1 高校生活、ふたたび
眼が覚めると、俺はベッドの上に横たわっていた。
「あ、そっか。俺は交通事故に巻き込まれたんだったな……」
最後に見た記憶は鮮明に覚えている。
ワンボックスカーに勢いよく跳ね飛ばされて、かなえちゃんが叫んでいたはずだ。
ちゃんとかなえちゃんを助けられただろうか。
するとここは病院か?
俺の横たわっているベッドはピンク色のカーテンで仕切られていた。
恐る恐る体を動かしてみると痛みも特になかった。
「……奇跡だな」
腕は満足に動くし、顔の前で指を握ったり開いたりしても問題ない。
あれだけ盛大に跳ね飛ばされたのだから靱帯が断裂したとか、複雑骨折とか、そういうのを想像したのに、
「痛くも痒くもないどころか、むしろ少し体が軽くなった様な気がするぜ」
生きている事を実感するためにわざと独り言を口にした。
けれどここが病室の大部屋なら、他に入院患者さんがいるはずだ。
などと思うと、急に恥ずかしくなって口を閉じた。
ノソノソとベッドから起き上がって周囲を見回してみたが、医療器具みたいなものは見当たらない。
その代わりに仕切られたカーテンの隙間から、壁に貼られた視力測定表が見える。
「あれ? もしかしてここ病院じゃない?」
しかも俺は服装を確認すると、薄汚れたカッターシャツにスラックス姿だった。
何でだ???
同窓会の時は私服で出かけていたので、いつものスーツ姿じゃなかったはずだが……
違和感タップリにカーテンを引くと。
窓際にある事務用の仕事机、その窓の向こう側で夕陽の中で部活に励む生徒たちの姿と声。
消毒液が入ったプラケースや、手書きの頭痛チェック表なんてものも張られているんだが……
「ここ、高校の保健室じゃないか?!」
保健室内にあった鏡を見た時に俺は確信した。
かつて冴えない高校生だった頃の俺が、アホ面でポカンとこちらを覗き込んでいる。
当時はカッコイイと勘違いしていたボサボサの髪の毛は見覚えがあるし、スラックスの柄も高校時代のやつだ。
「むかしの、高校時代の俺だ!!!」
日めくりカレンダーの日付は今から十余年前の五月。
俺が高校二年生だった時で間違いない。
やばい、どうしちまったんだ俺は。
交通事故で頭をぶつけて、もしかすると現実の俺は生死をさ迷っているのかも知れない。
それにしてもフワフワとした夢心地もないし、試しに眉毛を一本引き抜いてみると、
「あいた!」
確かに痛みは感じた。
これは真面目に高校時代の俺に戻って来たらしい。
だが本当にそうなのか確認するために、俺は保健室を飛び出した。
今が放課後なら、向かう先は部活中の放送室だ。
本当に俺が高校時代にタイムリープしたのなら、部活の仲間たちがいるはず。
放送部の部室は体育館ステージ脇から階段を昇った場所にある。
体育館に併設された保健室からすぐにステージ脇に移動すると、金属扉には「放送室」と書かれたプレートと、確か俺が手書きでこさえた「随時部員募集中!」と書かれたポスターも貼ってあった。
「懐かしいなあ、やっぱり俺は若返ったらしい」
だがまだ確信が持てない。
というか、高校生時代のかなえちゃん顔を確認したい気持ちで一杯だ。
たまらず扉を開くと軽い足取りで階段を駆け上っていく。
部室から、くぐもった誰かの馬鹿笑いする声が聞こえたので、ふたたび懐かしい気持ちが込み上げてきたのだ。
「あれは菊池先輩の声で間違いないな」
ひとり声のでかいオタク先輩が在籍していて、いつも声優雑誌を持ち歩いていた。
たぶん今もイベントに参加した時の話を後輩たちに語っていたんだろう。
だが菊池先輩はどうでもいい、かなえちゃんだ。
俺は部室のドア前で髪を手櫛で整え、居住まいを改めてから深呼吸をした。
ゆっくりとそのドアを開いたところ、
「あ、牧村くんっ」
俺の眼に、若返った華原かなえの顔が飛び込んで来た!
柔らかな表情はむかしのままに、ちょっと心配した顔を俺に向けてくる。
というか今がむかしなのか、ややこしい……
「おう、おはようさん」
「頭痛って言っていたけど、もう大丈夫なの?」
菊池先輩とかなえちゃんが口を開いた。
「華原さん、こいつは寝不足で保健室でサボっていただけだよ。どうせ徹夜で漫画を読んでいたのか、ゲームをしていたに決まっている!」
「そうなの?」
「そうなんだよ、何しろ漫画とゲームを貸したのは俺だからね。ちゃんと持って来たかい?」
俺は頭痛だから保健室で横になっていたらしい。
言われてみれば高校時代、部室のすぐ側にある保健室でよく休んでいたのを思い出した。
しかし、俺の名誉のために言っておくと、先輩が言う様に徹夜で漫画を読んでいたから保健室でサボっていたわけじゃない。
本当に当時は病弱だったんだ!
