表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蛮神  作者: 今野 真芽
15/15

果たしてどこへ行くのだろう

「……最悪だ最悪だ最悪だ……」

 始発の在来線に乗り、新幹線に乗り換えてからも、静彦はなお青い顔でブツブツ言っていた。

「うるせぇなぁ、最終的に無事だったんだから良かっただろ」

「それまでの過程が問題なんだ!!」

 舗装された道路しか走ったことのない耀に、夜の山道はやはり荷が重かった。そのため、ところどころでスリリングな一幕が繰り広げられたのだった。

「死ぬかと……死ぬかと思った……」

 そうこうしているうちに、静彦は寝てしまった。心労が重なった上での危険なドライブだ。疲れたのだろう。目の下に隈が浮いている。その寝顔をしばらく眺めてから、耀は窓の外に目線を戻した。田舎の風景が過ぎ去り、高層ビルが増えていく。そうして耀はスマートフォンを取り出して、メッセージを一件送信した。すぐに返信がある。

 やがて新幹線は東京駅に到着した。すでに人通りは多く、光吉村の古めかしく沈殿した空気に晒された身体に、今はその喧騒と人々の活気が心地いい。

 ヒロカは改札口のすぐ前で待っていた。ばっちりと化粧を決め、襟ぐりの深いドット柄のミニワンピースでシックに決めている。耀と静彦に気づくと、飛び上がらんばかりにして、ブンブンと腕を振る。ポニーテールが揺れた。

「あっかるぅー! シズくぅん! ここだよぉ!」

「うるせぇ、見れば分かるっての。……てかおまえ、もう大丈夫なのかよ」

「うん、なんにも覚えてないけど──二人が助けてくれたのは分かってる。ありがとう」

 耀も静彦も、黙って首を横に振った。そもそも巻き込んだのはこちらの方だった。

「じゃ、行こっか。タクシー待たせてるよ」

「行こっかって……どこへ?」

 静彦の問に答えたのは耀だった。

「ヒロカの家だよ」


 高層マンションの最上階をぶち抜くヒロカの家に入り、静彦は目を丸くした。思わず、というように声を上げる。

「こ……これは、機工戦隊きこうせんたいメカレンジャーの限定五十体フィギュア……!?」

「おっ、シズくん、やっぱり特撮好きだったんだ! 部活でも熱心にグッズ見てたし、皆の話も分かってるみたいだったから、薄々そうじゃないかと思ってたんだよぉ。……じゃあこっち、こっち見て!」

「ヒグマ戦隊キバレンジャーのプレミアム変身ウォッチ!! す、すごい!!」

 ヒロカの家の壁を覆うコレクションケースの中身は、耀には意味のわからないおもちゃに過ぎないが、静彦にとっては宝の山に見えるらしい。耀そっちのけで、あのシリーズはどうだった、このシリーズは最高だったと特撮談義が始まる。

 静彦は心から羨ましそうにため息をついた。

「いいなぁ。さすがにグッズに手を出すと家の者に知られてしまうから、ずっと我慢していたんだ」

「ふぅん、なんかしらないけど、シズくんも大変なんだねぇ。うちはほら、ママの事務所の子らがよく出演してるから、ママも理解あるし、コネでグッズ手に入ったりするんだ」

「え、ママの事務所って……」

高瀬たかせ芸能事務所。知らない?」

 知らないわけがない。静彦のパソコンに入っていたスクリーンショットは、まさに高瀬芸能事務所の募集要項だった。耀は静彦を指差す。

「こいつ、特撮俳優志望なんだよ」

「えーっ!? 似合う似合う、絶対似合う! オーディション受けなよ、ママ絶対喜ぶよぉ! 私もイメージ湧いてきた!」

 ヒロカがぴょんぴょん飛び跳ねる。静彦は首をかしげた。

「イメージ?」

 ヒロカは照れて少し俯き、頬を掻いた。

「えへへ……私はね、脚本家志望なんだぁ。いつか、私の脚本で、子どもたちを楽しませたいっていうか……無理かもだけど……」

 静彦が、がしっとヒロカの両手を掴む。まっすぐにヒロカと目と目を合わせた。

「そんなことはない。短い付き合いだけど、ヒロカさんの特撮への愛、俺にも伝わっている。武道も芸事も日々の鍛錬により向上するものだろう。それさえ忘れなければ、少なくとも後退することはない」

