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atelier arc-en-ciel アトリエ アルカンシエル  作者: 諏我一涙
第一歩は踏み出した
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side.Hi 4話 努力をすれば何でも叶うなんて思わないけれど、努力をしなければ何も叶わないことを、私は知っている

 私が絵を描きたいと自我を通したことで傷付けた人、迷惑を掛けた人、怒らせた人…それは申し訳ないけれど、一人や二人ではない。

 私が絵を描くことで笑ってくれる人、喜んでくれる人、癒される人は、さて何人?

 駅で(あい)と別れた後、一人で電車に乗った私は真直ぐバイト先である平原(ひらはら)家具の世田谷工場に向かった。

 朝7時から準備を始めた個展初日の後で疲労しているはずなのに、搬送トラックの運転スタッフさん達に指摘される程、私の脳はクリアで身体は軽く、絶好調だった。

 絵を本業として絵だけで生計を立てられたら、勿論それがベストだけれど、ここでの出荷ライン担当もやってみれば面白くて、世田谷工場の人間は皆プロ意識が高いから見ていて気持ちが良い。

 世田谷工場にデスクを置く商品管理部長で工場の責任者の深澤(みさわ) (りん)さんが、本社や他の工場に、向上心と競争心が世田谷の色だと誇るくらい、慢心を知らない負けず嫌いの連中だから集中力が充満していて、汗臭いはずの工場内は何時(いつ)だって空気が澄んでいる。

 私もその世田谷工場の一員として恥ずかしくない働きをしたいから、皆と切磋琢磨出来る人材で居たいから、入社以来、何か一つでもこの工場で一等優れたものを得ようと必死にやってきたつもりだ。

 結果、約1年かけて得たのは、世田谷最速のスピード。46000㎡、東京ドームとほぼ同じ建築面積の世田谷工場の、80%を占める商品管理スペースに所狭しと並ぶ商品棚の中から、誰よりも早く注文があった商品を見つけ出し、梱包して、出荷ラインに乗せること。

 店頭からの取り寄せにしても通販にしても、出荷スピードの比重が年々高まっている昨今、機械制御で早められる工程には限界があり、たかが知れている。

 デジタル社会と言えど、少なくともうちの平原家具は、発注のメールを如何に早く開き、抜かりない検品の後、当該商品を如何に早く梱包し搬送トラックに載せるか。つまり、重要なのは人の手で行なうアナログの工程なのだ。

 その為、私は、一人工場ツアーと称して定期的に商品管理スペースを見て回り、脳内に全商品棚を並べ全商品の保管場所を常に把握している。

 平原家具社長のモットーでもある実力主義という思考は、私がかつてお世話になった秋穂(あきほ)図書館やトラットリアカローレにも通ずるもので、実力を付ければ先輩や上司の当たりも弱まり、信頼され、社内での自分の居場所を確保出来る。それはある意味解り易く、私の苦手な陰のベタベタウジウジしたやり取りをスパンスパン、と跳ね除けるサッパリ感があって、好ましい。

 私にとって、この工場でのバイトはラクではないけれど、大変だとも言いたくない。そんな仕事だ。

緋色(ひいろ)、あんた、今日個展の初日だったんでしょ? 何もそんな日に夜勤入れなくても…身体大丈夫なの?」

 ドリンクや即席フードのベンダーが並ぶブレイクエリアのベンチで一息入れていると、頭上から声を掛けられた。

「部長、お疲れ様です」

「いや、お互い休憩中なんだから、名前呼びでいいよ」

 凛さんは、オンとオフをパキッ、と切り替える。をポリシーにしている私の尊敬する上司で、いまは私のことも名前呼びしたけれど、仕事中は苗字を呼び捨てにする。その使い分けに例外はなく、親しい間柄でも関係ない。

「凛さん、個展、今回もお花、どうもありがとうございます」

「どういたしまして。で、身体は?」

「むしろ絶好調なので大丈夫です。一日中ギャラリーに居るのは今日の他は最終日だけで、明日からは午後からだけの予定ですから、午前中は寝れますし」

 凛さんは話しながらドリンクのベンダーに小銭を入れ、ガタンガタン、と二回の落下音を聞いてから、屈む。

「でも、明日からも夜勤入るんじゃなかった? 私達は出荷ラインに緋色が居てくれれば助かるけどさ」

「ありがとうございます。そういう凛さんこそ大丈夫ですか? ワーカホリックも程々にしないと…」

 173cmの長身に均整のとれたアスリート体型。相手が誰であってもはっきりと言うべきことを言う。まだ34歳なのに社内一の規模の工場を仕切る敏腕。ここの環境の良さは凛さんが先頭に立って作っているものだと思う。その上、女優さんでも通るであろう綺麗な顔立ち。

