いざ潜入
転校の準備は一両日中に整えられた。正規の手続きを踏まなかったことは勿論だろう。どんな手を使ったのやら。
「俺の元の学校からの転出には、親の許可とかいるんじゃねぇの?」
「そこは、長老会がお前の親に話をつけた」
静彦は淡々と言うが、耀は口元を歪めた。それは、耀の両親がどこまでも耀を見放し、どこで何をしようと構わないと判断したということだ。
「まぁいいや。……雫、さっさと食べちまいな」
「ちょっとまって」
雫は耀の作ったフレンチトーストの最後の一切れを名残惜しそうに口に入れると、牛乳で流し込み、立ち上がると、赤茶のベレー帽を被る。今日の彼女の姿は、白いシャツに赤茶のプリーツスカート、同じ色のベレー帽。制服の学校ではないが、制服風を意識してみたという。幼いとは言え、女の考えることはわからん、と耀は思考を放棄する。あるいは、制服というものへの憧れがあったのかもしれない。
耀はフード付きのスエットとジーンズ。静彦は白シャツと黒のコットンパンツだ。目立たないことを最優先にした格好だが、こいつはどうしたって目立ってしまうかもな、と静彦の横顔の長い睫毛を見て思う。
まぁ、仕方ない。出たとこ勝負である。
「ほら雫、行くぞ」
耀が差し伸べた手を、雫が取って、玄関を出る。鬼退治などという物騒な生業をしていようと、朝というのはおしなべて忙しないものなのだな、と耀は妙な感慨を覚えた。
登校した校門前には、三人を──正確に言えば耀を待ち構えている人物がいた。
「あーっ、耀! LINEはもらってたけど、マジで本当に嘘じゃなく転校してきたの!?」
ヒロカだ。今日はオフショルダーの薄手のニットに黒い革のショートパンツ、花模様の編まれた薄いタイツという格好だ。
「おい耀。誰だ、この頭の軽そうな女性は」
「美少年が増えた!? でもめっちゃ失礼! あっ、雫ちゃんおはよう、そのお洋服めっちゃ可愛いね!」
「どうも……」
せわしなく騒ぐヒロカに、雫はまた耀の背に隠れてしまう。どうもヒロカのことが苦手なようだ。
周囲の注目を集めた事に気づいた一行は、とりあえずヒロカの案内で小等部の職員室に向かう。小学生たちの中に、静彦と耀、ヒロカの身長はぴょこんと抜きん出いて、指を指されて噂されているのが分かる。
「ヒロカ。なんでいんだよおまえ。不登校のヒッキーのくせに」
「あっひど。これでも心配したんだからね、突然転校してくるとかいう耀のこと」
「……悪かったよ」
耀はヒロカの髪をグシャグシャと撫で、ヘアセットをめちゃくちゃにするな、と怒られた。
そんな耀のスエットの裾を、雫がクイクイと引いた。耀が振り返ると、雫は妙に拗ねたような、怒ったような顔で耀を見上げていた。
「……耀」
「? なんだよ」
「耀は、私の従者なんだからね。私を一番にしなきゃいけないんだから」
わけがわからないまま耀が頷くと、雫は満足そうな笑顔になった。それを見ていた静彦がため息を付いた。
小等部の職員室に入って中を見回せば、眼鏡をかけたひょろりとした若い男性が立ち上がった。
「ああ、今日転校してきた神木雫さんだね。君たちは──」
「兄の静彦です」
「従兄弟の耀です」
同居を合理的に説明するため、そういうことにしてある。
「付添のヒロカでぇす」
とヒロカがピースサインをするが、それは全員が無視する。
「そうですか。僕が雫さんの担任になる、藤村芳雄です。後は任せて、君たちは高等部の方へ行ってください」
「ありがとうございます。先生、雫をよろしくお願いします」
静彦は折り目正しく頭を下げ、耀も見様見真似でそれに倣った。
雫に手を振ると小等部の校舎を出て、高等部へ向かう。