 その瞳と声音の真摯さはヒロカにも伝わったのだろう。安易な励ましではないと理解し、ヒロカは目を潤ませる。

「シズくん……、だいぶ時代錯誤なかんじだけど、励ましてくれてるんだね。ありがとう……! じゃあ、約束だよ! いつか私の脚本で、シズくんが演じてくれるの!」

 ヒロカの笑顔に、静彦は言葉を詰まらせた。首を傾げるヒロカに、蚊帳の外だった耀が声をかけた。

「ヒロカ。悪ぃけど、しばらく俺らをここに置いてほしい」

 真剣な顔でそう言った耀に、ヒロカはあっさりと

「うん、いーよぉ」

 と答えたが、顔色を変えたのが静彦だ。

「お、おい、耀! 若い婦女子のお宅に、男二人がお邪魔するわけには……」

「別にいいよ。ママは事務所の近くにマンション持ってて、ここは私の一人暮らしだしさ」

「なおさら問題ではないか! ヒロカさんも、もう少し危機感というものを持ってだな」

 言い募ろうとした静彦に、ヒロカが腕を組んで胸を張り、目を眇める。

「あのねぇ」

 たっぷりとマスカラを塗った睫毛が、瞬きをする。

「言っておくけど、私は、誰にでもこんなことをOKしたりしないの。短い付き合いだけど、シズくんのこと信用できる人だと思ってるし、それより何より、耀のことを信じてる。そりゃ、世の中悪い人がたっぷりいるんだってこととか、男の子が時々豹変するんだってことも知ってる。でもね。自分の信じるものを信じられなくて、どうやって生きていけばいいんだっての」

 静彦が思わずたじたじとなってしまうくらいの、迫力のある声音だった。

「ありがとう、ヒロカ。世話になる」

 耀が頭を下げると、ヒロカはまじまじと耀を見て、へにゃっと笑った。

「耀。変わったねぇ。前はなんかピリピリしてたけど、ちょっと落ち着いたみたい」

 耀は目を丸くした。

「……そうか?」

「そうだよぉ」

 言われてみれば確かに、誰彼構わず喧嘩をふっかけたいような衝動は、しばらく覚えていない。静彦という、他の誰より戦いたい相手と出会ったからだ。そして、戦うべき目的を、雫が与えてくれたからだ。

 だが、今はそれも──。

 耀はヒロカから目を逸らす。高層ビルの窓の外、東京の街が広がっている。それはあまりに広くて、どこに行けば良いのか分からなかった。


 耀が夕食を作り、三人で食卓を囲んだ後、耀と静彦は用意された客室で、布団を並べて横になっていた。

「なぁ、耀。ヒロカさんは強い人だな。他の誰が言うことよりも、自分の信じるものを追う勇気を持っている」

 静彦がしみじみとそう言う。

「おまえも好きなんだろ?」

「え? あ、いや、そういう意味じゃ、いや、ヒロカさんに魅力がないとかそういう意味ではなく」

「特撮が」

「あ──特撮が、か。そうだな。好きだ。特撮研究部の活動も楽しかった。誰がなんと言おうと、俺は特撮が好きなのをやめられないって、今日改めて思った。」

「随分遅くまで、話が弾んでいたもんな」

 耀の言葉に、静彦は笑う。

「話していたのは、おまえのこともだよ、耀」

「俺?」

「おまえ、ヒロカさんをいじめから助けたんだって?」

 ヒロカは中学までは、耀と同じ公立にいた。金持ちのお嬢様育ちで特撮好きを隠さないヒロカは、周囲から妬み混じりの嘲笑を受け、女子生徒の間で浮いていた。それだけならともかく、面白がって便乗した男子生徒達からの暴力沙汰を受け、その男子生徒らをボコボコにしたのが耀だ。やりすぎて校長室に母が呼ばれた。停学にならなかったのは、ひとえにヒロカの懸命の弁護のおかげだったと思う。助けたと言うならお互い様だ。だいたい、耀にとってはいつもの喧嘩の一つだった。

