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声を届けよう -1-




メルセは母が失踪した日から,スキルを発現していた。

悲嘆が引き金になって生まれた力なのかは分からないが,彼女には確かな素質があった。

だが魔王の力は強大過ぎた。

洗脳に近い形で暴走する魔物達は,防壁となって人々の侵攻を防いだ。

魔王が封印された地,メルセの故郷だった村は魔物の巣窟と化し,集結した人々も攻めあぐねている状況だった。

メルセ自身も,素質だけで切り抜けられるものではない。

そんな時,一人の男が彼女の元に現れる。

皆のどよめきを浴びるその人物は,機巧卿と呼ばれる赤髪の男性だった。


「やっと見つけたぞ」

「……誰ですか?」

「アンタの母親の知り合いだ。もしもの時があった時,よろしく頼むと言われていてな。その事情もあって,引き取りに来た」

「必要ないです」

「はぁ?」

「もしもの時なんてありません。だって母はまだ生きていますから」

「ったく……アンタがどう思おうが構わん。俺は無駄死にを許すほど寛容じゃない」


人と関わることを避ける彼女に,男は何の躊躇いもなく踏み込む。

口調の乱暴さも含めがさつさはあったが,表情は真剣だった。


「目的は母親に会うことだろう? なら,俺と似たようなモンだ」

「え……」

「魔王をブッ倒して,アイツに会いたいならついてきな。俺が戦い方を一から叩き込んでやる」


母の知り合いを名乗った機巧卿は,王都内でも孤立しかけていたメルセを受け入れた。

聞くところによると,母が常に服用していた薬を製造した張本人なのだという。

男が懐から取り出した包みは,かつて何度も見た懐かしい薬の袋だった。

それを見たメルセは,王都に来て始めて人に歩み寄る感情を抱いた。


男に身寄りはいない。

元々気難しい人物だったようで,今回のように誰かを引き取ることは始めてだったらしい。

ただその得体の知れない技術力は王都のどの人物も敵わず,単独で魔物の群れを押し返したという実績もあった。

そんな功績から授かった称号が機巧卿。

平凡な一般人が卿と呼ばれる地位を上り詰めたことが,異質さを物語っていた。

だが彼は名声に興味がなく,寧ろ卿で呼ばれることをあまり好まなかった。


「お前の治癒能力は,本来希少かつ後方支援で活かされるモンだ。先ずはその力を最大限に使えるようにしろ」

「はい」

「言っとくが,短時間で使いこなすとなりゃあ並大抵のことじゃないぞ。血反吐流しても構わない位の覚悟を決めろ。本来お前みたいなガキが戦場に出るなんざ,御法度なんだからな」


