第一話 私立図書館・黄昏堂
第八回ネット小説大賞を受賞しました。
2021年4月7日、宝島社文庫より『私立図書館・黄昏堂の奇跡 持ち出し禁止の名もなき奇書たち』と改題して発売されます。
Web版は第二部から書籍版とはストーリーが異なります。
あらかじめご了承ください。
電車を使えば駅から歩いて四十分。バスに乗ればバス停から徒歩二十分。
そんな不便な立地に、古びた大きな洋館がある。
建物の外観はレトロで重厚だが、少し風変わりと言えるかもしれない。
灰色の六角形のタイルが、まるで鱗のように規則正しく並んだ壁。とんがり帽子を彷彿とさせる、赤茶けた三角錐の屋根。
初代館長が自ら設計を手掛けたというその館は大きく、地上三階から地下三階建てという、とても豪勢な造りをしていた。けれど歴史的建造物のような見事な館にもかかわらず、周囲は常にひと気がなく、しんと静まり返っている。
鬱蒼とした雑木林に四方をぐるりと囲まれ、背の高い外壁には年季の入った蔦が幾重にも絡む。季節を問わず異様な雰囲気を漂わせるこの洋館に、地元の人は決して近寄ろうとしない。
周囲を田畑や山で囲まれた鄙びた町と、商店街やショッピングモールでささやかなにぎわいを見せる駅前のニュータウン。そんな田舎と地方都市の境目にぽつりと建つこの場違いな洋館には、「黄昏堂」という呼称がある。
しかし、その正式名称を知る者はとても少ない。
今も昔も一部の地元民から「幽霊屋敷」と呼ばれ、恐れられている。
ツタにおおわれた窓の隙間から真っ黒な人影がちらりとよぎるだの、生気のない黒ずくめの男や、黒いドレスを身にまとった美女の霊が出没するだの、怪しげな噂が後を絶たない。
そのためこの館が幽霊屋敷ではなくれっきとした私立図書館であること、更に偏屈な館長が一人で住んでいることを知っている者はごく一握りだ。
厳密にいえば、黄昏堂は普通の図書館ではない。奇書の館……古今東西ありとあらゆる場所や時代に流通する書物の中で、館長の目にかなったもののみ所蔵を許される。
その結果、黄昏堂は世にも稀少で奇妙な書物が集まる私立図書館だと、数少ない来館者たちからは認識されていた。
「だから、うちも看板を出しましょうよ」
この私立図書館で働き始めてから何度も却下された提案を、私は今日もめげずに繰り返す。
「いやだよ、そんな面倒なことは」
黒のスーツに身を包んだ館長の空汽さんが、心底嫌そうに呟いた。
こうして会話をしていても、彼が辞書のように分厚い本から顔を上げる気配はない。パラパラとページをめくる音が、会話の合間に響く。
「なにも空汽さんに看板を手配しろと言っているわけじゃありません。私が勝手に作って取り付けるぶんには、別に良いでしょう?」
「駄目だね。看板を出すと図々しい奴が入ってくる。本に用もないくせにわざわざ時間を潰しにくる、公私の分別も教養も遠慮もない、凡愚で厚顔無恥な暇人が」
流れるような罵倒だった。図書館の館長のくせに、まだ見ぬ来館者をよくもまあここまでこき下ろせるものだと、呆れを通り越して感心してしまう。
生気の乏しい色白な顔は無表情なまま、相変わらず紙面に視線が固定されている。恐ろしいほどの速度で本を読みながら、更に空汽さんは続けた。
「そんな害虫をわざわざ招き入れて、一体こちらに何の得があるというのかね」
「害虫って」
「そもそも本当に用がある者は、こちらが何もせずとも向こうから勝手に来る。それが縁というものだ」
いつもは「却下」の一言で終わる話題が、今日は珍しく多弁だった。
にべもない言葉に唖然とする私を一瞥し、「ふん」と短く鼻を鳴らす。
「厳選された蔵書があるんですから。もう少し知名度を上げませんか? そうすれば、もっと利用者も増えます」
