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蛮神  作者: 今野 真芽
8/15

二人の夜

 結局、彼が何も覚えていなかったことから、耀達も特にお咎めなく放免された。それでも疑いの眼差しで見られ、

「転校早々、騒ぎを起こすな」

 との小言はもらった。生徒達の間には、SNSを通して瞬く間に情報が広がったらしい。午前の授業を終えて廊下を歩けば、気になる会話がいくつも聞こえた。

「今度は山田か。あいつ、田辺たなべのことずっといじめてたもんな」

「一応、そんな事してたら呪われるぞって教えてやったんだけど、ほらあいつ、去年の三学期からの編入じゃん。前の学校で問題起こして、親が金積んで無理やりうちに入れたってさ。信じなかったんだよな」

「まぁ、いいことじゃね? 問題起こす馬鹿ばっか狙ってくれる呪いなんだし。俺らは過ごしやすくなるもんな」

 耀は眉を顰めた。

 人が傷つけられて──しかも、木の枝が肩を貫通するなんて、後遺症すら残りかねない重症を負わされて──出てくる言葉がそれか。しかし、すぐに思い直す。

 喧嘩を繰り返し、人を傷つけ続けてきた自分の言えたことではない。

「耀。田辺に会いに行くぞ。幸い、まだ保健室にいるようだ、見舞いという名目で行こう」

「あー。でもあいつ、何も覚えてないっつってたぞ?」

「分霊に憑かれたということは、鬼の本体に接触したということ。今は情報を得たい」

 耀は頭を振って、胸に残る不快さを振り払う。りょーかい、と軽く答えて、静彦の後に続いた。


 田辺は保健室のベッドの上で上体を起こし、なにやら虚脱した様子でぽかんと口を開けていた。大丈夫かこいつ、と危ぶむが、静彦はさっさと田辺に歩み寄る。

「もう体調は良くなったか? 少し話を聞きたい」

 目と目を合わせる。『幻術』とやらをかけたのだと分かる。田辺がゆっくりと頷いた。

 静彦は田辺に、最近起こった出来事や会った人物などを次々聞いていく。田辺は虚ろな瞳で、素直にそれに答えていく。

 それは胸の悪くなる話で、耀は顔をしかめた。

 田辺は山田が転校してきてすぐに目をつけられ、理不尽な暴力を受けていたそうだ。抵抗すればするほど暴力は激しくなり、次第にはされるがままになり、金までせびり取られた。地獄のような日々。精神的なものだろう、田辺は不調を来すことが多くなり、保健室に入り浸るようになった。心配した保健室の先生がスクールカウンセラーを紹介し、田辺はそのカウンセラーにだけ、暴力や恐喝のことを打ち明けた。山田からの報復が怖かったから、山田の名前は出さなかった──。

 話しているうちに、田辺の目からボロボロと涙が溢れてきた。辛い記憶を思い返すうちに、麻痺していた感情が戻ってきたのだろう。同時に、幻術でぼんやりしていた瞳に理性の光が戻る。

「それで僕は山田を校舎裏に呼び出して──、あれ、どうしようとしたんだっけ。気づけば君たちがいたんだ」

 どうやら、田辺から聞けることはそれくらいのようだった。静彦が礼を言い、耀に目で合図して、二人で立ち去ろうとした時、後ろから呼び止められた。

「ね、ねえ、ちょっと待ってよ!」

 どうやら完全に正気を取り戻したらしい田辺が、媚びるような笑顔で耀を見ていた。

「ずっとボーッとしてたけど、さっき保健室に来た生徒が転校生の噂してるのは聞いてた。君、東高の藤堂だろ? 喧嘩が強くて有名なんだって? なぁ、もし山田が逆恨みして、また僕のこと殴りに来たら、ボコボコにしてやってくれよ。金なら出すよ」

 不快さが胸を満たし、耀は眉根を寄せた。そんなことだから山田に目をつけられたんじゃないのかてめぇ、と口から出かかって、止めた。田辺は地獄から逃れようと必死なのだ。田辺がこうだから山田に目をつけられたのか、環境が田辺をこうさせたのか、耀には分からない。