王都から少し離れた兀山,そこにある洞窟のような場所で,メルセはスキルに関する特訓を行った。

そこからは大の大人でも音を上げそうな日々の連続だった。

当然子供に教えるという配慮は一切ない。

それでも彼女が諦めることはなかった。

魔法陣内にいる者の傷を癒すというスキルを使いこなすため,精度と密度を着実に伸ばしていく。

半年という短い期間で王都に帰ってきたメルセの実力は,異常ともいえるものに変わっていた。

あらゆる傷を完治させる魔法陣は子供の域を超え,守人と呼ばれるに相応しい。

ただ,執念の塊同然である姿を見て,そう呼ぶ者は誰一人いなかった。


「今の私なら,母を治せるでしょうか」

「アイツの持病は体質みたいなものだ。傷を治すだけの力じゃあ,通用するか怪しいな」

「……」

「露骨に落ち込むなよ。その歳で俺に付いてきた上,そこまで精度を上げられれば上出来だ。それにまだ伸びしろもある」


機巧卿は他の人々と違い,彼女に対して畏怖や嫌悪を抱くことはなかった。

最初に出会った頃から,遠慮なく心の中に踏み込んでくる言い方は変わらない。

メルセにとって,彼は家族ではなく超えるべき壁のような存在だった。

彼には千手とも呼べるほどの多種多様な戦い方がある。

幾つかの戦いを共にしたが,成長したメルセであっても未だ力不足を感じる程,その強さは歴然としていた。

仮に途中で挫折していれば,自分は彼に切り捨てられていたのだろうか。

ある日その疑問を投げ掛けたが,返ってきたのは意外な答えだった。


「別に諦めるならそれでも良かったんだよ。俺は最後まで面倒を見るつもりだった」


母との約束は守る。

滅多に感情を出さない彼が,一度だけそう言う。

魔王に挑むのも何らかのケジメがあるらしく,顔を背けた後で一言付け加えた。


「別に大した話はない。俺には,どうしても決着を付けなくちゃいけない相手がいるんだ」

「決着?」

「お前にも魔王を倒す目的があんだろ? それと同じだ」


機巧卿は遠い目をするだけだったものの,その意味を知る機会は直ぐそこまで迫っていた。

数か月後,複数の国を巻き込んだ内乱が勃発したのだ。

その中心にいたのは,魔王の元に下り新天地を目指そうとする教団だった。

ザハーク様の意志を受け入れれば,あの方は我々を導いてくれる。

そんな支離滅裂な言葉と共に,人々を強制的に洗脳していった。

狂乱する魔物だけでなく,知恵を持つ種族である人でさえも,魔王の瘴気に惑わされるようになったのだ。


元々教団はメルセ達を最優先排除対象として認識しているようで,交渉の余地はなかった。

裏切りや奇襲を重ねた卑劣な戦法で,徐々に彼女達は退路を断たれていく。

加えて教団にはあらゆるスキルを無効にする得体の知れない力があり,対抗する者達を薙ぎ倒していった。

唯一メルセのスキルはそれを免れたが,結局は傷を癒すだけの力だ。

対抗できるのは機巧卿の武力だけ。

それを理解した彼は全ての技術を用いて,国境付近に存在する教団兼内乱指導者の巣窟へ飛び込む覚悟を決めた。


「どうして……」

「どうも,こうもない。俺以外にヤツは倒せん。他に手がないなら,俺が行くしかないだろ」

「私も行きます……! だから……!」

「馬鹿が。お前を死なせでもしたら,それこそアイツとの約束が守れない」


力なく首を振るメルセは,王都に残るよう諭されるだけだった。

男は自分にしか出来ないことをするだけだと語るも,実はもう一つ理由があった。

教団を率いる教祖こそ,以前決着をつけると仄めかしていた相手なのだという。

教祖に関する情報は,素性も含めて一切判明していない。

それでも直感めいた何かが働いているのか。

無理にでも付いていこうとする彼女を,彼は目線を合わせて語り掛ける。

その表情は今まで見たこともない程に,柔らかなものだった。


「いいか? 自分の足で立つだけじゃ駄目だ。誰かの手を貸りて,そこから歩いていくことが重要なんだ。人を頼れ。人を信じろ。お前はもう,ただのガキじゃないんだ」


背を向けた男の姿が,母が遠ざかる光景と重なる。

メルセはただ手を伸ばすも,虚しく空を切るだけだった。

それから数日後,魔王を信仰する教団は完全に壊滅した。

信者達は我に返り無力化されたが,代わりに機巧卿と呼ばれた男は最後まで戦い,命を落とした。

