3話 狙撃兵
穏やかな眠りについていたのに、無数の足音が無理矢理叩き起こしてくれた。俺は咄嗟にアサルトライフルを取り、入口へ銃口を向ける。
道を早足で移動しているようだ。数は少なくとも2人程度、チームで巡回しているとみるべきだろうか。
唇へ人差し指を当て、静かにとリディにジェスチャーで伝えると、ゆっくり頷いてくれた。これが通じてくれて良かった。そうでなければ他に方法がなかった。
あの辿々しい言葉からして、観光客がとりあえず挨拶を覚えました程度の語学力だと、容易に予想がつく。言葉で通じていると思わないことだ。
俺に関して言えば、未開の部族並みに言葉がわからないわけなのだが。
「クソ。敵か味方か、その他諸々か分からねえな」
言葉が通じない以上、意思疎通を図ることはできない。もし撃った後で敵じゃないと分かったら、そんな不安が過ぎる。
だが、そもそも味方なんているのだろうか。今の俺にはリディを逃す以外に目的はないし、この混乱状態の中で自分以外は敵だと思うしかないのではなかろうか。
「それなら話は早いんだけどな」
知らずで警察とか正規軍を射殺して、追われる身になるのは面倒だと思っていた。よく考えてみれば、それらが正常に機能しているのであればこんな状況には陥っていなかったことだろう。
ならば構うものか。周りにいるのは敵ばかり、そういうことにしよう。リディさえ安全なところへ逃がせればそれでいい。
俺が迷っていると、リディは不安そうに俺の袖を掴む。大丈夫、落ち着かせようとその頭に手を伸ばした瞬間、ドアが蹴破られた。
そこから人影が突入して来る。アサルトライフルを構えて。それは訓練された動きで、民兵共とは動きが違い過ぎた。
グレーのヘルメットと野戦服、緑のプレートキャリアを装備していて、動きも相まって正規軍だろうと判断した。敵側か味方かは知らないが、リディが俺の後ろに隠れたということは敵だろう。
咄嗟に3発連射して、1発はプレートキャリアに止められた。しかし2発目は首に、3発目は顔面に命中し、敵が崩れ落ちる。更にもう1発撃ち込んでとどめを刺し、後続の敵兵へも連射を浴びせて斃す。
僅か数秒の出来事。2人斃したはいいが、銃声が響いてしまった。こいつらの仲間がすぐに駆け付けることだろう。
迷う暇はない。役立たずになった防弾チョッキの代わりにプレートキャリアを奪い取り、敵の銃を奪う。幸いなことに短銃身モデルの上に、ストックも畳めるからリュックに仕舞うことが出来た。
「クソ、すぐにでも来るか?」
そう言えば、最初に持っていた迷彩のケースには何が入っていたのだろう。それが気になり、ファスナーを開けて中を確認する。
「サイズ的には予想してたけどな」
そこには薄茶で迷彩塗装されたスナイパーライフルが収められていた。俺はスナイパーだったのだろうか。とりあえず戦術の幅が増えると考えておこう。
もし屋根の上に敵がいたとしても、容易に対応できるだろう。当てられるのであればの話になるが。
「それと、これ着ておけ。ないよりはいい」
もう1人の死体からプレートキャリアを奪い取り、リディに着せておく。万一のこともあるし、防具を着ていて損はないはずだ。
サイズが合うのかが心配だったが、脇のベルトを締めれば丁度体に合った。胸がそこまで大きくないのが幸いだっただろう。
そんなことを考えたら、リディの目が鋭くなったように見えた。殺意に似た感情が込められている気がして、もしや考えが読まれたのかと勘ぐってしまう。
「おいおい、そんなに睨まないでくれよ」
