20 ある体育の授業風景
ホイッスルが体育館の中に響き渡ると一斉に生徒たちが動きはじめる。
大きな館内には四面のコートがあって、それぞれ男女にわかれてバレーの練習が行われるのだ。
順番に並んで打ちこまれるボールを待っていると、隣のコートの女子列にかなえちゃんの姿を見つけた。
「華原さんが俺を見て笑っているぞ!」
列の前にいるヤツが嬉しそうに振り返って、自慢げにそう言った。
確かに彼女はこちらの視線に気が付くと、ニッコリと笑みを浮かべて手を振ったのだ。
しかし自惚れではないが、きっと手を振った相手は俺だろう。
間違っても普段ほとんど会話をしている姿すら見たことがない列の前のヤツなはずがないのだ。
俺も自分が思いつく限りの自然なイケメンスマイルを意識して、かなえちゃんを見返す。
彼女はふたたび白い歯を見せて下を向き、笑いを堪えてる様だった。
「華原さんかわいいよな、胸も大きいし。あんなに大きいとか俺は知らなかったぜ」
「でもちょっと天然なところあるよな華原さん。確か運動音痴じゃなかったっけ? 張り切って怪我とかしそう」
「そん時は保健委員の出番だろ。誰が保健委員なんだよ?」
「金沢なんだよなぁ。お前羨ましいぜ……」
年頃の男子がスケベなのは仕方がない。
しかしその好色な眼を向ける対象がかなえちゃんとなると話は別だ。
外見では呆れた顔をしながらも、心の中では憤怒の想いを抱きつつ我慢をした。
すると話題を振られた金沢がこちらに向き直って、あっけらかんとした口調で返事をする。
「いやー俺の出番はないっしょ。女子にも保健委員はいるんだし、そもそも男子をわざわざ指名するなら他に頼みたい相手がいると思うしな」
「「「ですよね~」」」
意味深な口調で金沢がチラリと俺を見るのだが、どういうわけか列を崩して団子になった男子どもは別の方向を向いている。
視線の先にはクラスのヒエラルキー最上位にいる男がふたり。
「そりゃまあ志摩か長谷川の方がいいよな……」
「お前はアッサリ負けを認めるのか? 確かに志摩はバレー部のレギュラーでスポーツも成績もいい、顔もイケメンだよな。長谷川は愛嬌があってトークも上手いし女子には人気だ」
「何が言いたいんだ……」
「だが志摩はちょっと強引な性格だし、長谷川はチビじゃないか」
全ての要目で俺たちが負けているわけではない。その口ぶりから同級生はそう主張したいらしかった。
まあ確かに志摩は同窓会で再会した時もいい感じに年齢を重ねて男前だった。性格も相応に丸くなっていたはず。
現時点で身長があまり高くない長谷川は、十数年後には俺より高身長になっているんだけどね。しかも大手企業に入社していたはず。
残念ながらスペックだけで言うならば、町工場や零細企業に就職した俺たちでは未来に託しても勝負にならないかも知れない。
そんな感想を抱きながらも、俺は内心で余裕をもって受け止めていた。
今のところ俺は上手くやっているはずだ。
少なくともかなえちゃんから手作りのお弁当を作ってもらえたのは、俺だけのはずである。
間違いないという確信から、思わず口元がニヤリとしてしまった。
「次ッお前たちの番だ!」
ピピッという体育教師のホッスルが響いた瞬間、我に返った。
どうやら俺たちの出番が回って来た様で教師に睨みつけられながらあわてて駆け出す。
コート対面から打ち込まれたのは、件の志摩による鋭いサーブだ。
彼はバレー部員なのでサーブ役を教師から任されている。
俺たちはそいつをブロックするだけの簡単なお仕事のはずなのだが……
「おい牧村っ」
「ちょ、俺かよ?!」
運動音痴の俺は上手くタイミングが合わせられるはずもなく、ワンツージャンプで飛び上がってはみたものの対応は明らかに遅かった。
ズドンと飛来したバレーボールに右手が触れただけでも上出来だったかも知れない。