彼の勇姿は讃えられ勇者と呼ばれると共に,メルセは一人取り残されることになった。

彼の意向によって莫大な遺産を相続することになったが,表情は更に陰りを見せていた。


癒しの力だけでは何も解決しない,何の意味もない。

彼のように圧倒的な武力を持たなければ,何も守れない。

母に会いに行くことも出来ない。

それから彼女は,スキルの使い方を変貌させる。

癒しのためにあった魔法陣を,物理的な威力を持つよう改変させていった。

無論そんな荒業は,自身の体質や構造を組み替えるような,不可能とも呼べるものだった。

それでも彼女は,人体の研究と実験を繰り返し無理矢理に完成させる。

幸い自分の身体への実験は,本来の治癒能力によって回復が可能だった。

失敗しては治癒し,模索しては治癒を繰り返す。

幼い彼女の身体が,妙に大人びていたのはその影響からだった。

あの娘の戦い方は正気ではない。

戦いの場でそう呼ばれるのも当然だった。

既にメルセは機巧卿の最期の言葉を忘れ,金色だった髪はスキル酷使の影響から,次第に白く濁るようになっていた。


「君がメルセだね」


母の失踪から一年。

そして人々が魔物の侵攻を押し返し,魔王への進撃を始めた頃。

戦場でメルセは一人の戦士と出会う。

その際,彼女は度重なる戦闘で憔悴しきっていた。

無理に魔物の群れに突撃したことで逆に取り囲まれ,危機的状況に陥っていたのだ。

戦士はそんなメルセを救い出した。

どれだけ命を救っても恐れられるだけだった彼女が,久しぶりに自分を案ずる人物と対面する。


「機巧卿……勇者だった彼のことは聞いている。君が偏執の守人と噂されていることも。でも,その戦い方はあまりに酷い。本来の能力を無理矢理攻撃へ転換させるなんて,身体が持つ筈がない。今の君は,その反動を一身に受けている状態なんだ」


王都のとある一室に運ばれていたメルセは,ベッドから身体を起こそうとするも,直ぐに異変に気付く。

身体が動かない。

縛られている訳でもなく,傷も完治しているというのに,指一本動かせない。

彼女の全身は休む間もなく戦い続けたことで,限界を迎えていたのだ。


「傷は治せても,寿命は縮まる一方だ。早死にしたいなら何も言うつもりはないが,君も目的があって魔王に挑んでいるんだろう? だったら,一先ず俺の言うことを聞いてほしい」


無理矢理身体を動かそうとしても,視界は一切変わらない。

メルセは自身の状況と,彼の言葉に従わざるを得ないことに気付いた。

彼女を救った男は,剣聖の称号を持つ随一の戦士だった。

かつては冒険者だったようだが,魔物との戦いで真価を発揮し今に至るという。

教団との対決には活動場所が異なっていたことから駆け付けられなかったが,並外れた剣術と能力はあの機巧卿に匹敵すると言われていた。


偶然とも言える,強者との邂逅。

気味悪がって誰も近づかないメルセを,剣聖は王都の隠れ家のような場所で介抱した。

当然,彼も瘴気に当てられた魔物を撃退する任がある。

色々な交渉でようやく首を縦に振った医師の手も借りつつ,数か月間彼女は徐々に身体の機能を取り戻していった。

代わりに身体能力はどんどん鈍っていく。

今まで叩き込んできた経験や知識が腐っていくのを,メルセは感じ取った。

故にある日,剣聖に剣を教えてくれないかと頼みこんだ。

今回魔物に取り囲まれたのも,元は戦う力が足りなかったからだ。

スキルに頼らない技術力があれば,きっと今のような失態はしない。


「嫌だね」


彼はキッパリとそう言った。


「死に急いでいる子に教える剣術はないんだ。元々剣すら握ったことない君が,そんなこと出来る訳ないだろう」

「……」

「分不相応に力を振るうことが何を意味するのか。君はもう,思い知っている筈だよ」


ある程度のことは自力で出来るようになったが,元の調子には程遠い。

今出来ることは,無理に酷使し続け混迷状態となったスキルの在り方を正すこと。

戦うのは二の次,三の次だ。

突き付けられた事実に俯くメルセに向けて,剣聖は続ける。


「力技でこじ開けたものを元に戻すのは難しい。無理に正せば,それは急激な悪化に繋がってしまう。必要なのは均衡を保つこと。スキルの使い方を少しずつ是正することだ。剣は教えられないが,そのくらいの指南はしよう」


