カクという行為
航
書けない……一文字も。
これまで全く進展しなかった創作活動がようやく前進すると思い、意気揚々と少し灰色になっているノートの上に文字を書き連ねようとした。
なのに、書けない。
これは別に俺が日本語で文書が書けない、または日本語以外の言語で創作をしようとしているわけではない。流石に外国語で文書を構成することは難しいけど、それでも義務教育を九年間、それから高校教育を約半年、その間停学中に反省文も作成したし、受けてきたわけだから日本語の文章を書くことはそれほど困難ではないはず。
それなのに、まったく書けない。
ショッピングセンターで突如降りてきたアイデアが自分の部屋に着くなり、いきなり脳内からきれいさっぱりと消去されてしまったわけでもない。
アイデアはまだちゃんとある。あるどころか、よりクリアに、鮮明に脳内に。
それなのに、全然書けない。
頭の中のアイデア、というかビジュアルのようなものを上手く言語化できない。
書けないままで、時間だけが過ぎていく。
飯を食べたり、風呂に入ったり、またはマンガを読んだりと気分転換を時々して、執筆を進めようとしたが、やはり書けない。
ならば、いっそのこと開き直ってしまえと考える。
どうせ書けないのであれば、最初から納得するような文章を書くことは諦めて、とにかく下手でも駄文でも構わないから、何でもいいからまだ頭の中にあるものをとりあえず文章化してしまえ、と。もしかしたら、それによって案外良い文章が組み上がるかもしれない。
……駄目だった。
適当でもなんでもいい、と思いながら一応頭の中の映像を文章へと変換することを試みる。なんとか書けたものは脳内のものと大きな隔たりが。
これじゃない。
消す、消しゴムできれいに消し去る。
もう一度挑戦。
納得のいかない文章。
再度、消しゴムを。
これを何回か繰り返した、無駄な作業で時間を浪費する。
白かったノートの上が、何度も書いたり消したりしたせいで汚い灰色に。
アイデアが全然浮かんでこない時は苦しかった。だけど、アイデアさえ浮かべば楽になると思っていた。それなのに出てきても苦しいだけ、いやもっと酷くなっているような気さえする。
何でこんな苦しい、辛い思いをしなくちゃいけないんだと思わず愚痴が漏れそうに。
やっぱり俺には才能がないんだ、文章を書く能力が欠如しているんだ。
創作なんか俺にはできない、不可能。そんな特殊なことは才能のある人間がすべきこと、俺にはそんな才能はインプットされていない。
悪魔の声が囁きかけてくる。
無かったことにしてしまおうか、と。脳内で突如誕生したアイデアのことは誰にも話していない。ならばこのまま脳内から消去してしまえば、この苦しみから解放されるんじゃないのか。楽になれるんじゃないのか。
誘惑に、甘い考えに流されそうになった時、藤堂さんの顔が頭に浮かんでくる。
俺が紙芝居を創ると知って喜んでくれた顔。幼い弟を傷付けてしまい悲嘆した表情。
曇った表情を、また晴れやかな、明るいものにしたい。
俺の創る紙芝居で。
なら、絶対に創らないと。
誘惑に負けそうだった気持ちに渇を入れて、再び創作に、書くという行為に取り組む。
気合を入れる。
だが、気合だけで世の中全てのことが解決するのなら、シラケ世代なんていうものは存在しないはずだし、スポ魂漫画は廃れたりしないはずだし、今とは違う社会になっていたはず。
つまり何が言いたいかというと、気合だけでは解決しない事案の方が世の中圧倒的に多い。
現に、気合を入れたはずなのに書けない、さらには急に眠気が俺に襲い掛かってくる。
気合で撥ね退けようとしたが、人間の三大欲求の内の一つ、睡魔には抗えない。
このまま眠ってしまったら……。
……もしかすると頭の中のアイデアが寝ることによって除去されてしまう可能性も。
寝てしまう前に書かないと。
そうは思うが、全然書けない。おまけに眠りへの欲求も強くなっていく。
眠くてうまく働かない頭で、なんとかアイデアの断片を単語化することに成功。
これが俺にできた睡魔への抵抗だった。
目を覚ます。
安心する。
寝ている間にあのアイデアが霧消してしまっているのではという不安というか危惧みたいなものがあったけど、ちゃんとまだ脳内に残っている。
良かった。
だけどこれなら、最後になんとか書き記した判別が少々難しい単語は必要なかったかも。
いや、必要なはず。
まだ憶えてはいるけど、これがいつまでも継続するなんてことはないはずだ。もしかしたらそのうち、最悪次の瞬間には脳内からきれいさっぱりと消えてなくなってしまう、そんな悲惨なことが起きうる可能性だって十分にあり得ることだ。
メモは必要。
とにかく、昨日は書けなかったけど、今日は多分書けるはずだ。
就寝したのが遅かったから本音をいうと寝不足で、まだ頭が正常に動いていないけど俺は机の前へと移動した。昨夜のままになっているノートの上にシャーペンを落とす。書こうとする。
……駄目だ、書けない。
昨日同様にシャーペンは一向に動いてくれない。
文字を書くという兆候を見せてくれない、その場で固まったまま。
時間だけが無駄に過ぎて行く。
時計を見るといつの間にか家を出ないといけない時間になっていた。後五分もここに座ったままの状態を維持すれば遅刻するのはほぼ確実。
どうする? このまま学校をサボって自室に篭り書くための努力を続けるか。それとも執筆環境をいっそ変えてみるべきなのか。
環境を変えることを選択する。そういえば出席日数もヤバイし。出ないと進級できない。
どうせ煮詰まっているんだ、ここでは正しい使い方、後は書くだけだ。
ここでは書けないけど、場所を変えたら案外スラスラと文章が出てくるかもしれない。
大急ぎで制服に着替えてノートを鞄の中に放り込み、部屋から飛び出した。