カクという行為 6
航
ノートに書き連ねた文章をパソコンで清書する。こうしないとヤスコに字が下手で、汚すぎて読めないと突っ返されてしまうから。
そう、紙芝居は文章を書くだけでは完成しない、もちろん上演することが最終的な完成だけど、その前に画を描いてもらわないと。
ヤスコの所へと持って行くために外へ。
寒かった。書き始めた頃は、藤堂さんに創作のことを知られた頃はまだ過ごしやすい季節だったのに、いつの間にか外出時にはアウターが必要なほどに。
本当に寒い。
けど、この寒さは外気温だけのものではない。書き上げた時はある種興奮状態で身体中に熱がこもっていたけど、しかしながら完成した文章をヤスコに見せなければと思った瞬間、その熱は一気に放出され、代わりに、恐れというか恐怖というか、よく判らない負の感情が俺の中に生じて途端に寒くなった。
見せたくないような気分に。
称賛の声なんか絶対に上がらないはず。下される評価は十中八九キツイものになるはず。
見せたくない。だったら、なかったことにしようかと、弱気の虫が疼きだしてくる。
しかしながらヤスコに画を描いてもらわなければ、俺の野望は実現しない。
藤堂さんと紙芝居でセックスをして、悦ばせたい。
どうせ褒められることなんか滅多にないんだ。普段から批判ばかり受けているんだ。だったら少々のダメ出し、少々で済むといいんだけど、くらいは我慢しよう、耐えよう。
油断すると勝手にUターンしてしまいそうな自転車を、必死に前へと走らせて俺はヤスコの家へと。
普段なら十分もかからないような距離なのに、長い時間かけたのか、それとも短かったのか、全然判らない時間感覚で到着。
着いたというのに、この期に及んで内心では留守だと、いないといいなと考えてしまう。
だけど、こんな時には期待は裏目に出てしまうのが世の常。
きっちり在宅中。
そんな経験はないけど、まるで判決を受ける被告人のような心境だ。
目の前でヤスコが俺の書いた文章を読んでいる。
普段は、いつもはすごく不真面目なくせに、こんな時には真剣な表情。
目線、口の開き、頬の動き、鼻腔の開き方、全てが何かしら意味があるように思えてくる。
正直怖くて、視線を外そうとするけど、目線は俺の意思に反してヤスコへといってしまう。
それでもなるべく見ないように苦心する。
ベッドの上に腰かけて、わざとヤスコから視線を外して部屋の中の観察を。
相変わらず散らかってるな、少しは片付けろよ、と心の中で呟く。
ベッドの上に置いてある本を手にする。正直他所事でもしていないと精神が保てない。
文字を読んでいるはず、たしかに目は文字を追っているはずなのに、本の内容が全然頭の中に入ってこない。
本を読んで気を紛らわせているはずなのに、ヤスコの様子が気になってしまう。
俺は別に長い文章を、大作を書き上げたわけではない。原稿用紙換算で多分十数枚位の分量のはずなのに、えらく時間がかかっているな。いつものヤスコならばとうの昔に読み終えていてもおかしくないのに。
本の上に落としていた視線を少し上げて、ヤスコの様子を盗み見る。
真剣な表情は相変わらず、プリントアウトした原稿を何度も最初から読み返している。
この部屋に来てから、どれくらいの時間が経過したのか判らない、ここに来るまでにもう時間感覚が狂いまくっていたから。
ヤスコと目が合う。
どうやら読み終えたみたいだった。
はたしてどんな評価を受けるのか戦々恐々と、固唾を飲んで、待つ。
大きなヤスコの口が開く、まるでストップモーションのような映像が俺の目に飛び込んでくる。
ゆっくりと動く口が出した言葉はたったの一言、
「没」
だった。
言われた瞬間は、頭がその言葉の意味を上手く理解できなかった。言葉の意味が分からないわけじゃない、ちゃんと知っている、にもかかわらず理解できなかったのは、そんなことを言われるなんて全く想像もしていなかったから。
わずかなタイムラグの後で理解する。
怒りがこみあげてくる。
俺がこれまで苦労して、苦悩して、創作してきた時間はなんだったんだよ。第一、紙芝居を創れといったのはお前じゃないか、それを一文字で、たったの二つの音で否定するなんて。
ある程度の批判は想定していたけど、これは酷過ぎる。
「……なんでだよ」
別に言葉に出すつもりなんかなかったのに、つい声が。
堰を切ったかのように俺はヤスコへと文句を、罵詈雑言を浴びせ続ける。
正直何を言っているか自分でもよく判らないけど、とにかく放ち続けた。
そんな俺に、
「気が済んだ。……まあ落ち着きなさいと言っても、落ち着けないか。私ももうちょっと考えてから言えばよかったんだけどね。いい、別にアンタのこの作品を批判しているわけじゃないの、没と言ったのにはちゃんとした理由があるのよ」
「……なんだよ?」
「あのね、私が書けと言ったのは紙芝居なの。それなのにこんな難しい漢字ばかりで回りくどいような文章を書いてきて。これじゃ紙芝居じゃなくて小説でしょ」
怒りに支配されていた俺の脳がヤスコの説明で冷静さを取り戻す。
指摘されたように、たしかに俺の書いたあの文章は紙芝居ではなく小説かもしれない。自分で書いておきながら、あれを声に出して読むのは少し骨が折れそうだ。