31 日曜日の昼下がりに
新年あけましておめでとうございます!
デートの醍醐味と言えば、やはり待ち合わせだろう。
気合いを入れたいつもとは違う服装でお出かけをする。それだけでも気分が高揚するのに、ふたり揃って普段の生活圏の外へと足を踏み出すのだ。
「まさに人生の未体験ゾーン! いいね!」
お恥ずかしながらまともなデートなんてものは、数えるほどしか経験した事がない。
そのうちの一度はかなえちゃんとカラオケに行った件だし、それ以外は思い出すのも悲しい俺の物語である。
だが今はそんな事などどうでもいい!
雲間から覗き見える太陽の下、俺は颯爽と自転車を走らせた。
この日のために量販店で購入した七分袖のジャケット、それにTシャツとジーンズ姿だが、今の俺ができる精一杯のオシャレだ。
かなえちゃんはどんな姿でデートに来るだろうと想像を働かせると、今から楽しみでしょうがないのである。
駅前ロータリーに進入すると、有料駐輪場に愛車を突っ込む。
腕時計をチラリと確認したところ、約束の時間までは十分に余裕があった。
社会人の基本は五分前行動だ!
再び気合いを入れ直して身だしなみを改めると、高架下にあるいつもの待ち合わせ場所へと向かった。
「身だしなみよしっ、忘れ物なしっ」
俺たちの住んでいる市街地からは、京都と大阪の繁華街はほとんど同じ距離にある。
どちらもデート圏内になるわけだが、今回は自分が学生時代に過ごして独り暮らしをしていた経験のある京都の繁華街を選択した。
少しでもリードできる場所を選択するのは、デートの基本だぜ。
油断すると綻んでしまう口元を吊り上げながら深呼吸をする。
ソワソワした気分で腕時計をまたチラリと見ようとしたところで、ポンと肩を叩かれた。
「お待たせっ」
振り返れば、ノースリーブのシャツにフレアスカートを着たかなえちゃんの姿が飛び込んで来た。
気合十分なのはかなえちゃんも同じだった様で、すこし照れ笑いを浮かべながら俺の顔を覗き込んでくる。
「こんにちは、牧村くん」
「やあかなえちゃん。少し早かったんじゃない?」
「せっかくのデートに遅刻したら嫌だから前もって近くにいたんだっ。でも、恥ずかしいから隠れてたっていうか……」
「そ、そうだったの?」
かなえちゃんは気恥ずかしそうに駅前本屋さんを差しながら白状をした。
もしかして、俺がソワソワしながら腕時計をチェックしてた姿も見られてた?!
「うん。何だか申し訳なくなって、出て来ちゃった……えへっ」
「へ、マジか。俺も恥ずかしいところを見られたかな……」
お互いに顔を見合わせて、ひとしきり笑い合ったところで自動券売機に向かう。
京都の中心地に向かうまでの切符を購入して、いざデートに出発だ。
改札を潜りながら、かなえちゃんが俺の姿をニコニコと眺めているではないか。
「牧村くん。その私服姿、いつもよりすごく大人っぽく見えるよね」
「そう? もしかしてちょっとオッサン臭かったり?!」
「ううんそんな事はないよ。普段は制服姿しか見てないから新鮮だし、見違えちゃった」
「かなえちゃんも似合ってるよ、かわいい」
「ありがとーっ。頑張ってお洋服選びしてきた甲斐があったかなっ」
島型になった高架ホームでやってくる電車をふたり並んで待ちながら、他愛ない会話を続ける。
しばらくすると京都方面に向かう各駅停車がホームへと滑り込んで来た。
日曜日の昼下がりという事もあって、各駅停車はがらんとした有様だ。
ロングシートの空いた席にふたり並んで腰を下ろすと、市街地の広がった車窓がゆっくりと動き出す。
「俺さぁ、ひとりで買い物するのとか結構苦手なんだ。何着たら自分に似合ってるかとか、あんまり考えられなくて。むかし少し服に拘ってた時期があったんだけど、後になって全然似合ってないって友達とかに突っ込まれた事があって……」
「そうなんだぁ? 確かにお買い物って独りでするより、誰かと一緒の方が楽しいよね」
