5. 天見、初めての配達でスーパー六軒はしごする
……うお、何だか恐ろしく目つきの悪い先客がいるぞ。全身豹柄の作業着とか正気かよ。
目に痛いギラギラの金髪を耳の下までのばし、かもし出す空気感が明らかにガテン系か体育会系のそれだ。どこからどう見ても完璧な不良と書いてヤンキーです、本当にありがとうございました。
「お、おはよう、ございまーす……」
「……」
ガン無視。コワーイ。ぼくちゃんお家帰りたいよお。
俺は放し飼いの肉食動物を前にした心持ちで、十分な距離を取ったまま挙動不審気味に会釈した。
「あの、天見です。初めまして……」
ちっと刺々しく舌打ちしつつ、ブロッコリーを袋詰めしているヤンキー兄ちゃん。彼が赤根さんの言っていたアルバイトの『那須くん』か。
ナニヲスレバヨロシイデスカ? と怖々お伺いを立てると、大音量で怒鳴られた。
「白菜! 袋詰め!」
「ひゃ、ひゃい!」
びしっと指差された先には、山と積まれた白菜。どうしたものかとおろおろしていると、袋とバッグシーラーを投げつけられた。いってーなおい!
おそらくサイズが小さすぎて市場に持って行くものから外されたのだろう。俺は小ぶりな白菜を抱えて、袋に入れようと努力した。
ぬ、はい……らない。袋の大きさは十分のはずなのに、中々白菜が言うことを聞いてくれない。
たかが白菜一つ詰めるのにもたもたと苦戦している俺に、嫌気がさしたらしい。那須くんが俺を乱暴に押し退けて白菜を奪い取った。
ビニールの布で白菜をくるんと包み、袋の中にすとんと落とす。俺と白菜との長きにわたる激闘に、ものの三秒でケリをつけた。
ほおお、と手際の良さに感心していると、ふいに前髪を思い切り鷲づかみにされた。
「チンタラしてんなよカス」
「ひっ」
恐怖のあまり怯えた声しか出てこない。その視線はまるで殺人光線のごとし。
「いいか、次にモタモタして赤根さんに迷惑かけたら、トラクターでひき潰すかんな」
「ひえええ」
地を這うようなドスの効いた声に気圧され、ガクガク震えるしかなかった。俺は脅されるまま、大量の白菜を袋詰めしていった。それが終わったら、
『柔らかくてあま~い 赤根農園のミニ白菜』
とポップな字体で書かれたシールをぺたぺた貼った。値段のラベルも貼り、スーパーへの出荷準備を整えていく。
同じように準備した大根やブロッコリーの入ったコンテナを、那須くんはてきぱきと台車に積んで作業場の外に駐車されているトラックの元へ運んで行く。
その間何の説明もしてくれないので、俺は彼の動きに合わせて見よう見まねで積み込みを手伝った。時折邪魔になると、ものすごい眼光で睨まれて泣きそうになった。
積み込みが終わって那須くんが運転席に乗り込んだので、俺もならって助手席のドアを開けると威嚇するように睨まれた。
「い、いや、赤根さんから那須くんのお手伝いしろって頼まれたから……」
「いらねえよ。乗んじゃねぇ」
「そ、そっすか」
「おいテメー、そこであっさり引き下がんじゃねぇよ。赤根さんの言うことは絶対だろうが!」
那須くんはイライラしたようにハンドルを手荒くがんがん殴った。だから、どっちなんだよ! どうすりゃいいんだよ俺は! そりゃ本音を言っていいなら、こんなヤンキーの隣になんて死んでも乗りたくねーよ!
結局腹を決めた俺は那須くんの隣に乗り込み、スーパーに向けて出発した。
見慣れない風景が車窓の外を流れ、地元とは違う街並みや山の姿、畑の農作物につい見入ってしまう。リンゴにブドウにラ・フランス――この辺りは果樹の畑だらけだ。俺の地元の新潟は田んぼだらけだったけど、山形といえば果物で有名だからな。
あ、あのリンゴすっげー色が濃い。何だったっけあれ、昔果樹の授業で出たな。たしか品種は――
「スタールビーだっけ」
「スターキングだバカ」
「あ、そうそう……っ!?」
独り言のつもりだったのに、那須くんからの返事に驚愕。会話が成立した。まるで新宇宙の誕生を目にしたかのような衝撃が俺の脳を揺さぶった。コズミック・バン!