均衡を保つ。

奇しくも母の病状と同じ言葉を聞き,メルセはそれ以上の抵抗をしなかった。

以降,剣聖は合間を縫って彼女にスキルの調整方法を手解きした。

更に彼女の身に何が起きているのか,その事情も説明する。

かつての容体は,スキルを生み出す蛇口があるとして,それを調整もせずに全力で振り絞り続けた結果なのだという。

蛇口が壊れてしまい,身体にも影響が広がったことで脳の防衛機構が働き,一時的に感覚が麻痺。

今ようやくその麻痺が,蛇口と共に修復に至った所らしい。

剣だけでなく,彼はスキル操作に関して類稀なる才覚を有していた。

感覚としては,針の穴に糸を通すような微細な出力を,目を瞑ったまま何十何百と可能にする精密さである。

彼曰くこれは才能ではなく,血の滲む努力をした結果だという。


もう一度無理に力を放出し,限界を迎えれば,今度は二度と身体を動かせなくなる。

剣聖からの忠告の元,メルセは慎重かつ的確な力の調整を,彼の指導と自己学習の中で繰り返した。

治癒の魔法陣と,攻守一体の物理的魔法陣との調整を次第に理解していく。

時は刻々と進んでいったが,それと同時に魔王の力は徐々に弱まっていた。

機巧卿が教団を壊滅させて以降,魔物に対する瘴気の量は減少傾向にある。

命を賭して戦った彼の決断は,無駄ではなかったことが証明された。

ただ,メルセに対する人々の感情は芳しくなかった。


彼女の戦いぶりは,周りを巻き込み危害を加える。

今ここで完治させてしまえば,また際限なく魔王に挑み続ける。

一部の者達は,得体の知れないメルセに抵抗感を抱いていた。

だが,剣聖は彼女を手放すことはしなかった。

何故そこまでして,良い噂の聞かない自分を庇うのか。

気掛かりだったメルセに彼はこう答えた。


「俺も失踪した姉を探している。もう諦めた方が良いって何度も言われ続けても,20年近く世界を駆け回った。今こうして魔王に挑んでいるのも,そこに姉がいるかもしれない。そんな望みがあるからだ」

「……」

「随分不思議そうな目をするね。理由は単純だよ。姉が失踪したのは,俺が原因なんだ。未熟だった俺が,不注意からあの人を巻き込んでしまった結果だ。あの時の光景は今でも目に浮かぶ。誰にも合わせる顔がなくて,何もかも投げ出しそうになったこともある。それでも,諦めたくなかった。生きているって,信じたかったんだと思う」


