サキュ俺㉙ 見つめる先には…
翌朝、シエルは頭痛が残っているようだが、なんとか一人で行動ができるぐらいには体調が回復していた。だが案の定、彼女は昨日の痴態を何一つ覚えていないらしかった。
「ホント、お前ってやつは……」
「だ、だって仕方ないじゃない! ついつい飲み過ぎちゃったんだもん……」
「あれはついついのレベルじゃねえ……」
敵陣の真っ只中だってのに、あいつは躊躇うことなく次から次へと酒を飲み干していった。そしてあろうことか客に喧嘩を売るという大失態までも演じた。これについて俺は小一時間説教してやりたいくらいだ。
「お前がやらかしたお陰で俺は危うく死にかけたんだぞ。お前の大好きな『おにぃちゃん』が起きたら冷たくなってたらどうするつもりだ?」
「はあ!? あたしがいつ兄さんのこと大好きだなんて言ったの!?」
「私ははっきり聞きましたよ。シエルさんは本当にアレンさんが大好きなのがよく分かりましたね」
「だから、そんなことあたしは絶対言ってないわよ! ってか、あなたいつの間に戻ってきたのよ!?」
アイギスの再登場に明らかに不満げなシエル。
「誰のせいだと思ってんだ! お前がアイギスに文句を言える立場か!?」
俺はそう言いながらシエルの顔をつかんで揺さぶってやる。
「ぼ、暴力反対!」
「やかましい! お前は少しは反省しろ!」
「あはは……」
俺たちの様子を見てアイギスは苦笑いを浮かべるのであった。
「……兄さんを助けに来てくれてありがとう」
ほとんど消え入りそうな声でアイギスに礼を言うシエル。お礼を言えただけでも彼女にしてみれば大きな進歩ではあるが、どうしてこうも素直になれないのかと非常に嘆かわしい思いになる。
「いえ、お二人のピンチとあればどんなに大変な状況でも駆けつけますよ」
「な、なんであたしまで含まれてるのよ? あたしなんて、あなたに酷いことばっかり言ってるし、あなただってあたしのことは嫌いでしょ……?」
「そうですねぇ、シエルさんとは喧嘩もしてしまいましたし、これまでは人となりも見えていなかったので少し合わないかなと思っていましたが、アレンさんとじゃれつくあなたを見たら、あなたは本当は優しい人だって思えたので、今は苦手ではないですよ」
「だからもうそれ言わないでよ!?」
シエルは顔だけでなく耳まで真っ赤にして抗議する。そんなシエルに対し、アイギスは笑みを浮かべながらこう言った。
「私、あなたとは仲良くなりたいです。今はあなたは私のことは嫌いかもしれませんが、いつか好きになってもらえたら嬉しいです」
「な……!?」
シエルはアイギスのまさかの言葉に動揺を隠し切れない。散々目の敵にしてきた相手によもやそんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。
だが、そういうことを普通に言えるのが、アイギス・アッシュベリーという少女の凄いところなのだ。それはここ数日、彼女と行動を共にしてきた俺にはよく分かっていた。
すると、不意にアイギスが向こうを指しながらこんなことを言った。
「あ、子猫ですよ!」
「え? 猫?」
こういう突拍子のないところも実にアイギスらしい。俺が彼女の示す方に振り向くと、確かに子猫が一匹日向ぼっこをしているのが目に入った。
「あ、ホントだ。あれ? ってか、ここって……」
俺は改めて辺りを見回す。昨日の夜、どこか見覚えのある雰囲気だと思っていたが、ここはまさか……
「ここ、前にあたしたちが住んでたところだわ」
「え? そうなんですか?」
シエルの言う通り、俺たちの目の前に立っている煉瓦造りの建物は、かつて俺たちが二人で暮らしていた共同住宅であった。