リディも何かを言うが、その言葉はまだ理解できない。彼女もこんな気分なのだろうが、想像するとすれば『不埒なことを考えるな』だろう。
苦笑いを浮かべつつ、彼女の頭を撫でてやる。心地いいのだろう、目を細めて頭を擦り寄せてきたし、尻尾もパタパタと揺れている。本当に可愛らしいし、もう少し撫でていたいが行かなければ。
「俺の後ろに。離れるな」
手招きし、背中を指さす。これで通じるだろうか、少し不安だったものの、リディは俺のプレートキャリアを掴んだ。よし、これでいい。
「どっちに行く?」
右と左を指差すと、リディは左を指差した。そっちか。土地勘があるのは助かるのだが、言葉が通じないと簡単なことしか分からない。
今だって、左に行くとはわかったがその先はわからない。どこへ行けばいいのかだって、俺はまだ知らないのだ。
「よし、行くぞ」
そんな不安を抱えつつ、入口を慎重に確認してから飛び出す。待ち伏せはなく、すんなり出られたが安心はできない。
俺は緊張しているらしい。呼吸が僅かに早く、窓から見えたぬいぐるみの影が敵に見えた。恐怖や緊張はありもしないものを見せてくる。亡霊を見ている気分だ。
どこから襲われるかわからない恐怖、ミスの許されない緊張、思考がどんどん深みへ嵌ってしまいそうな俺を、リディの手が繋ぎ止めてくれている。
目の前にある時計塔から狙撃されないだろうか、横の建物に敵が潜んでいないだろうか。不安ばかりが募る中、彼女の存在は一種の救いになっていた。
撫でたくても手を離す余裕がない。後方警戒のために振り向いても、彼女の姿を目に映すのは一瞬だけ。
どこかに隠れてもふもふしていたい。安全な場所がないならどこでもいいじゃないか。そうとさえ思ってしまう。
「ったく、どこに行けばいいんだろうかね」
時計塔を見上げると、文字盤近くで何かが煌めいた。俺の背に太陽があって、その太陽光が何かを光らせたのか。
背中をぞわぞわとした悪寒が襲う。本能が危険を呼びかけ、体はそれに従って動き出す。
「伏せろ!」
リディを脇道へ突き飛ばし、その勢いのままに身を捻るように反らせる。恐らく、抗弾プレートではどうにもならない貫通力の弾が来るはずだ。生き残るには、それに当たらないことを祈るしかない。
遅れて衝撃が胸を襲い、俺は倒れた。鈍い痛みはあるが呼吸はできる。肺は無事だ。体を反らせていたお陰で、弾はプレート表面を掠る程度で済んだようだ。
「レイジ!」
「来るな!」
俺が倒れたことで、リディは不安になったのだろう。駆け寄ってこようとしたが、俺は手を突き出してそれを静止する。来たところで彼女も撃たれるだけだ。
すぐに追撃が来る。立ち上がる時間すら惜しく、転がって脇道へ転がり込む。その後ろで弾丸が跳ねたのだから、肝が冷える思いがする。
「どうして、こうもギリギリを生きてるのかね」
咳き込みながらリュックとケースを下ろすと、脇道の先から声が聞こえてきた。別働隊が来てしまったらしい。
スナイパーからは死角の位置にいるから、対応するなら別働隊が先だ。そっちを殲滅すればスナイパーの排除にもゆっくり時間を使える。
これでもかと思考を巡らせ、突破口を探し出す。それもこれも、リディを守るというエゴか原動力なのだから、全く笑えてくる。
「こっちだ、動くなよ?」
ゴミ箱の影にリディを隠し、声のする方へ銃口を向ける。暫しののちに曲がり角から敵が姿を現し、弾丸が交差した。
敵弾が頬を掠り、俺の放った弾丸は敵の頸部を撃ち抜く。崩れ落ちるように倒れたその向こうから、別の敵が撃ってきた。
当たらなくとも、音速を超えた弾丸は衝撃波を撒き散らす。俺は身を竦めてしまうし、リディの狐耳はもっと良く音を捉えていることだろう。衝撃波も爆音も、かなりのストレスのはずだ。
