1. やせいの のうかが あらわれた!
俺は天見とうま、十九歳。最終学歴、高卒。
正確に言えば大学中退。
入学式で人ごみが恐くなって、すでにSNSを通じて入学者全員が友人を獲得している事実に戦慄し、ぼっちの俺は何だかもう全てが嫌になって発作的に逃げ帰ってきた。
一人暮らしのアパートで引きこもっていることが親に発覚し、実家に強制送還。そのまま一歩も外に出ない灰色怠惰なニート生活に突入したんだ。どうせあのまま大学にいたって、リア充集団に見下されてストレス溜め込んで、どこかのタイミングで絶対に命を絶っていたはずだ。
いや、だからって親が働いて稼いでくれた入学金をドブに捨ててニートになるなんて許されるわけがない。死ねば今までの教育費が無駄になるし、生きていても何の役にも立たないろくでなし。死ぬのも生きるのも働くのも外に出るのも嫌で、そんな自分をめちゃくちゃに嫌悪した。
俺みたいな友達が一人もいない欠陥人間は、これからどれだけ這いずり回って努力したところで幸せな人生なんて送れるわけがない。
関わった人間全員を不幸にして、ひどく罵られ人間性を否定されながら孤独死するのがお似合いだろう。
そもそも高校だってろくに行ってない。中学だって、せっかく受験してレベルの高い中高一貫校に入ったのに勉強が苦痛になって辞めたし。逃げて逃げて、逃げっぱなしの人生。嫌なことからすぐに背を向けて、その場その場で自分にとって楽な道ばかり選んできた。
その結果のどんづまりが、親のすねをかじって、毎日自室で寝たきりになってラジオを聞くばかりのニート生活だった。無駄に三食食って、何も生み出さず、誰からも必要とされない人間の屑だった。
コンビニに入るのも怖くて、いつもビクビク下を向いて、人との接触を徹底的に避けて、母親以外の誰ともまともに話せなかった。
そんな俺が変われるのかな。これから、ここで。
「あああの、すみません。今駅に着いたんですけど、迎えの車ってどこですか!?」
故郷の新潟から米沢を経由して山形駅に着き、そこからさらに乗り換える。家を出ておよそ五時間後にようやく辿り着いた新天地で、俺は新しい勤務先に電話していた。
詳細は後に回すが、なんと俺はこれから、隣県である山形の農家で住み込みの研修生として働くことになったのだ。電話口で話すなんて久しぶりだから、おかしなくらいに声が震える。心臓がバクバクと拍動して、手汗が無限に湧き出してきた。
季節は十一月中旬。歩道の脇に生えている街路樹の葉っぱはほとんど散っている。今って秋と冬のどちらに分類されるんだろう。
あと二週間もすれば十二月に突入するし、東北地方ならそろそろ雪が降り始めてもおかしくない。肌寒い気候に凍えながら、向こうの返事を待った。
「ああ、天見くん? 着いたのね。今うちの息子が迎えに行ってるからちょっと待ってて」
「な、何色の車ですかっ」
「青。じゃあ切るよ。またね」
まだ見ぬ社長さんは多忙なのか、あっさり電話を切ってしまった。手持無沙汰になった俺は、駅前の隅々まで目を凝らして青い車の到着を待った。
あ、青っ! 来た! ロータリーに侵入してきた青いセダン車に、俺は大量の荷物を抱えたままダッシュで突っ込んでいった。
「あ、天見です! 新潟から来た研修生です! 今日からよろしくお願いしまへぶッ」
こけた。見事に鼻の頭からアスファルトの地面にスライディングし、豪快な開幕土下座を決めた。呻き声を上げて体勢を立て直すと、車から降りてきたおっさんが困り顔でこちらを見ていた。
「君、大丈夫……?」
「あ、平気です! 赤根農園の赤根さんですよね!?」
「いや、ちがいますけど」
「え」
俺が口を開けたまま固まっていると、後ろから若い男の忍び笑いが聞こえてきた。
「ふっふっふっ、あ、天見くん、慌てすぎ。なに、今の一連の流れ。おれを笑わそうとしたの?」
動揺したまま振り返ると、中性的な優男が口元に手をやって笑っていた。
一見すると赤茶色の髪を無造作にあそばせた『今時の若者』だが、首から下は濃い緑色のつなぎに泥まみれの長靴という農家の正装スタイルだった。
