レポート1-5 ぼたん2
「座りなさい」
「いや、机も椅子も教室の隅に全部積まれてるけど」
「床に座りなさい」
「はい」
「正座!」
「はいっ!」
床に転がされて見上げたぼたんの表情は、想像していたような険しかったり、怒りに燃えてたりする表情ではなかったが、触れたらその瞬間に凍りつかされてしまうような、そんな冷たさを持った表情だった。
「あんた、お姉さまの恋人じゃないわね?」
「んっ!?んー……………そんなこと無いって」
単刀直入っていうのはまさにこういうことを言うんだろうなと思わされる、シンプルで鋭い質問に、俺は思わず口ごもってしまった。
「嘘が下手すぎるわね」
そう言いながら、ぼたんは俺の膝の上に片足を乗せてグリグリと踏みつけるようにする。
ぼたんくらい華奢な女の子にスリッパで踏まれたくらいではどうということはないが、ちょっと屈辱的だ。
「今なら特にお咎め無しで許してあげないこともないのよ」
「お咎めなしってなんだよ。俺が椿先輩と付き合うことの何が悪いんだよ」
「悪いに決まってんでしょうが。いや、いいのよ、お姉さまが本当に好きで選んだ相手で、その相手が清廉潔白な人なら。でもあんたはお姉さまに変なこと吹き込んで、それこそお姉さまを利用しているだけなんじゃないの?」
どちらかというと、利用されているのは俺なのだが。
「そんなことねえよ。というか、俺は別にお前が言うような資産だか財産だかってのには、興味ねえんだよ。ただ、椿先輩のことがなんとなく気になって、力になってあげたいなってそう思っただけだ」
「力になってあげたい。ね。あははは、なにそれ胡散臭い」
「つーかさ、ぼたん」
「は?さっきから何呼び捨てにしてんの?っていうか、何睨んでんの?睨んでいいって言った?あんたマジで固めて沈めるわよ」
え?何で固められてどこに沈められるの?なんかすごく怖いんですけど。
「海と川、どっちがいい?選ばせてあげる」
やっぱりそういう意味か!
こ、これは空気を変えないと本当に沈められかねん。よし、ここは強気で押し切ろう。
「…正直言って、まだまだわからないことが多いけど、一つ聞かせてくれ。お前こんなこと毎回してるわけ?」
「こんなこと?」
「椿先輩に友達ができたら、毎回財産目当てだろうって詰め寄ってんのかって聞いてんだよ」
「っ…!」
俺の質問を受けたぼたんの顔に動揺が走った。そうだろうなと思ったけど、やっぱり俺が初めてではないらしい。
そして、それがまずいことであるということは、ぼたんも自覚しているっぽい。ならば、ここが攻めどころ、泣き所だ。
「ああわかった。いいよもう、答えなくて。お前のことはなんとなくわかった」
「そ、それは今までそういう奴が多くて、お姉さまが嫌な思いしてきたから。それにお姉さまはボーッとしてるし…それでその…」
「言い訳もいいって」
「違うの!私は、私はその…」
「もうなんとなくわかったからいいって」
「わかってない!わかるわけ無い!」
「いや、別に悪い意味じゃなくてさ、逆の立場だけど、俺もお前と同じようなこと考えてた時期もあったんだよ」
「……どういうことよ」
「俺、わりと仲の良い妹がいるからさ、ぼたんの気持はわからんでもないんだ。妹が変な奴に騙されて泣くくらいなら、騙される前になんとかしてやりたいって思った事が無いわけではないし、泣かせた相手が憎いと思ったこともあるから」
実際、小さい頃はそれで妹を泣かせた相手を殴りに行ったりしていたし。
「……」
「まあ、ぼたんは悪いやつじゃないと思うし、空気の読めるやつだと信じて正直に話すよ。俺は椿先輩の恋人じゃない」
「やっぱりね」
「だけど、先輩を騙して何かするつもりもない。椿先輩に友達がいないって……まあ、今の流れからいって、それはお前のせいなんだろうけど」
「ぐっ…」
図星らしい。
まあこのくらいの嫌味は、今まで椿先輩がぼたんのせいで友達ができずに悩んでいたことと差し引いてもお釣りが来るくらいだと思うので、言わせてもらおう。
「で、どこかの過保護な妹のせいで先輩に友だちがいないっていう話を聞いた俺は、多分ちょっと同情したんだろうな。幼なじみに「こいつ友達いないんじゃないか」って心配かけたくないっていう先輩の気持ちを汲んで、生徒会に入るって言ったんだ。でもさ、連れてきたのが見知らぬ生徒で、その上なんか余所余所しかったら、結局みんな「こいつ友達いないのかな」って心配するだろうし、心配されなくても、話の流れで友達としての馴れ初めみたいなことを聞かれたら面倒だっていうことで、そういういろんなことを「二人の秘密」の一言で全部スルーできそうな恋人って設定にしたんだよ」
