side.M 4話 充ちることのない人
『私はね、欠陥商品みたいなものなんだよ。欠けているところを埋めてくれる人をいつも探していて......でも、いつだってそんな人は現れなくて、廃棄処分で、皆すぐに新品の良品を買うんだよ』
恋愛体質と呼ばれる人のことは俺にはよく解らない。
生きる、というそれだけのことを日々やっていく上では片想いも彼女も奥さんも特段必要とは思わない。
仕事と衣食住を賄える程度の金と好きなことと仲間。その4こが有れば問題なく生きていけるし、その4こさえ有れば俺の人生は幸せだと思う。
勿論4こともを手にすることがどれだけ大変なのかは分かっている。分かっているからこそいまの自分がどれ程有難い感謝すべき環境にあるのかも分かっている。分かっているからこそ、やはり4こが有れば、俺は生きていける。この先何年でも...。
「今日ね、夕方、打ち合わせが終わって会社に戻る途中、駅に向かって歩いてたらさ、向こうからきぃちゃんが歩いて来るなって。でも何時もと纏ってる雰囲気が違くて、隣に若い女の子も居て人違いかなと思ったんだけど、眼の前まで来たらやっぱり本人だって確信してちらっと顔を見たらきぃちゃんもそこでやっと俺に気付いて、めちゃくちゃびっくりしてた」
「お前それ、他言していいことなのか?」
「誰それ構わず言いふらすのはまずいだろうけど、アルカンシエルと待くんくらいならいいんじゃない? 俺達に隠してたわけじゃないって言ってたし」
まぁ、それなら大丈夫か、と待くんはウイスキーが入ったグラスの隣にチェイサーにしろという意味の水を置いてくれる。
「彼女、吾川 光ちゃんっていうんだけどね、ひいちゃんや藍くんと同じ歳くらい見えたから今年27。きぃちゃんが33だから6こ下くらいか」
「そこそこ離れてるな...でも、きぃくんも33には見えないからな。30って言っても通るんじゃねーか?」
「そうなんだよ。しかも、俺等に見せる橋真 黄侍の顔じゃないから余計に若くて、お似合いの二人だったよ」
「それは良かったな」
待くんがさり気なく俺の手元に置いてくれたピスタチオの殻を割り口に入れる。
「やっぱ、待くんが選んだピスタチオが一番美味しいな」
続いて2、3こと割ると、待くんが眼を細め小さく頷く。
俺の好物のピスタチオは少し前までは扱いがなかったけれど、俺が入り浸るようになったことで収穫量が少ないフランス産の甘く香り高い貴重なそれを現地の元同僚のツテで仕入れてくれている。
「そうそう、びっくりなのはこっからでね、きぃちゃん、今日が誕生日なんだって!」
「へぇ、そうなのか⁈ 知らなかったな」
「でしょ? たぶん俺達の誰も知らないよ。今日なら今日だって早く言ってよって話じゃん」
「あぁ、まぁな。で、二人で御祝いするってことか」
「そう。きぃちゃん、ただでさえ忙しいのに、5月に七色荘に引越してアルカンシエルの始動準備もあってデートの時間、中々作れなかっただろうから、誕生日くらいは彼女と二人で」
ウイスキーを一口飲み、またピスタチオを割る。
「なるほどな。それでお前は淋しくなってうちに来たのか」
よしよし、と大きく優しい手で頭を撫でられる。
「ちょっ、やめてよ。俺だってもういい歳のおっさんなんだから」
「はいはい、わかったわかった」
絶対に分かっていない顔と声で待くんは手を下ろした。
何時ものことだ。
待くんは子どもの頃に初めて会ったときから俺の頭をこうして撫でては柔らかな眼差しで俺を見る。俺にとっては幾つになっても手のかかる末弟だよ、と。
「すみません、オーダーお願いします」
テーブル席の二人連れに呼ばれ、カウンターを出て行く待くん。
少しの時間一人になった俺は、笑顔で去っていくきぃちゃんと彼女を思い浮かべてみる。続いて、食堂で他愛ない会話をする普段のひいちゃんと藍くん。
俺はあの人の隣でどんな顔をしていたのだろう...。
「どうした?」
注文を受けた酒を提供し終え、カウンター内に戻って来た待くんが俺を見る。
「充は何で俺と付き合うことにしたのかな?」
この5年、口に出すことなく自分の中だけでずっと考えていることを初めて溢した。
和歌名 充という女の人と出逢ったのは、俺が待くんの母校でもある国立本郷芸術大学に入学して少し経った頃のことだ。
俺は映像学科のCG専攻。4年間本郷キャンパスで、入学当初からよく大学のすぐ近くの美術館に一人で行っていた。
初めて見かけたあの日も俺は美術館に寄ってから登校して、キャンパスの中庭のベンチで2限の講義が始まる時間まで空を仰ぎぼーっと雲の流れを見ていた。
首が疲れてきて視線を下げると少し離れたところにある芝生のスペースが眼に入った。そこで一人寝転んで同じく空を仰いでいたのが充だった。
丈の長い落ち着いたピンク色のふわっとしたワンピースを着て、何をするでもなく唯空を仰ぐ姿は誰よりも何よりも自由で解放感に溢れていた。まるで美術館で観た一枚の油絵のように俺の眼には映った。
二度目は同じ学科の男友達と数人で大学内を散歩していたとき。待くんが専攻していたインテリアデザイン学科の様子を見たくて建築学部の校舎に入ってみた。
暫くして一周し終える頃、模型を抱えた線の細い女の人が俺達の歩く廊下の突き当り、垂直に交わる廊下を右から歩いて来て、通り過ぎ見えなくなる瞬間、足首まである丈のスカートがふわりと風に靡いた。
友人達にあの先って何だっけ? と訊いてみると、院の研究室だと教えてくれた。