「ち、違いますから!」
「まあそういう事にしておいてやる」
「だから違いますから!」
「あと明日は昼の放送用の収録やるから、お前も授業終わったら早く来いよな」
言いたい事だけ言い終えると、菊池先輩はスクールバッグに声優雑誌を仕舞いながら立ち上がった。
どうやら、俺が部室に戻って来るのを待っていてくれたのか?
むかしの事を思い出すと、先輩は多少強引なところがあるひとだったが面倒見はよかった。
「じゃあ俺は帰るから、戸締りだけはよろしくな」
「はい、お疲れ様ですー」
ブレザー姿のかなえちゃんは、ニッコリ笑って菊池先輩を見送った。
放送室の中に取り残される俺とかなえちゃん。
俺の中ではほんの少し前まで彼女と親しく接していた。
けれどかなえちゃんは、眼の前で所在なげにモジモジとしているのだ。
何だかそれが新鮮で、微妙な距離もひしひし感じる。
「他のみんなはもう帰ったの?」
「うん、お昼用の収録が終わってから先に帰ったよ。その、」
「ごめん、じゃあ俺が帰ってくるまでかなえちゃんと先輩を待たせてたのか!」
そうだね、とチラチラ俺を見ていた彼女がそう返事をしてくれた。
かなえちゃんは、わざわざ俺を心配して部室に居残りしてくれていたんだ?!
記憶を必死にたどる。
もしこれが俺の過去の出来事をトレスしているのなら、そういう経験が俺の脳みその中に残っていたはずだ。
頭に手を当てて必死に考え込んでいると、
「やっぱりまだ頭が痛いのかなっ」
「いや、そうじゃないよ」
「……じゃあやっぱり、寝不足でサボってたの?」
「それも違うから!」
愛らしい顔にとても嫌そうな顔をしたかなえちゃんに、俺は全力で否定をした。
「ああ思い出した……」
「?」
高校二年の一学期だったろうか。
菊池先輩が帰ってしまったので、俺とかなえちゃんが微妙な雰囲気で部室に取り残された事があった。
実はあの時、途中まで一緒に帰ろうと誘う勇気がなかったんだ。
「じ、じゃあ。わたしたちもそろそろ帰ろっか?」
「そうだな、もうすぐ退出時間になるもんね。ごめんね、わざわざ待たせちゃって」
「ううん気にしないで。牧村くんが元気になったのなら」
見覚えのある部室をぐるりと見回せば。
壁の備え付け時計は午後六時半頃にさしかかっていた。
特に部活が忙しくない時期は、そろそろ部室を戸締りして下校する時間……だったと記憶している。
それにしても。
部室内は漫画雑誌の付録に付いていたグラビアポスターや、よくわからない女性向け漫画のイラスト、それに全国高校生放送コンテストの張り紙。
それからよくわからないロボットのプラモデルが幾つか飾られていた。
「全部これ先輩が持ち込んだものだよなあ。卒業するときに持って帰るのが大変なヤツだ……」
「そうだねぇ、先輩も夏休み前に引退なんだよね。そろそろ私物は整理しはじめないと大変な事になるよね」
「そうか夏休みで菊池先輩は引退か」
「引退してからも、ずっと先輩は入り浸ってそうな気がするけどっ」
これ先輩には内緒だからねっ。
ちなみに先輩はかなえちゃんの予言通り、三月の卒業式直前まで、引退してからもこの部室に入り浸るんだけどね……
スクールバッグに筆記用具と部活ノートを仕舞っているかなえちゃんを観察する。
ふと、かなえちゃんが身に付けているベージュに白のストライプが入った、ブランドロゴ入りのリボンに眼をとめた。
「あ、それ。オリーブ・デ・ドラブの定番だ」
「えっ?」
「ほらそのリボン。この時期からもうオリーブ・デ・ドラブで販売されてたのか!」
「…………」
やばい、完全にかなえちゃんが不審な眼で俺を見ている!
俺はアパレル企業に就職したわけだが、正確には制服販売事業をやっている会社の営業だった。
学校指定から自由服校向けの制服や各種アイテムまで、商品知識は頭の中に完備されている!
つい油断して、その制服屋の思考が飛び出してしまったのである。
「い、いや何でもないよ。そのリボン似合ってるねって思って!」
「……ありがとう?」
「それより途中まで一緒に帰ろうぜ。送るよ?!」
今の俺は高校生なんだから、男子がそんな知識を持っていると不審がられるぞ?!
必死でそれをごまかすために勢いに任せて俺は口走った。
臆病だった高校時代に言えなかった「一緒に帰ろう」というセリフを!
「えっ、うん。……わかった」
かなえちゃんはちょっと驚いた顔をしていたけれど、直ぐにもほがらかな笑顔を浮かべて返事をした。
眉毛を一本引っこ抜いてみたが、やっぱり痛かったのでこれは現実だ。
青春のやり直しだ!