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おまけ 10


   こう


 稽古の時よりもが空く。

 この場面は、主人公のモゲタンが、自分の置かれている状況に戸惑い、まさに言葉が出てこないというのがピッタリだから、間が、空白が長くなっても構わない。

 普通ならば、初めて人前で披露するとなると、あがったり、緊張したりして、早口になってしまったり、間が詰まったりしてしまうもんだけど、最初の紙芝居でこれだけたっぷりと間が空けられるなんて。

 そういえば緊張しすぎて、声が出ないのではという心配もあったけど、それを払拭するくらいの声が前に、観客に向かって出ていたし。

 演技、台詞はまだ上手くないけど、有体に言えば棒読みに近いけど、それでも最初でこれだけできれば十分なはず。

 回数を重ねれば、絶対に上達するはず。

 それにしても藤堂さん意外と舞台度胸あるんだな。まあ、これは舞台ではなく紙芝居の上演だけど。

 でも、ちょっと間が空きすぎなんじゃ。

 紙芝居の上演時は眼鏡を外しているからよく見えないけど、それでも観客の、そしてその奥でビデオ撮影中の舞華さんがなんだか心配そうにこっちを見ているような気配が。

 いつもの上演では見ない方向。

 つまり、藤堂さんのいる左側をそっと覗き見た。



   みなと


 バドミントン部を辞めて、次にすること、紙芝居をするということはまだ恵美ちゃんには報告していなかった。

 言葉を濁して、舞台演劇関係かなとは伝えてはあったけど、紙芝居のことは秘密に。

 これは恥ずかしいとかじゃなくて、一人でちゃんと紙芝居を上演できるようになったら観に来てほしいと思っていたから。

 それなのに、目の前に恵美ちゃんがいるなんて。

 そして紙芝居を上演している私に気付いて、こっちを見ているなんて。

 まだまだ全然上手くない。一人ではなくて、結城くんに助けてもらっての上演なのに。

 そうだ、上演中だ。

 私の台詞を言わないと。

 ……あれ……なんて言うんだったかな……台詞があるのは分かっているのに、その言葉が全然出てこない。

 何度も読んで、声を出して暗記したはずなのに、見なくてもスラスラとまではいかなくても、それでもちゃんと台詞が言えるくらい練習したはずなのに。

 必死に思い出そうとしているけど、全然出てこない。

 ……大丈夫……忘れたとしても、左手で持っているプリントを見れば、言うべき台詞が書いてある。

 ……読めない……。

 文字は目に入ってくるのに、その内容が認識できない。

 ……どうして?

 ちょっと前までしていた結城くんとの練習の時には、何の問題もなく、その文字を読むことができたのに。

 ……自分のことのはずなのに、自分がどうしてこうなっているのか分からない。

 プリントから目を上げる。

 恵美ちゃんがこっちを見ている、凝視している。

 見られている。

 急に恥ずかしくなってくる。

 ついさっきまで緊張というものをそれほど感じていなかったのに、それなのに急に体が震えてくる。

 ……足の裏の感覚がない。宙に浮いているような気が。

 ……言わないと……台詞を……。

 だけど、言葉が出てこない。

 ……恵美ちゃんが私を見ている……。

 ……それだけじゃなくて、紙芝居を観ている人全員の視線が私に……

 ……早く台詞を……。

 そうじゃないと、紙芝居は進まない。

 ……それなのに、全然出てこない。

 鼓動が速くなっていく、息苦しくなっていく。

 息をしないと、空気も体の中に取り込まないと窒息してしまう。

 大急ぎで空気を。

 空気がどんどん私の中に入ってくる。

 もういい、これ以上入れたらパンクしちゃう。

 それなのにまだ空気を求めてしまう。

 止めないと。

 なのに、止まらない。

 息を吸っているはずなのに、どんどん息苦しくなっていく。

 体がふらふらしてしまう。

 余計台詞が出てこなくなってくる。

 ……。

 ……。

 ……。

 ……頭の中が真っ白になっていく。

 


   航

 

 目が悪い俺でも、この至近距離ならば藤堂さんの表情を捉えることができる。

 まさに驚愕という言葉が相応しいような表情。

 けど、一体何に驚いたんだ?

 ついさっきまでは問題なく紙芝居の上演ができていたのに。

 原因を探るべく、藤堂さんが見ている方向に視線を。

 そこにはジャージを着た小柄な少年、じゃなくて少女の姿が。

 この小学生か、中学生の子を見て驚いた、パニックに近いような状況に陥ったのか。

 けど、どうして?

