4 宿題とご褒美
結論から言えば、俺は昨夜のうちに宿題を終わらせる事ができなかった。
あの後、当時クラスで仲の良かった男子に連絡してみたものの。
ひとりは授業中に寝ていたらしく要領の得ない返事をして来たし、もうひとりは風邪で欠席していたらしく俺に聞くなとメールが帰って来た。
一番酷かったのが同窓会で幹事をやっていた、お調子者の金沢だった。
面倒だったんで直接電話してみたのだが、
『――あ、そう言えば宿題とかあったな。まあやらなくても死にはしないだろ』
それだけ言って電話を切ってしまった彼に、俺は絶句した。
金沢はスポーツ推薦で大学に行ったヤツだから、別に宿題をしなくても確かに死にはしない。
だが俺はそうじゃない!
よく考えれば当時の俺も真面目に宿題をやっていった記憶がまるでなかった。
類は友を呼ぶという言葉があるが、アホ面の俺の周りにはアホ面のよく似合う連中が集まっているのである。
どうすんだよこれ!
成績順位を少しでも上げないと、受験の時に泣きを見るのは俺自身だ。
俺は心を入れ替えたんだ! 青春を取り戻すんだ!
かなえちゃんと同じ大学に進学するためには、今からやっても遅いぐらいなのである。
しかし最初の最初で、俺はつまづいてしまったらしい。
いいやまだだ、まだ諦めんよっ。
携帯の電話帳には、普段あまり連絡を取り合わない人間も登録されている。
中には真面目に授業を聞いている連中もまじっているから、そいつらに聞くしかない。
などと自室のベッドでのたうち回りながらめぼしい人間を探していて……
ふと気が付いたのである。
「あれ? これ華原かなえに、宿題の事を聞けばいいじゃないか」という事に。
クラスが同じなのだから宿題の事は把握しているだろう。
俺や金沢と違って、勉強も真面目にやっているはずだ。
しかも不自然なく、かなえちゃんと親しく過ごす理由になるのではないだろうか。
明日の朝見せてくれないかとお願いすればよかったんだ。
最初から、金沢なんかに電話するんじゃなくて。
そうすればよかったんじゃないか!
ドキドキしながらメールを飛ばしてみたところ、
『日本史のプリントと、ノート提出があるよっ』
返事が返って来て、俺は色めきだった。
べっ別に目的は宿題の範囲を教えてもらいたかっただけだしっ。
すぐ返事が来たから浮かれたわけじゃないしっ。
明らかに浮かれ気分でさらなる返信をどう書くかしばらく悩んだ後に、俺はこうメールを飛ばした。
『明日、朝の部活の時にさ。ノート写させてもらっていいかな』
『了解です。それじゃ早めに出てこないとね! プリントの方は大丈夫だった?』
『そっちは大丈夫だから』
スクールバッグを漁ると、確かにファイルの中に日本史問題のプリントが挟まっていた。
かなえちゃんが言っているのはこいつの事だろう。
どうせ部室へ早めに行くのであれば、その時にやってしまえばいいだろう。
『……けど、急に牧村くんからメールが来たからビックリしたよ?』
『ごめん驚かせちゃって。助かった、ありがとう!』
そんな明日の予定を考えながらメールのやり取りをして。
現金なもので、自然と俺の気持ちはいつの間にかドキドキからウキウキに変わっている。
今度埋め合わせをするから! 今度お礼させて!
大人同士のやり取りだと、こんな感じで返すのが方法だろうか。
それをキッカケにしてデートに誘ったり何かプレゼントをするという方法がある。
というのを漫画やドラマで見たことがあるわけだが……
そんな風に言葉を沿えるかどうか迷っていたところ。
かなえちゃんから最後のメールが来てしまったのである。
『それじゃあ、おやすみなさい』
『おやすみなさい。また明日』
躊躇している間にタイミングを逸してしまったらしい。
くそう、割り切れないところはちっとも高校時代と変わっていないじゃないか!
