事後
航
悦ばせるつもりだったのに、途中はできていると思いながら上演していたのに、結果的には藤堂さんを泣かせてしまうことに。
俺だけが一人気持ち良いオナニーになってしまった。いや、泣いていたんだから、きっと傷つけてしまったんだ。ヤスコが危惧したようなにレイプになってしまったんだ。
上演後お辞儀をして顔を上げたら藤堂さんの泣き顔が映った。その後のことはあまり記憶がない。ただ、憶えているのは泣いている藤堂さんが横の荷物をもってベンチから立ち上がり、そのまま背中を向けて去ってしまったことだけ。
失敗だ。
こんなことならあの紙芝居を上演しなければ、いやそれよりも創らなければよかった。
後悔する。
そんなことを今更しても遅いけど。
「航っ。ちょっと聞いているの」
右横からヤスコの声がする。俺を呼んでいる。
ああ、俺は今車の助手席に座っているんだ。道理で見えている景色が流れるように映るわけだ。けど、いつの間に乗り込んだんだろう。全然憶えていない。
まあ、そんなことはどうでもいい。今はそれよりも反省をしないと。あんなに大見得を切って観てほしいと言ったのに、結果的には藤堂さんを傷付けてしまうなんて。
どうしよう?
明日、学校でいの一番に謝罪すべきだろうか。いな、時間を置いた方がいいのだろうか。
判らない?
……けど、どうして?
楽しませた、笑わせた、悦ばせたと思ったのは、眼鏡をかけていない俺が見た幻、都合よく解釈しただけの妄想だったのだろうか。
判らない。
「そんなに深刻に考える必要なんかないから。心配しなくても平気よ」
何も言っていない。けど、ヤスコは俺が反省していること、後悔していること、考えていることをまるで見透かしているかのように言う。
そう思えればどんなに楽だろう。だけど、藤堂さんの涙を見てしまった。
「だから、そんなに不安にならなくてもいいって。どうせアンタのことだからレイプになってしまったんじゃないのかって考えているんでしょ」
正解。返事の代わりに小さく肯く。
「横であの子の表情を観察してたけど、ちゃんとアンタの紙芝居を楽しんでいたわよ」
俺もそう思っていた。最初は不安そうな顔をしながら観ていたけど、途中からはちゃんと楽しんでくれていると思いながら紙芝居をしていた。だから、俺もしていてすごく気持ち良くなっていた。声はボロボロで全然出ていなかったけど、喉も痛くて最悪な状態だったけど、今までの人生で一番の上演だった。
けど、最後、藤堂さんは泣いていた。
「泣くという行為は必ずしも傷付いたからとか、嫌な目にあったからとかじゃないから。……女子はね、感動して泣くことだってあるの。アンタのした紙芝居はあの子を、藤堂さんを泣かせるほど感動させたのよ。そんなに落ち込んでいないで、もっと胸を張りなさい」
感動して涙が出るのくらいは知っている。けれど、それができたなんて到底思えない。
「気持ち良かったんでしょ?」
この言葉にも肯く。
確かに気持ち良かった、それは事実だ。本物のセックスを経験したことがないから、この気持ち良さと同一のものかどうか判らないけど。
上演中はすごく気持ち良かったのは間違いない。
……けど、気持ち良かったのは俺だけみたいだ。
「なら、アンタの思惑通りにセックスは成功したのよ。女はね、嬉しくても、感じても泣く生き物なんだから」
そうは言われても、それはヤスコの言葉。
俺が知りたいのはヤスコの考えなんかじゃなく、藤堂さんの気持ち。
「まあ、これでアンタも見事童貞卒業ね」
下品なことを言いながらヤスコが運転中にもかかわらず俺の背中を遠慮なく叩く。痛いから止めろと言えずに、俺はヤスコにされるがまま。
案外、ヤスコの言う通りなのかもしれない。俺が不安になって考えすぎているだけなのかもしれない。
そう信じられたら俺の中にある後悔と反省はきれいに除去されてくれるはず。
でも、素直に信じられない。
同じ性別だし、多くの経験をしているヤスコの言葉は正しいのかもしれない。
けど、俺の頭の中にはまだ藤堂さんの泣いている顔が鮮明に残っている。
そして思い出さなくてもいい、余計なことを思い出す。
紙芝居の最中はずっと俺の目を見てくれていた。それなのに泣いた後は、顔を一度も見ることなく一目散に去って行った。
その背中を思い出す。小さく震えていたように見えた。
前にも見たことがあるような。ああ、たしか落ち込んでいたときの背中だ。
ということは……。
家路に向けて走る車が揺れる。
それと一緒に俺の心も揺れまくる。ヤスコの言葉を信じて楽になりたいけど、全然楽にはなれない。
やっぱりレイプだったんじゃと後悔を。