13. 今夜は皆でひっぱりうどん
パセリとスティックセニョールの入ったコンテナを抱えて農園に戻ると、お次は人参の葉っぱ切りを命じられた。文字通り、包丁で人参の葉を切り取るだけの簡単なお仕事だ。
コンテナに溢れんばかりの葉付き人参をつかんでは切り、つかんでは切り。ころんと身だけになった人参を、芹沢さんが水圧洗浄機で美しく洗い上げていった。
洗い立ての人参は色鮮やかすぎて目に痛い。まさに色彩の暴力といった感じで、「おれのオレンジ色はどうだオラァ!」と人参にぶん殴られているようだ。直視していたらクラクラしてきた。
それが終わると、今度は赤根ほうれん草の洗浄に移る。根元についていた泥が完全に落ち、見るからに食欲をそそる色合いに変貌した。
一つ一つ手に取って洗うのは中々時間がかかるが、必要な手間だということも理解した。水も滴る美々しい野菜たちを見渡していると、感嘆のため息が出た。
「いやあ、野菜を洗うひと手間って大事ですね。ビフォーアフターで別物になりますもん」
洗い物を終えて手袋を外していた芹沢さんは、実感がこもった俺の言葉に重々しく頷いた。
「そうだな。以前スーパーに泥付き大根を持って行ったが、一つも売れずに全て持ち帰って来た。田舎で泥付き野菜は売れない。都会なら物珍しさもあってそれなりに売れるがな」
なるほど。「泥付き野菜の方が長持ちする」なんていう生活の知恵はよく耳にするが、実際はつい綺麗な野菜の方を買い物かごに入れてしまう人の方が多いよな。
洗ってくれる人がいるからこそ、俺たちはよくイラストに描かれるような色鮮やかな野菜を手にすることができるのだ。まあ、大規模な農家は手洗いなんて非効率的なことはせずに専用の洗浄機械を使ってるんだろうけどさ。
「天見、次は大根の尻尾切りだ。大根の下の部分を切って、断面の中心に黒い点が出ていないかどうか確かめろ。黒い点が出ていればスが入っている証拠だから弾いておいてくれ」
「はい! ちなみに、この変なくびれが入った大根は何なんですか?」
「それは除草剤の影響だ。そういう形のおかしい物も弾いておいてくれ。何ともなかった大根は、長さ別に分けてコンテナに十本ずつ入れておけ」
「了解です!」
俺は作業しやすいようスペースを作り、午前中に芹沢さんたちが収穫し俺が洗った百本の大根の尻尾をちょん切る作業を始めた。
黙々と取り組んでいると、作業場の奥の方からまた赤根さんと九条さんの醜い小競り合いが聞こえてきた。もはや日常茶飯事の域である。
「誰だこのネギを採って来たのは! 赤根、お前だな? せっかく伸びた葉が折れまくっているじゃないか! 何を考えているんだ貴様は!?」
「うるせーな、ぐだぐだ文句つけるなら自分で収穫行ってこいや、ネギ職人!」
「ね、ネギ職人だと……人のことをバカにして……!」
このまま止める人間がいないと、ネギをきっかけに取っ組み合いの喧嘩が始まりそうだ。俺は一旦仕事を中断して、二人をなだめに行った。がるると牙をむく赤根さんに対し、九条さんは怒りを押し殺しつつ、わななく指で眼鏡を押し上げていた。
「僕の知人が、大手株式会社『ねぎぶとカンパニー』で働いていてね。その縁で僕もネギに関する講習会には幾度となく参加しているんだが……だからこそ赤根、貴様の採り方は許せない。ネギに付いた泥は畑で落として来い! 後で処理する人間のことも考えろ馬鹿め!」
「はいはい、どーせおれはネギも満足に採れねーボンクラバンバンジーですよ! そんなにうちのやり方が気に入らないなら、そのねぎぶと何ちゃらで働けや!」
どうせうちは田舎でひいひい言ってる貧乏農家だよ、大企業と一緒にすんじゃねえ。と赤根さんは苛立たしげに吐き捨てた。「田舎」「貧乏」「農家」の三点セットに内心かなりのコンプレックスと鬱屈を抱えているのか、いつになく闇を感じさせる痛々しい口調だった。
「すぐにそうやって『どうせ』に逃げる癖をやめろ。僕はここの野菜が好きだ。好きだからこそ、もっと品質を上げたいと思ってるんじゃないか」
九条さんは赤根さんを励ますためなのか、ネギを一本手に取って熱弁をふるい出した。