「那須くんの実家って、果樹農家?」
「コメ農家。ってか、タメ口きくんじゃねぇ」
「あっ、ごめんなさい……那須くんっておいくつなんですか?」
「十九」
「俺と同じじゃん! ――ヒッ、あ、同じですねっ」
ギッと二連銃口目線を向けられ、ついいじめられっ子モード発動。
これによって上下関係がかっちりと確定してしまった。へえへえ、俺は狂暴な豹に怯える惨めなドブネズミでございますよ。チュウチュウ。
その後は特に会話が始まることもなく、お互いに黙り込んだままトラックだけががんがん走行距離を伸ばしていった。やがて俺たちは、「オークヘニマル 山村店」の看板が掲げられたスーパーマーケットに到着した。
スーパーの前には、俺の大好きな大判焼きの移動屋台が出ていた。スーパーのガラス窓には『芋煮セットご予約受付中! 大鍋無料貸し出し中!』と、山形ならではのチラシがしつこいほど張られている。
芋煮、食ったことないなあ。美味いんだろうなあ。牛肉の旨味と醤油味の出汁で煮込まれた里芋、人参、ねぎにきのこ。秋の河川敷で仲間とわいわい芋煮会。いいなあ。
俺が食い気全開でよだれを垂らしている間に、トラックはスーパーの裏手に回って『関係者以外進入禁止』のシャッター前に止まった。
那須くんはひらりと運転席から降り、慣れた手つきで台車を降ろし次々と野菜のコンテナを重ねていった。俺は台車を押す役目を買って出て、しっかとその持ち手を握った。那須くんはやる気を見せる俺に渋い顔だ。
「チッ、いいか。お客様の迷惑にはなるんじゃねえぞ」
「はい!」
「あと挨拶な!」
「押忍!」
勝手知ったる那須くんは、シャッターを開けてスーパーのバックヤードに入って行った。中ではちょうど、店員のおばちゃんたちが立ち話に華を咲かせているところだった。
「お世話さまです、赤根農園です!」
金髪不良とは思えない爽やかな挨拶。百点満点をあげたくなるような好青年っぷりで、那須くんはお辞儀をした。あまりのギャップに、俺は幻でも見ているのかと目を疑った。
「あらあ、那須くん! 今日も一人で偉いわねえ」
若いのに礼儀正しくて、と制服姿のおばちゃん集団はわちゃわちゃ盛り上がり出す。
「ほらお菓子! こないだ旦那と銀山温泉に行ってきてねえ」
「ありがとうございます、頂きます」
「今日もイケメンねえ~、うちの息子に爪の垢煎じて飲ませてやりたいわあ」
那須くんはキラキラのスマイルでおばちゃんたちの相手をしている。俺に対する数えきれないほどの睨み攻撃や言葉の暴力は何だったのか。
那須くんからの痛烈な肘打ちを食らい、俺はカクッと身体を折り曲げた。
「お、おせわさまれす……」
歩き出す那須くんに付いていきながら、死にそうな声で挨拶する。再発した極度の人見知りと仕事へのプレッシャー、あと緊張やら焦りやらでろくに声も出せなかった。
「テメェなんだその挨拶ブッ殺すぞ」
那須くんには暴言を囁かれるしで踏んだり蹴ったりだ。俺は重たい台車を必死こいて押し続けた。
通路の両脇に据え置かれた棚には、商品のストックがぎっしりと保管されている。
各種洗剤やサランラップ、麻婆豆腐の素が視界の端に現れては消えていく。さらには『藤原様ご予約』と張り紙のついた芋煮用の大鍋と薪の束。へえ、スーパーの裏側ってこうなってたんだ。
小学校の社会科見学の気分で、俺は注意力散漫気味になっていた。店内へと続く両開きのドアの前で、那須くんがのろのろしている俺を般若の形相で待ち構えている。
「さっさとしろよグズ。こっから出たら産直コーナーに行って、野菜並べて帰ってくる。それ以外余計なことすんじゃねえぞ、お客様の邪魔にだけはなるな!」
「は、はいっ」
こうして俺達は、煌々と明るい蛍光灯に照らされたスーパーの店内に踏み出した。
『安くて豊富な品揃え、素敵なあなたのオーク♪ オーオーオー、オークヘニマル♪』
店のテーマソングが延々と流れる中、俺は流麗な台車捌きで那須くんの後ろにぴったりくっついて行った。見よ、この巧みなドライビングテクニックを!