「ここは私立図書館だ、利用者はこちらが選ぶ。蔵書を貸すにふさわしい者かどうかは、私が自分の目で見極める」
読了した本を机に置くと、新たに読むものを求め、読書台に積まれた本の塔に青白い手を伸ばす。わずか十分前に彼が読み始めたはずの本は、広辞苑のように分厚い。にもかかわらず、不毛な押し問答の間に読破されていた。
「君が何と張り合っているのか知ったことではないが……」
内心を見透かされたような言葉に、少しぎくりとした。
張り合っている。確かにその通り、私はムキになっている。やる気のない館長や、あまりの来館者と貸出冊数の少なさに。そして張り合いのない、この平穏すぎる静かな日々を、心のどこかで安堵する自分自身に。
「私はこの館に余計な客を増やすつもりはない。以上」
話は終わりだと言わんばかりに、空汽さんはパタンと音をたてて本を閉じた。
「……でも、せっかくこんなに本があるのに」
切れ長の鋭い目が、分厚い眼鏡越しにじろりと私を一瞥する。初めの頃は睨まれるたび、生気がない顔をしているくせに、妙に迫力のある視線に怖じ気づいていた。
が、この館で半年以上も働いた今ではすっかり慣れてしまった。
「誰からも読まれないままなんて、可哀想じゃないですか」
「そう思うなら君が読んでやればいい」
「だから、そういう問題じゃなくて!」
空汽さんは椅子から立ち上がり、机の上の朝刊を持ってソファに移動する。
本革を張ったクッションの上にごろりと横たわると、仰向けに寝転んで新聞を広げた。
一面の記事がちらりと目に入る。昨日、隣町の博物館で起きた「強盗殺人事件」。予期せず視界に飛び込んできた見出しの文字に、わずかに胸の奥が波立つ。
それを察したのか、空汽さんが紙面から顔を上げた。
「どうかしたのかね」
「いえ……なんでもないです」
とっさに答え、自分の席に戻る。空汽さんは「そうかね」と新聞に視線を戻した。
この無愛想な館長は勤務時間中にソファに寝転んで本を読み、あまつさえ当然のように居眠りする。時々、忽然と姿をくらますことさえある。日がな一日ソファに寝そべって本を読みふける上司に、転職したての頃はいちいち驚き、戸惑っていた。
だが慣れとは恐ろしいもので、最近は何とも思わなくなりつつある。
壁掛け時計を見れば、時刻は午後三時を示していた。一般的な市や町の公立図書館なら、利用者が増えはじめる時間帯だ。学校帰りの学生や、保育園・幼稚園帰りの親子連れ、買い物や散歩のついでにふらりと立ち寄るご年配の方など。
しかし、この奇書館の先月の来館者数はたったの二人。今年に入ってからの累計来館者はまだ四人しかいない。ひどい時は一ヶ月、誰も来ないことすらあった。
開館時間は午前十時から午後七時まで。土日と年末年始、お盆が休館日。一般的な公立図書館にごく近い開館状態にもかかわらず、恐ろしいほど人が来ない。
不便な立地や厳格な会員制、館長の方針など、理由はいくつかある。だが何と言っても最大の原因は、ここが図書館だとほとんどの人が知らないことだ。
「ごめんください」
下の階から扉が開く重い音と、少しかすれた女性の声が響いた。
「良かったじゃないか、君が待ちわびていた来客だ。行ってきたまえよ」
ソファに仰向けで寝転んだまま、館長は新聞から顔を上げようともしなかった。
いつものことながら、自分が来館者に応接するという選択肢はないらしい。
徹頭徹尾ぐうたらな上司を睨み、私は事務室を後にした。
ガラス張りの廊下から書庫を見下ろせば、壮観な眺めを見渡すことができる。
気が遠くなりそうなほど広い吹き抜けの書庫に、厳格な秩序でずらりと並ぶ白い書架(※本棚)。隙間なく並べられた色とりどりの背表紙たちは、いつ見ても圧巻だ。
太陽光を遮断し、一定の温度と湿度を厳格に保つ開架書庫(※一般の利用者に開放されている書庫)は、いつでもほどよく空気が張り詰めている。