あまり長時間続けるのは良くないな。別の敵が来ても厄介だ。さっさとスナイパーを片付けて、先に進みたいのだから。
「耳塞げ、耳!」
耳に指を突っ込むジェスチャーで、耳を塞げと伝えてみる。リディはわかってくれたらしく、狐耳を寝かせてその上から手で押さえつけた。
いい子だ。これで心置きなくコイツを使える。
ポーチから拳程度の金属塊を取り出す。予想にはなるが、コイツは手榴弾だろう。パイナップルみたいな見た目だが、ピンも安全レバーもあるのだからそうだと信じたい。
迷う暇はない。ピンを引っこ抜き、敵の隠れ場所目掛けて投げつける。バネの力でレバーが飛び、キン、と甲高い金属音が響きわたった。
敵が何かを叫んで逃げようとするが、制圧射撃で逃げ道を塞ぐ。グレネードで吹き飛ばされるか、射殺されるかの究極の選択の中で敵は絶命した。グレネードは短気で、答えを待ってくれるほどの度量がなかったらしい。
「きゃっ!」
「落ち着け、大丈夫だ」
落ち着かせようと、そっとリディの頭を撫でる。敵の来た方から別の銃声が聞こえてくるが、こっちに来る気配がない。しかも銃声は鳴り止まず、まだ交戦しているらしい。
しめた、スナイパーをやるなら今しかない。
ケースに飛び付き、中からスナイパーライフルを取り出す。アサルトライフルとは違ってスマートなフォルムをしていて、例えるなら一本の棒切れだ。
ボルトアクション式で連射は効かない。その精度と威力をもって、たった一撃で相手を撃ち倒すための武器。その有り様を表していた。
時計塔までの距離は目測で300メートル程度だろうか。スコープのメモリを最大の9倍に合わせると、そこにしゃがむ黒い人影が見えた。
それが構えるスナイパーライフルがこちらを向くのが見えた気がする。
迷いはない。スコープの中心、十字のど真ん中を人影に合わせ、静かに息を吐く。お前が死ぬか、俺が死ぬか。
勝負しようじゃないか。自らの命を賭け金に、1発限りの大勝負を。
路地から足音が迫る。時間はもうない。人差し指がトリガーを引き絞ると、引っかかるような重みがあった。それを引き切れば撃鉄が落ちる。
いいのか? ライフルがそう問いかける。今更何を迷う。これは俺の意志。自らの選択で選んだ道だ。そこに後悔はない。
——失われる命に、花と祈りを
銃声が響く。その中でも、俺にだけは聞こえていた。硬いものに釘を打ったかのような鈍い音が。
スコープの先で人が倒れるのが見えた。どうやら、俺の放った一撃も当たったらしい。痛み分けか、悪くない。
視界が霞み、咳き込んだ後に上手く吸い込めない。息が詰まり、溺れているかのような感覚がする。肺に穴が開いたらしい。
「レイジ!」
リディは悲鳴をあげて駆け寄ってくる。逃げろ、その一言すらも俺は呟けず、手を握って泣く彼女を撫でることしかできない。もはや力は入らず、指先が冷たくなってきた。
片手に触れる熱は、漏れ出た俺の血だろうか。いい。血路は拓いた。早く行くんだ。頼む、足音がすぐそこにまできているんだ。
リディが振り向いた時にはもう遅かった。グレーの兵士たちが彼女を捕らえ、たちまち手錠を掛けて拘束してしまう。
「レイジ……レイジ!」
「リ……ディ……っ」
ライフルに手を伸ばしても、それを掴めない。連れ去られるリディに手を伸ばし、最後に見たのはマズルフラッシュだけ。
痛みと共に意識が闇に落ちていく。あの民兵にやったように、トドメを刺されたのだ。嗚呼、死ぬのか。それはいいが、自分のエゴすらも守れないとは。情けない死に方だ。