37 次期部長候補から外れるだけのミッション
エアコンの取付交換は、小一時間もすれば完了だ。
しかし缶コーヒーを業者のひとに手渡したら、何故か驚いた顔をされてしまった。
別におかしな事をした覚えはないのだが、どうしてだろう……
「新しいのに交換したら、エアコンの効きが全然違うからビックリだね!」
「……というかむしろ寒すぎるぐらいですね」
「扇風機は止めようか」
ようやく蒸し暑さから解放された俺たちは、口々にそんな感想を言い合った。
確かに十年物のポンコツと比べれば断然パワーが違う。
業者のひとが引き上げてしばらくすると、かなえちゃんは肌寒くなったのかニットセーターに袖を通しはじめた。
部屋が狭いせいで蒸し暑くなるのも一瞬だが、冷えるのもあっという間である。
ちょうどそのタイミングで部長会議とやらを終えた菊池先輩が、顧問の先生を伴って放送室に顔を出した。さらに続々と川上先輩や瀧脇先輩も戻って来る。
せっかく涼しくなった部室がまた暑苦しさが増すではないか。
「いいじゃん新型! 去年のうちに交換してもらいたかったぐらいだわっ」
「去年一昨年は機材の更新とかしたから予算が無かったんだろ。それに本棚とかも買ったしな。主に菊池と川上が独占しているやつ……」
「「うっ……」」
川上先輩がひとりはしゃいでそんな事を口にしたけれど、すかさず瀧脇先輩がツッコミを入れた。
すると、とばっちりを喰らった菊池先輩まで一緒にバツの悪そうな顔を浮かべるじゃないか。
まあロッカーや本棚の私物占有率は、漫画やプラモ、フィギュアなんかを多数持ち込んでいる菊池先輩と川上先輩のオタクツートップである。
顧問の先生はというと、状況を確認し終えたら職員室に引き上げようとした。
けれどもふと、帰り際にこんな事を口にする。
「そう言えば、そろそろ次期部長とかは決まったのか? 引継ぎは夏休みに入る前の予定だが」
途端に三年の先輩たちが互いに顔を見合わせるのだ。
言われてみればもうそんな時期なのか。
俺の記憶の中では、こんなやり取りを先生とした覚えはない。
確か夏休み前に三年生部員の全会一致で、かなえちゃんが次期部長に後継指名されたはずだ。
その時は困った顔をした彼女だったけれど、誰からも反対意見が出なかったのでそのまま部長が決定したのを覚えている。
今回もそのルートに沿って決まるのだろうかと俺が密かに考えていると。
「一応考えたんですけど、まだみんなの意見がまとまってないんですよ」
「そうなのか?」
菊池先輩が俺とかなえちゃんの顔を交互に見比べた。
いや、過去の高校生活じゃ、俺は候補にすら上がっていなかったと思うんですけど?!
「機材の知識とかは牧村の方が詳しいです。最近じゃ朝も早く登校して部活熱心ですしね」
「けど、牧村はリーダーってタイプじゃないんだよねー。まとめ役って考えれば、華原さんの方が向いているとあたしは思うんだけど。一年部員も懐いてるし」
「うーん、華原さんに不満があるってわけじゃないんだけどさ。牧村も頑張ってるから」
幽霊じゃない二年生の部員は俺とかなえちゃんのふたりしかいない。
一年生は御武道さんの他に数名チラホラと入部しているのだが、次期部長となれば後継指名は俺かかなえちゃんの二択になる
菊池先輩は意外にも俺を推して、川上先輩はかなえちゃんがいいと考えていたらしい。
ふむ。そういうやり取りを経て最終的にかなえちゃんで意見が一本化されたのか。
「んっ。瀧脇先輩はどちらを部長にするのがいいと思うのですか?」
「俺の意見か。一番いいのは放送部大好きの菊池が、もう一年学校に残って部長をやるのがいいと思う」
「なるほど納得です」
視界の端で冗談なのか本気なのか、不思議ちゃんの御武道さんを相手に瀧脇先輩が妙な受け答えをしていた。
いやいやそこ、納得するんじゃありませんっ。
「まだ時間的に余裕があるので、決まったらまた教えてくれ。わたしはどちらになっても異存はないからな」
顧問の先生はニッコリ笑みを浮かべると、そのまま部室を出て行った。
しかし取り残された部員たちは、その視線を俺とかなえちゃんに集めるのである。
「牧村がもう少し頼りになれば、あたしも推していいんだけどね……」
「そうなんだよな。コイツ結構病弱なところあるし、部長が頻繁に休まれると示しもつかないしな」
「まあやっぱり頼りになる華原さんで決まりよね」
「俺もそれが無難だと思うぞ」
すいません頼りないヤツで……
川上先輩と瀧脇先輩はチラチラと俺を見ながらそんな事を言っている。
確かに高校時代の俺は病弱で保健室の常連客だった。
二度目の高校生活でも、風邪引いて休んだ事が早速あったしな。
「み、みんなの意見はわかった。もう少し考えるから今日のところは終わりにしよう」
菊池先輩、すいません!
