30 洗車男
土曜日を迎えると、俺は朝から庭で自転車の手入れをしていた。
梅雨入りしてから久しぶりの晴天だ。愛車をピカピカに磨いておくのは今が絶好のチャンスである。
明日はかなえちゃんとお出かけする予定もあるのだし、俺は最高に機嫌がよかった。
ついでに姉ちゃんの自転車も掃除しておくか。
「ともくん、バケツのお湯を交換してきたよ~」
「ありがと姉ちゃん、そこ置いといて」
一通りボディを拭き終わったら、今度は車輪の汚れを磨いていく。
すると中腰になった姉ちゃんが、背後から意味ありげな表情で俺に語りかけてくる。
「お休みなのに朝から精が出るねぇ。ははン、もしかすると明日は彼女さんとデートかな?」
「正解。映画見に行く約束してるんだけど、このところの雨で自転車が泥まみれだっただろ。気持ちよく出かけたいから、晴れてるうちに洗車しておこうと思ってね」
「ふ~ん。進展しているみたいでよかったじゃないのっ」
「ボチボチって感じかな」
「彼女さん、今度ウチに連れてきたらいいよっ!」
「そのうちね……」
俺がアッサリと返事をしたからか、振り返ると姉ちゃんは絶句していた。
「……何だよ姉ちゃん。磨き残しでもあるのか」
「ううん、そうじゃないよ。もう少し恥ずかしがったり否定したりすると思ったんだけど。今回は素直に認めるんだなぁって。彼女さんだって」
「まあ隠す様な事でもないしな」
言われてみれば、ついこの前までは「まだ彼女じゃない」って否定してたんだっけ?
確かに、若い頃の俺だったら告白が成功でもしたら無条件に舞い上がっているか、頑なに隠し事をするかしていたかも知れない。
けれどもそのどちらでもなかったのは、告白した直後に菊池先輩たち部活の三年に遭遇してモロバレしたからだ。何れあちこちにバレるなら自然体にしていた方がいいのかも知れないと俺は思った。
むしろ、嬉しい事に違いはないけれど、齢のぶんだけ心に余裕があると言ってもらいたいぜ。
「この前さ。テスト終わりの日に午後からカラオケに行った時、告白したんだ」
「うんうん」
「したら、かなえちゃんも俺の事が好きだってさ」
「それでそれで?」
「好きだと思っていたのはわたしだけじゃなかったんだねって、そう言われた――」
「いやーん。それってちゃんと両想いだったって事でしょ? めっちゃいい感じじゃん?!」
「そ、そうかな」
「名前はかなえちゃんだっけ? その彼女さん、今度ウチに連れて来なよっ」
「そのうちにね……」
庭先から見えるリビングでは、朝のコーヒーを飲みながらソファに座ってくつろいでいる両親の姿が確認できた。
姉ちゃんが催促する様に、そのうちにも家に招待する事があるかも知れない。
そう言えば社会人になってから、一度も彼女ができたなんて報告を両親にした事が無かったなぁ。
アラサーになると両親に女の子を紹介するとなれば、それは結婚前提のお付き合い、なんて風に思われる可能性もあるわけで。おいそれと女の子を家に連れて行くなんて事は出来るはずもない。
まあそんな紹介できる様な相手もいなかったけど……
「それで映画を見た後の予定はどうするの?」
「決めてないけど、たぶんお茶したりして帰って来るんじゃないかな」
「それなら明日の夜、ウチに連れてくればちょうどいいんじゃない? デート代だってお金かかるんだし、次のために節約するのも大事だよっ」
「……そうかぁ?」
「ご飯ぐらいならウチで食べていってもらえばいいし」
してみると両親に彼女を紹介するなんてイベントはこれが人生初になるわけだ。
そんな事を妄想すると、先ほどまでとは打って変わって途端に俺は気恥ずかしくなった。
いやいや、高校生が好きな子を家に連れてきたからと言って、結婚なんて事に飛躍するなんてまずありえないから。
やばい姉ちゃんに乗せられてベラベラと余計な事を喋ってしまった!
「これはお姉ちゃんの特製ハンバーグの出番かな!!!」
「も、もういいだろ。それより姉ちゃん、まだ大学行かなくていいのか?」
「あっいけない。そろそろ出ないと遅刻しちゃうよっ」
テヘっと舌を出したうっかりさんの姉ちゃんは、あわてて玄関へと引き換えしていった。
土曜日でも講義がある大学生は大変だが、おかげで上手い具合に話題をすり替える事ができたぜ。
などと安堵していると……
「お父さんお母さん、ともくん彼女さんと上手くいってるんだって! 明日出かけるって言ってたの、映画館にデートらしいよ!」
「ちょ?!」
リビングに顔を出した姉ちゃんが大きな声でそんな報告をしているではないか!
見事に窓が開けっぱなしなので、その声は間違いなくご近所中にダダ漏れになっている。
やめてくれ、恥ずかしいからやめてくれ。
「何、それは本当か智也?!」
「ともくんやるじゃな~いウフフっ」
あわてて姉ちゃんを制止しようとしたが後の祭りだ。
庭先まで顔を出した両親に、どんな女の子と付き合っているのかと興味津々な父さん母さんに質問責めにされてしまった。
「明日のデート帰りに、ともくん彼女連れてくるかもよ」
「そういう事なら、ひろちゃんと腕によりをかけてお夕飯の準備しなくちゃね!」
「うん。明日はわたし予定ないから、お母さんとお料理頑張っちゃう?」
「ふたりで準備しましょう!」
「とっておきのワインがあるから、明日はそれを呑むとしようか。母さんいいだろ?」
いや待って、話が飛躍しすぎだから。
かなえちゃんの都合もあるだろうし、予定も聞かないうちに決定事項にしちゃまずいから!
母さんも姉ちゃんもきゃあきゃあと喜んでいるし、父さんは何でか天井を見上げてむせび泣いているし。
「お前は俺に似てモテないと思っていたが、違ったんだな。よかった、おめでとう!」
朝から予想外な祝福を家族にされてしまった俺は、居心地が悪くなって自分の部屋に逃げ出した。
だが手鏡を見ると、そこにはマンザラでもない顔をした間抜け面がそこにいた。
現実の俺は交通事故で生死をさ迷っていて、これは病室で見ている夢なんて事はないよな……?
「おいミギー先輩はどう思う?」
右手に語りかけても返事をしてくれるはずもなく。
眉毛を一本抜いてみたが、痛覚があるという事は夢じゃないんだよな?
「あいたっ!」
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