9 いつものより寄り道をするだけのミッション
学校を出て最初の交差点の向こう側に、駅まで続く商店街がある。
アーケードの入口にはむかしながらのCDショップがあって、俺や菊池先輩はよく帰りに立ち寄っていたのを思い出した。
信号待ちの間、ふと当時の事を思い出しながら今度また寄ってみるかなんて考えていたところ、チラリと俺の視線に隣に立ったかなえちゃんが写る。
彼女は熱心に携帯電話で何かを書き込んでいる様だった。
「メール?」
「うん、あけみに。今日は早めに部活が終わったって飛ばしたところだよっ」
「ふうん芹沢さんか。い、いつも一緒に帰ってるの?」
芹沢あけみというのは俺たちのクラスの女子だ。かなえちゃんとは仲が良かったはずで、クラスの上位ヒエラルキーに位置する。
「一年の時はよく一緒に帰ってたんだけどね。あけみも二年になって後輩が入って来たから、結構大変なんだって」
「ええと確かブラバンだっけ?」
「ううん軽音部だよ。憧れだけで入って来て、ギターとかぜんぜん触れない後輩もいるんだってさ」
「そりゃ大変だ」
制服を崩して着こなしている派手めな芹沢あかねを思い出して、そう言えばそうだったなと納得した。
容姿は少し派手めな印象で、俺が勤めていた制服屋のいいお客さんになりそうな子ではある。
まあむかしの俺ならば、まったくご縁の無いタイプだな。
「あーっ。うちの部ももう少し女子が入ってくれたらいいんだけどなぁ」
「今年の一年女子は、御武道さんだけだもんな」
信号が変わって歩き出したところ、俺の顔を覗き込んでいた彼女がクスっと笑うのが見えた。
な、何だよ。俺の顔に何かついてるのか……?
「牧村くん、御武道さんの事が苦手でしょ」
「別にそんな事ないけど。不愛想な顔してて、何考えているかサッパリわからないところはあるかな、とは思っているけど」
「ちょっと取っつきにくいところがあるもんね。でも彼女、真面目でいい子だよ」
「俺、実は女の子と話するのあんまり得意じゃなくてさ。何話していいかわからないんだよね……」
「わたしとは普通に話しているんだから、普通に接していたらいいと思うよ?」
かなえちゃんはそんな事を言うけれどね。
それは俺がかなえちゃんだけ特別な存在だからなんだよね。
そんな事をサラリと返せるわけもなく、俺は曖昧に笑って「そうだね」と返事をするだけにとどめた。
普段の登下校時、俺はこのアーケードをあまり利用していなかった。
朝は社会人や登校する生徒たちで混雑するし、帰りは下校する生徒や買い物客で賑わっている。
だから普段はアーケードを避けて市街地の中を自転車で抜けていたのだが、こうして改めてみると学校帰りの生徒をあちこちで見かける。
きっと俺とかなえちゃんの距離は微妙なものに写っているんじゃないだろうか。
「あ、そうだ」
「?」
「わたし借りてきたCD返さないといけないんだった」
他愛もない雑談をしながら駅の近くまでやって来たところで。
昨日と同じ様に自転車の前かごに預かっていたスクールバッグを見たかなえちゃんが、そんな事を言った。
たぶん彼女がCDを借りたレンタル屋は、駅の向こう側にある国道沿いのお店だろう。
部活で流した曲はいつもあそこで借りていた気がする。
「いいよ、じゃあそこまで付き合うよ」
「ごめんね、返却するだけだからすぐ終わるし」
少しでも長く彼女と一緒に過ごしたい。
そう思えばレンタル屋まで付き合うのは渡りに船た。
駅の改札には向かわず、踏切を越えてレンタル屋の方角に向かう。
途中で会話は途切れてしまったが、俺は無理して何か話をしようとは思わなかった。
若い時ならば会話が途切れるとテンパって、無理に面白い話をしようなんて思ったものだ。
けど今は、かなえちゃんの姿を横から眺めているだけでも十分幸せだから不思議だ。
「それじゃここで俺待ってるから」
「うん、じゃあ返してくるねっ」
レンタル屋の前までやってくると、鞄を受け取ったかなえちゃんが店内へと駆けていく。
その姿をボンヤリ追いかけていると、ついつい口元が緩んでしまう。
お店のガラス面を見ると、そこには冴えない顔をしたニヤけ面の男が立っていた。
いかんいかん。このだらしない姿を誰に見られているとも限らんしな。などと思っていると、
「?!」
ガラス張りの向こう側には、無表情な顔をした御武道さんの姿があったのだ。
黙礼されるでも、何か反応があるわけでもなく。しばらくの間、放送部の後輩女子とお互いに睨み合いの様な時間が続いた。