しかしまあ、かなえちゃんと「おやすみなさい」のメールができた事は大前進だ。
高校時代の俺はそれすらしていなかった。
自室の鏡を見ると、そこには気色の悪いニヘラ顔をしたアホ面がこちらを向いていた。
翌朝はいつもより早く目覚ましをセットした。
いつもより早くというのは、高校時代よりも社会人時代よりもという意味である。
五時にはモゾモゾと布団から這い出して、顔を洗う。
遠くの大学に通っている姉ちゃんはすでに起床していたらしい。
髪の毛を乾かしながらフンフンと鼻歌を口ずさんでいた。
「姉ちゃんワックス貸して、あとヘアスプレー」
「いいけど~。何に使うの?」
「寝癖を直すんだよ、寝癖を!」
それにしても酷い顔だ。
髪の毛の頂点は明後日の方向にぶっ飛んでいるし、薄っすら生えているアゴヒゲも気に入らない。
当時の俺はこのうぶ毛の延長線上にあるアゴヒゲをかっこいいとでも思っていたのだろうか。
いや、確か剃ると濃くなると言われてそれを信じていたんだった。
「珍しいねえ、ともくんが髪の毛とかセットするの。今日はデートでもあるのかなぁ? うふふ」
「似たようなもん」
「えっ?!」
驚いた顔をした姉ちゃんは、ドライヤーを手から取りこぼしそうになっていた。
いやまあデートじゃないけれども、女の子と朝から一緒に過ごすのは間違いじゃない。
身支度を整えてリビングまで来ると、両親が起きてきたところだった。
「父さん母さん、ともくんが今日デートするって言ってる!」
「からかわれているのよ、ひろちゃん」
「そうだぞ、父さんの息子がモテるはずないじゃないか。あはは」
馬鹿な事を言っている両親の事は無視するに限る。
確かに父さんが言う通り、俺はまったく恋愛経験の乏しいままアラサーになっちまったからな。
昨日の残り物のサラダと食パンと食べた後、ひとあし先に家を出る事にした。
「ともくん、今夜はお赤飯じゃないと駄目なの?! お姉ちゃん作れないどうしよ~っ」
「うるせえ、行ってきます!」
放送部の活動は、文化祭や体育祭の学校行事で忙しい。
それ以外だと、主に朝昼夕の校内放送をするのが日常だ。
だから七時には学校に部員が到着して、登校時間のBGMというのをかける必要があった。
あと、うちの学校は毎日朝礼があるので、マイクを用意するのも大切な仕事だな。
時刻は午前六時半過ぎ、いつもより三〇分は早くに登校だ。
気持ちのいい朝だぜ。
「おはようございます、失礼します!」
職員室は静かなものだった。
体育会系の部活顧問をしている先生ぐらいしか出勤していない。
部室の鍵を受け取ると急ぎ足でかなえちゃんの元へ、いや放送室へ向かう。
そうだ、かなえちゃんにメールを送っておこう。
『おはようございます』
『おはようー牧村くん。もうすぐ学校だよ、そっちは?』
『いま部室に到着したところ』
『じゃあ直接、放送室に向かうねっ』
朝からかなえちゃんとやりとりをする。
いいね!
ウキウキ気分で、日本史のプリントを取り出す。
女の子と待ち合わせをするこの幸せな感覚、いつぶりだろうか。
やっべえ、浮かれすぎて問題がサッパリ手につかねえ。
というか内容がぜんぜんわからねえ……!
かなえちゃん、そろそろかな?
「?!」
ガシャンというステージ横の金属ドアが開く音がして、俺の気分が最高潮になった。
階段を歩く音が聞こえてくると、すかさずプリントに落としていた視線を上げる。
立ち上がって振り返ると、
「おはよう、か……きく? 菊池先輩!!」
何で先輩がかなえちゃんと一緒に登校してるんだよ!
羨ましいキイイ。
ニヤニヤ顔の先輩が、今日も無駄に大きな声で挨拶を飛ばしてくる。
「華原だと思った? 残念! 菊池さんでした!!」
「お、おはよう牧村くん。駅で先輩とバッタリ一緒になっちゃって……」
ふたりっきりの朝を密かに過ごせると思っていたのだが……
部長であり部活熱心な菊池先輩が、誰よりも早く放送室に来る事をすっかり失念していた。
高揚気分からガックリした俺。
その隣に身を寄せたかなえちゃんが、こんな事を優しい声音でさえずった。
「牧村くん朝ごはん食べた?」
「えっと」
「朝早かったからわたしまだなんだ。サンドイッチ作ってきたから、よかったら食べる?」
先輩はもう食べてきたんだってさ。
そんな風にかなえちゃんが笑顔で言ったものだから、俺は心の中で絶叫した。
食べりゅううううううう!!!