べ、別にかなえちゃんを差し置いて部長になりたいわけじゃないんだからねっ。
だが「頼りない」と連呼されれば、やはり情けない気持ちになる……
不貞腐れた俺のことなどそっちのけで、先輩たちは下校する準備をはじめてしまった。
部長になる必要はない。
だがせめて、かなえちゃんが頼れる男でありたいものだ。
「そのう。わたしは牧村くんのこと、かっこいいと思うよ?」
けれども俺のそんな考えを見透かされたのか、放送室に鍵をかけていると肩を寄せたかなえちゃんにそんな言葉を耳打ちされたのだ。
それがあまりにも不意な出来事だったので「へぁ?!」というおかしな声が口から飛び出してしまった。
くすっと笑いを零しながら体育館ステージへと続く階段を、彼女は軽やかに降りていく。
「か、かなえちゃん急にそんな事言われたら、ドキっとしたじゃん」
「うふふ、でもそう思っているのは本当のことだよっ」
「あっありがとう……」
「だから個人的には、牧村くんが部長になるのがいいと思うなー。いつもわたしの事をリードしてくれるし、何より優しいし?」
さっきのは前言撤回だ!
他の誰にどう思われていようが、どうでもいい!!
かなえちゃんが俺をかっこいいと言った。
それが大事なのだ!!!
浮かれ気分でかなえちゃんを追いかけていると、またどこかから調子っぱずれなバンド演奏が聞こえてくるじゃないか。
中庭にさしかかったところで校舎を見上げると、三階の窓が全開になっている教室から響いているらしい。
確かあそこは音楽準備室があった場所だ。
お世辞にも上手いとは言えないボーカルを聞くに及んで、立ち止まったかなえちゃんも同じ場所を見上げた。
「……あれ。あかねの歌だね」
「そうなの?」
「うんそうだよー。あの子、自分で作詞作曲をして歌も唄ってるんだよ。すごいよねー」
芹沢さんの後輩バンドの演奏かと思ったが、そうではないらしい。
シンガソングライターと言えば聞こえはいいが、想像していたよりも芹沢あかねの実態は残念なものだった様だ。
制服を着崩してクールに顔を決めた彼女を脳裏に浮かべて、聞こえてくる演奏と歌を合体させると、たまらず俺は吹き出してしまう。
「そう言えば芹沢さんがメジャーデビューしたって話は、記憶に無いな」
芹沢あかねは、定期的に開かれる同窓会にいつも顔を出していた。
しかし地元を離れたという話も聞かなかったし、若い頃は少し派手な格好をして出席していたはずだ。
ここ最近は服装も、どこにでもいる普通のお姉さん風に落ち着いていたと思うしな。
音楽の道は志半ばで諦めたのかも知れない……
「俺たちの事、ラブソングの題材にされなくてよかった……」
あの調子っぱずれの声で、俺たちの馴れ初めを熱唱とかされでもしたら。
どう反応していいか困るどころの騒ぎではない。
いや待て、このまま俺とかなえちゃんがめでたく結婚したとしよう。
すると芹沢さんが、ラブソングを結婚式で歌うなんて未来はあるんじゃないだろうか?!
「どうしたの牧村くん?」
かなえちゃん!
芹沢あかねに音楽の道を諦める様に、説得する予定とか無いかな?!
なんて言えるわけがないよねっ。