豆腐や油揚げが並ぶ加工品コーナーを通り過ぎて、『山形の産直野菜』とポップが出ている売り場に辿り着いた。『この野菜を育てたのは私です』の謳い文句と共に、生産者のにっこり顔写真が並んでいる。
その中に、まだ直接会ったことのない赤根農園の社長さんの物もあった。頭頂部が禿げ上がった猿顔のおっさんで、息子さんとは全く似ていない。あの赤根さんも将来はこんな感じになってしまうんだろうか。
俺がぼんやり突っ立っていると、すでに野菜を並べ始めていた那須くんが足を踏みつけてきた。いでででで! ごめんなさい!
「働け」
はい、ぐうの音も出ないほど正論です。十対〇で俺が悪いです。俺はそそくさと、売り場にぽんぽん野菜を置いて行った。
へえ、他の生産者さんはなめことか落花生も持ってきてるのか。こっちは『後藤さんちの朝採りニラ』……そそられるなぁ。お、なんだこの野菜。『隼人瓜』? どうやって食うんだ?
物珍しい野菜に気を取られて手元がおろそかになる俺に、とうとう那須くんがブチ切れた。
「てめーいい加減にしろよ! 葉物野菜は上の段! 値段は見えるように前に向ける! あと、並べ方が全体的に雑なんだよ! きっちり並べろや役立たずがアアア!」
これらの注意は、もちろんお客様に聞こえないように極少音量で俺の耳に届いている。壁際に追い詰められながら那須くんからの説教を受ける俺は、不甲斐なさで泣いていた。
「うっうっうっ、ごべんなざい……」
「泣いてすむならサツはいらねーんだよ。細切れにして畑の養分にしてやろーか? アア?」
「許してくらさいい、うええっ」
「あのー、すみません。これってどうやって食べるんですか?」
凶悪犯のような面構えで散々俺を脅迫していた那須くんは、お客様からの質問に笑顔で振り向いた。セールスレディのごとく、声がワントーン高くなる。
「あ、はい! こちらはですね、生だと少し苦みがありますので、下茹でしてからサラダや和え物などにお使いいただけます。炒め物やスープに入れても、コリコリとした独特の食感が楽しめますよ」
「へえ、そうなんですかあ。初めて見た野菜だから、なんか興味引かれちゃって」
「オレの家だと大体漬物にします。浅漬けとかぬか漬けとか。美味いっすよ」
「わあ、じゃあ買ってみます。色々教えてくれてありがとね」
若い女性のお客様は隼人瓜を買い物かごに入れ、にこにこと手を振って去って行った。
す、すげええ。那須くんの売り込み、鬼。つまりすげーってこと。賞賛の眼差しを彼に向けると、那須くんは再び眉間に深いしわを寄せて虫ケラ(俺) を見下した。
「あ……っていうか那須くん、今の野菜って他の農家さんの商品だよね?」
「んだよ、なんか文句でもあんのか? ゴミムシの分際で」
「ありませんっ」
早口で否定し、迅速かつ丁寧に野菜の陳列をやり直した。白菜に大根にブロッコリー、赤ネギにカリフラワー。冬野菜のラインナップ、ばっちりディスプレイ完了。これにてお仕事終了!
終わったー、と伸びをする俺の後頭部を、那須くんががちっと鷲づかみにした。頭蓋骨にぎりぎり指先が食い込んで……いででででえ!
「なに終わった気でいるんだよ。次行くぞ」
「え、次って……あと何軒行くの!?」
「あと五軒。オーク南根店、ヨーバン天道店、若ノ森店、桜野店。それからイヨンの南根店。ちゃっちゃと回らねぇと日が暮れるぞ」
「ひえええ」
なんてこった。この仕事を今まで那須くんは一人でこなしてきたのか? 毎日毎日……お疲れ様です。
そもそも今日は俺が足を引っ張ったせいで、すぐ終わる仕事が長引いてしまったんだな。まったくもってお詫びの言葉も見つからない。靴でも何でも舐めさせていただきます。
その後も俺は那須くんに殴られたり蹴られたり罵声を浴びせられたりしながら、役立たずなりに五軒分の配達に奮闘したのであった……。