夏休み 3
航
「航、本当に大丈夫なの? 無理しなくていいんだからね」
紙芝居を持ってステージの前に行こうとしている俺の背中にヤスコが心配そうな声を。
「……大丈夫だよ」
そう言いながらも、少しだけ緊張している。足が地に着いていないような感じする。
臨時に組まれたステージ。その前に所狭しと敷き詰められたブルーシート。俺は今からこの場所で紙芝居を上演する。あの時大きな絶望を味わった場所で。
異なるのは上演する時間帯。
ショーの後ではなく、ショーの前。露払いというか前座。
意識を下へと落としていく、足の裏でしっかりと地面、じゃなくて床の固さを感じるようにする。
感じている。今日は絶対に大丈夫、ちゃんと紙芝居の上演ができるはず。
司会のお姉さんからマイクを受け取り、ちょっとだけ挨拶と宣伝なんかしたりして、それから台座を開けて紙芝居の上演を始める。
目の前はまだ青色のまま、つまり人がいなくてブルーシートが広がっているだけ。それでも誰もいないわけじゃない。ショーを観るために、席取りのために来ている人達がいる。
前回の復讐、いや復習、やっぱりリベンジ。けど、敵愾心を抱いてするわけじゃない。
そんな上演をしてもつまらない、面白くないはず。
俺がここでするのは、観て楽しんでもらえるような紙芝居。
場所取りをした人が去ろうとしている。その人の脚を止めるような上演を。している俺が面白くなければ、観ている側も面白くないはず。
せっかく観てくれるんだから楽しませないと。
これが功を奏したのか、それともこの後のメインイベントのおかげなのか続々と人が集まってくる。目の前に広がっていた青色は他の色へとどんどん変わっていく。
笑いが起きる。笑顔であふれる。
会場は徐々に盛り上がっていくけど、それとは反対に俺の頭は冷静になっていく。前回はここで天狗になって失敗をした。今目の前にいる人のほとんどはこの後ヒーローショーを観るために来た人達。俺の紙芝居は時間までの暇つぶしにすぎない。
それでも観てくれているのだから楽しんでもらう。時間つぶしでも構わない。
上演を続ける。気を抜かないで。
紙芝居が終わる。頭を下げると大きな拍手を全身で受ける。それはものすごく心地良いものだった。
ステージ脇に引っ込み、ヤスコと交代する。スピーカーからヤスコの声が流れる。
半分以上の空間がもう埋まっていた。吹き抜けになっているから二階、三階からも顔を出して紙芝居の上演を観てくれている人もいる。
この人達総てを俺の紙芝居で集めたわけじゃない。大半の人はこの後のショーがお目当てだろう。けれど、これだけの大勢の前で上演できたのは自信になる。
リベンジは一応成功だろうか。けど、まだ終わったわけじゃない。上演時間はまだある。
上演中は外している眼鏡をかける。普通ならここで次に読む紙芝居の準備をするのだが、俺は観客へと視線を。
大勢の中にたった一人の姿を探そうとして。
今回引き受けたのにはもちろん前回のリベンジ。この理由はヤスコにも前田さんにも告げてある。けれど実は二人に話していない、もう一つの大きな理由がある。
それは、藤堂さん。
藤堂さんは夏休みの間に俺の紙芝居を観に来てくれると屋上で約束してくれた。でも、夏休みは長いようで短い。今年の夏休み期間にある日曜日は六回。これだけの日数しかない。彼女の予定は判らない。部活に所属しているからおそらく練習があるだろう。家族で旅行に行くかもしれない。それにあまり言いたくはないけど……まあそれはともかく、とにかく観て貰える機会を増やしておきたいという考えだった。
矯正されたよく見える視界で藤堂さんの姿を探す。
もしこの場にいるのなら、背が高いからすぐに見つかるはず。
見つからない。もしかしたら最初の時のように隠れながら観ているのだろうか。もう一度目を凝らして見渡す。
やっぱり見当たらない。
ちょっと残念だけど、気落ちはしない。
もしかしたらこれから来るのかもしれないし、それに次のショーの前に来てくれるのかもしれない、今日は来なくとも残りの日曜日に来てくれるかもしれない。
藤堂さんも大事だけど、今観てくれている人も大事だ。
今度また、普段の日曜日の上演に観に来てくれるかもしれない。
あの人風に言うと、種まきをしないと。
そんなことを考えているうちにヤスコの上演が終わる。
また俺の番に。
湊
これまでの人生で一番忙しい、大変な夏休み。
去年も高校受験の夏期講習でそれなりに大変だったけど、今年はそれ以上。
学校はお休みになるけど、その代わりに沢山の課題が出る。それだけでも結構大変なのに、私は今年から部活を、バドミントン部に所属している。毎日のように練習、だけどコートに立たせてもらっている。
日々上達しているという実感が。
……でも、すごく暑い。
何しろバドミントンは風の影響を受けやすいスポーツ、夏でも体育館を閉め切って練習。
そして部活が休みの日には先輩とのデート。
休みのはずなのに、全然休めない。
結城くんと屋上で夏休み中に紙芝居を観に行くと約束していたのに、その約束もはたせないまま。
行かないとと思いつつも、行く機会がない。
そんな私に朗報が舞い込んできた。ショッピングセンターのチラシに、日曜日以外の日の紙芝居の上演の告知が。
この日だったら部活はないはずだから、観に行けるかも。
そう思いながら手帳を確認すると、先輩と遊びに行く予定が書きこまれていた。
どうしよう、この日はお断りして結城くんの紙芝居を観に行こうか。
でも、先輩との約束の方が先だし。
だったら先輩にお願いして、この日の遊びに行く場所をあのショッピングセンターにしてもらい、そこで一緒に結城くんのする紙芝居を観る。
と、そこまで考えたけど止めた。
先輩は先輩で私を連れていきたい所があると言っていた。
それによくよく考えてみれば、私も先輩と一緒に紙芝居を観に行くのはちょっと。
これは別にもう結城くんのする紙芝居に興味を失ったとかいうことではなく、自分でもよく分からないけど、結城くんに先輩と一緒にいるところをあまり見られたくないような気が。
行きたいけど、行けない。
けど、まだ夏休みの期間中に日曜日はある。絶対に観に行かないと。