「ってことは、あの子猫って、シエルが可愛がってた野良猫か?」
「でも、もうあれから何年も経ってるし、まだ子猫ってことはないと思うけど……」
「だが種類も一緒だし、顔も心なしか面影があるように見えるぞ。これはやっぱり……って、おい! 誰か来たぞ! みんな隠れろ!」
扉の開く音に反応し、俺たちは瞬時に物陰に隠れる。すると、建物からエルフの男女が二人出て来たのだ。彼らは子猫を見つけると、女の方のエルフがすぐにその猫を抱きかかえた。
「順調に大きくなってきてるみたいだな」
「そうねぇ。ああ、この子ホント可愛わ。にゃー」
猫の鳴き真似をする女のエルフ。その二人は、遠目からでもわかるぐらい、実に優しい笑顔を子猫に向けていた。
猫は嫌がる様子もなく、女性に抱きかかえられている。どうやらかなり彼女に慣れているようだ。
俺はそんな彼女たちの様子を眺めながら、ある光景を思い出していた。それは、今この時と同じように、シエルが猫を抱きかかえ、俺がその様子を隣で見つめているというものであった。
『もうすっかり元気そうだな。一時はどうなることかと思ったけど』
『みんなでつきっきりで看病したんだから、元気になってもらわないと困るわよ』
まだ小さかったシエルが相変わらず素直じゃない言葉を吐く。だが言葉とは裏腹に、子猫を見つめるその顔は笑顔でいっぱいだった。
今から5年前のある日、シエルは道端でケガをしていた子猫を拾った。その猫を、この共同住宅の住人たちが代わりばんこで世話をしたのだ。そしてその甲斐もあり、子猫はすっかり元気になったのである。
子猫はシエルに特に懐いていた。よく彼女の後ろを追いかけていたのを、俺は今でも覚えている。
俺はふと、横にいるシエルに視線を移す。
シエルは、俺と同じようにかつての自分たちが重なるのか、複雑そうな目でその様子を見つめていた。
彼女は今、何を思っているのだろうか? 気持ちを聞いてみたい思いもあったが、それは野暮なような気もしたので、俺はひとまず口を噤んだ。
にゃーお。
またしても猫の声。だがその声は、目の前の子猫のものよりも低く、長い時を生きてきた重みを含んでいるような気がしたのだ。
「あ、お母さんが迎えに来たみたいだぞ」
男性が見つめる先には、子猫よりも一回り大きな猫の姿が。どうやらあれが母猫らしい。
「お迎えに来ちゃったね。ほら、お行き。お母さんの言うことをちゃんと聞くのよ」
優しい女性の声。彼女が本当に猫たちを可愛がっているのがよくわかる。
そして、彼らが見守る中、猫の親子は悠々とどこかに歩き去ってしまったのだった。
「さ、そろそろ行こう」
「うん。帰りにあの子たちが好きそうなお魚でも探してこようかな」
「俺の飯も忘れないでくれよな……」
猫に続き、エルフのカップルが笑い合いながら俺たちの前を通り過ぎていく。エルフがこんな風に楽し気にしているのを見たのは、もしかしたら初めてかもしれないと、俺は密かに思った。すると、シエルは猫が去っていった方を見つめながら、ふとこう呟いたのだ。
「あれ、もしかして、あの時の猫だったのかな……」
そして、しばらくして俺は彼女に対しこう問いかけた。
「シエル、お前、俺たちと組んで王都に殴り込みをかけないか?」
「え……?」
シエルが俺を見る。その瞳はどこか潤んでいるようにも思えた。
「無差別に相手を襲う必要なんてない。わざわざ一般市民や子猫たちの平和まで脅かす必要なんてないだろ? 総本山さえ潰しちまえば、こっちの勝ちなんだから」
「…………」
シエルは答えない。だがそう言った俺も、彼女に答えを急かすつもりはなかった。
ゆっくり考えて、後悔のない道を選んでほしい。俺が思っていたのは、それだけだったのだから。