不思議と彼女に見つめられると、何だか心の中を見透かされている様な気分になってしまう。すると、
「牧村くんお待たせっ。どうしたの?」
「いや、いまガラスの向こう側に……って、あれ?!」
背後からかなえちゃんの声がして、あわてて振り返る。
今眼の前に一年生の後輩女子がいた事を告げようと再びそちらに視線を向けたところ。
すでに御武道さんの姿は消えていたのだ。
「べっ別に何でもないよ。気にしないで……」
「牧村くんの顔、青いけど大丈夫?」
「ぜんぜん大丈夫だからっ」
何だったんだ彼女は……
幽霊の様にいつの間にかいなくなった御武道さんは、俺が見間違えただけだろうか。
自転車を押しながらもう一度店内を振り返ってみたが、やはりここからは彼女の姿が確認できない。
別にやましい事をしていたわけではないのだが、俺の心は完全にペースを乱してしまった。
「ち、近道して帰ろうか。こっちの裏から公園を抜けた方がひとも少ないし」
「そうしよっか。じゃあまだ時間も早いし、少しお話していかない?」
テンパった俺があわてて話題を変えようとしたところ。
珍しく声のトーンを変えたかなえちゃんが俺にそんな提案をして来た。
まさか、彼女の方からそんな事を言われるなんて思ってもいなかった俺だ。
たまらずかなえちゃんの顔を二度見してしまったが、表情はいつも通りの彼女だった。
何か相談したい事でもあるんだろうか。
「あのさ、牧村くんは、進路調査票は何て書いたの?」
「進路調査票?」
来たぞ、このタイミングで進路の話題か。
むかしの事を思い返してみれば、確かに二年生のはじめ頃には進路調査票を提出した気がする。
公園の中に入り、中央にある噴水に続く石畳を歩きながらかなえちゃんが言葉を続ける。
「わたしは第一志望に都内の大学、第二志望が地元って書いたんだけど。第三志望は滑り止めね。ちょっと東京の大学は成績的に厳しそうなんだよねーっ」
俺はかなえちゃんが第一志望に選んだ、都内の難関私立に無事合格した未来を知っている。
きっと、きみなら大丈夫だよ。と励ます事は簡単だ。
しかしそれをしてしまうと俺と彼女の進路は別々のものになってしまう。
できれば彼女と同じ未来を見ていたいという想いと、彼女の夢を邪魔しても果たしていいのだろうかという疑問も存在した。
これがもし恋人同士なら、迷わず一緒の大学に行こうぜと言うんだけどね。
今の段階ではただのクラスメイトで、部活仲間に過ぎない。
「ええと、俺は三つとも京都の大学に絞ったかな。親が家を買ったばかりだし、何かそれで家を離れるのもアレだなって思って」
「そっかあ。ご両親の負担を考えたら実家通いの方がいいもんねっ」
その場では適当な返事をしたのだが、かなえちゃんはわりと深刻に受け止めたらしい。
考えてみれば、俺が高校大学時代はよく両親もローンの話をしていた気がする。
改めて考えると、東京の大学に進学するという選択肢は厳しいかも知れない。
「かなえちゃんのところは何と言ってるの?」
「うちは独りっ子だから、自分が勉強したい大学があるなら応援するって。でも特別に東京の大学じゃなきゃいけない理由も無くてさ、偏差値が一番高いところに無難に受験しようかなって考えてたんだ」
そうか。かなえちゃんは何か特別な理由があって都内の大学を選んだわけではなかったのか。
であるならば、俺と同じ大学に進学する未来も十分にあり得るかも知れない。
何か気の利いた言葉を口にしようとしたが、すぐには思いつかなかった。
噴水が見える場所に差しかかった俺は、自転車を止めて振り返ると今の精一杯の気持ちを伝える。
「俺でよければ、いつでも相談に乗るよ。進学は一生を決めるからさ」
「そうだね、ありがとう。じゃあ、わたしも牧村くんと同じ大学に進学しよっかな?」
そしたら一緒に受験勉強できるね。
彼女は白い歯を見せて、最後に小さくそんな言葉を漏らした。
どういうつもりだろうか、事も無げにそんな台詞を吐いて。
その言葉に深い意味はないのかも知れない。
けれどもその言葉に俺の心が一気にざわついて、これはもしかして可能性が高まったのではないかと色めきだったけれども。
「ハァいいよあぁ。公園デートとか、イチャコラしやがって」
「最近の高校生はうらやまけしからんぜ。ああ俺も彼女とか欲しいっス!」
ふと、噴水前の階段に腰かけていた男たちの言葉がこれ見よがしに聞こえてきたのだ。
たまらず俺は赤面し、隣を見るとかなえちゃんもモジモジしていた。