使い方を教えてください -2-
図書館内部。
フードを揺らすメルセは,掃除用具の入った籠を両手で持ち運んでいた。
少々力の必要な仕事だったが,彼女はそこまで苦を感じていない。
元々体力があるようで,易々と目的の場所へと運び終える。
用具棚の扉を閉めて,テュアの元へと指示を仰ごうとした時,妙な気配を感じて後ろを振り返った。
静かな空間が広がる中,本棚が数多くあるだけで人は誰もいない。
「テュア,さん……?」
心当たりのある人物を読んでみるも,反応はない。
彼女は外で雑巾を洗い流している頃だ。
当ては外れているが,未だ残る違和感に対してメルセはもう一度声を出す。
「誰か,私を呼んでる?」
先程から感じ取っていた妙な鼓動を,全身で自覚する。
冒険者のヴェルムが戻ってきたのかと勘違いしていたが,この気配は異質なものだ。
誰もいないのに,何かに見られているような視線を感じる。
嫌な予感がして外に出ようとした時,日の光とは異なる赤い光が足元から差し込まれる。
驚いて下を見ると,メルセを取り囲むように円形の輪が現れていた。
「これ……スキル……!?」
記憶のない中,この輪が空間転移を行うものだと思い出す。
だが,それに対処するだけの時間はない。
一瞬の内に輪はメルセと共に消え,その場には静かな図書館だけが残された。
●
『……!』
「今度は何?」
『これは,私の判断ミスです』
「どういうこと?」
『後で説明します。今は急ぎましょう』
メルセを巻き込む訳にもいかず,図書館を飛び出したテュアは,マドが指示する場所を目指して駆けていた。
目的地は村にある数少ない宿泊施設である。
距離としては大よそ数百m。
すれ違う人々の視線を受けながら,彼女は徐々に息を荒くしていく。
「というか,わざわざ私が行かなくても,冒険者の人達に頼めば……! 私が行って,どうにかなる問題なの!?」
『オーナーは,昨日の一件で錯乱状態であるという認識が,村全体に広がっています。魔物が人に化けている,と言っても狂言とされるだけでしょう』
「正論かもだけど,言い方……」
『加えて,相手は一体。私達が連携すれば,問題なく対処できます』
「いつからそんな冗談言えるようになったの?」
『冗談ではありませんが』
半信半疑だが,今の所マドの言葉に嘘偽りはない。
魔物が村に潜んでいるのなら見過ごすこともできない。
例え信じてもらえなくとも,その魔物を誘導して冒険者たちの前におびき出せば,狂言でないことも明らかになる筈だ。
そう考えて走り続けていたが,徐々に速度が落ちていく。
足も重くなり,膝に手を付き,遂にその場に立ち止まった。
「あ,ごめん。息が……」
『体力のなさ。想定外でした』
「寧ろ私に体力あると思ってたの……? ないんだけど……?」
『そうですね』
「簡単に同意されると,それはそれでムカツク」
距離的にはまだ半分は残っている。
どうしたものかと息を整えていると,不信がった村人の女性が声を掛けてきた。
「テュアちゃん,そんなに急いでどうしたの?」
「あー,ええと,魔物が現れたかなぁ。なーんて思って……」
「魔物? 冒険者の人達が見回っているから,そんなことはないと思うけど? テュアちゃん……やっぱり昨日のことが……」
「そ,そうでした! 勘違いですねー! 私,まだ寝惚けてるのかなー!?」
何とか魔物がいることを伝えようとするも,思い切り空振る。
昨日村人たちの前で,マドもとい虚空に向けて討論をしていたことが原因のようだ。
魔物の存在を仄めかしても,まず頭の心配をされて信じてもらえない。
予想以上に深刻である。
それを諭すが如く,優しい風が彼女の身体を通り抜けた。
「駄目じゃん」
『駄目ですね』
取り残された,互いの虚しい言葉が虚空に響いた。
●
冒険者たちが集う宿泊施設。
テュアから書物を借り受けたヴェルムは,宿の一室に戻り,冒険者たちが元々持っていた資料の近くまで持っていく。
置き終えた後は,何処に目を通しておくべきか,把握しやすいように軽くページを捲っていく。
少しの時間をかけて頭の中で大よそを理解し,紙のような付箋を複数挟むと,彼は宿から裏庭へと移動。
所々草の生えた誰もいない小さな裏庭で,軽く背伸びをする。
先行の冒険者が帰ってくるまでまだ時間があり,それ以外は自由時間とされているので,思うように身体を動かそうとする。
「後は鍛錬でもして……」
