぱり。制服を交換しても、肌についた絵の具はどうにもならない。今は断水だから洗い流すこともできない。だから絆創膏で応急的に絵の具を隠したのだ。
「……とりあえず、東金に謝りに行こっか」
「はい……」
今度は金子も加えて、来た道を引き返す。
俺たちは美術室へと戻った。戻るとそこには川口先生と東金がいた。槙人さんはもう帰ったのだろうか。東金が謝罪を受け入れるかは分からないが、少なくともこれで俺の役目は完全に終了のはず。一件落着だ。
……そう思っていた。
「……っ!? え、え、ど、どういうこと……ですかぁ……っ!?!?」
突如、金子が取り乱し始めた。
「どういうことだ……? 何が言いたい?」
金子は慌てふためきながら、言葉を続けた。
「こ……こんなの……知らないですぅっ!」
「お、落ち着きなよ! どういうことっ? 1から話してみてよっ!」
雨海は必死に金子を宥めた。その甲斐あってか、しだいに金子は落ち着きを取り戻し、自分の身に起きたこと、自分が起こしたことを始めから話し始めた。
「えっとぉ……自習室で勉強してる途中、ジュースを買おうと思ってそこから出たんですけど……そこで東金さんとすれ違ったんです。だから美術室には今誰もいないのかなと思って、私、東金さんの絵を一度見てみたくてぇ……」
そこから、また泣き出しそうな顔をした。
「キャンバスの近くに寄ったら、私、また何もないところで転んじゃって、机にぶつかっちゃって……絵の具がいっぱい入った容器が宙を舞っちゃいましたぁ……。東金さん、ほんとうに……本当にごめんなさぃ……」
「つまりいつものドジが原因で起きた事故……って、あれ?」
事故……? いや、そんなはずはない。制服の交換だけならまだ自己防衛のためと理解できるが、あれだけの椅子をかき集めてあんな音をたてるなんて、ドジじゃ説明がつかない。
「……そこまで話したところで、金子。お前はこの光景を見て『何がおかしい』と思ったんだ?」
「私、たしかに転んで絵の具を飛ばしちゃいましたけど……でもこんな赤い絵の具なんて知らないんです! 信じてください~!」
「う~ん、たしかにね~」
そう言って割り込んできたのは、東金だった。
「もしこれがドジなら、赤い絵の具がぶちまけられてるのっておかしいな~って、思ったよ!」
「どういうことだよっ?」
「だって私~、ここを離れるときは確かに”青の絵の具”の容器はテーブルに出しっぱなしだったけど~……”赤の絵の具”なんて今日は出してなかったもん!」
……そういうことか。
俺は今まですっかり、赤と青の絵の具は『同時に』ぶちまけられたものだとばかり思っていた。しかし……実態はそうではなかったのだ。
今になって思えば、俺は金子に対して『飛び散っていた絵の具の”色”』については一度も話さなかった。誤解が生じたのはそこか。
「二駄木、これって……」
……事件は解決なんかしちゃいなかった。きっとここにはまだあるのだ。何者かに隠された真実が……。
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