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僕の声知りませんか?


        一


『ここはデパートの中の子供広場。

 今は真夜中、誰もいません。

 おもちゃ箱の中からクマのヌイグルミが一体出てきました。

 クマのヌイグルミはキョロキョロと周りを見渡します。』


 熱望していた、待望の時がやってきたというのに、俺の身体は震えている。

 紙芝居を始める前にはちゃんと感じていた足の裏の感覚が、始めた途端にどこかへと消えてなくなり、ふわふわと宙に浮いているような感じに。

 さっきまでは、ほんの数分前までの上演では別段意識なんかしていなくても、ちゃんと教えてもらった通りに足の裏に体重を感じていたのに、足の裏の感覚があったのに。

 それなのに今、いざこの紙芝居を始める段になって、途端に足の裏にあった感覚が消失してしまう。

 この感じは知っている。昔に経験している。そして、その時には手痛い体験をした。

 絶対に失敗なんかしたくないのに。それでなくても度重なる上演でもう声が出にくい状況になっているのに。

 大きく深呼吸をする。

 と、同時に意識を無理やり下へと押し込む。

 足の裏全体で全ての体重を感じようと苦心する。

 本音を言うとすぐにでも始めたい。じゃないとこうして声を出していない間にも嗄れ続け、始める頃には一言も発せられないような気がしたから。

 けど、逸る気持ちを押しとどめる。足の裏に感覚が蘇るまで我慢する。

 まだ、ふわふわしている。だけど、足の裏にようやく体重を感じ始める。

 完全ではないけど、足裏の感覚が戻ってくる。

 声を出す。

 さっきの題名を読み上げた時よりも。またさらに酷くなっているような気が。

 それでも始めてしまったんだから、読み続ける。

 藤堂さん以外にもまだお客さんはいる。彼女が座っているのは一番後ろのベンチ。

 はたして、俺の声はちゃんと届いているのだろうか?

 判らない。

 それでも声を出す、紙芝居を上演する。

 

         二


『おもちゃ箱の向こうにミニカーがいるのを見つけました。

 クマのヌイグルミは、そのミニカーの所に走っていきます。』


 いつものような声が出せないもどかしさ、そして悔しさ。

 もっと調子の良い時に、万全の状態での上演を観てもらいたかった。

 でも、一度始めたからには途中で勝手に終わらせるわけにはいかない。

 小さい頃から、ヤスコ達に、あの人から教わった、柔らかくて響く、そして優しい音を出そうと足掻く、もがく。

 けど、出ない、出せない。

 さっきの上演がやっぱり祟ってしまっているみたいだ。

 それでも上演を続ける。

 他にも観客はいるけど、藤堂さんだけを見て紙芝居を。

 この紙芝居は彼女を悦ばせるためのもの。

 視力が悪いのに裸眼で上演しているからよく見えない。

 それでも藤堂さんの表情を伺う。

 徐々に見えるようになってくる……ような気が。

 不安そうな、心配そうな表情が目に映る。

 声が届いていないのか、それとも届いてはいても聞くに堪えないような酷い音なのか。

 いやそれよりも根本的に面白くないのか。

 不安になりながら上演を続ける。


         三


『「あの、すいません。僕の声知りませんか?」

「声知りませんかって、今しゃべっているじゃないか」

「あの、違うんです。そうじゃなくて……」

 あれあれ変です。クマのヌイグルミの声がさっきとは違います。

「ほら、またしゃべっている。それも声を変えて」

「そうじゃなくて」

 今度は怪獣のような怖くて大きな声です。』


 喉が痛い、声を出しているだけも結構苦痛。それでも声を変える。

 声を変えずに上演することも一応可能だけど、変えて紙芝居を。

 これが俺のり方だから。

 けど、正直無理をしているのは紛れもない事実。

 痛みをなるべく表情に出さないようにしたいけど、つい漏れ出てしまう。

 そうすると、藤堂さんの表情がより心配そうに、不安そうに。


         四


『「君は俺のことを馬鹿にしているのか」

 ミニカーはそう言うと、怒ってクマのヌイグルミを残してどこかへと行ってしまいました。

 クマのヌイグルミはションボリとうなだれてしまいました。』


 こんなんじゃ駄目だ。

 俺はこの紙芝居で藤堂さんとセックスをするつもりだ。

 曇っている彼女の顔を晴れやかなものにする、笑顔にする、元気にする、悦ばせる。

 そのはずなのに、彼女の表情は不安そうなまま、それも酷くなっているような気が。

 こんな上演では彼女を楽しませることはできない、悦ばせることなんて到底不可能だ。

 

         五


『クマのヌイグルミは、今度は女の子の人形を見つけました。

 クマのヌイグルミは人形の所へと走っていきます。

「あら、みすぼらしいクマのヌイグルミが私に何の用かしら?」

「……あの、僕の声知りませんか?」

 今度は可愛らしい女の子の声です。

「あら、あなた女の子だったの?」

「違います。僕は男です」

 魔女のようなしわがれた声になります。

「ふざけているのかしら。それとも私をからかいに来たのかしら」

 人形は怒ってしまいました。

「チガイマス。ソンナツモリハ、アリマセン」

 ロボットみたいな声。それもゆっくりと。

「なんて失礼なクマのヌイグルミなのかしら」

 そう言って人形もどこかへと行ってしまいました。』


 一所懸命にしても空回りしてしまう。女の子のような可憐でかわいい声を出そうとしているのに耳障りな濁声になってしまう。

 今度は魔女。これは怪我の功名で成功だ。酷いしゃがれた声が、意図した声が出る。

 他にもお客さんはいるけど、俺は藤堂さんだけを見つめて紙芝居を続ける。


         六


『クマのヌイグルミは、また周囲を見渡します。

 今度はロボットのおもちゃを見つけました。

 クマのヌイグルミはロボットのおもちゃの所へと走っていきます。』


 不安そうな藤堂さんの顔は変わらない。

 これで本当に楽しませられるのか。不安が生じる、徐々に大きくなっていく。このまま紙芝居を継続して意味があるのだろうか。中断してしまった方が結果は良いのではないのか。


         七


『ロボットは走ってくるクマのヌイグルミを見つけると、

「何ノヨウダ?」

 そう言って、持っている銃をクマのヌイグルミに向けました。

「……打たないで。聞きたいことがあるんです。……あの、僕の声知りませんか?」

 怪獣のような声に。』

 

 固い棒読み口調でロボットの台詞を言う。

 藤堂さんの表情が少しだけ変わって見えたような。まだ不安そうな顔をしているが、それでもちゃんと観てくれている。

 そしてほんの一瞬であったけど、表情が変わったような気が。


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