第三話 光の森 総合病院―丘の頂き
ポリネシアの終わらない夏の、いつかの頃。後々は開かれたビーチになることになる、まだ木々が生い茂る海岸で、二人の青年が話していた。
「漂着者は、小島から出てこないようだ。しばらくはいいだろう」
「ああ―僕は、僕たちは、すごいものを見たな。まさか」
あの小さな娘さんが、言葉すらわかり会えない、両者の戦いをただ一人で食い止めるとは。
「あの娘は?彼らはどうするんだ?」
「あの小島では、ろくに食料もないだろう。丘を越える手前、森に入るまでは目をつぶると決めたそうだ」
「よかった―よかった」
遠くの海を眺めながら、青年はそう言った。
今日は波は穏やかで、海鳥が鳴いている。
「話とは」もう一人の青年が促した。
「ああ」
この島の外には、何があるんだろうね。
青年は海を眺めながら、目を細め、水平線のはるか遠くを眺めた。
遠くからきた漂着者の彼らは、僕らと違う衣服を着て、違う船に乗り、違う言葉を話す。
僕らの故郷の島や、生まれ育ったこの海から、はるかに遠くから彼らはきた。それはこの海の先に、未知の世界があるということだ。
この海の果てを、見たくなった。
青年は真っ直ぐに立ち、もう一人の青年に相対する。
「この海を越え、あの娘さんや彼らの産まれた土地や、この島の外を見たくなった」
精悍な表情で青年は、
「僕はこの島を出る。例え何年かかっても、海を越え、総てを見て回る。どれだけ命が長くても終わらないだろう。終わらせる気もない。だから、『あれ』を」
「あれ」を僕に与えてくれないか?
もう一人の青年は、絶対にダメだ!と叫んだ。
「『あれ』が本当はなんなのか、我々は何一つ分からないんだぞ!もし―」
「その時は僕を殺してくれ!」
青年は叫んだ。
二人は向き合い、あの戦いを食い止めた娘のように、限りなく真剣に向き合った。
何年か振りに悪夢というものを見ていた。言い表せない不安感と、真っ黒なものに抑えられて、
「あの子は―」
そこで目が覚めた。
「ここは―」
倒れたのは夕方のはずだが、ポリネシアの強い日差しが刺した。
白い天井を見上げ、
「あの人!」
あのあと、彼女はどうなったか?老人と戦ったり、怪我をしては―。
嫌。
彼女は僕のベッドに頭と腕を乗せ、すやすやと寝息をたてていた―。
しばらく茫然としていた。僕のベッドの白いシーツに頭と腕をあずけて、彼女は今はサングラスは外している、三白眼は今は閉じて、形の良さを見せていた。
「起きたか?イノス」
しばらくそうしていると、アレルが病室?に入ってきた。
「あれから―」
「ああ、ヘイマナ爺さんと戦った、てな。爺さんは笑ってどっか行ったけど、何してんだよ、お前」
僕は何も言えなかった。
「彼女は怪我は?あれから」
「お前がぶっ倒れてな、すぐに救急車で病院。ずっと看病して、今寝たとこ」
彼女に感謝しろよ、イノス。
僕は何も言えなかった。彼女がそんな行動を取るとは思わなかった。
「あと、な」
「お前の祖母ちゃん。お前が病院送りになったて、高齢者ケアから飛んできたぞ」
「え?」
「来客があるとかでケアに戻ったけど、もう歳なんだし」
心配かけるなよ。アレルはそう言って、観光協会には怒られるけど、今は彼女の専属だから、気にするな、てカノアさんは言っていた。医者を呼んでくる。そう言って病室を出た。
病室は個室のようだった。
僕は寝息をたてている、彼女のほうを見て、形の良い瞳や、その腕に触れて。
次の刹那、宙を舞い、病室の壁に叩きつけられた。
「私を狙うとはいい度胸だ!」
僕がいててと起き上がった時には、彼女は構え、燃える様に臨戦態勢を整えていた。
「あれ、イノス?」
「あれ?じゃないですよ、いて」
彼女は手を差し出して、ごめんなさいね、と言った。
あのあと、どうなりました?と僕は聞いた。
「……」彼女は押し黙った。
僕が病室の壁に叩きつけられた騒動に、何があったと人が集まってきた。
アレルも戻ってきて、何してんだよ、と聞いてくる。
「僕が……」
「私が寝ているのをいいことに、私の手に触れてね?」
ギャラリーが好奇に輝く。
「え……?」
「私の腕に、そっと手を置いて」
それから、それから、と皆が期待する。
「え……?えっと?」
「おい、イノス」
悪いこの子が、私の腕に手を触れて―。
どぎまぎして足を滑らせて、盛大に転んで、壁に激突したの。
「まだ子供ね―」
彼女がふぅ、と息をつくと、だっはっはっとギャラリーは湧いた。
アレルは分かっているようだ。もういいな、退院だ!
