14話 意思の代償
重力も感じない白い空間。いつも、ルネーと会う空間だろうか。そこが死後の世界だとすれば、俺はまた死んだことになるのだろう。
胸の痛みに覚えがある。そう自覚した途端、白の景色は森の中へと変わった。最初に着ていたのと同じ迷彩服を着て、森の中を走っていた。
体が重い。息を切らし、何かから逃げていた。まるで、狼の群れにでも追われている気分だった。
森の中で唐突に反転し、その手のライフルを構える。最初に持っていたスナイパーライフルで、そのスコープが敵の姿を映し出す。
見覚えがある。俺を狙撃してきた黒い死神の姿が、視界の中央にあったのだ。
スコープ越しに目が合う。お互いに命を奪う相手を見据え、敵と認めた。
——こいつは、俺がやる
お互いにそう思ったことだろう。その次の瞬間には銃声が響き、俺の頭に痛みが走る。視界は霞んでいき、意識は途絶えた。
その最後の景色は、少しずつ白い光が包んでいった。脈動するかのような音が響き、迫り来る光の球が俺の視界を奪い、深淵へと引き摺り込んでいく。
白い光に抱かれ、俺は浮かぶ。少しずつ自分の体の感覚が消えていき、魂だけがそこに残る。
忘れもしない鈴の音が響く。チリンチリン、そんな優しい音が俺に迫ってきた。白だけの世界の中に浮かび上がるもう1つの白。
——やっと、会えたね
※
そこで俺は目を覚ました。光はなく、暗い天井が見える。パスカルの隠れ家だろう。俺はなんとか生きていたらしい。
まだ頭がぼんやりとする。何があったのかよく分からないし、見ていた夢が記憶から薄れていく。視界にはモヤが掛かったようで、はっきりとは効いていない。
「あ、起きました?」
視界をミヒロの顔が覆う。ずっと看病していてくれたのだろうか、若干疲れたような雰囲気が見てとれた。
「ああ……」
「だめです、まだ寝ていてください。心臓止まってたんですよ?」
体を起こそうとしたら、ミヒロに肩を押さえられてしまった。苦しいとは思ったが、まさか心停止に陥っていたとは。よく蘇生したものだ。
「弾は貫通してねえが、衝撃で心停止に陥ったらしいな。まさか死に際にピン抜くとは思わなかったが」
パスカルの声がどこからかしてきた。金属の擦れ合う音からして、銃のクリーニングをしている最中だろう。
あれだけ撃った後だ。クリーニングしなければ作動不良の元となる。そうなれば、死ぬのはその銃を持つ者だ。だから、射手は自分の武器のメンテナンスを怠らない。
「ハミドが蹴飛ばしたがな」
「そうだ、思い切りが良すぎんだよバカヤロー」
ハミドは壁に寄りかかって瓶を傾けている。酒かと思ったが、ラベルを見るにただのジュースらしい。流石に敵が来るかもしれない状況で酒は飲まないか。
「そういえば、リディは?」
「お前の腹」
パスカルの指差す先、俺の腹の上にリディはいた。横の椅子から前のめりになり、俺の腹を枕にしている。
すぅ、すぅと可愛らしい寝息を立てて、耳はペタンと寝ていた。丸まって眠る小狐のように可愛らしく、思わずその頭を撫でていた。
「何日寝てた?」
「2日だ。物陰でなんとか蘇生させて、隠れ家まで運んだ。医者も大丈夫っていうから、そのまま寝かせて今起きたってわけだ」
「すまねえな。状況は動いたか?」
「確かに動いてるぜ」
これにはハミドが反応した。傍らにあるのは無線機だろうか。
「連合軍はリディ確保を機にロクサンヌへ進軍を開始。既に北東部は押さえて、ロクサンヌに迫りつつある」
「いい知らせじゃねえか。後は連合軍がここ一帯を制圧して、俺たちは合流する。だろう?」
しかし、ハミドは首を横に振った。どういう訳だ。味方が来ているのではないのか?
