停学期間 5
湊
シンデレラの魔法は十二時を過ぎると解けてしまう。
もちろん、私はシンデレラなんかじゃない。けれど、お母さんがかけてくれた魔法は同じように日付が変わる前に解けてしまった。
正確に言うと少し違うけど。家に帰って、肌に悪いからと言われてメイクを落とす。けれど、まだ私の中には楽しさと、幸せな気分が仲良く同居していた。
だけど、一晩経つとそんな気分は消えてしまった。
でも、目覚めた瞬間にまた落ち込んでしまったわけじゃない。それなりの理由があった。朝目覚め、ベッドの上から降りる。学校に行くための準備をしなくちゃいけない。まだ少し眠たい目をこすりながら洗面台へ。
洗顔して顔を上げる。鏡に映ったのは魔法をかけてもらう前の酷い状態の顔。
熟睡できたから目の下の隈は消えている。けど、それ以外は……。昨日はあんなに艶やかだった唇はまた紫色に。頬もこけたままで青白くなっている。
駄目だ、こんなのは。こんなんじゃまた周りに心配をかけてしまう。
昨日買ってもらったばかりのメイク道具を持ち出し、鏡の前でしてみる。きれいになる、というよりも酷い状態から少しでもいいから改善したい。
その一心でメイクという名の魔法を自分でかける。
時間がない。恵美ちゃんとの待ち合わせの時間はもう間近に迫っている。だから、昨日教えてもらった要点を思い出して素早く。顔色の悪い箇所を塗りなおすような感じで。それから、少しだけ強い意志を持てるように目元を意識しながら。
最後に淡いピンク色のリップを唇に。
それだけでも一気に顔に生気が宿るように感じられた。魔法が効いてきたように思えた。
「湊ちゃん、もしかしてメイクしてきた?」
いつものように待ち合わせて一緒に登校している恵美ちゃんが電車の中で言う。
「……うん」
言うのは少しだけ気恥ずかしいけど、してきたのは事実。あんな酷い顔では恵美ちゃんに心配をかけてしまう。
「それでか、先週よりもなんだか顔色がいいなって感じだし。昨日一昨日の休みで回復したのかとも思ったけど、それだといつもと感じが違うようだし」
「……変かな?」
急いでしてきたから、自分一人でしてきたから、あんまり自信がない。
昨日自信がもてたのはお母さんが手伝ってくれたから。
「そんなことないよ。あたしはあんまりそんなことに興味がないからよく分からないけど。それでも、似合ってると思うし。あ、でも普段はあんまりしないほうがいいかも、部活の時は汗でぐちゃぐちゃになっちゃうから」
恵美ちゃんがフォローをしてくれる。それはもしかしたら単なるお世辞かもしれない。でも、友達にそう言ってもらえると、嬉しく感じる、自信も生まれる。
それと、そうか部活のことを考えていなかった。
「それってやっぱり先輩のためにしてきたんだよね」
友達の言葉はそこで終わりじゃなかった。まだ続きがあった。
違う。そんなつもりは全然ない。してきたのは酷い顔を誤魔化すため。
「いいなー。恋愛とかあんまよくわかんないけど、好きな人のためにきれいになるって、なんか憧れるよね」
勘違いが広がっていく。そんなつもりは一切ないのに。
先輩のためという考えは微塵もないのに。
「先輩絶対に褒めてくれるよ」
勘違いは続く。でも、訂正できなかった。先輩のためにきれいになりたいんじゃない。メイクをしてきたのは、まだ落ち込んだままでいる自分を元気にするためだけに魔法をかけてきただけ。
それなのに……。
「いいじゃん、それ」
昼休みに先輩に呼び出される。理由は土曜日曜と私が電話の返事を返さなかったこと。
何度か着信があったことには気付いていたけど、とても返すような気力がなかった。
そのことできっと咎められる、そう思った。だから、行きたくはなかったけど、きっと行かなかったらもっと怖い目に合うかもしれない。
だから、来いと言われた先輩の教室へ。
怖かった。けれど、行かないと。重たい脚を引きずるようにして、なんとか辿り着く。
絶対に怒っているだろうな。他の人の前で怒られるのは嫌だなと思っていたら、思いもかけない言葉が。
それが、さっきの。
恐怖を抱いていたから、最初何を言っているのか全然分からなかった。頭が正常に作動していなかった。
少し時間を置いてから先輩の言葉を脳が理解する。
褒められたんだ。
てっきり連絡がつかなかったことを怒られると思っていたのに、酷い顔を誤魔化すためにしてきたメイクを褒められるなんて想像もしていなかった。
けど、褒められて悪い気はしない。
「それってさ、俺のためにしてきてくれたの」
この質問に対する答えは、違うそうじゃない。だけど、それを正直に言えば先輩の機嫌を損ねてしまうのは必至。怒られたくはないから黙っている。内緒にしておく。勘違いしているのなら、それでかまわない。
「……はい」
小さな声で噓をつく。本当は自分のため。酷い顔を隠すため。
「もしかして電話に出なかったのは、それの練習のためか」
勘違いが加速していく。それに乗じる。メイクの練習をしていたのはまぎれもない事実。連絡を返さなかったのは違う理由だけど。
小さく肯く。
噓をついている。それも私の都合のいいように。少し良心が咎めた。そのせいで声が出ない。だから、小さく首を動かしただけの返事。
「そうか」
そう言って先輩は私を他の人が見ている中で抱きしめる。それから顔を私の耳元にもってきて、小さな声で、「なあ、これから授業サボって、やらないか」と囁く。
先週までの私だったらこの先輩の要求を拒めなかっただろう。嫌だけど、先輩の言う通りに、されるがままになっていただろう。
だけど、今日は違う。メイクをしてきた。小さいけど、弱いけど、魔法をかけてきた。
小さな力、無力な力だけど先輩の大きな厚い胸を押し返す。
拒否する。
したくない。もう、あんな行為は。セックスなんて。
「そうだよな。サボるのは不味いよな。そんじゃまた俺の家でしようぜ」
先輩は勘違いしたままだった。




