32 もしもしドラッグ
京都四条の繁華街を、かなえちゃんと並んで歩く。
駅の改札を出てからも手は繋いだままだ。
その事がとても新鮮に感じる一方、学生時代に男連中と意味も無く遊び回っていた記憶が蘇って、妙な懐かしさを覚えた。
「あそこは服の揃えが良くて、毎月買いに行ってた記憶があるなぁ」
「へぇ。牧村くんが好きだったっていうブランドのお店が入っているの?」
「そうそう。お金ができたらいそいそ足を運んで買ってたね。今考えたら全然似合ってなかったけど……」
「うふふ、どんな格好だったか見てみたいかも?」
わかった。この話は恥ずかしい、ハイハイやめ!
大学一年から二年にかけての、過去だけど未来に起こる恥ずかしい俺の物語である。
かなえちゃんは「えーっ気になる」と絡めた手を振るって抵抗してみたけれど、そいつは俺の黒歴史だ。
もう少し落ち着いた格好をしていないとこれから先、彼女から頭のおかしい男と思われてしまうかも知れない……
やんわりと彼女をこの話題から逸らしつつ、目的地の映画館へたどり着いたのだが。
「えっ満席なんですか?」
何という事でしょう。
予想外なアクシデントが発生である。
次の上映時間はほぼ満席で、並び席では『君の肝臓が食べ放題』を視聴する事はできないのだとか。
さすが大人気映画だけはある。やられた……!
「大変申し訳ございません。お独りさまずつの席ならご案内できるんですけど……」
「……うーんどうしよっか」
「この次の時間がと夕方近くになるんだよね? さすがにそれまで時間潰してたら、帰るのが夜になってしまうなぁ」
夕方の上映回ならまだ席に余裕があると、映画館の受付でお姉さんがモニタを見せながら説明してくれた。
未来の話だったらネットで簡単に映画館の予約もできたのだが、この頃はまだ普及がはじまったばかりだ。
申し訳なさそうな顔をして説明してくれるお姉さんに、俺たちは顔を見合わせる。
「わたしは遅くなっても構わないけれど、それまで大分時間が空いちゃうねっ……」
「どうせなら他の映画を見てみる? すいません、何か近い時間で面白い映画ありますかね」
「ええと、それでしたら、」
やむなく予定していた時間の前後で上映する作品を受付のお姉さんに聞いてみたのだが、どれも聞いた事が無い様な残念臭漂うタイトルばかりだった。
唯一が最後にお姉さんが口にした『もしもしドラッグ』という作品だけ、聞き覚えがあった。
これも『君の肝臓が食べ放題』と同時期に爆発的ヒットを飛ばした作品のひとつで、原作は小説という点も共通している。
確か女子高生が主人公の、現代社会の闇を描いた愛と死別の青春ラブストーリーだったはずだ。
どうしたものだろうか。
俺たちの背後には列ができていて、いつまでも逡巡している時間はなさそうだ。
「わたし『もしもしドラッグ』も気になってたから。牧村くんと一緒に見るならこれでもいいよっ」
「……じゃあこれでお願いします、高校生二名で!」
「はい。学生証の提示をお願いしますね」
俺たちは『もしもしドラッグ』略して『もしドラ』を見る事になった。
上映時間までしばしの余裕があるので、かなえちゃんの要望通り普段は余り口にしないお店にお昼ごはんを食べに行こうという事になった。
社会人時代にこの近くで独り暮らししていたのもあるし、すぐ側の繁華街に会社の店舗があったから、この辺りでいい感じのお店がどこにあるかはしっかりと把握している。
「高校生にもリーズナブルで、普段あまり食べれないものが口にできるお店か。任せてよ、ここからちょっと通りを外れたところに、鉄板焼きの洋食屋さんがあるんだ」
「て、鉄板焼きの洋食屋さん? そこって高くないの……」
「どうだろ。ファミレスで食事をするよりは少し高いけど、背伸びして街の中心地で食事をするよりは少し安いと思うよ」
あまり昼食にお金をかけられないサラリーマンたちを相手にランチメニューをやっているお店だから、そう考えれば取り立てて値段が張るわけじゃない。
その事をかなえちゃんに説明しながら、俺は映画館からもほど近い小さな店構えの洋食屋さんへと足を運んだ。
「この店のマスターは、もともと四条烏丸にある有名なハンバーグレストランで修行をして独立開業したんだ」
「へぇそうなんだ?」
「特におすすめは京都ポーク100%のハンバーグだよ。この豚肉ってのがミソで、合挽きや牛肉の場合だと肉汁は垂れやすいんだけど、ポークは鉄板で焼かれる過程で肉汁を閉じ込めてしまうんだ」
