サキュ俺㉚ シエルの覚悟
俺たちは猫を見送ると、再度気持ちを切り替え、街からの脱出を図った。
アイギスの「イグノアランス」の魔術は予想通り非常に効果的で、道中、エルフたちは俺たちを血眼になって探し回っていたにも関わらず、俺たちの存在には一切気付かず、悉く俺たちの真横を素通りしていったのだった。
絶大な効果を発揮する一方、この魔術は魔力の消費が著しいというデメリットがあることから、俺たちは定期的にアイギスに休息をとらせながら進んだ。にも関わらず、なんと俺たちは昼頃にはナタリアの街から脱出することに成功したのだ。戦闘は避けられないと思っていた俺にとって、それはあまりに迅速な脱出劇であったことは言わずもがなだろう。
「ふぅ、なんとか出られましたね」
「ああ。マジで助かったよアイギス……」
俺は神様にでも拝むかの如く、アイギスに対し両手を合わせる。
「あなた、あれ多用できないとか言ってたくせに、普通に使いまくってなかった……?」
シエルはジト目でそう尋ねる。恐らく、彼女はアイギスの魔術の実力に度肝を抜かれたのだろう。
「あれ、そうでした? でもあれをずっと使える方は本当にもっと長い時間使えるので、そういう方と比べると私なんてまだまだですよ」
「化け物ね……」
あっけらかんとしているアイギスを、シエルはあんぐりした様子で見つめていた。
謙遜も含んでいるだろうが、アイギスは自身の実力について本当にまだまだと思っている節もあるのが、彼女の計り知れない魔術の実力の源でもあるのだろうと、俺は思った。
とにもかくにもナタリアを脱出した俺たちはようやくサレルナへの帰還を果たした。しかし無事還ってこられたからといって決して安心はできない。
これまでの無差別攻撃に加え、これだけ堂々と街に侵入されれば、ナタリアの魔王軍ももうさすがに黙っていないだろう。
ここ数日以内にやつらが総攻撃を仕掛けてくるというのが俺の見立てだ。そしてそれについてはシエルも認めるところであった。俺は戦いの準備として、シエルにある頼み事をしたのだ。
「シエル、エアハート姉妹にナタリアの調査をさせておいてくれ」
「……分かった。兄さんは、いつぐらいだと思う?」
「一週間か、早ければ3日から5日といったところだな。時間がないが、準備だけはしっかりしておいてくれ」
「分かったわ……」
俺の言葉に、シエルは深く頷いたのだった。
それから数日後、俺はシエルの仲間より、エアハート姉妹がある情報を掴んだとの一報を受けた。それは、ナタリアの街で魔王軍がサレルナ総攻撃に向けて軍備を整えているというものであった。
「ついにやつらが動き出したか」
「早くシエルさんのところに行って作戦を練りましょう!」
「ああ。あいつも今頃大変なことになってるだろうな……」
俺とアイギスは急ぎシエルたちの元へと向かった。
アジトに到着すると、既に室内は騒然としていた。メンバーの中には、やられる前にこちらから総攻撃を仕掛けるべきだと主張する者もいた。
「シエルさん! あなたはどうなんですか!?」
シエルは仲間から意見を求められる。彼女は血気盛んな仲間たちを前に、一体なんと言うのだろうか?
「…………」
これまでのシエルなら、自分たちの実力を見誤り、いの一番に仲間たちに促されるまま総攻撃を指示していたことだろう。そして、壊滅的な損害を招いていたに違いない……。
だが、今のシエルはそうではなかった。
シエルは自身を落ち着けるように小さく深呼吸をする。そして皆をしっかり見据え、こう言ったのだ。
「このままあたしたちがナタリアを攻めたところで、あそこを攻略することは、残念ながら不可能だとあたしは思う……」
「え……」
シエルの発言に一同は驚きを隠しきれない。皆にとって、それは彼女らしくない、非常に弱気な発言であったことだろう。
そしてその発言に対し、仲間のうちの一人が噛み付いた。
「一体どうしたんですか!? そんな弱気な言葉、あなたらしくないですよ!」
男の言葉を合図に紛糾する一同。だが、その程度で今のシエルがブレることはない。
シエルは、現有戦力では敵の攻撃を防ぐことはできず、場合によっては全滅させられる可能性もあると思っているはずだ。そんな彼女が、勝機の低い無謀な作戦を提案することはもはやないと、俺ははっきり断言できたのである。
「みんなごめん、これまであたしについてきてくれたのに……。でも、この前ナタリアの潜入調査をして、相手戦力の大きさを目の当たりにして気付いたの。このままでは、あたしたちは勝てないって。それが事実なのよ……」
「そんな……」
仲間たちはシエルの言葉に落胆を隠しきれない。中には涙を流す者もいた。
すると、シエルは俺とアイギスの方を向く。そして緊張した面持ちで口を開いた。
「お二人にお願いがあります」
俺たちはシエルを見つめ、次の言葉を待つ。シエルは僅かに躊躇いがちにではあるが、はっきりと俺たちにこう言ったのだ。
「お二人の力を、お借りできないでしょうか……? お願いします」
そして彼女は、皆の目の前で俺たちに対し深々と頭を下げたのだ。
「シエル……」
流石にこれには俺は驚きを隠しきれず、すぐに返答することができなかった。
俺が呆けたままでいると、見かねたアイギスが先に口を開いた。
「もちろんです! ね、アレンさん?」
「……あ、ああ、もちろんだ。このまま魔王軍の好きにはさせられないからな」
俺たちの言葉に、シエルはようやく安堵の表情を浮かべた。
「アレンさん、何かいいアイデアはありますか?」
「……そうだな、かなり危険だが、ひとつだけある」
そう言う俺を皆が注目する。こう見られるとなんだか喋りづらくもあるが、俺はなんとか作戦について皆に話して聞かせた。
作戦の概要はこうだ。まず城壁で囲まれたこの街に敵をおびき寄せる。城門を閉じやつらをこの街の中にとじ込め、予め仕込んであった可燃性の物質をばら撒く。そしてそれに火をつけ、そのまま敵を街もろとも焼き殺す。それが俺の提案した作戦であった。
すると、俺の話を聞き予想通り皆が騒つき始める。そしてその内の一人が俺に尋ねた。
「ちょっと待ってくれ、そんなことをしたら、この街は……」
「ああ、すまんが街は守れない。この作戦は街を放棄することを前提としている。街の住人の命を守る為に街を切り捨てる。それがこの作戦の本旨だ」
皆が息を飲む。俺は尚も言葉を続ける。
「これは城郭都市であるこのサレルナでしかできない作戦だ。だが、正直かなり危険だし、作戦に参加すれば命を落とす可能性が高い。それにそもそも最初からこの街を放棄することが前提の作戦だから、この街自体を守りたい人にとっては話にならない作戦だろう。もし納得いかない場合は、この作戦は却下してもらってもかまわない」
これは部外者である俺だからこそ思いついた作戦だ。それを採用するかどうかは、この街を愛するシエルたちに委ねるしかない。俺とアイギスは、静かに彼女らの決断を待つのだった。