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蛮神  作者: 今野 真芽
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平穏の崩壊

 その日、耀のクラスの最後の授業は、情報科学の授業だった。担当の藤村──雫の担任は、黒板に大きく、『インターネットリテラシー』と書いた。

「いかなる理由があろうとも、暴力は肯定されるべきではありません。それは人の身体を傷つけ、ときに取り返しのつかない事態を招く。それだけではなく、人の尊厳を傷つけ、貶める行為です。そしてそれは、言葉の暴力も同じです」

 そう藤村は語りだした。最近のSNSで問題になっている誹謗中傷やネットいじめなどが、今日の授業のテーマのようだった。

 耀は窓の外をぼんやり見つめ、藤村の話を聞くともなしに聞きながら、今日の夕食の献立について考えていた。

「……君たちの多くは、SNSを利用していると思います。いわゆる裏サイトを利用している人もいるかもしれない。ですが、忘れないでください。物理的な暴力も、言葉の暴力も、回り回って、いずれ自分に返ってくるということを」

 そこで、終了のチャイムが鳴り、耀は今日も道場破りに行くために立ち上がった。今日はレスリング部に行く予定だった。


 その日の夜。雫は静彦の洗った皿を布巾で拭きながら、満面の笑顔で

「ハンバーグ、耀特製ハンバーグ、卵の乗ったハンバーグ」

 と節をつけて歌う。三皿を平らげた後だと言うのに、まだご機嫌な様子だ。静彦は真剣な顔で皿とスポンジと格闘している。三人で同居を始めてしばらく、ようやく静彦も皿洗いくらいはできるようになってきた。二人が後片付けを担当してくれているので、耀はテレビを見て休んでいた。

 その時だった。三人のスマートフォンが同時に鳴る。耀のデフォルトのままの着信音。静彦の軽快な音楽。雫は『森のくまさん』。

 なにか不審なものを感じて、三人顔を見合わせ、各自のスマートフォンを確認する。そして、目を見開いた。

 そこには、『ヒロカさんから写真が送付されました』との通知が表示され、それをタップすると、床に倒れ伏したヒロカの写真が映されていた。

 耀は、何を考える暇もなく、『蛮神』の剣を取った。。次いで静彦が『水神』の刀を手に取る。そうして飛び出そうとした二人の服の裾を、雫が掴んで止めた。二人が雫を見下ろせば、雫はなにか──怯えたような顔をしていた。

「罠だよ」

「知ってる。でも、行かなきゃヒロカが危ないだろ」

 そのとおりだ、と静彦も頷く。雫は、きかんきな子どものように地団駄を踏む。

「だからって! 耀と静彦は、私の、私の従者なのに! どうしてヒロカを守らなきゃいけないの!」

 耀と静彦は顔を見合わせた。

「姫様。──待っていた敵からの接触です。予定通りかと」

 静彦の冷静な指摘には、さすがに雫も反論できなかったのだろう。ぐっと言葉に詰まる。耀はしゃがんで、雫と目を合わせて頭を撫でる。

「怖いなら、雫はここにいろ」

 しばし沈黙があり、雫は頭をブンブン振って、やけになったように怒鳴った。

「私がいなくて、どうやって鬼を祓うつもりなの! もう、しょうがないんだから。私も行きます、行けば良いんでしょ!」

 そうして三人は、玄関を飛び出した。遅れそうな雫を、耀が抱えあげて走る。

「……って、どこに向かえば良いんだ?」

 と夜道を走りながら言う耀に、静彦は呆れた様子だ。

「分からずに飛び出したのか? あの床のタイルは、藤浪学園だ」

 やがて、藤浪学園に着いた。施錠された校門を乗り越え、深夜の校庭に降り立つ。そこには人気がない──はずだった。

「──耀」

「ああ」

 静彦に目配せされる前から、耀もその気配に気づいていた。

 無数の鬼の気配だ。

 校舎の仲から、ゆらゆらと身体を揺らしながら、次々と校庭に人影が現れていく。多くはおそらく高校生、中には中学生らしき者もいる少年少女たちだ。

「耀、いけるか」

「誰に言ってんだよ」

 耀は歯を剥いて笑う。包んでいた布を解いて、『蛮神』の剣を取り出す。柄を握った拳から、高揚が全身に満ちていく。

 戦いたい、戦いたい、戦いたい──!!

