10話 リディ救出"アイアンフィスト作戦"
「あいつら、勝手なことを!」
司令部に戻っていたツェーザルは机を殴りつける。あまりの音とその怒気は、そばにいた人狼の士官を震わせた。
「まあまあ、そんなに怒らないでよ」
ヘラヘラ笑って、いつも通りの無邪気な口調はマテウス。彼はツェーザルが怒り狂っていようが、その調子を崩さない。
だからこそ、ツェーザルも冷静に戻れる。幼馴染のマテウスが変わらないおかげで、彼もまた冷静でいられる。
「で、どうする。国民議会の奴ら、処刑は待てと言ったのに」
「待てもできない駄犬だって、最初から知ってたじゃん。これが議決の結果で、連盟軍には従わないってさ」
「誰がお膳立てしたと思ってるんだ。どうせ最後は潰すのに」
ツェーザルは紅茶を飲み干し、地図に目をやる。処刑が行われる市民広場の地図で、兵士の配置まで細かく書き込まれていた。
その兵士は国衛軍を名乗っているが、元々は民兵を格上げしただけで、練度は本来の国軍やアステカ連盟軍には大きく及ばない。国民議会の都合が良い手駒というわけだ。
「でも、奴ら自分たちで全部やったと勘違いしてるよ。連盟軍も自分たちが引き入れたって」
「そこは間違いない。付け込んだのは俺たちだがな」
ガリア侵攻、そのための布石。そうでなければわざわざ海の向こうの政変に介入したりはしない。脳筋と言われるアステカ連盟とて、考えなしには動かない。
ツェーザルは赤ペンであちこちに丸を書き込む。それが連盟軍側の配置であることは言うまでもなかった。
「うちの中隊を動かす。マテウス、俺とジュリー塔へ突入するぞ。間に合わず処刑が始まった時は、小隊を突入させて奪え」
「直接乗り込むの?」
「傭兵の格好をさせろ。サヴォイアの傭兵からリディを奪還、こちらで保護していると言う筋書きにする」
ツェーザルは地図を見つめる。ジュリー塔の向かいにあるタンプル塔。あのスナイパーが処刑阻止に来たとして、陣取るにはここが最適だろうか。
ならば、どうやって狙おうか。俺から狙えるならば、奴からも狙えるだろう。リディを見つつも、スナイパーにも気を配らなければならない。
ツェーザルの目的はリディ確保から、スナイパーとの決闘に移りつつあった。治癒魔法で消せるはずの胸の傷を残しているのも、あの屈辱と闘志を忘れないためだ。
「ツェーザル?」
ツェーザルはマテウスに声をかけられ、ようやく我に帰る。そうだ、今はリディだ。本国も彼女が持つ秘宝に注目しているのだから。
「ああ、ヴュンシェ少尉。1個小隊を率いて市民広場に潜伏。いつでも突入できるように待機しろ。マテウス、タルガー伍長をタンプル塔へ行かせろ。奴にも狙撃させる」
「了解しました」
「はーい」
怒気に震えた人狼は落ち着きを取り戻し、綺麗な敬礼をしてから司令室を出ていく。人狼の部隊を率いるたった1人の人間、ツェーザルは完璧に群れを掌握していた。
※
石畳の道をひた走るが、全力が出せない。入り組んだ路地はそれ自体が障害物のようなもので、角を曲がるたびに、脇道があるたびに警戒しながら進まねばならず、足取りは遅くなってしまうのだ。
無防備に突っ込めば側面から撃たれる恐れもある。それでも、間に合わなくなると言う不安が俺から冷静さを奪っていく。
「パスカル、そっちはどうだ!?」
「交戦中、突破まではもう少しだ! ハミド、グレネードを放り込め!」
「頼むぜ」
手助けはいらないだろうが、こちらへの支援も望めない。たった1人、あの塔へ登らなければ。誰よりも早く、俺がやらなければ。
