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迷走と葛藤と決断


   こう


 言わないと伝わらない、黙ったままでも相手に通じるなんていうのは都合のいい幻想だってことは、そんなことは言われなくても十分判っている。

 行動をしないという選択をしたことで、言わないということ決めたことで、夏に手痛い失敗を、苦い経験をしたのだから。

 言わないと。

 藤堂さんに紙芝居が完成したという報告を。それからその紙芝居を絶対に観てほしいという俺の想いを。

 なのに、俺の身体は藤堂さんのいる方向へと行こうとはしなかった。

 遠く離れた、それこそ赴くのが困難な場所に彼女が存在しているわけではない。同じ教室の中、ほんの数歩足を動かせば辿り着く場所に藤堂さんはいるのに。

 にもかかわらず、そこに行けない。

 学校内で藤堂さんに話しかけたりしたら迷惑になってしまうかもしれない。彼女と付き合っている先輩の嫉妬を買ってしまう恐れがある。

 その嫉妬の矛先が俺に向く分には全然かまわないのだが、藤堂さんに被害が及ぶのは絶対に避けたい。

 一人になってくれないかな、他の人間が目につかないような場所に移動してくれないかな、そんなことを考えながら藤堂さんの様子を盗み見る。

 楽しそうに友人と話をしている。

 笑っている、本当に楽しそうに。

 ……そんな顔を見ていると、ふと変なことを考えてしまう。

 もしかしたら、俺の創った紙芝居はもう不要なんじゃないのか、と。

 藤堂さんに、笑顔になってもらいたくて、楽しんでもらいたくて、そして悦んでほしくて、あの紙芝居を書き上げた。

 あの紙芝居のアイデアが俺の中に降りてきたとき、藤堂さんは色んなことで悩んでいた。

 だけど、今の表情を見ていると、その悩みは払しょくされた、もしくは解決したんじゃないかと思えてしまう。

 だったら余計なことはしないほうが。

 あの紙芝居で藤堂さんとセックスをするつもりでいた。だけど、それはもしかしたら俺の勝手な思い込みで、意図と反対にレイプに、彼女を傷付けてしまう可能性もある。

 元気になったのだったら、笑顔になってくれたのだったら、それでいいんだ。

 薮を突いて、また藤堂さんを傷付け、落ち込ませてしまったら。

 ……ならば、あの紙芝居はお蔵入りにしてしまおうか。

 だけど、あれだけの手間と苦労と時間をかけた作品だ。それに処女作でもある。このまま葬り去ってしまうのは少しもったいないような気もする。

 どうしよう? 判らない。


 判らないまま、決めることもできないままで、また日曜日を迎える。

 後は三時台の上演を残すのみとなったけど、今日もまた観てくれる人の中に藤堂さんの姿はなし。

 落胆する。

 と、同時に藤堂さんはもう元気になったのだからあの紙芝居は必要ないんだと悟る。

 ならば、このままお蔵入りにしてしまおう。

 藤堂さんのために、彼女を元気にするために、悦ばせるために創ったんだ。紙芝居で彼女とセックスがしたいという我欲も含まれているけど、観ることを望まないであれば、このまま破棄してしまうのが妥当だろう。

 決めた。ヤスコには申し訳ないけど、あれはあのまま封印してしまおう。

「ねえ、航。今日も彼女来てないわね」

「……うん……ああ」

 考えごとの最中で少し反応が遅れたけど、なんとか応対する。

「彼女……えっと藤堂さんだっけ? ちゃんと完成したことを伝えたの?」

「……言う必要がなくなったから」

 そう、もう上演しないと決めたんだ。伝える必要はなくなった。

「はあああ、それどういう意味なの?」

 さっきの上演の時よりも大きく、そして響く声でヤスコが俺を問い詰める。

「言葉の通り」

「だから、どうして必要がなくなるのよ? あんなに苦労して書いたじゃないの」

 そう、苦労した。時間もかかった。けど、それは意味のないものだったんだ。

「説明しなさい」

 何も言わないで黙ったままの俺にヤスコが言う。

「もう必要がなくなった。……それだけ」

 俺の紙芝居なんか観なくても藤堂さんは元気になった。

「何で必要がなくなったの? 紙芝居ができたって言っていないんでしょ。それなのにどうして、そんな風に思うわけ?」

 ヤスコの目が真正面から俺を見据える。こういう時には下手な噓をついたりして言い逃れようとしてもすぐに露見してしまう。

「……三学期に入ってから、藤堂さんの表情が柔らかくなったように見えた。……前は教室でも暗い顔をしている、なんか無理しているように感じたけど、そうじゃなくなった。……あれは彼女を悦ばせるために、元気にするつもりで創った。……でも、もう元気になったんだから、……もう必要なんかないんだ。……それに余計なことをしてせっかくまた明るくなり始めているのを俺がまた曇らせてしまうのもなんだし」

 一気に吐き出す。

「それはアンタが勝手に思っているだけのことでしょ」

「……そうかもしれないけど」

「あの子はさ、ここでアンタが紙芝居を創っていると聞いた時すごく喜んでくれたじゃない。それにあの作品をどうするかと悩んでいる時には観たいと言ってくれたんでしょ。それなら絶対にできたことを伝えないと」

「でも……」

「デモもストライキもない。ちゃんと言いなさい。伝えたけど、観てくれないというのならしょうがないけど、もう必要無いなんていうのは、アンタが勝手に思っていることなんだから」

「だけど……」

 そうかもしれない。けど……。

「ちゃんと伝えないと後で絶対に後悔するから……アタシみたいに」

 最後の言葉はヤスコには珍しい小さく消えてしまいそうな儚い音だった。だけど、俺の中ではその前のどの言葉よりも大きく聞こえ、突き刺さる。

「言うのは、伝えるのは恥ずかしいかもしれないけど、それはほんの一時の恥ずかしさだから。言わないままで、伝えられないままで一生悔やむのはすごく苦しいことだから」

 具体的なことは何一つとして言ってはいない。だけど、ヤスコが何を後悔しているのかは判る、というか知っている。

 そうだ、ヤスコにはもう言うべき相手はいない。けど、俺にはいる。

「……判った。……言うよ」

「うん、がんばれよ」 



   みなと


 今週もまた部活。

 結城くんの紙芝居を観に行きたいのに。

 もしかしたら、もう完成しているかもしれないのに。


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