 それは『蛮神』の想いか、耀の想いか。互いに同調し、高まり合っていくのと同時に、刀身が輝きを帯びた。耀が地面を蹴るのと同時に、鬼に憑かれた人々の目や口から、黒い靄が一斉に吹き出す。耀が『蛮神』の剣を一閃すると、一筋の光の線が走り、次いで靄が霧散する。が、第二陣が耀に襲いかかる。それを斬ったのは静彦の刀だった。

「耀、いきなり突っ込むんじゃない!」

 小言を言いながら、静彦は耀の横に並ぶ。

「ははっ」

 耀は楽しくなって、呵呵と笑いながら剣を振るった。どう剣を振るえばいいのかは、剣の記憶が知っていた。耀はただ、自由自在に闇を切り裂いていく。静彦はため息をつきながらも、一歩下がり、耀の動きをフォローするように刀を振るった。二人の剣の軌跡は、幾筋もの光の線となり、靄を斬り裂いていく。

 ──悪くない。

 今まで、喧嘩をするときは一人だった。誰かとつるむことはなかった。だが、こうして仲間と力を合わせるというのも、決して悪い気分ではなかった。

 そうしているうちに、背後で、雫の力が高まっていくのを感じる。

「静彦、耀! 一気に祓います!」

 光の波動が洪水のように押し寄せ、黒い靄をかき消した。

 後には、鬼に憑かれた人々が、ぐったりと倒れ伏していた。雫が後ろから小走りに駆けてくる。

「後は、彼らにこの種を呑ませて、鬼の残滓を完全に追い出せば──」

「う……」

 中の一人、ショートカットの女子生徒が目を覚ました。目は虚ろなまま、状況を理解できない様子で、きょろきょろと辺りを見回している。その瞳が耀達を映す。

 手に武器を持ち、自分を見下ろす、自分に危害を加えようとしている相手として。

 彼女は震えだした。

「や、やめて……殺さないで」

 耀は呆れた。

「殺さねぇよ」

 しかし、彼女の震えは止まらず、ますます大きくなる。

「やめて。殴らないで。蹴らないで。お願いだから──やめて、お父さん!」

 胸を突かれる叫びだった。彼女が鬼に憑かれたその原因となった苦痛の正体が、ありありと分かる。

 静彦が彼女に歩み寄り、跪いて、目と目を合わせた。

「大丈夫。あなたを傷つけるつもりはない。ただ、助けたいだけだから──少しの間、眠っていてくれ」

 とたんに、彼女の身体はくてんと力を失った。地面に倒れ伏す前に静彦が抱きとめ、そっと地面に横たえた。『幻術』をかけたのだと分かる。

 耀は先程までの爽快感が消え、胸が悪くなるのを感じていた。己の握った拳を見下ろす。それはやけに禍々しく、汚らしく感じた。

 ──いかなる理由があろうとも、暴力は肯定されるべきではありません。

 聞くともなしに聞いていた、今日の藤村の言葉が思い出される。

 今までだって、合意のない喧嘩はしたことがない。弱者を虐めたこともない。だが、自分の拳が殴ってきた者達の苦痛を思わずにいられるほど、耀は無神経ではない。

 だが、今は違う。耀の力は、剣は、今や人を助けるために使われるものであるはずだ。雫と静彦がそうしてくれたのだ。そう自分に言い聞かせた。

 雫が倒れ伏した人々に処置をしようとしていたところ、校舎から新たな人影が出てきた。

 それは、ぐったりとしたヒロカを肩に担いだ藤村だった。ひょろりとした体躯で、いかにも力がなさそうな藤村なのに、ヒロカを担いで歩くその様子には、重みを感じた様子もない。

 耀と静彦は、とっさに雫を背に庇う。藤村は二人に構わず、飄々とした様子だ。

「まったく。なかなか大変だったんですよ、同期の皆木も使って、ここまで分霊を拡散して育てるのは」

「何を、ゲームみたいに……」

 静彦が歯噛みする。

「ゲーム?違いますよ。これは私の、教師としての仕事──いえ、使命といってもいいでしょう」

 眼鏡の向こうの瞳は、もはや狂気すら孕んでいた。

 藤村が、着ていたシャツのボタンを外し、胸をはだける。そこに現れたものに、耀達は目を瞠る。刃物で刻まれたような傷跡。煙草の火を押し付けられたと思しき火傷の跡。──その肌は、醜い傷跡だらけだった。

「──僕はね、両親から家庭内暴力を受けて育ちました。そのせいで、いつもビクビクしていた。怯えぐせがついた人間というのは、暴力的な人間を引き寄せるんですかね。気づけば、小中高と、学校でもいつも誰かに殴られていた」

 淡々とした声音に、深い怨念が籠もっている。

「僕は暴力が嫌いです。暴力は結局、力を持って人を支配しようとする行為でしかない。だから僕は教師になって、生徒たちに暴力の恐ろしさ、それがいかに人を壊し、その尊厳を傷つけるかを教えようとしてきた。だが、いたちごっこです。どれだけ努力しても、校内暴力も、いじめも絶えない。力で人を従わせることに快楽を覚える人間は、いなくならない。──そう絶望していた時、あの御方、有楽様に出会いました。この人ならざる美しい鬼ならば、世界を変えてくれると思った。たとえその代償として、自分が鬼に成り果てるとしても」