「部下から見て疲労が顔に出てるなら、そろそろ休まないと、かな。疲れ顔じゃ何言っても締まらないからね、っと」

 言うなり、買ったばかりの缶ジュースを握った左手をシュッ、と振った。

「わっ‼」

 唐突に飛んできた250mlはアンダースローでもそこそこの衝撃を伴って私の両手に収まった。

「ナイスキャッチ!」

 凛さんは満足気に笑い、右手に握った青い缶のエナジードリンクをプシュッ、と良い音を立てて開けると、お互い程々にこれに頼って、今日も朝まで頑張ろーぜ。とゴクゴク、とまた良い音を立てて飲み始める。

「ありがとうございます。戴きます」

 私も水色の缶のそれを開け、多めの一口をゴクリ、と身体に流し込む。 

「このベンダーの在庫って、少なくとも8割は私と緋色で飲んでるよね?」

「ですね…私達、毎日飲んじゃってますからね。凛さんは青のノーマル、私はこっちのカロリーライト。て、他の人達にも憶えられてて、時々戴く差し入れの中にも必ず入ってますもんね?」

 凛さんと私が親しくなったきっかけもこのエネジードリンクだ。


『ぐはっ‼ やっちまったぜ。何で青と水色を隣同士に配置してんだ、メーカーさんよ……いや、同じドリンクのテイスト違いなんだからそりゃ隣に持ってきたいよな…分かります。すみません。私の非です………』

 入社してすぐの頃、ここに休憩しにやって来たら、ベンダー相手に怒ったり凹んだりの忙しい凛さんに遭遇した。

 ド新人と工場のトップ。休憩中も可視出来そうな程の強烈なオーラに気圧されながら、私は凛さんのご所望であろう青い方を買い、

『もし良ければですが、交換して戴けませんか?』

 差し出した。

『え? いいの? でも、これ…』

『私、水色の方が好きなんです』

 私は笑い、改めて青を差し出した。

『お前さ、かっこいいな! 惚れるわ』


 私にとって“かっこいい”は最大の賛辞だ。可愛いとか優しいとか気が利くとか、人が賛辞として使う言葉は羅列しようのない数で在るけれど、自分が他者に言うときもかっこいいが最大のつもりで使うし、自分が言って貰える場合でもかっこいいと言って欲しいと思っている。

 当然、なりたいのもかっこいい人だから憧れるのも男女問わずかっこいい人。

 あ、一応注釈。顔がかっこいい人。という意味ではありません。かっこいいのは仕草とか言動とか生き様の話。

 何から何までどう考えても凛さんの方が100倍かっこいいのに、こんな何でもないことでかっこいいだなんて、驚きだったけれど、素直に嬉しかったのだ。

 それから、顔を合わせると凛さんの方から色々な話題を振ってくれるようになり、いまでは互いに時間を作って工場の外でも会う仲になることが出来た。

「で、初日はどうだった? 盛況だった?」

 凛さんは相変わらずの飲みっぷりで、ぷはーっ、と仕事あがりの生ビールが如し。

(こういうところも、好きなんだよな…これが凛さんだ。て、安心すら与えてくれる)

「御蔭様で好調な滑り出しでした。集客数的にもお客さんの反応的にも」

「そうかそうか。あ、私も明日、仕事前に行くからね」

「ありがとうございます。お待ちしています」

 凛さんも第一回から来てくれている有難いお客さんで、工場内の数か所にフライヤーを設置することを快諾してくれた御蔭で、同僚とは言え工場での仕事上関わらない人にも来て貰えている。

 場内放送が鳴った。

「深澤部長、本社、人事部長より外線1番に電話が入っています。近くの電話機をお取り下さい」

「私だ。緋色、話の途中なのにごめん」

 凛さんがブレイクエリアの電話機を取ったところで、私は邪魔はしまいと、会釈だけして持ち場に戻ることにした。



 翌朝、何のトラブルもなく定時の6時にあがり、直帰すると、ベッドに倒れ込むようにしてすぐに眠りに落ちた。

 けれど、眠りは浅く、4時間後、スマホのアラームが鳴っても、絶対まだ2時間くらいしか経ってないから。と受け入れられず、ショボショボする眼を擦りながら身体を起こした。

