14 電話口のきみはくすくすと笑って
『体調はその後どうですか? 熱はもう下がったかな……』
かなえちゃんからメールが届いたのは午前八時半頃。
ちょうど俺が姉ちゃんの作ったお粥を食べていたタイミングだった。
文章は短くても、彼女の気遣いが感じられて俺は嬉しかった。
『金曜日は家まで送ってくれてありがとう。
おかげで昨日ゆっくり寝て過ごしたら、熱も下がってだいぶ元気になりました!
今日はぼちぼちテスト勉強しながら大人しくしている予定です』
返信の文面が硬くなり過ぎない様に、何度か読み返す。
近頃は青春脳よろしくかなえちゃんの事ばかり考えている癖に、こういう時に限って気の利いた文章が思い浮かばないのは問題だ。
けれど今ならすぐにかなえちゃんの返事が来る様な気がして、ええいままよと送信ボタンを押した。
すると程なくして新しいメール着信があった。
『そっかー!それならよかった!!
昨日は牧村くんも寝てるかなと思って、メール遠慮しちゃった。
ちゃんと寝てなきゃダメだよ? テスト本番でダウンしたら意味が無いから。
金曜日に発表あった試験範囲で、わからないところがあったら言ってね♪』
嗚呼、かなえちゃんマジ天使!
そりゃあわざわざ体調崩したヤツを気遣って家まで送り届けてくれるとか、むかしの俺がかなえちゃんの事をコロっと好きになるはずだ。
十数年前のあの時の事はすっかり忘れていたけれど、それからずっと彼女の事を気になってボンヤリ眺め続けていたのは事実だった。
『金曜日は授業中ずっとボーっとしてたから、見落としがあるかも……
よかったら月曜朝の部活の時に確認させてください。
あと、週明けから自転車通学は無事にできそう?』
かなえちゃんは誰にでも分け隔てなく親切にしてくれる子だ。
今回はそれが俺に向けて気遣いをしてくれた訳だが、これからもそれを俺は独占したい。
同窓会の夜。事故にあう直前にかなえちゃんと関係が進展しそうな予感があっただけに、ガラケーを弄っている俺はそういう気持ちが高まっていった。
『うん。自転車も掃除して、ちゃんとシールも貼ったから大丈夫。
あと天気予報だと明日は晴れだよ♪』
時間を置かずして返ってくるメールも、関係が進展しそうな予感をヒシヒシと俺に感じさせた。
無性にかなえちゃんの声が聞きたいと思った。
ひと押しするなら今だ、なんて事を心のどこかで感じる。
そんな風に考えていると、気が付けばこんなメールを飛ばしていた。
『いま電話できる?』
唐突なそんな文章に、彼女は驚いたのだろうか。
間を置かずにやり取りしていたメールのキャッチボールはそこで少しだけ途切れた。
早まったことをしてしまったのかと少し俺の心が焦れる。
高校時代の俺は部活の連絡簿を携帯に登録していたので、当然かなえちゃんの電話番号もそこにはある。
実際には電話した経験があったかどうか、記憶にはないのでたぶんしなかったんだろう。
普通アラサーのおっさんなら、こんな事は造作も無いのかも知れない。
とは言っても、過去にしなかったアクションをするのは勇気のいる事だった。
ついでに言うと、俺はまともな恋愛経験も足りていない気がする。
仕事環境の周りにいる女の子たちを相手に、軽口を叩くスキルは確かに身に付いた気がする。
だがそこから先に進めるには、勝ち味を知らなさすぎた。
人間は経験からこれはイケる駄目だという判断をする生き物だから、経験不足だと途端にその先の暗闇に一歩踏み出すのが恐ろしくなってしまうのだ。
してみると、今の俺は判断を誤ったのだろうか……
何となく最近の雰囲気からイケるとおもったんだけどなぁ!!!!
たまらずガラケーをベッドに放り出し、大の字になって倒れ込んでしまった。
けれども、ふと俺の電話が着信音を鳴らしはじめるではないか。
手の上で携帯を躍らせてしまい、あわてて通話ボタンを押す。
『もしもし……?』
「おはようございます、牧村です」
社会人じゃないんだから、そんな電話応対はおかしい!
すると同じ事を感じたのか電話先で「なにそれ」とクスクス笑うかなえちゃんの声が聞こえた。
『おはよう牧村くん。よかった、元気になったみたいだね。このぶんだと月曜日は学校行けそう?』
「はははっ、おかげさまでどうにか。この前は送ってくれてありがとう」
『ううん、気にしないでいいよ』
「そうそう。自転車通学の準備もできたんだっけ?」
相変わらず優しいかなえちゃんの声を聴いて、俺も安堵する。
携帯を持ち替えながら何かメモするものを探すのは、社会人になってからの習い性だ。
『うん。時間、どうしよっか?』
「かなえちゃんはいつも何時に朝出発してるの」
『六時半過ぎかな。電車に乗ってるのは一〇分ちょっとだし、朝は本数も多いから意外とすぐだよ』
「それじゃそのぐらいの時間に駅前のロータリーで待ち合わせしようか。本屋さんがあるとこ」
『うんわかった。遅れそうな時はお互いにメールするって事で、いいかな?』
何も問題なしだ。
俺だけが浮かれているのかと思ったが、かなえちゃんも当たり前の様に俺と通学する話を進めてくれている。
声も気のせいか少しか弾んでいる様な気がして嬉しかった。
「あ。それと質問」
『なあに改まって?』
「かなえちゃんは甘い物とか好き?」
『うん。わりと好きだけど。一時期自分でも挑戦してたんだけど、最近は食べるの専門のひとかな。でもどうして?』
唐突にそんな質問をしたせいで、かなえちゃんは電話口で不思議がっていた。
やはり今回は形に残るものよりもお菓子をお礼に渡す方にしよう。
値段もあまりかからないものだから、受け取りやすいというのもあるしな。うん。
「んーまだ内緒かな」
『牧村くんの意地悪っ。でもそれって、期待していいって事かな?』
「だから内緒だって。この前の宿題の事もあるし、ちょっとだけ期待してくれるぐらいで。でもあんまりたいしたものじゃないから、ごめん」
『それって、ぜんぜん内緒になってないよ牧村くんっ』
また電話先でクスクス笑うかなえちゃんの声が聞こえた。
それじゃあ明日また六時半過ぎにと、メモを走らせた紙片に眼を落し確認しておく。
そうして通話を終了すると、自然と俺の口元がニヤついてしまった。
家まで送ってくれた事のお礼。
一度目の高校生活ではまともにそれすらできず曖昧に終わらせてしまった。
それを二度目はきちんとできて、それをキッカケに一歩踏み出せている事は大切なはずだ。
わりと自然に持って行けた気もする。
一度目の高校生活でできなかった事を、二度目はわりと自然にできているというのは大切だ。
かなえちゃんに脈があるかどうかは現段階ではわかりかねる。
けれども彼女だって電話口で楽しそうに話していたのは事実なのだ。
わけのわからない理屈をこねて、弱気に何もしないで二度目の高校生活を終わらせてしまうよりは行動した方が後悔しないに決まっている。
「マジでいつ死ぬかわからんからな。交通事故とか突然すぎだったし……」
そう結論付けた俺は、昼過ぎになったら近くのお店でお礼のお菓子を買いに行く事にした。