「藤村先生てねぇ、去年よそから赴任してきた先生なんだけど、優しくって面倒見が良いって評判いいよ。雫ちゃんも安心だねぇ」
ヒロカはのんびりと言うが、静彦の目は鋭くなる。『去年から』、というところに反応したのだ。藤浪学園で異変が起き始めたのも去年からだった。
「他に、去年から赴任してきた教師は?」
「え? えっとぉ、スクールカウンセラーの皆木聡子先生とぉ、他に誰かいたっけ──中等部と少等部はわかんないなぁ」
「藤村先生のことは、なんで知ってたんだ?」
「藤村先生は情報科学の先生で、パソコン操作とかプログラミングとか教えてるの。高等部でも授業してるから、それでね」
藤村芳雄と、スクールカウンセラーの皆木聡子が、静彦の中で容疑者として数えられたのが分かる。
「……まだ、教師と決まったわけじゃないんじゃね?去年から入ったってなら、今年の二年生も同じ条件だろ」
「ああ。だが、覚えておくに越したことはない。中等部と小等部の方も調べさせる」
そう言う静彦はどこまでも冷静で、その表情は冷徹といってもいいほどだ。今朝の朝食の時の少し幼い表情が幻だったかのようだ。
耀と静彦は同じクラスだったが、ヒロカとはクラスが別れた。ヒロカが腕を大きく振って廊下を去っていくのを見送った後、静彦は周囲に聞こえないよう密やかな声で耀に話しかけた。
「今のところ鬼の気配はないが、ボーッとするんじゃないぞ。感覚は常に研ぎ澄ましていろ」
その上からの物言いに、耀はかちんと来る。
「うっせぇな、どんな感覚か、説明くらいしろよ──」
そう言ったとき、チリ、と肌を焦がすような感覚があった。これが『鬼の気配』なのだと、理屈ではなく理解する。
「静彦」
「行くぞ!」
二人は同時に駆け出す。廊下を歩く他の生徒達が目を丸くして二人の背を見送った。
たどり着いたのは人気のない校舎裏だ。そこには二人の男子生徒がいた。もう一人は尻餅をついて、必死に後ずさろうとしていた。
そしてもう一人、うつぶせに地に伏している方に見覚えがあった。
「──山田……」
先日耀が校門前で声をかけた少年だ。苦しげに呻くその肩には、折れた木の枝が突き刺さっていた。そして、その枝には、濃く黒い靄が纏わりついていた。
「耀、見ろ」
静彦に言われて見上げれば、山田のそばに植えられた木の上、途中でぽきりと折れた枝があり、あれが山田に突き刺さったのだろう。そして、その枝に絡みつくように、黒く長い蛇がいた。大きく口を開け、こちらに牙を向けて、シャーッと威嚇してみせる。
静彦が蛇に向けて何か札のような物を投げつければ、あっという間に霧散した。再び形を作る様子も見せない。静彦は舌打ちする。
「弱すぎる。本体じゃないな──分霊か」
耀と静彦は、尻餅をついている生徒の方を振り向く。彼はガクガクと震えていた。
「ぼ、僕は、僕は、何も……っ!」
彼の見開かれた目から、黒い靄が涙のように流れ出す。口が開かれ、その口内も黒い靄で真っ黒に染まっていた。そして、凄まじい咆哮とともに、黒い靄が噴水のように、彼の中から溢れてくる。
「うおっ
耀は思わず一歩引く。静彦は冷静に護符を構えた。
「憑いていた分霊が離れようとしているんだ──祓うぞ」
黒い靄が護符に祓われるのと、先程の咆哮を聞きつけたらしい教師たちがやって来るのは、ほとんど同時だった。
「おい、何をしている!!」
「うわ、やべ」
逃げるかどうか迷う耀だったが、静彦は涼しい顔で教師らに向き直る。
「事故が起きたようです。今、先生たちを呼びに行こうかと」
教師たちは、平然とそう言う静彦の顔と、倒れた山田、座り込んでいる少年の顔を見比べる。座り込んだ少年は、今やぽかんと口を開け、目を見開いていた。
「……僕、なんでここに?」
教師たちは顔を見合わせた。