広場の歓声が大きくなった。いよいよ始まってしまうのだろう。急げ、もう余裕はない。リディが殺されてしまったら、そんな考えが俺の背中を押す。
もういい、撃たれたらそれまでだ。俺は反撃の手段を持っていて、リディはそうじゃない。ならば、危険を覚悟で行くしかない。
角を見てもざっくりと。綿密さを捨てて、代わりに得た速度が命を繋ぐことになる。今は時間が黄金にも値するのだ。
「おい、なんかいたぞ!」
「誰だ!」
クソ、奥にいた奴を見落としたか。行き過ぎた別れ道で声がするも、俺は気にせずに走り続ける。タンプル塔まではあと50メートル。止まって戦うより、入った方がいいか。
「撃て! サヴォイアの傭兵だ!」
銃声と、甲高い音が響く。石畳を弾丸が跳ねたのだろう。当たらないようにジグザグに走り、敵の狙いを逸らすしか出来ない。
反撃したくても遮蔽がなく、止まった瞬間命中弾をもらう未来しか見えない。ならば逃げて逃げて、塔に飛び込んでから反撃に出るべきか。
「殺せ、早く当てろ!」
「グレネードを持ってこい!」
ふざけやがって、そんなの食らったらタダで済むわけがなかろう。そっちがその気なら、こっちもやるまでだ。
ポーチからグレネードを取り出し、後ろに放り投げる。それが転がってくるだけでも恐ろしいということはよく知っている。そう、奴らを追い払って時間稼ぎができればいい。
「クソ、グレネード!」
「グレネード!」
敵が叫び、足音が遠ざかる。遅れて響く雷鳴のような轟音。腹の底まで響くような衝撃に足がもつれ、背中に破片が突き刺さる。
プレートで止まったようだ。お陰で胴体は無事で、足にも怪我はない。ならば、俺はまだ戦えるし走れる。
走って走って、修道院の大扉に体当たりして飛び込む。タンプル塔は修道院に作られており、聖堂を通って階段に上がる構造だ。死刑囚に最後の祈りを捧げるためでもあるのだろうか。
「レイジ、今どこだ!」
「修道院に入った。今から塔を登る」
「俺たちは外周で人混みに阻まれてる! レイジ、お前がリディに一番近い。絶対に死なせるな!」
分かってるさ。そうはさせない。その為に、俺はここにいるのだから。
「修道院に入ったぞ!」
「袋の鼠だ!」
敵はまだしつこく追いかけてきて、銃弾が飛び込んでくる。全く、罰当たりな奴だ。
そんな奴らにはこれをくれてやらねば。左手を床に当てると、手の甲に赤い光が浮かび上がる。光は暗号を形作り、手の甲から床へとその形を写す。
「これでよし」
敵には目もくれず、俺は鐘楼の階段へ向かう。あいつらに構っている暇など、1秒もないのだ。
それに、あいつらの相手は俺じゃない。あの暗号だ。
「追え! 鐘楼に上がったぞ!」
飛んできた銃弾が壁を削る。それでも俺には1発も当たらず、ただの無駄弾になっていた。そのまま踏み出せ、後1歩を。それだけでいい。
それだけで、全て終わりだ。
轟音が響き、その衝撃波は腹の底まで揺らしてくる。悲鳴も全てがかき消され、焦げたような匂いと肉が潰れる音がした。
あの暗号は地雷だ。近寄ると爆発し、人間程度ならば挽肉に変えてしまう。スナイパーには持ってこいの暗号だろうと、パスカルがくれたのだ。
さあ急げ、この塔の上へ。幸いにもまだ処刑は始まっていない。今ならば、リディを家族共々救い出せるかも知れない。
そうすれば、彼女の命だけねなく心も救えることだろう。それが何よりも最適で、最高の結末を導いてくれるはずだ。俺には、それをするだけの力がある。
「レイジ、まだか!? 処刑は始まってねえが、もう時間がないぞ!」
「塔に上がってる、もうすぐ狙撃位置!」