「店員さんに勧められるままに買って、おかしな方向に暴走して。買い物って買うかどうか決める時、誰かに後押ししてもらいたいってところあるじゃん。友達がいればいいんだけど、独りだと店員さんに言いくるめられちゃってさ……」
「わかるわかる。じゃあさ、今度はふたりでお買い物行こっか? そろそろ夏服とかも買わなくちゃって思ってたし」
「いいねー」
それから少しの間、無言になる。
けれども以前みたいに言葉が途切れたからと言って焦る様な事はない。
鞄から情報誌を取り出して映画の時間を確認しはじめたかなえちゃんを、隣で眺めている心の余裕があった。
隣の席に座っているとは言っても、お互いの距離は拳ひとつを挟む隙間が存在している。
その事がわずかに歯痒さを感じさせるけれども、今はそれも心地よい緊張感だ。
「メールで言ったと思うけど、映画の時間は一時四〇分からだねぇ」
「それじゃあ先にチケットの予約だけしておいて、ご飯を食べてたらちょうどいい時間になるかな?」
「何か食べたいもの、ある?」
「……かなえちゃんは何が食べたい?」
「もうっ、質問を質問で返さないのっ。でも強いて言うなら普段食べれないものが食べてみたいかなぁ」
「わかった。じゃあそういうお店に行こっか」
今日見に行く約束をしていた映画『君の肝臓が食べ放題』の映画は、原作の小説と併せて俺が高校時代に空前の大ヒットをした作品だった。
記憶のどこかに、部活中かなえちゃんが映画を見に行ってとても良かったと語っていたのを覚えている。
一度目の高校生活では、いったい誰とかなえちゃんは見に行ったのだろうか。
まさか独りという事はあるまい……
あの作品は恋愛大作だ。
偏見かも知れないが、デートで見に行くには手頃な作品の様な気がしたのである。
俺が誘っていなかったら、芹沢あけみとでも見に行く予定だったのだろうか……?
「うーん。牧村くんと一緒じゃなかったら行かなかったかも?」
どうやら俺は知らず知らずのうちに思考が口から零れ出ていた様だ。
かなえちゃんは頬っぺたを人差し指で撫でながら思案しつつ、そんな言葉を口にした。
「家族で見に行くのは恥ずかしいし、それでも見に行くとしたらたぶん川上先輩か御武道さんかな……」
「御武道さんって、恋愛映画とか興味あるのかな?」
「わからないけど川上先輩は見に行くって確かこの前言っていたから。先輩に話したら、みんなで一緒に行こうって流れになるかもって」
高校の最寄り駅に停車した電車が、ふたたび動き出す。
電車通学中、いつもならここで下りていたかなえちゃんが、不思議そうな顔をして乗り降りしているひとを眺めていた。
少しずつロングシートの席が埋まりだし、自然と席を詰めて互いの距離が狭まった。
「なんか新鮮な感覚だね。日曜日に電車に乗っているのって」
「わかるその気持ち」
「牧村くんはいつも愛車のおベンツくんでしょー?」
「あ、そうだった」
社会人時代は当たり前の様に電車通勤をしていた俺だけど、ふたたび高校生に戻った俺は自転車で活動をしている事になっている。
高校生の頃は確かに自転車でどこまでも出かけたものだ。
夏休みにお調子者の金沢と隣の街のゲーセンまで遠出をしたり、高校生にもなって無意味にザリガニ釣りに出かけた事もあった。
前かごの変形した自転車は、俺の青春だった。
「今度はおベンツで散策にでも行く?」
「いいねっ。そしたらわたしお弁当を作らなくっちゃ。それまでにお姉さんに負けないハンバーグ作らないと……」
各駅停車は京都の中心地に差しかかり、電車はトンネルを通って街の地下へと潜る。
後ひと駅で、映画館の近くにある繁華街の駅に到着だ。
時系列としては若返った事になるけれど、体感としてはほんの数週間前まで俺が独り暮らしをしていた場所の近所だ。場所的には交通事故に巻き込まれた交差点の付近でもある。
変われば人生こんなにも変わるものだと感慨深くなっていると。
電車が駅に到着した瞬間、かなえちゃんが俺の手を引っ張って立ち上がった。
「牧村くん、行こう?」
俺の青春やり直しは、今のところ順調だ。