 距離があるからよく見えない。凝視する、目を凝らす。

 あ、藤堂さんと仲の良い子だ。名前は……忘れた……というか憶えていないけど。

 そうか、突然仲の良い親友が目に飛び込んできたから戸惑ってしまったというか、驚いたというか、恥ずかしくなってしまったというか。

 そのどれが現在進行形で藤堂さんに起きていることの原因か定かではないが、それを今は深く追求するつもりはない。

 それよりも大事なことが。

 そう、今はまだ紙芝居の上演中。

 藤堂さんが固まってしまってまだ数秒ぐらいしか経過していないはずだけど、このままずっと上演を停止したままにしておくわけにはいかない。

 観ている人がいるのだから。

 だけど、どうする?

 藤堂さんが回復するのを待つのか?

 いや、さっき見た様子だと自力で回復するのは難しそうな気が。

 ならば、固まってしまった藤堂さんのことは一旦置いておいて、俺が一人で上演するというのは。

 駄目だ。

 そんなことをしたら多分、最初でつまずいた、大きな失敗をしてしまったことによってトラウマを抱えてしまうかもしれない。いやそれより最悪な場合辞めてしまうということだって十分にあり得るかもしれない。

 そうならないようにするにはどうすればいいのか?

 考える。

 必死に脳みそを動かす、フル回転させる。

 何しろジックリと思考している時間なんてないから。

 その成果はあった。ほんの数秒で一つアイデアが俺の中に生まれる。

 だがしかし、これで上手くいくという保証はない。

 でも、他の案を考えているような時間はない。

 腹をくくって実行するしかない。

 大きく深呼吸をし、足の裏の感覚があることを再度確認し、そして観客の方ではなく、藤堂さんを見ながら紙芝居を再開した。



   湊


「大丈夫。落ち着いて」

 真っ白になっていく頭に、結城くんの声が。

 優しくて響く声だけど、いつもよりもちょっと落ち着いた音。

「大丈夫だから」

 また結城くんの声が。

 ずっと苦しかったのが、少しだけ楽になる。

 真っ白だった頭の中が晴れていく、視界が開けたような気が。

 声のする方向を、結城くんのいる右側を見る。

 私の方を見ながら結城くんは話している。

 紙芝居をしているのだから、私じゃなくて、観客の方を見ていないといけないはずなのに。

 そうだ。

 私は今、紙芝居の上演中だったんだ。

 それなのに突然、恵美ちゃんの姿を目撃してしまったことによって、ビックリして台詞が全然出てこなくなり、それで余計に焦ってしまい、パニック状態に陥っていたんだった。

 それを結城くんの声が。

 結城くんは依然私を見ている、というか見つめられているような気が。

 さっきまでも鼓動が速くなっていたけど、それ以上にドキドキしてしまう。

 心臓が壊れてしまいそうになるくらいに。

「落ち着いて」

 また結城くんの優しい声。

 でも、どうやって落ち着いたらいいの?

「大きく深呼吸して」

 そう言いながら結城くんは自分もしい呼吸を。それを見ながら私も。

 あ、できる、できてる。さっきまで上手くできなかったのに。

「突然こんな状況になってパニックになっていると思うけど大丈夫だから。俺が傍にいるから。そして、ゆっくりでいいから、どうして君がここにいるのか説明をしてくれないか」

 ……私がここにいるのは紙芝居をするため。

 そう答えようとした瞬間に気がつく。

 この言葉は私に向かって放たれているけど、そうじゃない。結城くんは私が演じるモゲタンに話しかけているんだ。

 いつもよりもちょっと落ち着いた声は、この紙芝居に出てくる片目の黒猫の声だ。

 そういえばこの状況、今上演している紙芝居と似ているな。

 主人公のモゲタンは、持ち主の女の子と突然離れ離れになってしまい、戸惑い、パニックになってしまう。

 事情は全然違うけど、同じように突然の出来事にパニックになった私と心境が同じだなと思った途端、これまで全然思い出せなかった台詞が急に出てきた。

 それを口に、声に出してみる。



   航


 藤堂さんの口から、止まっていた台詞が。

 ちょっと固い声だけど、それでも紙芝居は前へと進む。

 それにしても、よく俺のアドリブに気付いてくれた、対応してくれたな。

 藤堂さんが戸惑ってしまい、台詞が出てこなくなっているところに、この場面に相応しいような言葉を必死で探し出して、咄嗟にアドリブで進行してみた。

 だけど、もしかしたら俺の意図を全く理解できずに素で返されてしまったら、もしくはパニック状態が依然継続したままで、ずっと固まったままだったらという危惧が頭の片隅に浮かんだのだけれども、そんな心配は杞憂だったみたいだ。

 藤堂さんに向けていた視線を、観客側に。

 左耳で藤堂さんの台詞を聴く。

 まだ完全に回復していないのか、稽古の時よりもちょっとぎこちない台詞。

 それに返す、俺が担当する片目の黒猫。

 片目の黒猫の台詞を言いながら、ちょっとした手応えのようなものを感じる。

 観ている側の反応がどうなのかは演者である俺には判らないけど、それでもなんとなくこの紙芝居の上演はこの後上手くいくような気がした。



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