そういって着替えを押しつけ、ギャラリーを追い払う。
ブーブーとブーイングが聞こえるなか、僕はそそくさと着替えた。
アレルは手続きに向かったようだ。
病院の受付で彼女と落ち合った。
彼女は、ヒオベリカはサングラスをかけ、病院の壁に背を預け待っていた。美貌に何人も振り向くが、僕はあのスリの男の、騙されるな!という叫びを思い出していた。
「あの」
「綺麗な人ね―」
「えっ?」
彼女は僕がいう前に、
「あなたのお祖母さん。可愛らしい、明るい人で、今でももてるんじゃないかしら?」
「は、はあ」
「とても心配してらしたわ。一度断ったほうがいいんじゃないかしら?」
それでは、あなたの案内がと僕がいうと、彼女はいいのよ。と言って、
「アレレ君をこきつかうから」そういって微笑む。
手続きを終え、合流したアレルを引きずり、彼女は手をふって去っていった。
アレルが恐怖を顔に浮かべ、襟首を捕まれ、引きずられていくのを僕は見送った。
僕の実家は旅館だが、島の辺鄙な場所にあって、お祖母ちゃんは僕のために市街地に僕と移り住んだ。僕が学校を出て、寄宿舎に移ったころ、お祖母ちゃんは体を壊して総合病院に移った。
久しぶりだな―。高齢者ケアは棟が別らしい。久しぶりに会える。お祖母ちゃんに心配をかけたことをどう謝ろうと考えながら、僕がお祖母ちゃんの部屋の前に来ると、意外な人が部屋を出るところだった。
「この人は―」
スマートなスーツを着て、よく鍛えられているのが、スーツの上からもわかる。島のメディアにもよく出る人だが、直接会うのは初めてだった。
アロアリィ政務官。混血を拒んだ先住民の部族の出でありながら、海外の一流大学を出て島に戻り、行政府は彼が動かしているとまで言われるに至った人だ。
「失礼しました」と僕が謝るのを、彼はどこか遠い目で見つめる。僕が戸惑うと彼は振り返り
「マム、貴女に一つ、もっとも大事なことを言い忘れておりました。サレシアが帰って来ました。結論を携えて」
そういって、失礼のないようにな、と僕の頭を抑え、アロアリィさんは去っていった。
「用事は終わったわ、久しぶりね、イノス」
入ってらっしゃい、とお祖母ちゃんの声がした。
「大きくなったわね、イノス」
お祖母ちゃんはベッドに座って、どう、お仕事はと聞いてきた。僕はお祖母ちゃんの隣に座って、最近の仕事のことを話した。緩衝区での大乱闘や、素敵な母娘に出会ったこと。海に叩き落とされたことは―心配をかけると黙っておいた。だがそれ以外は話せる。お祖母ちゃんはなんでも嬉しそうに聞いてくれる。
いい人たちに出会ったのね、あの可愛らしい娘さんとはどうなの?とお祖母ちゃんは聞いてきた。
「今はバディが案内してるよ。この辺なら海岸沿いの市場か―」
「あそこなら、パン屋を曲がった角に、いい店があるわね。小間物をね、店長が海外から集めてるわ、店長の自作もあってね、ひっそりとした小さな店だけど」
あの子なら喜ぶんじゃないかしら?そう言って微笑んだ。
「今はやめちゃったか知らないけど、ごくたまにやってる屋台があそこにはあって、大将が頑固で本当にいい魚が入ったときしかしないけど、ね。私が行くと、照れて魚を分けてくれたの」
楽しそうに懐かしそうに、お祖母ちゃんは話してくれた。アレルですら知らないような街のことを、お祖母ちゃんはニコニコと話してくれた。
「この後の予定はあるのかしら?」
お祖母ちゃんはそういって、三日月の丘に、広場があるじゃない?と言った。
「うん。あそこからは、島が一望できて」
「違うの。いくなら夜よ」
お祖母ちゃんは笑う。
「夜?」
あそこは小さな広場だけで、夜は人もいなく、明かりもあまりない。
「陽が沈み夜が始まる時、あの広場の、ベンチの上に立って、北の森の方を眺めるの」