「こんなに、たくさんの本があるのに……」
黄昏堂の総蔵書数は約百七八万点。
正確には百七八万と千二六八点。法人経営とはいえ、私立図書館としては桁外れの蔵書数だ。ちなみに、ここ鈴川市の市立図書館の蔵書は約十二万七千点。つまり黄昏堂には、市立図書館のおおよそ十四倍の本が所蔵されていることになる。
この莫大な所蔵数のうちわけは、まず本が約百五八万点。
続いて雑誌・新聞類が五万点。デジタル資料……CDやDVD、ビデオテープやレコードといった電子媒体の資料が七万点。その他の地図や楽譜、巻子本(※巻き物)、一体どう入手するのか想像できない石碑や木簡、生物や鉱物の標本など、とにかく様々な資料がある。世界中の本や雑誌、新聞、レコード、論文集、地図、図録、楽譜。古今東西あらゆる資料の中から、歴代館長のお眼鏡にかなったものだけが所蔵されている。
ただし、そのうちの四分の三は「禁帯出」という、貸し出し禁止の資料にあたる。来館者が利用できるのは一階の開架式書架に納められた、約三十五万冊の書籍のみ。
この館の創始者・万抄院慶春の名にちなみ「万抄院文庫」と呼ばれるその蔵書群には、流行りのエンタメ小説や話題のビジネス書、自己啓発本の類はあまりない。
妙にマニアックな小説や、知る人ぞ知る純文学。かなり専門的な辞書や学術論文集。
果ては何が書かれているのかはおろか、どこの国の言語で書かれているかもわからない暗号のような本。かなり古い年代の洋書や和書。かと思えば絵本や古いマンガ、少し昔の児童文学は妙に充実している。万人受けという言葉からかけ離れた選書が、利用者から「奇書の館」と呼ばれる所以なのかもしれない。
その奇書の館の利用者名簿に登録されているのは、私を含めてたったの百五十一人。
大正二年の創立から百年が過ぎた現在に至るまで、全ての利用者の数を数えて百五十一人なのである。その中で名前の上に二重線が引かれている人……連絡がつかなくなった、又は亡くなった利用者が百十一名。その百十一名を差し引くと、現時点の利用者は四十名しか残らない。
私が会ったことのある利用者は、たったの七名。百七十八万という莫大な所蔵量に対して、あまりに少なすぎる利用者数である。そんな現状を何とかしたいと考えるのは、司書として雇われた者の至極真っ当な使命感だ。
「……もっと多くの人に開放すればいいのに」
館長の言い分もわかる。
利用者が増えればマナーやモラルの低下は避けられない。
だがより多くの学術書を必要とする研究者や学生、まだ見ぬ本を求める読書家たちの期待に、この私立図書館の蔵書は充分応えられるのではないか。
階段を早足で降りながら、独り言とため息が漏れた。三月とはいえまだまだ寒さは厳しく、吐いた息が白く濁る。
重く分厚い扉を開けると、ロビーの長椅子に黒い修道服を身にまとった、初老の女性が座っていた。私に気付くと立ち上がり、冬空のような青い瞳を和ませる。すらりと痩せた長身に、線の細く柔らかな面差し。
この私立図書館の数少ない常連、シスター・マチルダだ。
「お待たせしました、シスター」
「こんにちは、湊ちゃん」
窓から差し込む西日に、初老の修道女はまぶしそうに目を細め、トートバッグから絵本を二冊取り出す。
「こちら、面白かったです。子供たちも大喜びしてたわ」
「今日は他に、何か借りられますか?」
「そうね、絵本と読み物を少し見せていただこうかしら」
シスター・マチルダはこの町で児童養護施設を経営する、カトリック教会の修道女だ。主に児童書や、読み聞かせをするための絵本を借りてくれる。
やはり、図書館には利用者がいなくては張り合いがない。大きく分厚い扉を開けば古紙とインクの独特な香りと、わずかにカビ臭い冷気が頬をなでる。
「いってらっしゃいませ。何かありましたら、お気軽にベルで呼んでください」
