29 死刑宣告にも似た何か
むかし、テストの返却と言えば死刑宣告にも似た絶望を強いられたものだった。
それもそのはずで、普段から真面目に授業を受けていなかった俺が、付け焼刃でいい成績を取れるはずも無かったのである。
何年経とうがその感覚は体が覚えているらしい。
授業で中間考査の答案用紙が返却されると、その度におかしな汗が額に浮かぶのだ。
俺ってこんなに汗かきだったっけ……?
「うおおおお、もしかして俺は馬鹿なのか? そうだ現実逃避をしよう!」
お調子者の金沢も、この時ばかりは地球の終わりの様な顔をしていた。
何しろ彼は出席番号順が若いので、わりと早めに先生に答案を返却されるのである。
あの調子からすると、返って来た点数は最悪だったに違いない。
「三八点。やばくね?」
「やべえよ。期末でこれ以上成績が下がったら、死んでしまう……」
一方のかなえちゃんの方はと言うと、返された答案をしばし凝視した後に俺に向かってアイコンタクトを飛ばしてくるではないか。
あまり上手なウィンクではなかったけれども、それはそれでかわいい!
予想の範囲内か、それよりも上回る点数だったのは間違いない。
「夏休みに特別補習とかやらされるんじゃねえの? 赤点対象者用の」
「部活できなくなったら顧問と先輩に殺されてしまうじゃないか! どうしよう、勉強したくねぇ」
「そこは勉強しろよ!」
そりゃ勉強したくないのは同意だが、最低限は頑張れと言いたい。
泣き言を口にする金沢だが、本当にこいつはスポーツ推薦で大学に進学できるのだろうか。
もしも俺がかなえちゃんへ告白して過去を変化させたように、未来が少しずつ変わるものだとすれば。
この男は受験に失敗して高卒になってしまうのかも知れない……
「よし、俺は決めたぞ。これからは授業中に絶対寝ない」
「いや寝ないのは当たり前のことだぞ」
「だって朝練で寝不足気味だし、放課後の部活に備えて体力温存しなくちゃ体が持たねぇんだよ」
「部活やってるやつはみんな同じ条件だろ。志摩や長谷川を見てみろよ」
「……へっ」
俺はアゴをしゃくって、返却された答案を見せ合っているクラス男子の上位ヒエラルキー連中を示した。
どういうわけか同じく上位ヒエラルキーの女子連中と輪を作っているところが憎たらしい。
ついでにそのグループにはかなえちゃんも含まれているから、俺の心は少しばかりささくれ立った。
「あの様子ならあいつら、結構いい点撮ったんじゃないのか」
「世の中不公平だ。どうして天は二物をあいつらに与えたもうたのですか!」
「神は言っているんだよ、諦めたらそこで試合終了って」
俺だって金沢の事を同情している場合じゃない。
何年ぶりに勉強らしい勉強をしたかわからないぐらいだ。
日頃からもっと真面目に授業を受ける様にしなければ、付け焼刃の徹夜でテスト勉強では効率が悪すぎるぜ。
「……牧村、呼ばれてるぞ?」
「おっと済まねえ、ありがとう金沢」
「後で点数教えろよな」
などと考え事をしていると教師に呼ばれたらしい。
あわてて席を立って教壇に向かった俺は、渡された答案用紙を受け取った。
しばらくボンヤリと点数を眺めている俺のところに、これ見よがしに志摩という男が俺の答案を覗き込んでくるではないか。
「牧村は何点だった?」
男子バレー部のレギュラーでイケメン長身、ついでに成績優秀で欠点は強引な性格。
しかも密かに華原かなえに対して好意を持っている事は、先日の体育の授業中に露見した事である。
志摩はクラスの中心的人物ではあるが、積極的に仲良くしたいと思う相手ではないのだ。
「ああうん。八七点だからまあ普通かな……」
「平均点以上なんじゃねえの? まあ俺は九四点だが」
「へぇそうかい、お前凄いな」
俺の点数は何と八七点である。
八七点という数字は、むかしの俺からすれば信じられないほどの好成績と言っていいだろう!
平均に届くか届かないかという凡庸を絵に描いた様な成績だったから、内心では死ぬほど嬉しかった。
……だが、点数でマウンティングをしてきた志摩に対して嫌悪感が浮かばない方がおかしい。
どうせ先程まで喋っていたかなえちゃんが近くにいるから、俺を威圧しているんだろうぜ。
「いやー今回は部活の大会が近かったから、マジやばかったんだわ。でもまあ? 普段から勉強しておけばこのぐらいは何とかな」
「やっぱ予習復習は大切なんだな」
「そうだぜ。努力はひとを裏切らないからな、勉強もスポーツも」
真底どうでもいいと思いながら返事をする俺に、文字通り上から目線でイケメンスマイルを向けてくるのだが。
いちいち態度が臭いんだよ!
などと自分の席に戻ろうとしたところ、かなえちゃんに呼び止められる。
「牧村くん、わたしも八七点だったよ。おそろいだね!」
「へっ? かなえちゃんと同じ点数? マジかよ偶然そういう事もあるんだ」
「だって一緒に勉強したんだから、間違えたところも同じかもよ」
「あ、本当だ。ここやっぱ間違えてるな」
「うん。ここ引っかけ問題だったからねえ、後で一緒に復習しよっか牧村くん」
するとどうでしょう。
先程まで嬉しそうに高見から俺を見下ろしていた志摩が、みるみる不機嫌そうに睨みつけてくるじゃないか。
「でもやっぱ志摩くんは凄いよね。クラスで一番の点数だったんじゃないの?」
「だよなー。俺たちも頑張って一緒に勉強しようぜ。次は九〇点台狙ってさ、志摩みたいに」
「そうだねえ。志摩くんは塾とか予備校も通ってないんでしょ? 独りで勉強してそれだけ点数とれるのはやっぱ凄いよ。わたしたちも負けられないねっ」
「独りで何でもできちゃうのが凄いよな。独りで。俺たちはふたりで頑張るしかないな」
「うん!」
何の邪気もない表情でかなえちゃんは志摩を称賛した。
俺はと言えばここぞとばかり志摩は「独り」で俺たちは「一緒」にを強調し、先ほどの意趣返しをしてやった。
死刑宣告を受けた様な表情で、お前らも頑張れと曖昧に返事してくる志摩ザマァ。
「まっ牧村ちょっと」
ん? どうしたイケメン。
さっさと勝ち逃げしようとしたところを志摩に呼び止められた。
焦った顔のイケメンが、珍しく情けない顔をして俺を覗き込んでくる。
「……お前ら一緒にテスト勉強してたのか?」
「だいたいいつも一緒にいるから、そりゃまあそうなるよ」
「いつも一緒?! そ、それは部活が同じだからと言う意味だな? そうだよな?」
「ほら先生が睨んでるから、俺は戻るぞ……」
「ちょ待て、話は終わってないぞっ」
試合に負けて勝負に勝ったな、悪いが俺はお前より先に動いたぜ。
かなえちゃんに告白済みだとは教えてやらないんだからな!
ちなみにこの科目でクラス一番の成績だったのは、長谷川くんだった。
それからトータル的に見れば、中間考査の結果は過去の俺より頑張ったという程度の成績だった事も付記しておく。
やはり勉強は毎日こまめにやりましょう。かなえちゃんと一緒に!