「急ぎやがれ! ハミド、そっちのセクターを抑えてくれ!」
「クソ、敵が来た!」
あっちも相当まずいな。早いところ決着をつけに行こう。支援してやらねば、2人がすり潰される。そうなればリディを連れての脱出も難しいことになるだろう。
意識は処刑阻止の後に向いていた。外しはしない。狙撃位置に着くことさえ出来れば、全てが上手くいくのだ。
もう少しで、上手く行ったのに。
人影が飛び込んできた。咄嗟にトリガーを引いて連射を浴びせるが、倒れ込んできた敵が俺を階段へ押し倒す。
頭をぶつけ、視界が揺れた。痛みに思考が止まり、意識が遠のく。星が目の前で飛び散ったような感覚がする。
しかし、俺の思考を止めた痛みが意識を覚醒させる。何をすべきか、そんなことはどうでもいい。どうすべきか、それを俺は分かっていた。
敵が俺の首に手をかけ、気道を締めてくる。息が詰まり、視界が霞む。それでも、抵抗を止めるな。こいつを、殺せ。
膝蹴りで敵の太腿を捉える。1発で終わらず、2発3発とお見舞いしてやると、痛みのあまりにか手の力が弱まり、久しぶりの酸素に体が喜ぶ。
よし、もらった。
「クソが、死にやがれ!」
大腿部のホルスターから拳銃を抜き、敵の脇腹に押し付けて3回トリガーを引く。その数だけ反動が手に加わり、爆音が階段に響く。
それとは違う銃声が響いた。遅れて歓声がこだまし、敵の呻き声はかき消されてしまう。
リディだろうか、そんな不安がよぎる。死んだ敵兵を押し除け、俺はさらに上へと階段を駆け上がる。
「レイジ、王が処刑された! 早くしやがれ!」
「敵がいた、もう少し待て!」
「奴らに待てと言え!」
そりゃごもっともだ。後もう少し、もう少しこの階段を登れば、リディを救える。もう少しなのに。
銃声が響く。塔の上からだ。まだ敵兵がいたらしく、上から乱射して俺の侵攻を阻止しようとしている。反撃しようにも、銃だけを階段上へと持ち上げて乱射するのが精一杯だ。
「邪魔するな! 消えろクソ野郎め!」
「サヴォイアの犬め! よくもベックを!」
仲間の仇、というわけか。だとしてもどうでもいい。お前にとっての大事な人も、俺には無価値。ただの敵でしかない。それよりも、お前たちが殺そうとしているリディが大事だ。
お互いの価値観で、エゴで戦う。正義などなく、語る気もない。それが、俺にとっては心地よくも思える。
「とっとと失せろ!」
グレネードのピンを抜き、安全レバーを飛ばす。そこから2秒数えて、階段上へと放り投げた。
同時に銃声が響く。また、誰かが殺されたのだろうか。それがリディでないことを祈る。今から殺す相手のことなど、歯牙にもかけずに。
「クソ、王妃まで! レイジ、さっさとしやがれ!」
パスカルの声も途中で途切れてしまう。グレネードの爆音が掻き消したのだ。さらには爆風と飛び散った破片が鐘を鳴らし、辺りへ響き渡る。やらかした。気付かれただろうか。
敵の悲鳴も聞こえない。即死したのか、雑音に掻き消されたのか。どの道、そこへは行かなければならないのだ。
ファルシオンを構え、階段を慎重に上がっていく。慎重に顔を出して見回すが、死体が見つからない。
まさか、と右へ顔をやった途端に銃を掴まれた。柱の影に隠れていたのだ。
「死ね!」
人狼はそのまま俺を柱へ押し付ける。力の向きからして、あわよくば俺を突き落とすつもりか。
「王太子シャルルの死刑を執行する! 射撃指揮官、執行せよ!」
そんな声と、市民の歓声が木霊する。もう時間はない。そして、俺もまさに殺されようとしている。パスカルたちの突入も、まだなのか。