おまけ 9
航
舞華さんの運転する車でショッピングセンターに。いつもの日曜日よりも早い時間に到着したのに、もうすでに藤堂さんの姿が。
けどちょっと固い表情。
挨拶をしてから話を聞くと「始まる前に、もうちょっと結城くんと合わせたい。練習したいなと思って。そしたら緊張もちょっとは和らぐかな」、と。
その申し出を、やる気を断るなんていうつもりは毛頭ない。
それに練習することで、ちょっと緊張気味の藤堂さんの表情が柔らかくなるのなら。
だけど、その前にしないといけないことが。
と、思っていたら、舞華さんが事前の準備は自分一人でするから、俺に藤堂さんの練習に付きやってやれ、と。
紙芝居の開始時間まではもう三十分もない。短い時間を有効に使用するために、お言葉に甘えることに。
俺は藤堂さんを連れて、ここで練習していたら他の買い物客の迷惑に、邪魔に、というか変に目立ってしまい、その結果委縮、もっと緊張してしまうと悪い流れになってしまう危険性があり、人気のない場所へと。
屋上と三階の間の階段へと移動。
ちょっと声を出したからなのか、それとも別の理由があるのか俺には判らないけど、藤堂さんの固い表情が徐々に柔らかくなっていっているような気がする。
このまま練習を続けていけば、いずれ緊張感が藤堂さんの中から全て除去されてしまいそうな気もしたけど、けどそれはそれで駄目なことだし、ある程度の緊張は必要……なはず。よく判らないけど、そう教わってきた。
それに根をつめすぎても。いざ本番という時に疲れ果ててしまっていては元も子もない。
まだ上演時間までは、間があるけどここで切り上げ。
残った時間で少し話を。
「昨日あれから、どこか痛い個所、とくに首とか腰とか大丈夫だった?」
藤堂さんは昨日、初めてロードバイクで車道を走った。
走っている最中には気がつかなくても、その後で何処かしら身体が痛みを、重たさを、不具合を訴えてくると話をよく聞く。まあ、俺も経験しているし。
「腰は平気だったけど、首がちょっと……」
そう言いながら藤堂さんは髪をかき分け、細くてきれいな首を手で撫でる。
そのきれいな首、というか項に少しときめきのようなものを感じ、ちょっとでもいいから触れたいような欲望に駆られそうになるけど、そんなことをしたら絶対にセクハラになってしまうので自重を。
「慣れない姿勢での乗車だから。何回も乗っていたらそのうち大丈夫になるはずだから」
内にある衝動を抑えながら、藤堂さんに言葉を。
黙ったままでいたら、勝手に手が伸びてしまいそう気がしたから。
「あとは……ちょっと手のひらが痛いというか、違和感が」
ああ、バーテープを巻いてあるといってもハンドルはアルミ製。地面からくる細かい振動が伝わってしまう。カーボン製のハンドルならばもっと軽減されるかもしれないし、まったく違和感がなくなるかもしれないけど、いかんせんすごく素人にはうかつに手を出せるような代物でないし、その上すごく高価。
だが、軽減する手段は他にもある。
「グローブを嵌めると楽になるよ、パッド付の」
そう、グローブを着けることにより振動を弱くする効果があるし、さらにいうと滑り止めという要素も。
さらに付け加えると、かっこしいし。
だけど、グローブのことを話題にした途端、藤堂さんの表情が少しだけ曇った。
湊
結城くんがしていたグローブのことを思い出す、指が出ているタイプの。
あれを嵌めたら手のひらの違和感は治まるのかもしれないけど、かわいくないし、それに変な日焼けになってしまいそうだ。
だけど、せっかく勧めてくれているのだからしたほうがいいのかな?
結城くんの指先をじっと見ながら考える。
指の先だけがちょっと日焼けしている。
……嫌かもしれない。
でも……。
航
藤堂さんの視線が俺の手、というか指に。
ああ、そうか。
俺はそんなことを全然気にしないけど、女の人、というかこの場合は女の子は、こんな指先だけの日焼けなんて絶対に嫌だよな。
「日焼けのことはそんなに心配しなくても平気だから」
「どういうこと?」
「指ぬきグローブだけじゃなくて、フルフィンガータイプのもあるから」
偶に見かける女性サイクリストは大抵フルフィンガータイプのグローブを着けていたもんな。
「フルフィンガー?」
「普通のグローブと同じように指全部を覆うのがあるから。もしかしたらそこの量販店も置いてあるかもしれないから後で一緒に見に行こう」
大型のスポーツショップがこのショッピングセンターの駐車場内にある。自転車関連の商品は専門店に比べれば少ないけど、それでもまあ置いてある方だ。
「うん」
曇ってしまった藤堂さんの顔がまたちょっと晴れやかなものに。
湊
結城くんからうれしい提案が。
すごく楽しみだ。
でも、その前に紙芝居の上演。
これをするために私は今このショッピングセンターにいるわけだから、そしてそのための練習を、稽古を結城くんと重ねてきたんだから。
この後に楽しみが待っているからなのだろうか、ちょっと前まで私の中にずっとあった緊張感が薄らいでいく、もう怖いものなんか何もないといった感じに。
実際、上演を楽しみにしながらベンチに座っている子達の姿を見ても平気。
先週なんかは、私は紙芝居の上演をしないのに、それでも観ている人達の姿をみて、ちょっと緊張して体が震えていたのに。
時間になる。
いよいよ、私の紙芝居デビュー。
といっても、結城くんと一緒に上演するのだから、ヤスコさん曰く、正式ではなくプチデビューらしい。
台座の右側に結城くん、そして左側に私が立つ。
うん、大丈夫。人前に立ったら急に緊張してくるんじゃないのかとも思ったけど、今のところは平気。
それに足の裏の感覚も、ほんの少しだけど感じているし。
紙芝居が始まる。
結城くんの優しく響く声が。
その声を聞きながら、私は自分の台詞を言う場面を待つ。
あ、台詞の個所だ。
声を出す、観ている人にちゃんと届くような声を。
ちょっと前までの私では考えられないような大きな音が。
良かった。
もしかしたら、練習通りの、観ている側にも届くような声が出ないんじゃないのかという危惧が私の中にほんの少しあったけれど、これなら大丈夫。
観ている人の、視線も全然気にならないし。
これならきっと上手く、けどまあ私の読み方は下手なんだけど、いくはず。
そう思った矢先、私の声が急に出なくなってしまう。
私が主人公のモゲタンの台詞を言わないと、紙芝居は進行しないのに。
それなのに言葉が出てこなくなってしまう。
出なくなってしまったのは、視界にある人の顔が飛び込んできたから。
驚いてしまったから。
どうして?
紙芝居のことは何も言っていないのに、どうして恵美ちゃんがここにいる?




