果たしてどこへ行くのだろう
「……最悪だ最悪だ最悪だ……」
始発の在来線に乗り、新幹線に乗り換えてからも、静彦はなお青い顔でブツブツ言っていた。
「うるせぇなぁ、最終的に無事だったんだから良かっただろ」
「それまでの過程が問題なんだ!!」
舗装された道路しか走ったことのない耀に、夜の山道はやはり荷が重かった。そのため、ところどころでスリリングな一幕が繰り広げられたのだった。
「死ぬかと……死ぬかと思った……」
そうこうしているうちに、静彦は寝てしまった。心労が重なった上での危険なドライブだ。疲れたのだろう。目の下に隈が浮いている。その寝顔をしばらく眺めてから、耀は窓の外に目線を戻した。田舎の風景が過ぎ去り、高層ビルが増えていく。そうして耀はスマートフォンを取り出して、メッセージを一件送信した。すぐに返信がある。
やがて新幹線は東京駅に到着した。すでに人通りは多く、光吉村の古めかしく沈殿した空気に晒された身体に、今はその喧騒と人々の活気が心地いい。
ヒロカは改札口のすぐ前で待っていた。ばっちりと化粧を決め、襟ぐりの深いドット柄のミニワンピースでシックに決めている。耀と静彦に気づくと、飛び上がらんばかりにして、ブンブンと腕を振る。ポニーテールが揺れた。
「あっかるぅー! シズくぅん! ここだよぉ!」
「うるせぇ、見れば分かるっての。……てかおまえ、もう大丈夫なのかよ」
「うん、なんにも覚えてないけど──二人が助けてくれたのは分かってる。ありがとう」
耀も静彦も、黙って首を横に振った。そもそも巻き込んだのはこちらの方だった。
「じゃ、行こっか。タクシー待たせてるよ」
「行こっかって……どこへ?」
静彦の問に答えたのは耀だった。
「ヒロカの家だよ」
高層マンションの最上階をぶち抜くヒロカの家に入り、静彦は目を丸くした。思わず、というように声を上げる。
「こ……これは、機工戦隊メカレンジャーの限定五十体フィギュア……!?」
「おっ、シズくん、やっぱり特撮好きだったんだ! 部活でも熱心にグッズ見てたし、皆の話も分かってるみたいだったから、薄々そうじゃないかと思ってたんだよぉ。……じゃあこっち、こっち見て!」
「ヒグマ戦隊キバレンジャーのプレミアム変身ウォッチ!! す、すごい!!」
ヒロカの家の壁を覆うコレクションケースの中身は、耀には意味のわからないおもちゃに過ぎないが、静彦にとっては宝の山に見えるらしい。耀そっちのけで、あのシリーズはどうだった、このシリーズは最高だったと特撮談義が始まる。
静彦は心から羨ましそうにため息をついた。
「いいなぁ。さすがにグッズに手を出すと家の者に知られてしまうから、ずっと我慢していたんだ」
「ふぅん、なんかしらないけど、シズくんも大変なんだねぇ。うちはほら、ママの事務所の子らがよく出演してるから、ママも理解あるし、コネでグッズ手に入ったりするんだ」
「え、ママの事務所って……」
「高瀬芸能事務所。知らない?」
知らないわけがない。静彦のパソコンに入っていたスクリーンショットは、まさに高瀬芸能事務所の募集要項だった。耀は静彦を指差す。
「こいつ、特撮俳優志望なんだよ」
「えーっ!? 似合う似合う、絶対似合う! オーディション受けなよ、ママ絶対喜ぶよぉ! 私もイメージ湧いてきた!」
ヒロカがぴょんぴょん飛び跳ねる。静彦は首をかしげた。
「イメージ?」
ヒロカは照れて少し俯き、頬を掻いた。
「えへへ……私はね、脚本家志望なんだぁ。いつか、私の脚本で、子どもたちを楽しませたいっていうか……無理かもだけど……」
静彦が、がしっとヒロカの両手を掴む。まっすぐにヒロカと目と目を合わせた。
「そんなことはない。短い付き合いだけど、ヒロカさんの特撮への愛、俺にも伝わっている。武道も芸事も日々の鍛錬により向上するものだろう。それさえ忘れなければ、少なくとも後退することはない」
その瞳と声音の真摯さはヒロカにも伝わったのだろう。安易な励ましではないと理解し、ヒロカは目を潤ませる。
「シズくん……、だいぶ時代錯誤なかんじだけど、励ましてくれてるんだね。ありがとう……! じゃあ、約束だよ! いつか私の脚本で、シズくんが演じてくれるの!」
ヒロカの笑顔に、静彦は言葉を詰まらせた。首を傾げるヒロカに、蚊帳の外だった耀が声をかけた。