「あれは……まぁ、やりすぎたな」

 当時はそうは思わなかったが、今はそう思う。ヒロカの言う通り、自分は変わったのかもしれなかった。

「人一倍世話焼きでおせっかいなくせに、人百倍喧嘩が好きだから問題を起こす。おまえはそういうやつだよなと、ヒロカさんと話をしていた」

「……」

 それは、耀には随分過分な言葉に思えた。戦闘狂の問題児と、ずっと言われ続けてきた。自分もそれで良かった。周囲からの理解など、必要としていなかったのに。

 なのに今、こんなにも胸が熱くなるのは、どうしてだろう。

「ありがとう、耀。俺を連れ出してくれて。でも俺は、ここにはいられないよ」

「──なんで」

 あの村にいたって、重い処分とやらが下されるのを待つだけだろう。『水神』の刀も宝珠ももうない。役目から開放されたって良いじゃないか。

「あの子を、雫を助けなきゃいけない。あの子は本当は俺の妹ではないのかもしれないけれど。でも、ずっと妹だと思っていた子を,今更他人とは思えないよ」

「……本人は、村にいるより幸せかもしれないぞ」

 雫を心配する素振りも見せず、道具のように語った長老会の連中の態度を思い出した。

「だとしても、本人の意志を確認したい」

「あいつは、本当の兄貴を取り戻すためにお前を利用したんだろう。恨む気持ちはないのか」

「耀は? 恨んでいるのか?」

「……」

 耀は天井を睨んだ。恨む気持ちは、どこからも湧いてこない。それが困りものだった。耀には、静彦の気持ちが分かってしまう。

「──片っ端から、鬼の気配を探るしかないか」

 その言葉に、静彦が耀を見た。

「耀。手伝ってくれる気か?」

「しょうがねぇだろ。乗りかかった船だ」

 静彦はしばらく黙って、そして口を開いた。

「俺はお前を止めなければいけないんだ。村に戻して、一刻も早く『蛮神』の力をお前から引き剥がして──でも、なんでだろうな。今、ものすごく心強い」

 耀がそれになにか答える前に、二人は跳ね起きた。

 鬼の気配だ。近い。それも、ひどく強力だ。急いで寝間着から着替えて上着を羽織る。ドタドタと足音を立てて玄関に向かう二人に、ヒロカも寝ぼけ眼で起き出してきた。

「なぁにぃ? どぉしたの?」

「悪ぃ、急ぎの用事ができた!」

「ヒロカさんは、絶対に家から出ないでくれ! ……それから」

 静彦がヒロカに微笑んだ。

「約束する。用事を終えて戻ってきたら、俺も夢を追う。いつか必ず、ヒロカさんの脚本で演じるよ」

 そうして、二人はドアを開けた。宝石箱の中身を散りばめたような輝く夜景が視界に広がり、二人は夜の街へと駆け出していった。


「こっちか?」

「方角は合っていると思う!」

 全速力で二人駆ける。たどり着いたのは人気のない小さな公園だった。二人を見て、ベンチから立ち上がった人影がある。

 赤いライダースーツに身を包んだ豊満な身体、ぽってりと艶めかしい紅い唇。見間違えようもない。有楽だ。

 耀と静彦が何か言う前に、有楽は両手を上げた。

「今日は、戦いに来たんじゃないのよ。楽しい見世物に、二人を誘いに来たの」

「見世物……?」

「そ。お姫様が荒神あらがみに変わる瞬間、見たくない?」

 荒神、と言う言葉が何を意味するかは分からなかった。が、耀の中にある『蛮神』の記憶が、おどろおどろしいヘドロの化け物のような姿を脳裏に映す。耀はゾッと背筋を粟立てた。思わず怒鳴る。

「雫に何をした!」

「あら、怖い、怖い。──私達が何かしたわけじゃない。政府に来たお姫様は、そりゃあ協力的だった。それで、政府でも、それなら光吉村にお姫様の本体を取りに行って、正式に政府にお迎えしようって話になったんだけど」

 そこまで言って有楽はため息を吐く。顔色を変えたのは静彦だ。

「光吉村に……!? 長老会が、姫様の本体を渡すわけがない。村の皆に何をしたんだ!」

「やぁねぇ、人聞きの悪い。二、三発威嚇射撃しただけよ。呪術での防護もいくらか用意されてたけど、私の敵じゃなかったわね。長年栄華を誇った光吉村も、頼みの綱のお姫様がいなきゃ、脆いものね」

 静彦が唇を噛む。

「ところが、お姫様の従順な態度は演技だったみたい。同行していた政府の要人を人質にとって、あなた達二人を連れてこいと要求してるの。関係各所はもう大混乱でねぇ、笑えるったらありゃしない」

「……それでおまえは、雫の要求に従って俺たちを迎えに来たのか?」

「いえ? 面白そうだったから」

 静彦の問に、有楽はあっさりと答える。

「どうやら光吉村には、『姫神』を捕らえておくため、幾つかの呪的な契約を結んでたみたいね。村内で人を傷つけないのもその一つ。それを破ったお姫様は、激しい苦痛に苦しみ、荒神へ変わりつつあるってわけ。──それで私は、それを何もできずに見守るあなた達の顔を見て愉しみたいのよ」

 激昂した静彦が、有楽に掴みかかろうとする。それを制止したのは耀だった。

「分かった。光吉村に行く。──でも、それはお前が期待するようなことのためじゃない」

 耀の眼光は鋭く有楽を睨んでいた。

「雫を助けるためだ」

 有楽は愉しそうに微笑う。彼女が指を鳴らすと、公園には黒塗りの車が横付けされた。促されて、耀と静彦はそれに乗り込む。有楽は乗らなかった。彼女には他の移動手段があるのだろう。

 黒服の運転手は何一つ言葉を発せず、車を発進させた。耀と静彦も互いに何も喋らず、車内には沈黙が降りた。

 耀は窓の外を見る。だんだんまばらになっていく街の光。

 静彦は自分の生きる道を決めた。──耀は果たしてどこへ行くのだろう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