彼は己のスキルと向き合い,剣聖と呼ばれるまでに成長した。

だが,彼には剣聖という称号以外には何もなかった。

失踪した姉を取り戻すために,今まで得られた筈のものを全て切り捨てたのだ。


「君を見ていると,昔の俺を思い出す。もしかしたら,俺達は似た者同士なのかもしれない」


まるで自分のことを見透かされたようで,メルセは俯いていた顔を上げた。

家族を見つけられず,それでも自分を律しながら生き抜いてきた剣聖の姿が映る。

仮に同じ状況に立たされたとして,20年もの間,ここまで悠然としていられるだろうか。

メルセに即答するだけの自負はない。

ただ彼と共にいれば,自分を見失わずにいられるかもしれない。

共感を抱くも,その繋がりも長くは続かなかった。


突如,王都全体を襲った次元の渦。

メルセを含めた王都の人々は,その渦の果てにある大地へ強制的に飛ばされる。

飛ばされた先は,世界の何処にも存在しない謎の場所だった。

砂塵の嵐が数日に一回,空を覆う程の大波となって押し寄せる不毛の星。

彼らを巻き込んだ渦の気配が,魔王のそれと酷似していたことから,その元凶もザハークの仕業であることは周知の事実となった。


常に舞い散る砂は人体には毒だ。

この場にいては一週間と持たない。

彼らは裂かれた大地のような渓谷で身を寄せ合い,必死に脱出する手掛かりを探す。

しかしそれを妨げるように,元々この星に住んでいた先住民達が襲い掛かってきた。

理由は分からないが,交渉の余地はなかった。


「7ZOFSO5¥」


意味不明な言葉を繰り返しながら,王都の人々を捕えようとする。

メルセも抵抗を続けたが,万全の状態でないこともあって徐々に圧されていく。

そんな状況下,唯一圧倒的な力でねじ伏せたのが剣聖だった。

光の剣筋を放ちながら,砂嵐や敵を尽く撃退する。

それでもこのまま防衛に徹していては,人々を救えない。

好転の気配がないと悟っていた彼はこの先へ進み,帰還への手掛かりを探しに行くことを決心する。


「これでも俺は剣聖だからね。なんてことはないさ。君だけじゃない,王都の人達は俺が命を賭けても,元の世界に帰す」


確証などない。

最早元の場所に戻る手立てはないのかもしれない。

人々が諦める中,彼は不毛の地の先に,帰還する方法があることを予感していた。


「ここは星の果てだ。ザハークと関係がない筈がない。それにこの先で姉さんが呼んでいる。そんな気がするんだ」

「……」

「駄目だ。君はまだ万全じゃない。皆の所に戻るんだ」

「……!」

「君は母親に会いに行くんだろう? なら,行き先が違うよ」


砂をかき分けて後を追って来たメルセは,どうにかして引き留めるも,他に方法がないことを知らされる。

それは戻って来られる可能性が,限りなく低いことを意味していた。

母のことを話に出されたこともあって,彼女は何も言えなくなる。

結局,今出来ることは死地へ赴く者を見送ることだけ。

あの時と何も変わっていない。

震えるメルセの手を,彼はゆっくり握る。

砂で汚れていたが,そこには確かな温かさがあった。


「今は動乱の最中だ。君のことを恐れる人もいると思う。でも,どうか皆のことを信じてあげてほしい。彼らにも俺達と同じように大切な家族が,仲間がいるんだ。それを忘れずにいれば,きっと分かってくれる人ができる」