先輩には詳しい話は端折ったけど、『二人の秘密』『二人だけの思い出』とかそういうワードは、皆の興味を引くものの、何度か言っていれば初日からあまりしつこく聞かれはしないし『そのうちねー』とはぐらかすこともできる。で、その『そのうち』がくるまでに設定を詰めることもできるということで、嘘をつくならそれなりに使える設定だったりする。
「でも、それじゃああんたにメリットがないじゃないの。やっぱり信用出来ないわ」
「いや、なくはないんだよ」
「は?」
「笑わずに聞いて欲しいんだけどさ」
「なによ」
「俺、今朝失恋したんだ。今朝っていうか、入学式の後なんだけどさ」
「え…入学初日から告って振られるとか、発情期のイヌか何かなのあんたは」
「いや、告ってない。というか告る前に相手がいるって話を聞かされて勝手に撃沈しただけ」
「え、なんかそれキモいわね…勝手に自分の中で盛り上がって勝手にふられた気分になったって話でしょ?」
「はっきり言わないでくれ。自覚している分、ダメージがデカい」
「あんたも、私がお姉さまの友達作りを邪魔してたとかそういうこと言ったでしょ。お互い様よ」
ぼたんはそう言ってフンっと鼻を鳴らした。
どうやら俺が与えたダメージ分は回復したようだが、沈めるの沈めないのという話が出るほどの興奮状態からも脱したようだ。
「で、それのどこがメリットなの?」
「失恋の傷を椿先輩に癒やしてもらえる」
そう言った直後、俺の鼻先をぼたんの膝がかすめた。
かすめたというか、のけぞらなかったら顔面を直撃していた。
「お姉さま相手にいやらしいこと考えてるんじゃないわよ!」
そんなことを言いながら大きく足を上げてスカートの裾からいやらしい気分にさせられる布を見せつけるのをやめてください!
「そういうんじゃねえよ!さっき頭撫でられた時に、ああいいなって。なんか懐かしいなって」
「まあ、お姉さまは頭撫でるの上手だからね。私にはここ何年もしてくれないけど」
「そんなに寂しそうにするなら仲直りすればいいのに」
「は?仲直り?別に喧嘩なんてしてないわよ」
「…そうか?」
さっきの先輩の口ぶりだと喧嘩が原因でそういう事をしてないという話なのかと思ったんだけど違うのか。
「ちなみにその失恋相手が邑田なわけなんだけどさ」
「………クラス替えって今からできるのかしら。っていうか、発情した犬みたいな男がクラスに居るとか、茉莉の貞操が本気で心配なんだけど」
「いや、もう諦めてるから!許嫁がいるやつに手を出そうとか考えてないから!」
だからそんな絶対零度の視線を俺に向けないでくれ。
「ま、まあ、そういう不幸な偶然はあったものの、俺は椿先輩を利用しようとは……ちょっと思っているけど、その下心もちょっとした癒しを求めているだけで、そんな財産だ資産だって話は知らねえんだよ。っていうか、もうここまで話したから、恥を忍んで聞きたいんだけど、ぼたんと椿先輩の苗字って何?正直女の子を下の名前で呼ぶのって抵抗あるから、できれば苗字で呼びたいんだけどさ」
俺がそう言うと、ぼたんはきょとんとした顔で俺を見た。
それはもう、本当に「きょとん」って感じで、人間って、本当にこんな「きょとん」ってオノマトペが付きそうな表情ができるんだなと納得するくらいのきょとんっぷりだった。
「そんな気はしていたんだけど、それ本気で言っているのよね?」
「ああ」
「家式よ」
「…………いえしき?」
「そう、知ってるでしょ。家式ホールディングスを中心とした、グループ企業。その跡取りが私かお姉さまかのどっちかになる予定なの」
ああ、そういえば教室で話をしていた時に杏平がそんなことを言っていた気がする。邑田の従姉妹はイエシキの後継者だとかなんとか。
……まあ、一応確認だ。確認は確実にしないとな、何て言ったって確認は非常に重要な作業だ。
「ぼたんさん」
「なによいきなり改まって、気持ち悪い」
「邑田茉莉って、ぼたんさんの従姉妹ですか?」
「そうよ」
「…悪かった。全部お前の言うとおりだと思う」
「な、なんなのいきなり」