いいわね、彼女に見せてあげなさい。お祖母ちゃんが言ったとき、協会から支給されている携帯がなった。アレルからだ。
「お仕事?頑張ってね。彼女に見せてあげるのよ」
体を壊さないようにと言われて、お祖母ちゃんもね、と返して僕は病院を出た。
彼女はにこやかにしていた。アレルは大量の荷物に、いまにも潰されそうだった。
「ずいぶん買われましたね」と僕が言うと、
「着のみきのままで来たからね。替えの服とか、その他諸々。あなたのバディは優秀ね」
「へ?着のみ?きのまま?」
「何でもいいじゃない。同い年なんだし」
「同い年?てことは、1―」
「女性の年齢を洩らすんじゃない!」
そういって彼女はパン、と僕の頭を叩いた。彼女は楽しそうに笑った。
「あなたのことを、色々聞いたの。年齢や、経歴や、立ったままでも寝ることや―」
あなたのご実家、旅館なんでしょ?今夜はそこに泊まるわ。彼女は振り返り、荷物、そこまでよろしくね、と彼女はアレルににこやかに命じた。アレルは恐怖を顔に浮かべ、ぶんぶんと頭を縦に振った。
そこで僕は思い出した。ここからなら、今の時間からなら間に合う。
「三日月の丘の広場に行きませんか?素晴らしいものがみれると、お祖母ちゃんに聞きました」
彼女はそう、と応えたが、
「島が一望できるて、今からじゃ夜になるぜ」とアレルは言った。
「いや、お祖母ちゃんに聞いたんだ」行ってみませんか?と僕は二人を誘った。
東側の市街地から、丘の頂き、三日月の丘の広場への道を僕らは歩いた。途中で道は蛇行しながら頂きに繋がっている。丘からは市街地が見える。
僕と彼女と、荷物を持ち、ひいひい言うアレルはもうすぐ夜になる道を登っていく。灯りは用意してあるが、もうしばらくは要らないようだった。
「ここはいい島ね」と彼女は言った。
「市街地の喧騒も、丘の自然も、とてもいいわ」彼女はそういって僕を見た。
「長くいれば飽きますよ。僕には」
「ここに移り住もうかしら?」と彼女は言った。
「あなたはどう?島の外に行きたい?」
そう聞かれて、僕は迷った。僕が押し黙って、会話が途絶えたとき、アレルが
「もうじき丘の頂き、広場に到着します」と消えそうな声でガイドした。
少し早く着いたようだ。夕陽は西に消えていき、島の夜が始まりそうな時間だった。
「日中ならば、島の光景が一望できるのですが」と僕が言うと、
「あなたのお祖母様のおすすめでしょう?」陽が沈むまで待つわ、と彼女は言った。
「ならば、ここから簡単なこの島の構成をお話しでもしましょう」とアレルが言った。
「ここから南へ丘を下れば緩衝区、聖デボラの活躍で先住民と漂着者の緩衝地帯として開かれた街があります。丘を下る道から脇に向かえば、島の観光の中心地、リゾートホテルやリゾートビーチ、観光客向けのレストラン、マリーナがある遊興地があります。島の西側の海中には遺跡があり、クルーズ船からのスキューバダイビングが盛んです。ここから東は、今来た市街地、行政や、都市機能の中心です。北は―」アレルは口を閉じた。
夕陽が沈み、夜が始まろうとしていた。僕と彼女はお祖母ちゃんに教わった通りに、ベンチの上に立ち、島の北側を眺めた。
「わ―」彼女は感嘆した。僕は彼女の、儀礼でもなんでもない、本当の笑顔を見た。
暗いのでサングラスは外していた。十代の少女の素顔だった。
夕陽が沈み、夜が始まる瞬間。島の北側に広がる森は虹色に輝いていた。あの森の木々は下半分海中に沈んでいるが、特殊な微生物とも、鉱物とも呼ばれる成分を、根から吸収している。森は日中から輝いているが、あの森は夜間でこそ美しい。
僕はアレルとともに、カヌーで何度も森の中を客に案内したが、この広場から眺めるのは初めてだった。
彼女は、きらきらと眼を輝かせ、輝く森を眺めていた。