「夢、だったのか……」

 浅い眠りの中で、私は11年前に離れ離れになって以来、音信不通だった幼馴染と再会していた。

 一人、ギャラリーのロビーで待機していると、クローズ間際にドアが開き、お花の鉢植えを抱えた(あい)が入って来る。

 そんな夢だ。

 藍の夢を見るのは初めてではない。それどころか、この11年間、幾度見たか知れない。内容は様々で、時にはフランスに渡った事実が丸っと改変され、一緒に高校を卒業してそのまま一緒に附属の大学に通っていたり、同じ職場に勤務して、たまの休みにどこかの河川敷で藍はベース、私はアコーディオン。学生時代のように気儘にセッションしていたり。空港で見送ったあのシーンも繰り返し見た。

(また自分に都合の良い展開を…)

 私は零れそうになった溜息をすんでのところで飲み込む。

 のんびりしている時間はない。  

 シャワーを浴び、身支度を終えた。

 今日は、昨日ウェルカムボードを運んだように両手で抱える大きな荷物はない。愛車のビッグスクーターでアパートを出る。ご飯を作る元気はなかったからスケジュールはシャルールでランチ→個展→夜勤だ。



「いらっしゃいませ、あ、緋色ちゃん、おはよう」

 ギャラリーtani(タニ)のドアを開けると、受付のカウンターから谷木(たにき)さんが何時(いつ)も通りの柔らかな声で迎えてくれる。

「おはようございます。すみません。今日から午後入りで」

「大丈夫だよ。バイト、そんなに休めないものね?」

 世田谷工場は他の工場のフォローに回ることも多く、いままさに、改修工事中の千葉工場の仕事を半分請け負っている為にバタバタしている最中なのだ。

 私は荷物を置き、差し支えなければ書いてください。と置いている来場記録ノートを開き、(くだん)のメンバーの名前がないか確認する。

「谷木さん、すみません、今日って集客どうですか?」

「昨日と同じくらいだよ」

「私の所在をお問い合わせ下さった(かた)、いらっしゃいました?」

「いや、今日はまだいらっしゃらないよ?」

「そしたら、大丈夫です。ありがとうございます。谷木さん、遅くなっちゃって申し訳ありませんが、ランチ出て下さい」

 すぐ戻るから。と言う谷木さんを、ごゆっくりどうぞ。と送り出し、私は一人、PCでHPを開き、アクセス履歴や問い合わせメールの確認を済ませる。

 ふと顔を上げると、テイクフリーのフライヤーや小冊子を並べているカウンターに、一つ置いてあるお花の鉢植えが眼に入った。

(あれ? あんなところに飾ってたっけ? ん? ちょっと待て。あれって夢の中で藍がくれたお花‼)

 慌てて立ち上がり、駆け寄り名前を確認する。

西日藍(にしびあい)ぃぃぃぃいいいい

!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

(夢じゃなかった。今朝のあれは夢だけれど、昨日のことは夢じゃなかったんだ‼)


 一人、困惑しつつも、やっぱり嬉しくてニヤついた顔で昨日のことを反芻していると、ギャラリーのドアが開いた。

 振り返ると、

「こんにちは」

 茶色いラウンドのセルフレームの眼鏡を掛けた、とても優しそうで落ち着いた雰囲気の男が立っていて、柔らかく笑った。

 入場料を戴き、小冊子を手渡し、ごゆっくりどうぞ。と微笑むと、その男は笑みを返し、静かにゆっくりと奥へと進んで行く。

(藍程ではないけれど、背、高いし脚長いし、歩く姿が映画の1シーンみたい。それに、お洒落な眼鏡だったな…)