私はシスターに、小さなハンドベルを手渡した。
広大な書庫へ吸い込まれてゆく後ろ姿を見送り、音をたてないよう扉を閉じる。
受け取った二冊の本をカウンターに置き、壁際のキャビネットから貸出・返却管理帳簿を引っ張り出す。更にブックカードを返却された本に戻した。
ここ黄昏堂の貸出・返却の管理はブックカードや帳簿を用いて、全て手作業で行われている。電子機器を信用しない館長の方針で、コンピューターは使わない。
本を貸し出す時には利用者カードを預かり、借りられる本のブックカードと一緒にクリップではさんでおく。返却されたら利用者カードを利用者に返し、返ってきた本にブックカードを戻す。いわゆる「ブラウン方式」と呼ばれる管理方法だ。
大学で図書館学を学んでいた頃は、まさかこの時代に手書きで帳簿をつけ、ブックカードに返却期日の日付スタンプを捺すことになるとは思いもしなかった。
最初は面倒だったが、三ヶ月も続ければすぐ慣れた。来館者も貸出冊数も少ない私立図書館には、コンピューターでの一括管理より、少し手間がかかるくらいの手作業が合っているのかもしれない。
貸出記録の帳簿を開けば、今年の貸出・返却冊数は一瞬で見通せる。
利用者は四人、貸出は十二冊で返却は二十冊しかないからだ。使ったページも一ページの半分。この数字も去年に比べたらまだマシだった。数十万冊もある万抄院文庫のうち、今年に入ってから動いた本がたったの数十冊。
来館者がゼロという日はザラにある。これでは死蔵も良いところだ。
「待望の来館者が来たのに、ため息かね」
「わっ⁉」
背後から響いた低い声に、慌てて振り返る。二階でゴロゴロしていたはずの空汽さんが、すぐ真後ろに立っていた。いつ階段を降りてきたのだろう。
いくら館内の防音設備が万全とはいえ、足音ひとつ聞こえないのは少し不気味だ。
私の雇い主である偏屈な館長は時々、実は幽霊なのではないかと半分本気で疑ってしまうほど気配がつかめないことがある。
「う、うれしいですよ。これは感嘆のため息です」
「その割には、浮かない顔をしているように見えるが」
空汽さんはスーツのポケットから鍵を取り出し、キャビネットを開いた。カウンターの上で出納帳のページをめくる。
私も貸出・返却の管理帳簿に今日の分を記録した。窓から差し込む陽気と、暖房の風が暖かい。外を見れば、窓ガラスにぬっと黒い影が現れた。
「……クロ?」
ずんぐりとした黒一色の巨体と鍵尻尾。
右目の上にざっくりと裂けた、眉のような切り傷。ふてぶてしい表情と態度が、やけに飼い主そっくりな、空汽さんの飼い猫だ。
久しぶりに姿を見た。ここ最近、ちっとも顔を見せなかったのに。
放任主義の飼い主は「そのうち帰ってくる」と楽観視するが、私は随分気をもんだ。
なにせ、クロは首輪をしていない。
知らない人には野良猫に見えるだろうし、保健所に連れて行かれてしまう可能性もある。来週までに戻らなかったら、ビラを配ろうと思っていた。
私の心配などどこ吹く風で、クロは大きなあくびをして後ろ足で耳を掻くと、狭い窓枠の上で大きな体を丸める。少し伸びた冬毛が北風にそよいでいた。
私の視線を追った空汽さんが、飼い猫の存在に気付き、窓を少し開ける。その隙間から、クロは丸々とした体を器用に滑り込ませ、ロビーに着地した。
私はすかさずクロをつかまえ、エプロンのポケットから青い首輪を取り出す。
「空汽さん、いいですよね?」
「……わかったよ」
許可を求めた私に、館長は渋々頷く。
素早くクロの首に首輪をはめれば、留め具につけた鈴がちりん、と小さく鳴った。
飼い猫ならせめて首輪くらいするべきだと業を煮やした私が、少し前にペットショップで購入したものだ。裏には黄昏堂の連絡先がマジックで書いてある。