 耀は絶句する。狂おしいまでの暴力への憎悪は、そのまま耀──生まれながらに戦いに取り憑かれた、暴力の申し子の存在の否定だった。

「……それで、被害者達に鬼の分霊を憑かせて加害者を攻撃させ、『呪い』という噂を蔓延させたのか。それなら貴殿も、結局の所、鬼の力で人を支配しようとしているのではないか」

 静彦の言葉に、藤村は頷いた。

「そうですね。ですが、それは必要悪というものです」

 話は並行線だ。決して決着がつくことはないだろう。耀はなんとか声を絞り出した。

「……ヒロカを返せよ。こいつはなんにもしてねぇだろ」

「しましたよ。今日の授業、聞いてなかったんですか? 藤堂くん。インターネットで君の噂を広めたのは彼女でしょう? 鬼の力を手に入れて一年と少し。肉体的な暴力はほぼ学園から排除しました。が、そろそろ手を入れなければいけないと思っていたんですよ──言葉の暴力に」

「っ、ヒロカが俺の噂を広めたのは、俺達が頼んだからで!」

「分かってますよ、それくらい。でも、最初の見せしめにちょうどいい」

 藤村はポケットからスマートフォンを取り出し、操作する。

「鬼の力を使って、彼女の意識からスマホのパスワードを引き出しました。彼女のスマホは宝の山ですね。各種SNSグループの情報、裏サイトのURL。後は発信者を特定し、『呪い』をかければいい」

「貴殿の愚行は、どんどんエスカレートしている。最後には誰一人残らないぞ」

 静彦の言葉に、藤村はいっそ穏やかに笑んだ。

「それならそれでいい」

 もはや言葉は無用だ。戦うしか無い。

 耀と静彦は、二人同時に藤村に向かって斬りかかった。藤村の肩に担がれたヒロカを傷つけないようにしなければならない戦いはひどく窮屈でやりにくい。が、二人がかりだ。次第に藤村は後ずさっていく。だが、それでもなお、彼は不敵な笑みを浮かべた。

「起きなさい。私の大事な生徒たち。今や誰に傷つけられることもない、不屈の戦士たちよ」

 その言葉とともに、地面に倒れ伏していた生徒たちが、ゆらりと起き上がった。彼らは耀や静彦でなく、雫に向かっていく。

「きゃっ……!」

「雫!」

 耀はとっさに雫に向かって駆ける。鬼に憑かれた生徒の手が雫に伸びる直前、その小さな身体を抱き上げることができた。片手で『蛮神』の剣を振るい、群がる生徒たちを振り払っていく。が、そうしているうちにも、一人で藤村と対峙する静彦は不利になっていく。

「くっ……」

 耀の腕の中の雫が、ぎゅっと目を閉じる。その目を再び開いた時、彼女はすでに覚悟を決めていた。

「耀、静彦。姫神様の力を使う。もう少しだけ時間を稼いで!」

 雫は胸元の袋から、種を一粒取り出す。雫が口の中でなにかの呪文を唱えると、種は光り輝き出す。その眩しさに、耀は目を細める。

 種が発芽する。それは瞬く間に根を伸ばして地面を刳り、幹を育て、枝葉を茂らせて、校庭を覆うほどの大樹になった。大樹の枝はまるで触手のように長く伸びて、うねり、くねり、鬼に憑かれた生徒たちを捉えていく。そして一枝が、藤村の身体を捉え、四肢を拘束した。その手から離れたヒロカの身体を、静彦が抱きとめた。

 拘束された藤村は、必死に逃れようともがく。その両腕が筋骨隆々に変化し、爪が獣のように伸びる。が、大樹の枝はびくともしなかった。

「そんな、これほどの力……これではまるで、太古の神のような……っ!」

 喚く藤村に、耀は歩み寄る。その手に抱かれた雫が、藤村の頬に手を伸ばした。

「──あなたの中に巣食った鬼を祓うのは、時間がかかりそうね。人間に戻って、そうして今度こそ、教師として正しくやり直しなさい」

 それが、学園を覆う『呪い』の終焉を告げる言葉だった。

「や、やめろっ! くそっ、俺は人間に戻りたくなんかない! 助けて、助けてくださいませ、有楽様──っ!」

 その瞬間、雷鳴が落ちた。

 後に残ったのは、雷撃を受けて見る影もなく裂け、崩れ落ちた大樹。

 そして、一人の女が、その大樹の残骸の上に立っていた。赤い革のジャケットと揃いのミニスカートを身に着けた、妙齢の美女だった。タンクトップを押し上げる豊満な胸は胸元が惜しげもなく晒され、ミニスカートから覗く太ももはむっちりとして、ぽってりとした紅い唇が艶めかしい。まさに妖艶、匂い立つような色香というのはこのような女を言うのだろう。

 その姿を目にして、雫は目を見開いて呟いた。

「──有楽」


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