「同時に、アステカ連盟が『連合によるガリア国民への不当な弾圧を非難し、制裁を行う。我々はガリア国民の意思を支持する』とか御託を並べて宣戦布告して来やがったよ。これで堂々と連盟軍が活動できるわけだ」
「今更、と思うの俺だけか?」
クソが、とパスカルはジュースの空き缶をゴミ箱へ投げ、目標を外した。ゴミはゴミ箱へ捨てろと、アインが睨んで無言の圧力をかけている。
圧に屈したパスカルは渋々と立ち上がり、落ちている空き缶をゴミ箱へ放り込む。アインはそんなパスカルをよく出来ましたと撫でているが、ここはパスカルの隠れ家だったはずだ。
「今更感半端じゃないけど、これで潜入どころか堂々と遠征軍動かせる訳だろ?」
「既にランブイエの港湾地帯にアステカの輸送船が来てる。サヴォイアも空爆したりと手は尽くしてるが、やり切れてねえな」
パスカルはまるで他人事のように話し、天井を見上げている。いつ、この隠れ家に爆弾が放り込まれるかもわからないのに呑気なものだ。
「で、どうするんだ? なんとかして連合軍に合流しないとヤバいんじゃないか?」
「実際問題、早く合流しろと指示が来てる。リディがいないと、介入の大義名分がなくなるんだろうな」
パスカルは無表情と余裕を崩さない。カップにお湯を注ぎ、インスタントコーヒーを淹れるくらいには余裕を保っている。
下手に動けないなら、騒ぐ必要もないと言うことか。幸いなことに、ハミドが弾薬や装備をたっぷり備蓄している。しばらくはアステカを相手に戦い抜けるだろう。
「休めるときに休んで、飯を食っておけ。医者はしばらく安静と言ったが、敵は待ってくれねえからな」
「だろうよ。しばらく寝る」
パスカルの話も終わった。気を抜いて目を閉じるものの、一向に睡魔はやってこない。どうやら寝過ぎていたらしい。疲労も抜けているのだろう。
目は覚めているのに寝転んでいるだけ。そんな暇な時間を過ごさなければならないのが、なんとも苦痛なことか。
照明が消され、パスカルたちが眠りに落ちても俺は起きている。暗闇の中でたった1人、物思いに耽るしかやることがない。
そんな俺の目の前を、緑の光が飛んでいた。穏やかに羽ばたくそれへ手を伸ばすと、指先に光が止まった。重さは感じないほどに軽く、暗闇の中で淡く光っていた。
「——夜光蝶」
暗闇の中で声が聞こえる。淡い光が浮かび上がらせる、青い双眸はリディだろう。どうやら起きてしまったらしい。
「知ってるのか?」
「ええ。翅が光る蝶で、死体に集まる習性があります。魂をあの世へ連れて行くって言われていますね」
「じゃあ、俺をお迎えに来たのか?」
「縁起でもないことを言わないでください」
暗闇の中に鈍く打撃音が響く。驚いた蝶は飛んでいってしまった。リディめ、肩を平手じゃなくて拳で殴りつけてきたな。
じんわりと痛みが広がり、胸には重みが加わった。平たいものではなく、凹凸のある硬いものの感触。リディの顔が押しつけられているらしい。
「リディ?」
「……この大馬鹿」
とん、そんな軽い力で拳が胸を叩く。心臓が止まったばかりなのに衝撃を加えるのはどうかと思うが、文句を言える雰囲気ではない。
だって、すすり泣く声が聞こえたのだから。古今東西、女の涙に敵うものなどありはしない。
「どうして、私の目の前で倒れるんですか」
薄いシャツを暖かい液体が濡らし、染みが広がって行く。
思えば、俺は2回倒れている。最初にリディと出会った時と、リディを助けに行った時だ。パスカルたちとローネー監獄へ突入した時は倒れていないな。
どう答えていいのか分からない。偶々だとしか答えを持ち合わせていないし、どれもこれもツェーザルとか呼ばれていたあいつのせいだ。
「偶々だ。アステカ野郎のせいだよ」
「みんな、私の前で死にました。子煩悩な父様も、薔薇が好きで水やりを楽しみにしていた母様も、優柔不断で私に振り回されていた兄様も!」
拳が落ちてきた。行き場のない悲しみを、怒りを込めた拳だ。それでいい。刃を自分に向けるくらいならば俺に向けてこい。
きっと、俺ならば受け止められるだろう。こうしてしまったのは俺の選択で、彼女は自分でない誰かの意思で運命を変えられた。俺に怒りをぶつける権利がある。
「お転婆で、優しかった姉様もいつの間にかいなくなった。病死したって言われて、死に顔も見せて貰えずに! レイジまで、私の目の前で死んでしまうんですか……?」
縋るような目が俺を見つめる。戻ってきた夜光蝶が泣いているリディの顔を映し出している。
俺にできるのは、彼女を抱きしめていることだけ。幾度も銃弾を喰らって耐えた胸だ。彼女の涙くらい、受け止められるだろう。
「俺は死なんさ。まだ生きてるだろ?」
「でも次は? 戦場で奇跡なんて起こらないって、私でも知ってます。映画じゃあるまいし」
その通りなのだ。本来ならば。
本来なら、俺は死んでいる。最初に狙撃され、トドメを刺された時。そうでなければリディ救出の時、心停止してそのまま敵ごと自爆するはずだった。
それは、他の誰かの意思が阻止した。パスカルやハミド、そしてルネー。俺とて、誰かの意思やエゴ、打算によってこうして生かされているのだ。
「ああ、だから自分の力で切り抜けるし、誰かに生かされる。俺だって、自分の意思だけで自分の生死を決められないのさ」
自分が生きている理由を、戦う理由さえも他者へ委ねなければ得られない。
そんな弱い存在である上に、誰かの銃弾で殺され、誰かの援護や手当てで生かされる。
きっと、誰しもがそうなのだ。俺はツェーザルに撃たれ、パスカルやルネーに助けられた。リディは、どうだっただろうか。
「じゃあ、拳銃を貸してください。そうすれば、自分の死に方を決められるでしょう」
確かにそうだ。自殺は自分の死に方だけは決められる。他の誰かの意思など関係なく、頭を撃ち抜けばそれまでだろう。
でも、そうあって欲しくない。俺の生きる意味がなくなるし、また自分のエゴが増えた。
泣いているリディに笑ってほしい。そんな、わがままが増えてしまったのだから。
だから、俺は今から呪いをかける。彼女の心へ、取り返しがつかなくなるかもしれない呪いを。
「このまま、何も出来ずに死んでいいのか?」