「ヒロカ。悪ぃけど、しばらく俺らをここに置いてほしい」
真剣な顔でそう言った耀に、ヒロカはあっさりと
「うん、いーよぉ」
と答えたが、顔色を変えたのが静彦だ。
「お、おい、耀! 若い婦女子のお宅に、男二人がお邪魔するわけには……」
「別にいいよ。ママは事務所の近くにマンション持ってて、ここは私の一人暮らしだしさ」
「なおさら問題ではないか! ヒロカさんも、もう少し危機感というものを持ってだな」
言い募ろうとした静彦に、ヒロカが腕を組んで胸を張り、目を眇める。
「あのねぇ」
たっぷりとマスカラを塗った睫毛が、瞬きをする。
「言っておくけど、私は、誰にでもこんなことをOKしたりしないの。短い付き合いだけど、シズくんのこと信用できる人だと思ってるし、それより何より、耀のことを信じてる。そりゃ、世の中悪い人がたっぷりいるんだってこととか、男の子が時々豹変するんだってことも知ってる。でもね。自分の信じるものを信じられなくて、どうやって生きていけばいいんだっての」
静彦が思わずたじたじとなってしまうくらいの、迫力のある声音だった。
「ありがとう、ヒロカ。世話になる」
耀が頭を下げると、ヒロカはまじまじと耀を見て、へにゃっと笑った。
「耀。変わったねぇ。前はなんかピリピリしてたけど、ちょっと落ち着いたみたい」
耀は目を丸くした。
「……そうか?」
「そうだよぉ」
言われてみれば確かに、誰彼構わず喧嘩をふっかけたいような衝動は、しばらく覚えていない。静彦という、他の誰より戦いたい相手と出会ったからだ。そして、戦うべき目的を、雫が与えてくれたからだ。
だが、今はそれも──。
耀はヒロカから目を逸らす。高層ビルの窓の外、東京の街が広がっている。それはあまりに広くて、どこに行けば良いのか分からなかった。
耀が夕食を作り、三人で食卓を囲んだ後、耀と静彦は用意された客室で、布団を並べて横になっていた。
「なぁ、耀。ヒロカさんは強い人だな。他の誰が言うことよりも、自分の信じるものを追う勇気を持っている」
静彦がしみじみとそう言う。
「おまえも好きなんだろ?」
「え? あ、いや、そういう意味じゃ、いや、ヒロカさんに魅力がないとかそういう意味ではなく」
「特撮が」
「あ──特撮が、か。そうだな。好きだ。特撮研究部の活動も楽しかった。誰がなんと言おうと、俺は特撮が好きなのをやめられないって、今日改めて思った。」
「随分遅くまで、話が弾んでいたもんな」
耀の言葉に、静彦は笑う。
「話していたのは、おまえのこともだよ、耀」
「俺?」
「おまえ、ヒロカさんをいじめから助けたんだって?」
ヒロカは中学までは、耀と同じ公立にいた。金持ちのお嬢様育ちで特撮好きを隠さないヒロカは、周囲から妬み混じりの嘲笑を受け、女子生徒の間で浮いていた。それだけならともかく、面白がって便乗した男子生徒達からの暴力沙汰を受け、その男子生徒らをボコボコにしたのが耀だ。やりすぎて校長室に母が呼ばれた。停学にならなかったのは、ひとえにヒロカの懸命の弁護のおかげだったと思う。助けたと言うならお互い様だ。だいたい、耀にとってはいつもの喧嘩の一つだった。
「あれは……まぁ、やりすぎたな」
当時はそうは思わなかったが、今はそう思う。ヒロカの言う通り、自分は変わったのかもしれなかった。
「人一倍世話焼きでおせっかいなくせに、人百倍喧嘩が好きだから問題を起こす。おまえはそういうやつだよなと、ヒロカさんと話をしていた」
「……」
それは、耀には随分過分な言葉に思えた。戦闘狂の問題児と、ずっと言われ続けてきた。自分もそれで良かった。周囲からの理解など、必要としていなかったのに。
なのに今、こんなにも胸が熱くなるのは、どうしてだろう。
「ありがとう、耀。俺を連れ出してくれて。でも俺は、ここにはいられないよ」
「──なんで」
あの村にいたって、重い処分とやらが下されるのを待つだけだろう。『水神』の刀も宝珠ももうない。役目から開放されたって良いじゃないか。
「あの子を、雫を助けなきゃいけない。あの子は本当は俺の妹ではないのかもしれないけれど。でも、ずっと妹だと思っていた子を,今更他人とは思えないよ」
「……本人は、村にいるより幸せかもしれないぞ」
雫を心配する素振りも見せず、道具のように語った長老会の連中の態度を思い出した。