言葉を紡ぐよりも先に,彼の姿は砂の果てに溶けてなくなる。

横薙ぎの風塵を受けつつ,メルセはその場から動くことが出来なかった。

それから半日後。

渓谷で僅かな望みを抱いていた人々に異変が起きる。

何処からともなく巨大な轟音が響き渡ると共に,突如現れた光の渦が,皆を包み込み次元の狭間へ導いたのだ。

その光は,幾度となく剣聖が見せていた剣筋の煌めきと似ていた。

幾つもの星を超えるような光景が過ぎ去り,次に気が付いた時には,彼らは元の王都へと帰還していた。

始めは夢や幻覚を疑ったが,全身に纏わりついた異星の砂がそれを否定する。

加えて一瞬の内に王都の人々が消えた怪奇現象が,既に国内で大々的に取り上げられていた。

失踪した人々を探す者達と出会い,ようやく元の世界に戻ったことを皆が理解,歓喜した。

衰弱していた者もいたが,結果として誰も犠牲になることはなかった。

ただ一人,砂礫の星に立ち向かった剣聖を除いて。

メルセは彼の帰りを待ったが,どれだけ経っても戻ってくることはなかった。


王都を救った剣聖の偉業は評価され,機巧卿と同じ勇者の称号を得ることになった。

同時に魔王の力は弱体化していった。

瘴気の量は更に薄まり,魔物の中でも自我を取り戻す個体が生まれ始める。

だがそれと同時に,魔王を封じていた結界も消滅寸前となっていた。

結界が消え去れば逃亡を許し,再び力を蓄えさせる結果になりかねない。

魔王を倒すまであと少しであると実感した人々は,遂に大規模な侵攻を試みる。

その中には当然メルセもいた。

最早彼女には戦うこと以外の選択肢が残されていない。

母に会いに行く。

ただそれだけを抱いて,スキルの使い方を更に変貌させていった。

剣聖から学んだスキル行使によって,全身を物理的魔法陣で覆う。

骨から血管の一本に至るまで微細な陣で覆いつくし,その強度を鋼に匹敵するまでに迫らせる。

大小様々な魔法陣を投擲し,肉体は強固な防御陣で覆い強引に突破。

仮に傷を負ったとしても元々の治癒能力で即座に癒す。

まさに一騎当千,今までの後悔と無力さが生み出した結果でもあった。

代わりにメルセの髪は全て色素が抜け落ち,雪のような白色へと変化する。

母と同じ金の色は,もう何処にもなかった。


「貴女,あの機巧卿や剣聖の教え子と聞きましたわ」


最後の戦いが間近に迫る中,一人の女性がメルセを訪ねた。

黒髪を靡かせる彼女は,佇まいから貴族のような気品らしさがあった。

魔王の元へと侵攻する戦士たちが集まる中には,どうにも似つかわしくない。


「とりあえず,ワタクシと組みなさい。話はそれからよ」


女性は有無を言わせず,相棒となるように進言した。

今まで単独で行動してきたメルセからすれば,それは傍迷惑なものだった。

自分の傍にいては不幸になるだけと,目的を聞くことなく背を向け続ける。

しかし女性は何度でもその後を追い,行動を共にしようと迫った。

どれだけ無下に拒んでもやって来るため,仕方なく事情を聞くことにする。


「魔王を打倒できる方を探していました。ワタクシはあらゆる地を巡っていましたが,それだけの力を持つ人に,今まで出会えなかったのです」


どうやら女性は,魔王を更に弱体化させる方法を知っているのだという。

真摯な態度から偽りでないことは直ぐに分かった。

ならば皆にそれを伝えれば良いのだが,曰くそう簡単な話ではないらしい。


「そのためには,魔王の瘴気を超えることができ,ワタクシよりも強い人が傍にいなくてはならないのです。その条件に当てはまる人物は,貴女しかいなかった」


女性が口にしたのは,皆の前に立ちはだかる最後の壁。

魔王が封印された地,メルセの故郷を覆う瘴気の渦だった。

幾ら弱体化したとはいえ,ザハークの周囲には今も強力な穢れが蔓延している。

並みの者では触れるだけで幻覚と幻想に苛まれ,前後不覚に陥ってしまう。

突破するには強靭な精神を持つ者でなければならない。

メルセや女性自身を除いて,それが可能だった人物は機巧卿と剣聖の二人のみ。

彼らを失った今,残された頼みの綱は彼女のみだと語り,続けてこう言った。


「先に言っておきます。この方法,ワタクシが生き残る可能性はありません。これはワタクシの命を代価に,魔王の力を打ち消すものなのですから」


女性は巫覡という異名を名乗っていた。

主に仕え,主のために力を振るう存在を指す言葉だ。

恐らく彼女は,何か特別なスキルを以って魔王を弱体化させるのだろうが,やり方などこの際どうでも良い。

また私に,死に目に立ち会えというのか。

そんな目をしたメルセに,女性は目を伏せた。


「ごめんなさい。幼い貴女が,お二方を看取ったことは存じています。それを知った上で,こんな残酷なことを伝えていることも承知の上です。しかし,これ以外に方法がないのです」