「たとえばこのネギを見ろ。農薬にやられているネギなら、葉先が黄ばんでしおれているはずだ。だがお前の育てたネギは葉の先端まで青々として、ピンと張っている! こんなに美しいネギは中々ないぞ、誇りを持て!」
「お、おう……そうか?」
「そうだ、お前はやればできる。がんばって僕にいい野菜を供給するのがお前の仕事だ!」
単純な赤根さんは、ベタ褒めされてすっかりいつもの調子に戻っていた。にこにこ顔で九条さんと握手を交わしたりしている。
「ネギといえば、那須ってネギの土寄せが早くてさあ。それでいて丁寧だから、おれはネギに生まれ変わったら種まきから出荷まで那須に面倒みてもらいたいって常々思ってるんだよ」
「は、はあ」
そんな理解に苦しむ願望を吐露されましても、間の抜けた返事しか返せません。機嫌を直した赤根さんこと二十四歳児は、鼻歌をうたいながら上機嫌でカリフラワーの選別作業に戻った。
なんだよ驚かせやがって。元通りになって嬉しいやら呆れるやら腹立たしいやら。ともあれ俺は、安堵の苦笑いを浮かべて自分の仕事に戻った。
十五時に二十分ほどの休憩をはさんだ後は、ノンストップで働いた。作業場で長時間仕事する際には、FMラジオを流すのが赤根農園の恒例らしい。流行曲やパーソナリティ同士の小粋な掛け合いを聞き流し、俺は里芋を五百gずつ袋詰めしていった。
「すみません、次は何を詰めればいいですか?」
「ああ、次は紫小松菜お願いね。かいわれ取って百六十g。それが終わったらパセリ。細い袋に五十gずつね」
赤根さんの指示に従い、詰めて詰めて……ああ、これが袋詰め無間地獄か。
不器用な俺は、段々集中力が途切れて頭がぼうっとしてきた。午前中の疲れがどっと吹き出し、トランポリンの上に立っているみたいに足元がふらついた。
「はあ……こんげなことばっかしてたら、よっぱらになっれや」
「天見くん、日本語はなして」
ため息交じりにぼそっと独り言を漏らすと、隣で赤根ほうれん草を詰めていた赤根さんに突っ込まれた。ついついお国言葉が出てしまったらしい。「よっぱら」というのは新潟弁で「飽き飽きする」の意味だと補足すると、赤根さんが悪戯っぽく笑いかけてきた。
「天見くん、じょんだどれー。もちぇっと頑張ってけろ」
この人も封印されし山形弁で対抗してきたか。どうやら応援されたらしいので、俺は残りの気力を振り絞って手を動かした。それでも仕事は山積みで、二十時を過ぎても一向に終わる気配がない。
俺は懲役百年の刑を食らった大罪人で、これは永遠に終わらない刑務作業か何かなのだろうか。顔を上げると今度は看守のコスプレをした鬼と目が合った。当たり前だが俺の脳が勝手に生み出した幻覚だ。俺は看守鬼が「刑務作業やめ!」と言うのをひたすらに待った。
「よし、一段落ついたからご飯食べよう! 肉だ肉肉!」
赤根さんの一声で、ようやく刑務作業から解放された。くたくたの身体を引きずりって茶の間に入ると、ちゃぶ台の上には念願のごちそうが――。
「あれっ、焼肉じゃないんですか?」
「ホットプレートが壊れていた。食材を買いに行くひまもなかったし、今日の夕飯はひっぱりうどんだ」
「ひっぱり……?」
芹沢さんの一言により、俺の脳内で脂を滴らせていたジューシーな肉がきれいさっぱり消え去った。芹沢さんはいったん台所に引っ込むと、大きな鍋を持って戻ってきた。ついさっきまで煮立っていたのか、中から白い湯気がもわんもわんと立っている。
「わー、ひっぱりうどんじゃん! 早く食おう!」
のびちゃうのびちゃう、と赤根さんは茶の間に入るなりさっさと自分の座布団に座った。どうやら、空腹のあまり肉がないことへの不満もないようだ。
用意された生卵、サバ缶、納豆、めんつゆと薬味ネギをどんぶりに次々放り込んでいく。切り替えが早いなあ。
「そのつゆにうどんをつけるんですか?」
「うん。これね、山形の郷土料理なんだ。うどんが無限に食えるよ」
郷土料理にサバ缶が登場するとは一体……? 俺も見よう見まねで、たれを作ってみた。従業員五人そろって鍋をかこみ、手を合わせてから各々のはしを持って熱湯の中からうどんをひっぱる。
「おー、これを、つけて……いただきます」
にょーんとのびたあつあつのうどんを、たれにくぐらせて口にした。家にある物だけで作る簡単料理という感じだが、この組み合わせは美味くなるにきまっている。