「全部合点がいった。全部ぼたんの言うとおりだ。そりゃあ財産目当てだと疑いもするだろうさ、というか実際俺がぼたんの立場なら俺のことを疑うし、なんだったら俺の今の立場ですら先輩にいきなり恋人が…っていうか友達とかでもできたら疑うわ」
先輩が無自覚なのか聖人なのかはしらないが、いくらなんでも俺の提案に簡単に乗ってきちゃいけない人だと思う。まあ、初対面の女子に対して俺がした提案もむちゃくちゃではあるんだけど。
「というか、あんたが私達の家のことに気がついてなかったっていう話、はっきり言って眉唾もいいところなんだけど」
「いや、こっちとしてはむしろ椿先輩はなぜ名乗ってくれなかったのかと問い詰めたいくらいの気分なんだぞ」
「お姉さまはあんまり家式って家のことが好きじゃないからね。というか、お姉さまは多分入学式で生徒会長としてと、学校の理事としての二度登壇しているはずなんだけど、なんで名前知らないの?」
「昨日の夜あんまり眠れなかったせいで、式の最中半分寝ていたんだよ、だから先輩の顔はなんとなく覚えていても名前は聞き流しちゃってたんだな」
今思えば式の最中、あの先輩二回目じゃね?とかそんなことを思った気がする。
「ま、いいわ。色々はっきりしてスッキリしたし、さっさと戻りましょ」
「え?いや、俺、戻って良いのか?完全に部外者だぞ」
「別に良いんじゃないの?茉莉は自分の婚約者連れて来て、柊は自分のストーカー連れて来て、私は自分の後輩を連れてきた。だったらお姉さまが自分の恋人(仮)を連れてきたって文句言えた義理じゃないでしょ。お姉さまはなんか勘違いしているみたいだけど、友達いないのは私達も同じ。家のお金にたかられるのとか、そういうのが面倒くさいなって思って自分でまわりと距離を置いたせいっていうのもあるし、周りからのやっかみとかもあったと思うけど、うちの従兄妹はみんな友達少ないからね。まあ、茉莉のお兄ちゃんだけは例外で悪魔の社交性を持っていたりするけど」
そしてぼたんは「まあ、四人の中でも特にお姉さまは少ないんだけどね」と言いながら笑う。
「だからね相馬。あんたにはちょっと期待している」
「いや、期待されるような部分が無いと思うんだけども」
「あるじゃない。私の出自を知ってなおその失礼な口の聞き方を改めようとしないところとか」
「……申し訳ありませんでした?」
一応謝ってみるが、ぼたんはそんな俺の謝罪を「ハッ、そんな安い謝罪いらないわよ」と短く言って笑い飛ばす。
「あとは知らなかったとはいえ、あのお姉さまと仲良くなったところとか、柊に認められているところとかね。まあ、あんたとなら、友達ってやつになれそうだなってことよ」
「お前は先輩と違って、一応友達がいるんじゃなかったっけ?」
「いるわよ。だからりらを連れてきたでしょう?」
「…と?」
「あんた?」
いや、そんな可愛らしく首を傾げながら疑問形で俺に聞かれても。
っていうか、俺だってこの学校以外とか、クラス外にも数人友達がいるというのに、いくら何でも少なすぎるだろう、椿先輩もぼたんも。
「……待て。ぼたん、ステイ」
「何よ、今度は人を犬扱い?ホント失礼なやつよね、あんたって。まあ、新鮮だけど」
そう言いながらもぼたんの表情が心持ち嬉しそうに見えるのは俺の目の錯覚だろうか。
「尾形さんと俺以外にいないのか?」
「柊かな。あと、茉莉も結構一緒に出かけるわよ」
それは友達じゃなくて従兄妹というのだよ、ぼたんくん。
「いやいやいや。え?杏平は?」
「茉莉の婚約者だから顔くらいは知っていたけど、今日はじめてまともに…あれ?でも前にパーティで挨拶していたかも…?どうだったかしら…あんまり好きじゃないから覚えてないのよね」
なんだかまた、普段あまり聞き慣れない単語が出てきたぞ。
いや、お金持ちなんだしそういうこともするんだろうけど、なんだ「パーティで」「挨拶したことがある」って。
「まあ、でも友達じゃないと思うわ」
「そりゃあ友達じゃねえだろうよ」
そんな薄い印象で友達とか言われてたまるか。
「柊が連れてきた、あの柿崎とかいうのも今日はじめて会ったし、だから別にあんただけが部外者とかそういうことはないわけ。だからそんなに気にせず、あんたは私と一緒にしれっと戻ればいいのよ」
「そうだな。あんまり二人で席を外していて、先輩や邑田にあらぬ疑いをかけられても嫌だし」
「そうね。私もそんな誤解でお姉さまに変な気を使われるのは嫌だわ」
俺の軽口に、ぼたんはそう言いながら笑った。