クロは不思議そうに金色の目をしばたたかせ、一番日当たりの良い窓の前で体を丸める。遠くから見ると、まるで灰色の絨毯に丸いシミを落としたようだ。
返却された本を書架に片付けに行こうと立ち上がると、ちょうど書庫の扉が内側から開き、シスターが戻ってくる。
空汽さんはキャビネットに帳簿を戻し、何食わぬ顔で二階へ戻ろうとした。
「あら館長さん、こんにちは。お久しぶり」
しかしロビーに響いた朗らかな声に、ぎくりと立ち止まる。
「……お久しぶりです」
「相変わらず細いわねえ。顔色も良くないし、ちゃんと食べていらっしゃるの?」
さほど心配しているふうでもなさそうに、シスターが館長に尋ねた。細身の黒いスーツに包まれた痩身と青白い顔は、確かに不摂生を連想させる。
「食べていますよ、毎日パンと水を欠かさず」
「パンと水? まさか、それだけじゃないでしょう」
「それだけですが」
空汽さんは表情を変えず、すげなく返した。シスターがあんぐりと口を開け、続いて私に「冗談でしょう?」と問いかけてくる。
れっきとした事実なので何ともいえず、私はそっと視線を逸らした。うちの館長はすごぶる粗食で、毎日の昼食は大抵ライ麦のパンと水しか摂らず、甘い物や肉類を口にするところを見たことがない。
「なんてこと、成人男性の食事とは思えないわ」
「生憎、粗食の方が合う体質なので」
「ちゃんとバランス良く栄養をとらなきゃ駄目よ。湊ちゃんもそう思わない?」
おそらく六十代前半くらいのシスター・マチルダと、年齢不詳な外見をしているが本人曰く今年で二十八になる空汽さん。二人が並ぶと、息子と母親のように見える。
「食事は質素ですけど、睡眠は充分とっていらっしゃいますよ。今日も午前中、ずっと整備室のソファで仮眠していましたから」
「あらあら、だから寝癖がはねてらっしゃるの」
私の告げ口に屈託なく笑うシスターにつられて、小さく噴き出してしまう。すかさず空汽さんにじろりと睨まれたが、素知らぬふりをした。
少しだけ溜飲を下げ、シスターから本を受け取り、貸出の手続きをする。
「ねえ二人とも、ニュースはご覧になったかしら? ほら、隣町の博物館の」
トントンと机で角をそろえ、本をしじら織りのトートバッグにしまいながら、シスターはわずかに声を低くした。
さり気なくカウンターを離れようとしていた空汽さんが立ち止まる。
「古代エジプト展の強盗殺人ですか。確か学芸員二名と警備員が殺害され、『死者の書』の一部が盗まれたとか」
「まだ犯人は捕まっていないんでしょう? 恐ろしいこと……」
二人の会話を聞きながら、今朝ネットで見た事件の記事をぼんやりと思い出す。
隣町の博物館で凄惨な強盗殺人が起きたのは、深夜十一時から十二時の間。
事件が発覚したのは日付が変わってからだという。
防犯カメラの映像が急に途切れ、自社の警備員と連絡がつかないことを不審に思った警備会社のスタッフが警察とともに現場に駆けつけた時には、既に手遅れだった。
壁に設置されたガラスケースは割られ、展示されていた『死者の書』の一部は奪い去られていた。防犯ブザーが鳴り響く中、特別展示室の出入り口付近には、犯人に殺されたとおぼしき三名の関係者が血を流して倒れていたらしい。
犠牲者たちはそろって「刃渡りの長い刃物」で首をえぐられていた————
「湊ちゃん? どうしたの、ボーっとして」
心配そうなシスターの声に、あわてて顔を上げる。
「いえ、確かに物騒だなあと思って」
「あなた一人暮らしなんだから、くれぐれも気をつけてね。知らない人には絶対ついて行っちゃ駄目よ」
あはは、と曖昧に笑う私に、シスター・マチルダは「そういえば」と手を叩く。
「忘れるところだったわ。お二人に聞きたいことがあったの。ちょっと相談したい本があるのだけど、よろしいかしら?」