「いやぁ,これが冒険者ですかぁ」
すると背後から見知らぬ糸目の男性がやって来る。
恐らくこの村の住人だろう。
やけに上ずった声を出しながらヴェルムに近づく。
「生で見るのは初めてでしてぇ。少しだけ見せてもらってもいいですかぁ?」
「ええと,俺は駆け出し冒険者なので,見て良いことなんてないですよ」
「いやいや,そんなことありません。君からは,なんか風格が出てます」
「風格?」
「勇者の風格って奴ですかね?」
「いやいや……そんな適当なこと……」
ヴェルム自身,先輩冒険者の後を付いていくだけで,風格など一つもないという自覚があった。
剣術は他冒険者に認められているものの,それ以外は未だ不安が残るばかり。
大きな功績を残した者のみに与えられる勇者という称号には,あまりに不釣り合いだ。
しかし,この男性はそんな反論に耳を貸さず,ヴェルムの携える剣の鞘に手を触れた。
あまりに不用心な動きだったので,流石の彼も対処に遅れる。
「この剣見せてくださいよ」
「いや,ちょっと,危ないですって」
「いやぁ,確かに危ないですよ。こんなもの……」
だが不意にその手が止まる。
男性は腰に手をまわし,体勢を低くする。
妙な動きにヴェルムが戸惑っていると,一瞬だけその奥から鋭い光が見えた。
「早く始末しておかないと」
「っ!?」
瞬間,男性の手から光の筋が放たれ,ヴェルムに迫った。
彼はその動きを見切り,寸での所で回避する。
よく注視すると,男性の手には刃渡り数十cmはありそうな刃物が握られていた。
一体,何故こんなことをするのか。
考えるよりも先に剣の柄を持ち上げると,男性の姿が崩れる。
蜃気楼のように揺らぎ,代わりに現れたのは白骨の魔物・スケルトンだった。
「チッ……中々反応が良いな」
「スケルトン!? 人に擬態できるなんて!」
距離を取って剣を抜いたヴェルムは,戦闘態勢に入る。
この個体だけが特別なのか,人に擬態できるスケルトンなど聞いたことがない。
人の言葉を話す知能の高さからしても,ただの魔物ではない。
剣を握り直した瞬間,スケルトンがナイフで襲い掛かる。
その攻撃を剣で受け止めたヴェルムは,鍔迫り合いの中で問い掛ける。
「昨日出た奴らと同種の魔物か! 村を襲って,一体何が目的なんだ!?」
「襲う? この村なんて,我にはどうでもいいことだ。目的はただ一つ。あの方の復活を邪魔する敵を排除する。ただそれだけなのさ,勇者サマ?」
「だから,俺は勇者なんかじゃ……!」
言っていることが理解できず,苦しい声を上げる。
全体の動きは遅いが,一人で仕留めるには危険要素が多すぎる。
単独で乗り込んでいる気味の悪さから見ても,他の冒険者と合流するべきだ。
そう思っていた矢先,別の気配が現れる。
「あの……こんなに走ったの久しぶり……なんだけど……」
『バテるには早いです。前を見てください』
「魔物! と,さっきの人!」
騒ぎを聞きつけたのか,先程図書館で出会ったテュアが現れる。
加えて,その傍では得体の知れない青い窓が浮かんでいる。
彼女はこちらの騒動に気付いて息を呑むも,それを察知したスケルトンもそちらを向いた。
魔物の赤い眼光が容赦なく射抜く。
「いけない! 下がって!」
ヴェルムが声を上げる。
村の人が標的にされかねない今,四の五の言っている状況ではない。
力で押し返し,体勢を崩したスケルトンに剣を振り下ろす。
鍛錬で幾度となく行った剣術の一つ。
彼の剣が魔物を頭から両断した。
赤い瞳が消え,分断された骨が音を立てて地に落ちる。
駆け出し冒険者とは言え,彼の腕は確かなものだった。
「やったの?」
『いえ,この反応は……』
だがその瞬間,地面から得体の知れない赤い光が浮かび上がる。
その範囲は裏庭一帯を覆い,ヴェルムだけでなくテュアにまで行き届く。
突然のことに,皆が反応できずに立ち竦む。
円陣の中心にいた,崩れ落ちたスケルトンがカタカタと骨を鳴らした。
「端からお前を倒せるとは思っていなかった。だから,この罠を仕掛けておいたのさ」
「まさか,魔物がスキルを……!?」
撃破されると同時に発動するスキル。
魔物の思惑を一早く理解したマドが,大きな声で警告した。
『空間転移です。衝撃に備えます』
「か,身体が動かな……!」
既に発動したスキルを止めることは出来ない。
動くよりも先に,テュア達は赤い光と共に一瞬の内に消え去った。