その夜、院のことをほとんど知らなかった俺は本郷芸術大学及び大学院のホームページを開いた。
彼女を見た三度目はその建築学部大学院過程のページに在学中の先輩として載っていた写真だった。
俺の居た映像学科と院とは離れた校舎だったけれど、その後、不思議と彼女を色々なところで見かけるようになった。いつも一人で、本を読んでいたり音楽を聴いていたり、ぼーっとしていたり昼寝していたり。ゆっくりと風に流され漂う雲のように、気の向くままに学内を漂っていた。
その様は学内で目立っていて、学生達は口々に、あの人、ちょっと変わってるよね。と声を潜め遠巻きにした。
俺が初めて話し掛けたのは学内の作品の展示スペースだった。
『先輩の作品も在るんですか?』
『え? あぁ、えっと、あれ。あの薄い青色の模型』
『解説して下さいよ』
『建築、興味あるの? 君、学部は?』
『映像です。CG専攻です。建築は正直よく知らないです』
『何それ』
『はは、何ですかね』
内容何て、何でも良かった。俺は彼女が建築学部の院生で和歌名 充という名前だと既に知っていたのだからその名前で探せばどれが充の作品か当然判ったし、作品について何か訊きたいわけでもなかった。何故なら、見ればすぐに分かったからだ。唯々自分の造りたいものを唯々楽しく作ったんだなって。建築が本当に好きなんだなって。
声を掛けたのは、一方的に知っている相手ではなく、俺のことを充に知って貰いたかった。それだけのことだったのだから。
そうして知り合った俺達が彼氏彼女という付き合いを始めるまで時間はかからなかった。
待ち合わせたわけでもない偶然会っただけの屋上で、少し離れたベンチに腰掛け空を仰ぐ充の横顔に、先輩、今度学外でデートして下さい。俺の彼女として。と、唐突に告白したのだ。
当時充は院の1年で23、俺は大学の1年で19。そこから4年間、俺達は付き合っていた。
「それは旦那が居るのに何でそれをお前に黙って不倫していたかってことか? それとも、何で相手がお前だったかってことか?」
待くんは芸術大学を卒業してすぐに単身フランスに発ち、フランス料理の修行を積んだ。その6年間の修行時代に現地で雑貨店の店員をしていた1こ上の女の人 空杜 稍々さんと知り合い恋人関係を続けていた。
待くんが28になった年、つまりいまから7年前、帰国した待くんをフランスから追い掛けて来た空杜さんとシャルールオープン後、1か月して結婚した。
そして、空杜さんからの離婚届によって結婚生活に終止符を打たれた。
シャルールのオープン時には空杜さんもホール担当として待くんと働いていく予定だった。夫婦二人で頑張っていい店にしようと、永遠の愛と併せて誓い合って結婚したはずだった。
けれど、軌道に乗ったオープン3か月後には空杜さんは店に立たなくなり、順調に忙しくなっていった待くんに、店のことばかりで一緒に遊びに出掛けてくれないと言って不満をぶつけるようになり、大手商社のサラリーマンと不倫。さらに3か月後の結婚して5か月が経ったある日、明け方、営業を終えて帰宅した待くんは妻の欄が記入済の離婚届をリビングのテーブルの上で見つけたのだ。
その境遇から、旦那と、知らずして不倫相手になっていた俺と立場は逆だけれど、女の人に逃げられた男同士だと言って俺を励まし、俺が振られて5年経ったいまでも気に掛けてくれている。
「前者の答えは俺には解らないが、後者なら解かる」
待くんの眼が俺を真直ぐに見る。
「教えて」
「碧のことが好きだったからに決まってるだろ? 旦那や周囲の人間達と違って、お前は彼女の内側を見ようとしていた。彼女の言葉を表面的に聞かずに、そこに在る気持ちを受け止めようとしていた。だから、お前の横に居るのが心地良かったんだろうな」
月並みな表現しか出来ないけど、胸が締め付けられる思いがした。
俺のそういう想いが充に伝わっていたらいいなと思う。けれど、同時に何も伝わっていなかったらいいと思う。
結果的にあの人は俺に既婚者であることを黙ったまま俺の告白を受け入れ4年間も恋人関係を続け、何の予兆もなくある日突然俺の前から姿を消したのだから。旦那が転勤になったから自分もついて行く。いままでありがとう。とたったの二言だけを手紙として残して。
グラスの氷がカランと小さく鳴り、一気にウイスキーを煽る。
「ほら、落語なんかで三行半って言うでしょ? あれって、実際には三行半もないんだね。自分の言葉でせめて三行半くらい書いて欲しいものだよね」
「そうだな」
もう23年以上聞いている待くんの声が、静かにゆっくりウイスキーと一緒に喉を通り食道を抜け、身体に沁みていった。
俺は結局あの人の求めた何かを埋めることは出来なかったのだろう。
充たす と書く充という名前を付けられたあの人は何時でも何処まで行っても充たされることなく、求められた俺もまた充たしてあげられなかったということ。
それなら、俺は? 俺は充によって充たされていたのだろうか...。
スマホが数時間前に唐突に壊れ、電源を入れることすら出来ません。PCでツイッターを開いてこの最新話掲載をお知らせしたくとも、何故かログイン出来ず。パスは合ってるのに、何故ですかね...。
ということで、お知らせが出来るか否かわかりませんが、一読していただいた方がいらっしゃったのなら、御礼を申し上げます。今週もどうもありがとうございます。
来週も何卒宜しくお願いします。