まるでイケメン俳優が農家役を演じているような組み合わせなのに、なぜかぴたりと似合っている。彼が発散している野性的な陽のオーラが、生命力旺盛に伸びている植物の茎や葉を連想させるせいだろうか。
初対面の人間に笑われている恥ずかしさで真っ赤になりながら、俺はその男の方に向き直った。
「あ、あなたが本物の赤根さん、ですか……?」
「そうだよ、本物の赤根。農家の長男赤根優作でーす。まあ、挨拶は後でいいから乗って乗って」
赤根さんは色あせた青いワゴン車の後部座席に俺の荷物を詰め込み、最後に俺を助手席に押し込んだ。身体の線は細いが、案外手がごつごつしていて力強い。ひ弱な引きこもりの俺よりも、女子力ならぬ男子力が圧倒的に上回っている。ますます自分が情けなくなってきた。
「はい出発ー。天見くん新潟出身だっけ? うちにもよく研修に来るよー、新潟の人。他にも首都圏とか関西とか、全国あちこちからいっぱい」
赤根さんはスムーズに車を発進させつつ、子供っぽい口調で人懐こく話しかけてきた。見た目はファッション誌で一週間の着回しコーデを披露してそうな男前なのに、俺みたいなゴミ虫ニートに話しかけて下さってありがとうございますって感じだ。
ともあれこれから先上司になる人なんだから、失礼があってはいけない。俺もまともな受け答えをしようと頑張った。
「そ、そうですか。野菜作りに興味ある人とか、都会にたくさんいそうですもんね」
「天見くん、農業の経験は?」
「あ、あります。一応農業高校出身なので。でも専攻が草花だったので、ずっと鉢花の管理とかしてました。い、今の時季はシクラメンとか、ハボタンとか、きれいれすよねっ」
緊張で舌が上手く回らない。学生時代の対人恐怖症の名残だろう。また心臓が痛くなってきた。きっとまだ顔は赤いままだ。赤根さんはハンドルを握ったまま悪戯っぽく笑った。
「じゃあ、あったかい沖永良部島あたりに行って花の栽培とか学んできたら? わざわざ冬の東北まで来て農業するなんて、相当根性あるよね」
「……」
「何でうちを選んだの?」
何でと言われても、比較的新潟から近かったからという理由しか出てこない。でも正直に答えたら気を悪くされるかもしれない。どういう答えが好印象なんだろうか。困ってしまって気まずくうつむいている間も、赤根さんは気にも留めずにがんがん喋りまくった。
「まあでも、経験者で良かった。完全に初心者の人間に農作業はきついみたいだからね。研修に来て一日で帰った人もいるし。一か月経たずに辞めて行った人も多いかなー。一年以上続いた人なんて、今んとこ数えるくらいしかいないよ」
「ひええ……」
怖い。ひたすら怖い。農家の仕事ってどんなんだろう。アルバイトもしたことがないゆとり世代の申し子たる俺に、どこまで務まるんだろうか。何か取り返しのつかないような大きな失敗をやらかして、泣きながら実家に逃げ帰ることになるんじゃなかろうか。
戦々恐々として縮こまる俺を見て、赤根さんはいっそう大きな声で笑った。
「あっはっは、怖がるなって! 大丈夫、うちの従業員は皆いい人たちばかりだよ。派閥同士の争いとかないし、頭ごなしに説教してくる人もいないし。おやつタイムもあるよ。天見くんお菓子好き? おれケーキとか大好き~。最近よく人参とかさつまいものケーキ作るんだあ」
た、食べたい。俺は一歳の時から、渡された物はなんでも口の中にいれる食いしん坊だと親戚の間でも評判だった。これから口の中に入るであろう美味の数々を想像すると、暗い道のりに一筋の光明が差したような気がした。その後も赤根さんは、聞かれてもいないのに今現在はまっているお菓子のレシピについてぺらぺら語り続けた。
笑い上戸で、イケメンで、農家の長男で、さらにお菓子作りが趣味なイケメン(二回目)。俺の脳内データベースに赤根さん情報がみるみる付け足されていく。これから数え切れないほどの新しい人たちと出会っていくんだろう。その一人目が赤根さんで良かった、と何となく思った。