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17 後輩に猜疑の眼を向けられています

「先輩、あなたは誰ですか?」


 唐突にそんな言葉を投げかけられたのは、木曜お昼休みの事だった。

 今週はテスト前期間に突入していたので、学校の部活動は制限されている。

 だから部長の菊池先輩はもとより、お昼休み放送の番組担当以外の部員たちは教室で過ごしているのだろう。

 木曜担当の俺たちも、収録音源を流しながらここで昼食を食べるだけの予定だったのだ。

 チャイムとともに放送室に来てみれば、到着したのは俺が一番。

 いそいそと音響機材の準備をしていたところに、後からやって来た後輩部員の御武道さんが、突然そんな質問をぶつけてきたのである。


「ええと、それってどういう意味だ」

「ん。質問通りの言葉です。先輩は、いったい誰なんですか?」


 何を言っているんだこの子は。

 最初はジっと俺を見返してくる彼女にそんな感想を抱いた。

 全体的に毛先の跳ねたショートボブ、そして何を考えているのかわからない表情が、俺の顔を覗き込む様ににじり寄って来た。


「俺は俺だよ、二年の牧村かな」

「そんな見た目の事はどうだっていいんです。先輩は少し前の先輩と、明らかに中身が違います」

「例えば……?」

「先輩ってお話をする時、もっとぶっきら棒な口調で会話されていましたよね。それなのに今は妙に堂々としていますし、以前よりも物腰も柔らかになった様な気がします」

「それだけで中身が変わったとは言わないだろ?」


 普段から口を開けばぶっきらぼうな調子の御武道さんに、まさかぶっきら棒だなんて言い返されるなんて……

 しかもなかなか鋭い指摘が続いて飛んできたので、たまらず眼を白黒させてしまった。

 この子、意外に見ている所は見ているんだな……


「でも明らかにおかしいです。女あしらいが妙にお上手ですし、急に華原先輩の事をかなえちゃんと呼び出したりしていますし」

「え、そうだっけ? 前からかなえちゃんって呼んでいた気がするけど……」

「少なくともわたしの前で、先輩が華原先輩の事を『かなえちゃん』と呼んでいるのを聞いたのはここ最近になってからですよ」

「マジか……」


 やらかした。

 俺は高校時代のいつ頃からかなえちゃんの事を下の名前で呼ぶようになったっけか……

 十数年前ともなればその辺りの記憶がやや曖昧で、どこかで勘違いが発生していたのかも知れない。


「そんな先輩、先輩じゃありません」

「う、困ったな……」


 本当は大人になった自分が、もう一度高校生活をやり直している最中なんですよ。などと説明して、普通の人間が納得してくれるとは思わない。

 まず間違いなく頭のおかしい人間だと思われてしまうのがオチだ。


 くそう、かなえちゃんは早く来ないかな。

 彼女は部活の顧問に用事を頼まれたとかで職員室に寄ってから部室に来る予定だった。

 こういう時に限って部室に後輩女子とふたりきり、追い詰められた俺は気の利いた言い訳も思いつかずに窮地に立たされてしまったのである。


「と、とりあえずお昼の放送を流しておこう。時間も時間だし」

「そうですね。まだ時間はタップリありますから、先にやる事を終わらせて質問の続きを」

「おう……」


 ひとまず俺は問題の先延ばしを提案した。

 ミキサーのボリュームを調整しながら館内放送を流すエリアを素早く設定する。

 御武道さんが放送卓に着席して「いつでもいいですよ」と合図をくれたので、かけてくれと番組開始の合図を送った。


 お昼休み放送のテーマソングがスピーカーから流れだして、番組開始だ。

 ふたり並んで放送卓に着席している。

 隣では御武道さんがかわいらしい弁当箱を広げてお昼ご飯にするところだった様だ。


「いただきます」

「はいお先にどうぞ……」


 御武道さんのお弁当箱はメインディッシュがオムライスだった。

 自分で頑張って作ったのだろうか。少しイビツな形をしているけれど、小動物の様にスプーンでちびちび食べている様から、美味しそうなんだというのはよく伝わってくる。

 幸せそうに食べている姿を見ると、先ほどまでの猜疑の眼光が嘘のようにかわいらしく見えた。


 いや、かなえちゃんの方が断然かわいいんだけどさ!