「だとしても、本人の意志を確認したい」
「あいつは、本当の兄貴を取り戻すためにお前を利用したんだろう。恨む気持ちはないのか」
「耀は? 恨んでいるのか?」
「……」
耀は天井を睨んだ。恨む気持ちは、どこからも湧いてこない。それが困りものだった。耀には、静彦の気持ちが分かってしまう。
「──片っ端から、鬼の気配を探るしかないか」
その言葉に、静彦が耀を見た。
「耀。手伝ってくれる気か?」
「しょうがねぇだろ。乗りかかった船だ」
静彦はしばらく黙って、そして口を開いた。
「俺はお前を止めなければいけないんだ。村に戻して、一刻も早く『蛮神』の力をお前から引き剥がして──でも、なんでだろうな。今、ものすごく心強い」
耀がそれになにか答える前に、二人は跳ね起きた。
鬼の気配だ。近い。それも、ひどく強力だ。急いで寝間着から着替えて上着を羽織る。ドタドタと足音を立てて玄関に向かう二人に、ヒロカも寝ぼけ眼で起き出してきた。
「なぁにぃ? どぉしたの?」
「悪ぃ、急ぎの用事ができた!」
「ヒロカさんは、絶対に家から出ないでくれ! ……それから」
静彦がヒロカに微笑んだ。
「約束する。用事を終えて戻ってきたら、俺も夢を追う。いつか必ず、ヒロカさんの脚本で演じるよ」
そうして、二人はドアを開けた。宝石箱の中身を散りばめたような輝く夜景が視界に広がり、二人は夜の街へと駆け出していった。
「こっちか?」
「方角は合っていると思う!」
全速力で二人駆ける。たどり着いたのは人気のない小さな公園だった。二人を見て、ベンチから立ち上がった人影がある。
赤いライダースーツに身を包んだ豊満な身体、ぽってりと艶めかしい紅い唇。見間違えようもない。有楽だ。
耀と静彦が何か言う前に、有楽は両手を上げた。
「今日は、戦いに来たんじゃないのよ。楽しい見世物に、二人を誘いに来たの」
「見世物……?」
「そ。お姫様が荒神に変わる瞬間、見たくない?」
荒神、と言う言葉が何を意味するかは分からなかった。が、耀の中にある『蛮神』の記憶が、おどろおどろしいヘドロの化け物のような姿を脳裏に映す。耀はゾッと背筋を粟立てた。思わず怒鳴る。
「雫に何をした!」
「あら、怖い、怖い。──私達が何かしたわけじゃない。政府に来たお姫様は、そりゃあ協力的だった。それで、政府でも、それなら光吉村にお姫様の本体を取りに行って、正式に政府にお迎えしようって話になったんだけど」
そこまで言って有楽はため息を吐く。顔色を変えたのは静彦だ。
「光吉村に……!? 長老会が、姫様の本体を渡すわけがない。村の皆に何をしたんだ!」
「やぁねぇ、人聞きの悪い。二、三発威嚇射撃しただけよ。呪術での防護もいくらか用意されてたけど、私の敵じゃなかったわね。長年栄華を誇った光吉村も、頼みの綱のお姫様がいなきゃ、脆いものね」
静彦が唇を噛む。
「ところが、お姫様の従順な態度は演技だったみたい。同行していた政府の要人を人質にとって、あなた達二人を連れてこいと要求してるの。関係各所はもう大混乱でねぇ、笑えるったらありゃしない」
「……それでおまえは、雫の要求に従って俺たちを迎えに来たのか?」
「いえ? 面白そうだったから」
静彦の問に、有楽はあっさりと答える。
「どうやら光吉村には、『姫神』を捕らえておくため、幾つかの呪的な契約を結んでたみたいね。村内で人を傷つけないのもその一つ。それを破ったお姫様は、激しい苦痛に苦しみ、荒神へ変わりつつあるってわけ。──それで私は、それを何もできずに見守るあなた達の顔を見て愉しみたいのよ」
激昂した静彦が、有楽に掴みかかろうとする。それを制止したのは耀だった。
「分かった。光吉村に行く。──でも、それはお前が期待するようなことのためじゃない」
耀の眼光は鋭く有楽を睨んでいた。
「雫を助けるためだ」
有楽は愉しそうに微笑う。彼女が指を鳴らすと、公園には黒塗りの車が横付けされた。促されて、耀と静彦はそれに乗り込む。有楽は乗らなかった。彼女には他の移動手段があるのだろう。
黒服の運転手は何一つ言葉を発せず、車を発進させた。耀と静彦も互いに何も喋らず、車内には沈黙が降りた。
耀は窓の外を見る。だんだんまばらになっていく街の光。
静彦は自分の生きる道を決めた。──耀は果たしてどこへ行くのだろう。