「……これは、無限に食えますね」
「だろー? この納豆の匂いとネトネト感がいいんだよなあ。昔は畑で採れたワラと大豆を使って、納豆も手作りしてたんだ。乾麺と缶詰を使って簡単にできるから、忙しい日のご飯にはもってこいだね」
温かい茹で立てうどんに、サバ缶の脂と生卵がよくからむ。ネギとめんつゆの黄金コンビがうどんと合わさって最強である。サバ缶がないときはツナ缶を使うこともあるらしい。冬の山形は買い物に行けないくらい雪が積もる地域もあるから、郷土料理にも栄養豊富な保存食を取り入れているのだろう。
食い意地が張っているように見られるのは微妙に恥ずかしいが、これはおかわりの手を止められなかった。うどん、うどんが欲しい。どんどん食べたい。
みんなで黙々と食事をとっていると、ふと赤根さんが思い出したように話し始めた。
「天見くん。うちのネギは無農薬で作ってるけど、お客さんに売る時は『無農薬です』って言っちゃだめだよ」
「え? ……んん? どういうことですか?」
突然の忠告に、意味が分からずはしを止めた。
種をまいてから出荷するまで、一切農薬を使っていないなら『無農薬野菜』と言っていいはずだ。そうやって付加価値をつけた方がよく売れるにちがいない。赤根さんはなぞなぞを出す子どもみたいに、したり顔で笑っている。
「前に、研修生の子が『これ無農薬です!』ってお客さんに売っちゃったことがあってね。そしたらそのお客さんが農薬アレルギーの持ち主で、『おたくの野菜、無農薬って聞いたのに食べたら陽性反応が出た』ってうちに電話かけてきたんだよ」
「え!? た、大変じゃないですか! なんでそんなことに……」
「うちはねえ、種屋さんから野菜の種を買ってきて育ててるの。種苗会社って、種の段階から薬に浸してるんだよ。だから、いくらうちが手を尽くしても『完全無農薬』の野菜にはならないってわけ。分かった?」
うちの野菜は別に無農薬っていうのをウリにしてないから、と赤根さんは言い添えた。
はー、なるほど。それにしても、世の中には恐ろしい話があるもんだなあ。自分の手違いが原因でお客様に健康被害が出たら一大事だ。いい加減な仕事をしないよう、俺みたいな下っ端でも知識と責任感をしっかり持っておかないとな。
「天見くんも自分の勝手な裁量で仕事しないで、分からないことがあったら何でもおれに聞いてね。農業高校卒だかなんだか知らないけど、教科書の知識はここでは通用しないから。おれはおれオリジナルの農法で野菜作ってるから、どんどん技を盗みなさいよ」
「は、はあ」
赤根さんはすでにビールの缶を何本か開け、ほろ酔いで「若者に社会の厳しさを教える人生の先輩」モードに入っている。話はためになるが、これは結構面倒くさいぞ。
赤根さんのえらぶった態度に腹を立てたのか、横から九条さんが噛みついてきた。
「なーにがオリジナルの農法だ。去年だってわけの分からない時期にジャガイモ植えて、ほとんど土の中で腐らせて駄目にしてただろうが! なんでお前はいつもそうやってトンチンカンな指示を出すんだ? せっかく飲食店からきた注文も全部パーだ! この赤字量産疫病神が!」
ヒートアップした九条さんは、本気のグーで赤根さんの横っ面を殴った。赤根さんは舌を出してへらへらしている。まったく反省していないようだ。
「九条、すこし落ち着け」
「はなせ芹沢! 去年買ったイチゴの苗二百株も! 赤根が植えるの忘れてたせいでドロッドロに溶けてたんだぞ! 仕事の予定も立てられないクズが!」
顔を真っ赤にして荒ぶる九条さんを、芹沢さんが懸命に食い止めている。俺と那須くんは器のうどんを平らげ、けんかに巻き込まれないようにそそくさと茶の間から逃げた。その間も、ずっと家の中に九条さんのチンピラめいた怒号が轟いていた。
「おら立てガキが! いっぺん痛い目見るか? アア!?」
「わー、九条さんこわーいよーう」
赤根さんは相変わらずご機嫌に酔っ払っている。あんなに怖い人を敵に回してよくふざけていられるな。 俺はぶるぶる震えたまま食器を洗い、背中を小さく丸めて早足で風呂に入りに行った。