「美味しそう!」
「うん。だから、フォークを入れた瞬間に肉汁がジュワっと溢れ出す」
「楽しみだねっ!!」
これが病みつきになって京都へ観光に来たひとの中には、かなりの数のリピーターがいると教えてもらったことがあった。
大学を卒業してから数年後、ちょうど鉄板でニコニコとハンバーグを焼いている店のマスターから直々に。
ついでにマスターが修行したハンバーグレストランと違って、こちらは夜の繁華街にあるからランチタイムはお客様がまばらなので穴場的な存在でもある。
ランチメニューのセットを選べば、食後のドリンクまで付いて千円未満で収まるから、この味とお値段で素晴らしいコストパフォーマンスだった。
どうでもいいうん蓄を嫌な顔ひとつせずにかなえちゃんは聞いてくれて、コンガリ焼かれたハンバーグのランチセットが俺たちの前に運ばれてきた。
「はいお待ちどうさま。このお兄さんが言う通り、京都ポークのハンバーグは肉汁が溢れ出すからね」
「そうなんですかっ」
「特製のソースは、ハンバーグに直接かけずに付けて食べた方が肉汁が沁み込むよ。パンを付けて食べれば二度おいしいから、おじさんのオススメだ」
「ありがとうございます!」
かなえちゃんは上機嫌にいただきますと口にしてフォークを手に取った。
この店ではマスターがお客が食べる前に決めゼリフをよく口にするのだが、ほんの悪戯心で言われてしまう前に俺が披露しちゃうぜ。
「ハンバーグは見て楽しむ、匂いで楽しむ、味で楽しむ。ですよね?」
もしかして嫌な顔をされるかとも思ったが。
ヒゲ面をしたおじさんは白い歯を見せると、不器用にウィンクひとつ飛ばしてくるではないか。
その異様に俺は恐怖したけれど、かなえちゃんはひと口食べて大満足の表情で、嬉しそうにウィンクを返していた。
「はぁ~美味しかった! 豚だけのハンバーグってはじめて食べたけど、こんなに美味しかったんだねぇ」
「俺もはじめて食べた時は感動したな。店のおじさんが言っていた通りで、肉汁がぶわっと溢れ出すのを見た時は、ハンバーグはエンターテイメントだなって思ったよ」
「うんうん。オススメ通り食べたらすごく美味しかった。わたし、さっきから美味しいしか言ってないね……」
それだけ喜んでもらえれば、マスターもきっと嬉しいと思うよ。
「それにしても牧村くん、よくあのお店の事を知っていたね。もしかして、ハンバーグ作ってくれるお姉さんから聞いたの?」
「ま、まあそんな感じかな」
「そうだよねえ。お姉さんの拘りハンバーグもきっとすごく美味しいと思うから、わたしも負けない様にお料理の練習しないと……」
姉ちゃんがいないところで、ハードルがどんどん上がっています!
すまん姉ちゃん。今度このお店を紹介するから許して!!
程よく上映時間が間近に迫って来たところで、ふたたび映画館へと足を向ける。
あれだけ満足できる洋食屋さんに足を運んだ後だから、定番のポップコーンを購入する事も無くドリンクだけ近くのコンビニで買って館内に入った。
今日は学校が休みの日に、かなえちゃんと自然な形で手を繋ぐこともできた。
ランチも大満足の様子だったし、例え『もしもしドラッグ』がとんでもない駄作であったとしても、お釣りが返って来るというものだ。
そんな風に半ば映画の内容に期待する事なく上映を待っていたのだけれど。
開幕から女子高生の主人公にとって大好きな親友がドラッグに溺れていく様を見せつけられて、一気に物語の中へと引きずり込まれた。
そうして苦しんでいる親友を助けるために主人公が刑事とともに、悪の組織に立ち向かっていく流れは圧巻だった。
気がつけば俺は息を呑みながらスクリーンを見上げていたのだけれど。
ふと何気なく肘かけに手をやった瞬間、かなえちゃんの腕と触れるタイミングがあったのだ。
「?!」
さらりとした彼女の素肌に振れるのは、手を握るのとはまた別のドキドキがある。
その瞬間に胸が締め付けられるような緊張感が襲いかかって来た。
もちろんそれは、わざとやった事じゃない。だとしても映画の内容なんてそっちのけで、急激に彼女の存在に意識を奪われてしまうのだ。
不意に触れていたお互いの腕だけれども、かなえちゃんはゆっくりとその細い指を添えてきたのだ。
チラリと彼女の事を見やれば、すっと俺の方に身を寄せてかなえちゃんが囁きかけた。
「楽しいねっ」
うん。楽しいね!
映画って女の子と見ると、こんなに楽しいものだったんだね!!