 姿が見えなくなっても尚、見つめていると、またドアが開き、今度は二人組の学生風の女の子達だった。

 私が、友人の大学の工房でステンドグラスを作っているところを見かけたらしく、完成形が気になり観に来てくれたということで、興奮気味に外のそれを褒めてくれる。

 個展にも興味を持ってくれた彼女達が中に進んで行くのを見送ると、またドアが開き、間を開けず数人のお客さんが来場してくれた。

 暫くして、ロビーのお花を眺めていた人達が皆、奥へと進み居なくなった頃、先刻のお洒落眼鏡の人が戻って来る。

 眼が合い、会釈すると、

「すみません。私、以前(いさき)(みどり)の友人で(はし)()黄侍(おうじ)と申しますが、作者の(しずか)さんはいらっしゃいますか?」

「静は私です。お花、下さった作曲家の橋真さんですよね? どうもありがとうございます。受付ですぐ気付きませんで失礼しました」

 内心慌てふためきながらも、どうにかこうにか平静を装い、頭を下げると、

「いえいえ、こちらこそ。名乗るタイミングを図りかねまして…」

 と、橋真さんはジャケットの内ポケットから名刺入れを出し、一枚こちらに差し出した。

 歩く姿もそうだったけれど、名刺を出す一連の動作もまた、とても綺麗で、何だか心がフワフワ、プカプカ、浮遊してしまう。

 有難く頂戴し、改めてフルネームを名乗ってから、応接用に設置しているソファを勧める。

 昨日の藍に続き、(くだん)のメンバーの来場は、私にとって入社試験の実技審査で、面と向かっての挨拶及び会話は面接のようで、緊張で手が震える。

「本日はご多忙中と存じますが、わざわざお越し戴きまして誠にありがとうございます」

 一先ず、率直なお礼は伝えたものの、この先は何を喋ったらいいのか、テンパって思考がまともに働かない。

(この間の企業の面接のときって何喋ったっけ? えーと、えーと…志望動機? 自己アピール?)

 震えの止まらない両手を握り締め必死に言葉を探していると、

「そんなに緊張なさらないで大丈夫ですよ? 私が静さんの世界を感じたくて、シャルールのあの絵を描かれた静さんがどんな方なのだろう、とご本人にお会いしたくてここに居るので、他のお客さんもいらっしゃる中お時間戴いて、私の方がお礼を申し上げるべきところです」

「いえそんな、とんでもないことでございます。個展はお客様にこうして直接足を運んで戴きませんと始まりませんし、自分の勉強と成長の為に、ご覧戴いた(かた)とお話させて戴ける機会はとても重要かつ有難いことです」

 本当にそうなのだ。

 自分が必死に描いたもの、作ったものに対して、他者の感想を聴くということは耳を塞いでしまいたくなる程怖いことだけれど、上手くなりたい。面白いものを創造出来るようになりたいと切望するから、吐血覚悟で自らご感想お聴かせ願います。と頭を下げていくのだ。

「シャルールの三枚の作品を拝見したときも感じたのですが、静さんは表現力がずば抜けていますね。静さんの作品の前に立つと、気付くと作品の中に引き込まれていて、描かれた世界を疑似体験出来るのです。なので、あぁ静さんは、このときこのように感じたのだとかこのような気持ちだったのだな、と伝わってきますし、それでいて、押し付けずにこちらが自由に感じる余白を残してくれている」

 纏う柔らかな空気とは少し違う、真剣な眼差し、真剣な声で語ってくれる橋真さん。

 感極まって泣きそうだ。こんな素敵な言葉を、賛辞を貰えるなんて思ってもみなかった。

 私にはまだまだ画力が不足していて、絵を描くことはとても難しい。

 それを理解し痛感した上で、それでも描きたいのだと声を張り上げ筆を走らせるのであれば、生まれ持った唯一の武器を研ぎ澄まし、一点突破を狙うしか戦法はない。

 昔、楽器と共に生きていた頃、幾度となく周囲から言われた言葉。

『作曲者から音符を奪うな』

 私は、4歳でピアノを始めて以来、演奏の技術的な部分では高校卒業までずっと天才と評価されていた。小学生で超絶技巧の中でも超難易度に括られるパガニーニも弾けていたし、ピアノの次、第二専攻の楽器、略して第二楽器を選ぶときも、学校中の眼に入った楽器を手当たり次第触ってみたけれど、初手で音が出せなかった楽器は一つもなく、すぐに卒業試験レベルの曲は演奏出来た。

 小学校では第二楽器、中学校入試からは第一楽器として勉強していたピアノ式アコーディオンも最初から何でも弾けたし、弾けない曲に出会ったことがない。

 但し、演奏出来る、というそれだけの話。繰り返すけれど、あくまでも技術だけ。

 私の出す音はどこまでいっても頑なに私の音で、作曲者の想いではなく私自身の想いを奏でている。音符を奪うとはそういう意味らしい。

 演奏者はそれではいけないのだそうだ。

 そうは言っても、だって私が弾く意味って、私の音は私の音で奏でるメロディーは私の言葉で、他では出せない自分を真直ぐに出して、真の私を認めてください。て、そういうことだもん。

 と、当時の私は何時(いつ)もモノローグで反発していた。だから、演奏者を辞めた。

 作曲の才能があったらまた違ったのかも知れないけれど、お前の音楽は必要ない。と全否定されたような気になって、その言葉にがんじがらめになって窒息寸前だったから。

 いまとなっては、代弁と自弁の場面の使い分けの必要性と重要性を理解出来るようになったけれど、情けなく悔しい程に、自分の音に固執していた当時の私には何も見えていなかった。