既に女性は,家族に最後の別れを告げてきたらしい。

無策な訳でも,自棄になった訳でもない。

自分にとって大切な人達を守るために,己を犠牲にするしかないと断じていたのだ。


「お父様やお母様,皆さんを守るためにも……どうしても,ワタクシは成し遂げなければならないのです。どうか……どうかお願いします」


女性には,それ以外の道が残されていない。

そうすることでしか,自分に価値を見出せない。

頭を下げる女性に対して,メルセは以前と同じような拒絶ができなかった。

前もって命を落とすと明言したのは,戦いの中でメルセを動揺させないためだろう。

ありがた迷惑でしかないが,確かに心構えさえしていれば少しは割り切れる。

それを自分に言い聞かせながら,仕方なく,共に行動することを選んだ。


当然,馴れ合いはしたくなかった。

余計な感傷に浸りたくないというのがメルセの思いだった。

女性もそれを理解してか,あまり交流を持とうとはしなかった。

そんなぎこちない関係の中,二人は最後の戦いに挑む。

戦士たちが切り開いた道を抜け,魔王が放つ穢れを進む。

見えてきたのは,かつての故郷。

放棄されたことで荒れ果てていたが,殆どの家が未だ原形を保っていた。

そこには母と共に暮らしていた,懐かしい実家の姿もある。

思わずメルセの脳裏に幼い頃の記憶が蘇った。


しかし,それは単なる想起とは違う。

瘴気によってメルセは幻覚に囚われていたのだ。

共に行動していた筈の女性の姿は消え,吸い込まれるようにかつて住んでいた家に足を踏み入れる。

荒れ果てている筈の内部は小綺麗に整理されており,そよ風すら流れ込む。

そして温かさすら感じられる食卓には,いつものように,料理の準備をする母の後姿があった。

この光景を見るのは,本当にいつぶりだろうか。

呆然としたメルセは,未だ自分に気付いていない母を振り向かせようと手を伸ばす。

だが微かな風に靡き,視界に映った自身の真っ白な髪を見て踏み止まった。

何故,母と同じはずの髪の色が違うのか。

自分は今まで何をしてきたのか。

それを思い出したメルセは,目の前の光景を魔法陣で薙ぎ払った。


彼女を惑わしていた幻想が一気に飛散する。

母の姿も消え,そこにあるのは荒れた食卓だけだった。

ポッカリと穴が開いたような感情が沸き上がり,振り切るが如くメルセは家から飛び出した。

探すのは今まで行動してきた女性。

自分が幻覚に囚われていたなら,同じ状況に立たされているに違いない。

その身を案じ,立ち込める瘴気を払いながら進む。

すると村はずれの一角,広場のような場所に彼女は立ち竦んでいた。

慌てて近づくと,俯いていた女性は顔を上げて微かに笑った。


「ザハークの瘴気を乗り越えたようですね……良かった……」


女性の周りには異様な程の瘴気が渦巻いていた。

メルセが近づいても,彼女が歩み寄る様子はない。

それは魔王の幻覚に逆らえなかったことを意味していた。


「涙を流すお父様やお母様達を見て,迷いを捨てきれませんでした……。もう……戻れないことは分かっている筈なのに……」


女性の姿が,闇のように濃い影に侵食されていく。

それは過去に,この村を呑み込もうとした魔王の本体だった。

弱体化した魔王が次の肉体を求めて,憑依しようとしているのだ。

このままでは身体だけでなく,意志すらも呑み込まれてしまう。

だが,女性に恐れや不安はなかった。


「ですが,これで良いのです……。今,ワタクシとザハークは一体化しつつあります……。貴女の力も……今なら確実に通ります……」

「……」

「メルセ……! ワタクシを,魔王を倒して……!」


女性は自分よりも強い人を探していた。

まさか,こうなることを予期していたのだろうか。

躊躇っている時間がないことに気付いたメルセは,下唇を噛みながら魔法陣を纏う。

今まで培った力を以って,魔王に憑依された女性と敵対した。


荒れ狂う戦闘の余波が,故郷だった村を壊していく。

女性から繰り出される拳は大地を割る程に凄まじいものだったが,目論見通りメルセのスキルの方が優れていた。

何重にも束なった魔法陣で,それらの衝撃を完全に封殺する。

加えて魔王に取り込まれながらも,自身の力を抑えていたのかもしれない。

メルセの反撃に殆ど防御することなく,徐々に体力を失っていく。

そんな戦い方をしていれば,どちらが勝ち残るかは明白だった。


メルセの視線の先には,膝を屈する女性の姿があった。

致命傷は与えていないが,最早抵抗する力も残っていない。

すると女性は傷ついた身体でおもむろに立ち上がった。

何をする気だろうと身構えたが,彼女は魔王の力が弱まった瞬間を狙って憑依から脱し,残された力を振り絞ったのだ。

崩壊した村一帯に聞こえる程の鼓動と振動が鳴り響く。