「耀。構うな。行こう」

 静彦が耀の背を叩く。耀は一度だけ田辺を振り返った。

「悪ぃな。もう、他にご主人さまがいるもんでね」


 そんな会話があったからだろうか。放課後、静彦とともに小等部に雫を迎えに行った時、耀は西洋の紳士を真似て一礼してみせた。

「姫君。お迎えに参じました」

「……耀。なにか変なものでも食べたの?」

 雫は胡乱な目で耀を見上げる。雫の同級生らしき少女たちが、きゃっきゃと笑い声を上げた。

「こんなイケメンなお兄さんたちがお迎えなんて、雫ちゃん、本当にお姫様みたい」

「でも、そのうち一緒に帰ろうね。約束!」

「うん。またね」

 そうして去っていく彼女たちに、雫も名残惜しそうに手を振る。その背に、耀は声をかけた。

「早速友達ができたのか。良かったじゃねぇか」

「うん。……この学校の鬼が見つかるまでの、短い間だけどね」

 さっぱりした口調に、僅かに寂しさが滲んでいた。が、雫は振り切るように首を振る。

「そっちはどうだった?」

 帰り道を歩きながら静彦が進捗を説明すると、雫も頷いた。

「小等部でも、微かに鬼の気配のする子がいたの。聞いてみたら、やっぱりスクールカウンセラーにかかってるって。カウンセリングルームに行ってみたけど、『本日不在』って張り紙してあった。」

「じゃあ、明日はそのスクールカウンセラーに接触だな。今日のところは、晩飯の買い出しして帰るか」

 雫が耀のスエットの裾を引いて見上げてきた。

「耀、耀。私、ふわとろオムライスというのを食べてみたい」

 期待に満ちて輝く雫の瞳に、耀は眉根を寄せて目を眇めた。

「栄養が偏る。──サラダもつけるぞ」

 雫がぷくりと頬を膨らませた。

「耀、厳しい」

「……むしろ甘いんじゃないか?」

 静彦がポツリと呟いたが、耀は無視をした。雫はオムライス、オムライスと口ずさみながら、きゃっきゃと飛び跳ねていた。


 その晩、耀は夜中に目が覚めて、喉が乾いている事に気づいた。部屋を出ると台所へ行って、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、グラスに注いで飲む。冷たい感触が喉から腹へと伝っていく。

 部屋に戻ろうとした時、そのかぼそい声に気づいた。それは、雫にあてがわれた部屋から聞こえた。

「……雫?」

 耀はあまり深く考えることなく、扉を開いた。なにせ雫はふわとろオムライスを三皿もおかわりしたのだ。腹でも痛くしたのかと想ったのだ。

 ベッドの上、ふくらんだ布団の中から、その啜り泣きは聞こえた。

「おい雫。腹でも痛いのか」

 耀が布団を剥ぐと、まるで胎児のように横向きに丸まった姿勢で、雫が耀を見上げた。その大きな瞳から、ボロボロと涙が溢れていた。

「……入室を許可した覚えはありません、従者の身をわきまえなさい、耀」

 いつも少し大人びた少女だが、今の彼女は、まるで疲れ切った大人の女性のような瞳をしていた。

 ここで引いてはだめだ、と耀の中の何かが言って、耀はベッドに腰掛けて、雫の頭を撫でた。かつて妹にそうしたことを思い出した。

「従者だってんなら、主のことを心配するもんだろ。どうした」

 雫は抵抗しなかった。目を閉じて耀の掌を受け入れる。

「……小学校で友達ができて、少し思い出しただけなの。光吉村にも私の遊び相手がいたの。そう、何人も、何人も──。でも、みんな、私を置いて行ってしまう」

「引っ越しでもしたのか?」

 雫は首を横に振る。何か深い事情がありそうで、耀はそれ以上聞けなかった。代わりに告げた。

「──俺がいるよ。約束したろ、おまえの従者になるって。置いていったりしない」

「私のそばにいることで、戦うことができるうちは?」

 痛いところを突かれて、耀は怯む。雫は少し笑った。

「ごめんなさい。意地悪を言った」

「いや……」

 雫が耀の手を取った。それは小さくかよわい、温かな掌だった。

「手を握っていて。耀。いずれ行ってしまうまでは、ずっとよ」

 それきりふたりとも何も言わず、繋いだ手は離さないまま、やがて二人共眠ってしまった。


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