以前(いさき)の話、ご検討戴けましたでしょうか?」

「はい。ですが、私、皆さんのやろうとなさっているユニットのこと、よく理解出来ていないのです。教えて戴けませんか? どうやって集まったのか、目指す場所や見たいものなど…」

 そう。私は以前さんから、ほとんど聞いていないと言って過言ではないのだ。

「そうですよね? すみません。以前、舞い上がって、お伝えすべきことをお伝えせずに帰ってしまったようだと、昨日、西日くんから聞きました」

「いえ、大丈夫です。以前さんの気持ちは伝わりましたので。それで、以前さんが一緒に作品を作ってその場で勧誘なさったというのが橋真さんですよね?」

「そうです。それで、二人でメンバー集めを始めました」

「西日さんが三人目なのですよね?」

「はい。西日くんとは、以前も私もテレビドラマで一緒になったことがありまして、メンバーをどうするか考え始めたとき、二人の口から真っ先に出たのが西日くんの名前でした」

(藍って、そんなに認められているんだ? 凄いなぁ…)

 幼馴染として誇らしいような悔しいような…。

「これまでに以前か私のどちらか、もしくは二人共、仕事で一緒になったことのあるクリエイターの中から私達が組みたいと思う人間に声を掛けたのです。最後の画家だけは全く候補が浮かばなくて。けれど、ある日、以前が新星見つけたって興奮しきった様子で連絡して来まして。正直、以前に聞くまで私は静さんの作品を拝見したことがなかったのですが、すぐにシャルールに行きました。特に一番大きなキャンバスのあの一枚には度肝を抜かれて、以前があれ程にまで嬉しそうにしていた理由が理解出来ました」

 橋真さんは以前さんがそうであったように、私に一生懸命話してくれる。

「発足一年後の起業を目標にしています。それまでは、現在の所属のまま雇用形態を変更する等して、現状の仕事とユニット活動を並行して貰いまして、個人としてもユニットとしても知名度と実力をしっかりと向上させることと起業の準備をしていく予定です。ユニットの動きとしては、先ずは事務所を借りて、広報、営業、活動の拠点の確保を考えています」

「ユニット名は決まっているのですか?」

「それはまだです。メンバーが揃ってから全員で相談して決めようと思っています」

 橋真さんの話を聴いていると少しずつ現実味が増してきて、私がいま悩むべき点がはっきりと見えた。

 錚々たるメンバーと肩を並べられるクリエイターになれるのか? 足を引っ張らないと言えるのか? この1年、必死に描いても描いても、まだまだなのに…。



 橋真さんが帰った後、トラットリアカローレや、凛さんを始めとする世田谷工場の皆が来てくれたり、知人友人以外の方々もちらほらと有り、個展二日目も上々の集客で終えた。

 すぐに、バイト先へとバイクで走りながら、私は自身に繰り返し問い掛ける。

 橋真さんは帰り際、改めて言ってくれた。ユニット参加の件、前向きにご検討お願いします、と。

 私がやりたいことは何なのか? 私はどうして絵を描きたいのか? 

 絵の世界でも代弁と自弁はあると思う。

 今日、橋真さんが私の表現力を褒めてくれたことが本当に嬉しかった。同時に、音楽で付けた古傷に沁み、痛みを憶えた。

 私にとって、音楽と絵。どう違うのだろう…。私はピアノをやりたいと初めて感じたあのときのことを、もう忘れてしまった。

 けれど、弾けるようになるのかならないのか、そんなことは一瞬たりとも考えなかったことだけは分かる。

何故なら、とても小さかった私は、やりたいと思ったことが実力不足で出来なかったときの痛みも苦しみも悲しみもまだ知らなかったのだから。


 つくづく、ここが私の分岐点だ。

 フラグは立った。セーブは出来ない。

 絵を描く職に就きたくて、沢山の履歴書を書いた。沢山の面接を受けた。

 その全てに落ち、自分の人生に、これまでの選択に落胆したこともあった。

 テンプレの不採用通知にウンザリし悪態をついたこともあった。

 自分の長所やアピールポイントを問われながら、短所を数限りなく自覚して自分で自分に罵詈雑言を浴びせ続けた。

 そんな中で、根拠のある長所に一つだけ、一つだけだけれど、気付くことが出来た。

 私には、出口の見えない暗闇のトンネルに単身飛び込む勇気が有ります。


次回、side.Hi 5話 両肩に刻んだ消えない痕 は4月17日(火)午前0時掲載予定

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