「後を……頼みます……」


瞬間,女性の背中から灰色の翼が生まれる。

辺り一面の暗闇を吸収し,羽を辺りに巻き起こしながら肥大化していく。

これが女性のスキルなのか,元々の体質なのかは分からない。

ただ人一人の背丈を容易に超える翼は,そのまま彼女を包み込んだ。

そして灰色の翼が周囲全ての瘴気を吸収した直後,ピシッと罅が入る。

メルセは声を上げたが,既に遅かった。

翼は一瞬の内に粉々に砕け散り,瘴気と共に崩れ落ちた。

女性も例外ではなく,これこそが自らの命を代価に魔王を弱体化させる方法だったのだと知る。

メルセは脱力しそうになりながら,粉塵となって消える様を見ることしかできなかった。


だが,その中から一つの物体が現れる。

それは魔王の本体,直径1m程の黒い球体だった。

瘴気と力の大半を失い,その周りを白い結界が取り囲んでいる。

微かに母の力を感じさせる封印術は,魔王を封じていた結界であると直ぐに分かった。

故郷を奪い,母を奪った魔王が今,目の前にいる。

メルセは自然と言葉を紡いでいた。


「かえして……」


今にも波打ち,姿を変えそうな魔王に対してゆっくりと歩き出す。

何人もの仲間を見送った魔法陣を,今一度解き放つ。


「かえしてよ……!」


今までの感情を全てぶつけるつもりで,その球体を真っ二つに分断する。

直後,魔王が声を上げた気がした。


『―――』


封印の結界が消滅すると共に,割れた球体から黒い泥が流れ込む。

不意を突かれたメルセは,泥から脱出しようとするも間に合わない。

彼女の右足を捕えた泥は,得体の知れない回路模様を灯しながら,とある術式を展開する。

憑依体を失った魔王は,残された力で最後の手段に出たのだ。


それは過去に遡り,自らの傷を癒すこと。

脅威となる者達から逃れる時間を稼ぎ,完全な復活を果たすことだった。

魔王の時空転移に巻き込まれたメルセは,なす術もなかった。

目の前の景色や身体の感覚が,魔王と共に時空の流れへ呑まれていく。


「あ……」


時は巻き戻り,今までの経験や記憶が消えていく。

決して手放すことのなかった最後の願いが,泡のように弾けていく。

そうして彼女は過去に飛ぶと共に,魔王・ザハークに捕らえられた。


意識を取り戻したメルセは,過去に飛んだ衝撃で以前の記憶を失っていた。

当然魔王もその代償として,殆どの意識と正気を奪われた。

僅かに残った意志で地中深くに辿り着き,力を失った彼女を利用しようと企んだのだろう。

今後の目的のため,瘴気から生まれたスケルトンの王・ストルスに明け渡される。

当初メルセは,自分が何をしているのか,目の前の魔物達が何者なのか分からなかった。

だが急に不穏な予兆を感じ,一心不乱に逃亡した。

前に進まなければならない。

何かを成し遂げなければならない。

そんな感情に突き動かされ,スキルの使い方すら分からないまま,背後から迫るストルスの追手から逃げ続けた。

果てがないかに見えた地下洞窟。

蓄積した疲労を振り切って辿り着いたのは,暗闇を裂く一筋の光だった。

いつの間にか,追ってきていたスケルトン達は消えていた。

走る力を失い,倒れそうになる身体を支えながら進む。

そして日の光を見た瞬間,何処からか懐かしい声が聞こえた。


「お,女の子!?」


薄れゆく意識の中で,メルセは誰かに抱えられる感覚に包まれる。

それは今まで探し求めていたもの。

あらゆるものを犠牲にしながら,それでも手を伸ばし続けた大切な人。


『原因は疲労。命に別状はないようです』

「それは良かったけど……どうしてこの洞窟から?」

『不明。情報不足です』


慌てふためくその姿は,あの人の面影にとてもよく似ていて。

風に揺れる金色の髪は,あの人そっくりで。

その心地よさに,ただ身を委ねて目を閉じる。

そこには,幼かった彼女が幸福に満ちていた頃の温もりがあった。


交わることのなかった時が繋がる。

魔王が跳躍した過去とは,メルセが生まれる以前の世界。

突如現れたダンジョンは,未来からやって来た魔王が形成した迷宮だった。

魔王の目的は,自らの復活だけではない。

自身を倒しうる,勇者となる人物を過去に遡って抹殺すること。

そしてその思惑に誘われるかのように,渦中の者達は集まった。


剣聖,ヴェルム・ヴェアヒリア。

機巧卿,ジェドー・シラバラ。

巫覡,シャルノア・レイマース。


彼らこそ,後に人々を魔王の手から救い,勇者と呼ばれる存在。




そして,最後に名を連ねる者こそが――。




守人,メルセ・リンカート。




伝導士,テュア・リンカートの血を引く娘だった。




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