問題は手に振れたボールが俺のブロックによって、明後日の方向に飛んでいった事だろう。
「悪ぃ牧村、ちょいやりすぎた!」
「お、おう大丈夫だ……」
勢い余って顔面でボールを受けるよりはマシとは言え、女子のコートまで転がっていったのは少々不格好だった。
そのままボールを追いかけていくと、ちょうどかなえちゃんが拾い上げてこちらに向き直った。
「はい、牧村くん」
「あ、ごめんありがとう。あんまり球技は得意じゃないんだよな」
「うふふ知ってた。それじゃ頑張ってねっ」
短いやり取りだがかなえちゃんに応援されてちょっとやる気を出した俺である。
何をするわけでもないんだが、気分の問題だ。
けれども自分たちのコートに戻って来ると、イケメン志摩がその表情をしかめているのが視界の端に写り込んだ。
何そんな怖い顔してるんだよっ。
「華原さんと何話してんの」
「普通に頑張ってって。それだけだぜ」
「ははぁ、それであの顔か……」
ボールを体育教師に投げ返すと、身を寄せてきた金沢がなるほどという顔をしていた。
どうやらイケメン志摩のあの顔は、偶然というわけではないらしい。
「よしやれ!」
教師によるホイッスルがふたたび響き渡ると、志摩の放つ強烈なサーブがふたたび飛来した。
どういうわけか俺のところへ一直線。これは明らかに狙っている?!
今度は運動神経のいい金沢が俺より先に反応してボールをすくい上げると、そのまま他のメンバーが繋いでスパイクを打ち返していた。
対応してくれた金沢に「ありがとう」と声をかけると、彼はすれ違う際に肩をポンと叩いて返事をくれた。
「あれは確実にライバル視されているね。おめでとう」
「全然嬉しくねえ!」
「けどマジで、うかうかしてると志摩のヤツが、華原さんに告白するんじゃないか」
「うっ、確かにありえる……」
同級生の志摩は決して悪いヤツではないが、多少強引なところのある性格だった。
距離感が近すぎると言えば語弊があるかも知れないが、グイグイと相手の懐に入っていく人間だ。
金沢が言う通り、もしも志摩がかなえちゃんを意識しているのであれば間違いなく告白ぐらいは何の躊躇もなくできる人間だ。
「余裕ぶっこいてる場合じゃないかもな」
「まあ華原さんは志摩みたいなヤツはタイプじゃないだろうけど、華原さんかわいいからな」
「怖い事、言うなよ?!」
「やがて第二、第三の志摩が現れるだろう。クックック……」
金沢が低い声でそう笑ったところ、俺たちは体育教師に「私語を慎め!」と叱咤されていた。
しかしこれは、確かにかうかしていられない!
俺の記憶では、高校時代のかなえちゃんは誰とも付き合っていなかったはず。
しかしそれは俺が与り知らなかっただけの事で、誰かから告白されていたという可能性は十分にある。
俺が二度目の青春をやり直している時点で、考えてみればあの時とは微妙にシチュエーションも違っているというのもある。
告白って、どういうタイミングでしたらいいんだろうね?
考えてみれば、俺はそういう経験をした事がほとんど無かったかも知れない。
いやある、あるにはあった。それも体感的には最近。
同窓会のあの日、俺はかなえちゃんに勢いに任せて言ったじゃないか!
ふと隣のコートに視線を向けると。
元気よくジャンプした華原かなえが、スパイクを打ち込もうとしている姿が飛び込んで来た。
あ、かなえちゃん空振りした。
周りに「ごめんねー」と謝っていた彼女が、俺の視線に気が付いたのかこちらに舌を出して見せる。
「てへっ」
そんなところもかわいい!
バツの悪そうな顔をした彼女を見ていると、それが俺に向けてしているのだという自覚はあった。
今さら十年越しの想いを捨てきれるものでなしだ。
後は俺自身の、覚悟の問題なのかも知れないね。