 俺は心の中で言い訳をした。


「先輩は食べないんですか?」

「あ、うん。今日はかなえちゃ……華原さんがお弁当を作って来てくれたから」

「なるほどそうなのね。華原先輩がお弁当を……」


 そうなんですよ……

 というか会話が持たねえ! マジでかなえちゃん早く助けに来て!

 俺の返事に何か感じ入るものでもあったのだろうか、ふたたび疑念の表情を浮かべながら俺を観察しはじめる御武道さんだ。


「華原先輩がお弁当を作って来てくれるなんて、以前の先輩相手じゃちょっと想像できないです。やっぱり先輩は誰なのですか? 何かよくない寄生生物に体を乗っ取られているとか……? どうなのですミギー」

「俺の右手に話しかけるな!」


 何とか場の雰囲気を居心地の良いものにしようと、俺は無駄な努力を決意する。


「あの、さ?」

「何ですか」

「御武道さんは、さっきどうして急にそんな質問をしてきたの?」

「気になったからです」

「そ、そうか。気になっちゃったんだったらしょうがないよね」

「しょうがなくありませんよ。先輩の中身がいつ入れ替わったのか早く教えてください。気になって食事が喉も通らないんですよ」


 オムライスをすくうスプーンの手を止めて、御武道さんは地球の終わりみたいな悲しい表情で溜息をついた。

 彼女の中ではやはり俺の中身が別人になった説が有力らしい。


 しかし中身が入れ替わったと言っても、過去と未来の俺が入れ替わったわけだ。

 スペックは基本的に変わっていないのでバージョンアップをしただけなのだが、それで見た目にそんなに変化が出るものなのだろうか。

 そう、俺はバージョンアップをしたと言うべきだ。


「まあ別に中身は入れ替わってないかな。あえて言うなら成長したと、そう説明させてもらいたい」

「先輩が成長したと?」

「俺たち成長期の真っ最中だからな。身長だってまだまだ伸びるぜ」


 菊池先輩の軽妙なトークがスピーカーから流れ聞こえてくる。

 先週の金曜日は本来この日の収録を早めにとってしまおうという予定だったのに、あの日は俺が体調不良で部活を休んだので代打を菊池先輩がやってくれた。

 おかげで音楽のチョイスは菊池先輩好みの声優ソングがピックアップされている。

 何かのPCゲームで主題歌に使われたとからしく「聞くだけであのシーンを思い出す」と菊池先輩は曲の最後に熱弁を振るっていた。


「そうですかね。わたしはもうこれ以上成長しない様な気がします」

「そんな事はないだろ? 諦めなければ色んなところに可能性はあるよ」

「可能性……」


 特に意味があってそう言葉を添えたわけではなかったのだが。

 彼女の姿をざっと見まわしたところ、御武道さんは急に無表情から不満顔に変化させつつ自分自身の胸の辺りに視線を落としていた。


「先輩セクハラですよ……?」

「え、何でそうなるの?!」

「わたしの胸は確かにまだまだ成長期です! むしろしてもらわないと困るのですが、その事に付いて牧村先輩にとやかく言われるのは心外です!!!」


 いやいやいや。それ仮に思っても口にしないし、するわけないし。

 広げていたお弁当を持ち上げて、彼女は俺から距離を取ろうとするじゃないか。

 完全に御武道さんの勘違いだと思うんですけれども!!!


「そういうところ、以前の先輩にはなかった反応です。最低ですね……」

「いやだから誤解だって。ね?」

「知りません。ちょっと近寄らないでください」


 俺の必死の説明も虚しく、数分後にかなえちゃんが部室に現れるまでの間、とても居心地の悪い状態で過ごす羽目になった。

 むかしも何か面倒臭そうな子だなとは思っていたが、改めて面倒くさい子であることが確定だ!

 しかも少し電波なところがあるんじゃないかと俺は思うわけである。

 

 



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