レポート1-3 トラウマ
「相馬君は、前は部活とかやっていなかったの?」
「一応剣道をやっていました。まあ、地区の大会ですらトップになれなくて。それに叩かれると痛いし辞めたいなって思っていたんで、進学を機にやめようと思ってたんです」
「……もしかして、相馬君って、去年の大会で南区の準決勝まで進んでなかった?」
「え?ああ、はい。準決で優勝した奴に負けましたけど」
「ああ!やっぱり!その時に優勝した宮本柊って、私の親戚なんだ」
「あ…そっすか」
あの試合はかなり一方的にやられて、相当凹んだ試合なんで出来れば思い出したくないんだけどなあ。
「柊がね、すごく褒めてたんだよ『あの、準決勝で戦ったなんとかってやつは、今回の大会で俺の次に強かった』って」
いや、それって、俺は彼に名前も覚えられてないですよね。名前の書いてある前垂れすら完全に眼中にないですよね
「そんなすごい人が入ってくれるなんて嬉しいなあ」
「いや、すごくないですよ」
実際すごくなんかない。宮本柊に負けた俺は結局その後の3位決定戦でも負け、そこから調子を崩しまくって引退。そして未だにそのことを引きずって「剣道やりたくねー」とか言いながら今に至るという完全な負け犬だ。
「柊がほかの人を褒めることなんてあんまりないんだから自信持って。君はデキる子だよ…きっと」
そこは絶対って言って欲しかったなあ…。
「あ、それより相馬君は入りたい部活とかなかったの?もちろん生徒会に入ってくれるのは嬉しいけど、それで相馬君が入りたい部活に入れないのは悪いなって思うんだけど」
俺の表情が暗くなったのを見た先輩はそう言って慌てて話題を変えてくれた。
「いや、ないですよ。小さい頃からずっとやってた剣道すら辞めたくなって剣道部のないこの学校に入ったくらいですし、他に得意なこともないですし」
「そうなんだ…剣道が嫌になっちゃったの?」
「竹刀を振り回すのは嫌いじゃないですけど、また宮本と当たるのが嫌なんです。だからもうやりません」
宮本柊は『強い』というよりは『怖い』というのがしっくり来る相手だった。
昔話にでてくるような鬼とか、妖怪とか、そういう類のものと実際に向き合ったらこんな感覚なんだろうなと、そんなふうに思ってしまうほど強くて怖くて、今でも思い出すと背筋がゾクッとするくらいだ。
「大丈夫だよ。相馬君なら、将来はきっと柊にも勝てるようになると思うから」
「そんなことは…というより機会がないと思いますけど。まあ、とりあえずは生徒会の仕事をがんばりますよ」
「うん。よろしくね」
そんな話をしているうちに、俺達は生徒会室のプレートが見えるところまでやってきていた。
と、そこで、突然先輩が足を止めた。
「どうしたんです?」
「いや、相馬くんのことどういう風に紹介しようかなと思って」
「どういう風にって、どういうことですか」
「全然接点のない後輩をいきなり連れて行ったら、勘違いとかされて相馬君に迷惑をかけそうじゃないかなって…かといって、偶然出会いましたっていうのはなんか私がやっぱり友達いないとか、人望がないとか思われそうですし」
「別に勘違いされるならそれでいいじゃないですか。友達いないと思われている先輩がいきなり彼氏連れて来て、ドヤ顔してみせたら、その幼なじみ達はびっくりするだろうし、びっくりさせたところで実は友達でしたーってばらして、ドサクサにまぎれて実際の経緯を有耶無耶にするっていうのもありだと思いますよ」
「うん…」
「あれ?あんまり乗り気じゃないですか?もちろんフリですよフリ」
「そうじゃなくてね…できれば友達いないってはっきり言わないでほしいなって…」
「あ、すみません」
そんな泣きそうな顔にならなくてもいいのに…。
というか、これだけ可愛くて、これだけ素直で、生徒会長を任されるくらいなんだから人気も人望もあるだろうに、なんで友達いないんだろうこの人。
「おわびに俺が友達1号になるんで、大丈夫ですよ」
「うん…ありがとう、普通に嬉しい」
先輩は制服の袖で目元を拭ってから、空いている方の手で俺の制服の袖を掴んでそう言って笑った……正直めちゃくちゃかわいいと思う。
「…先輩が素直すぎてなんか心が痛い」
「え?」
「なんでもないです。じゃあとりあえず俺は彼氏って設定でいいですか?」
「うん、よろしくね、えっと、じゃあ瑞葵…さん?くん?なんて呼べばいいかな?」
「俺のほうが年下ですし、呼び捨てでもいいですよ。というか、瑞葵さんだと、なんか恋人よりももっと大人の関係っぽくないですか?夫婦っぽいっていうか」
許嫁っぽいというか…とか考えて地味にダメージを受ける俺。
「あ、そ、そうだね、なんか、まだ早いよね」
「まあ、先輩となら夫婦だって思われても構わないですけど」
俺としては軽口のつもりだったのだが、どうやら先輩はそう受け取らなかったようで、怒っているのか照れているのか顔が真っ赤だ。
先輩はうつむいたまま少しの間プルプルと震えていたかと思うと、顔を上げて目を見開き、泳ぎまくっている目で俺の方を向いた。
「ふっ、ふつつかものですが!」
「ごめんなさい、冗談です」
「で、ですよね……」
いや、この短い間だけでも先輩がいい人そうだっていうのとか、めちゃくちゃかわいいっていうのはわかったけど、いまここで夫婦がどうだとか、そこまでいかなくてもいきなり付き合うというのはお互いに良くないと思うのだ。俺は。
決して、俺との交際に前向きすぎる先輩に怖気づいたわけではない。
「というか、先輩は可愛いんだから、俺みたいなやつの軽口にのってホイホイついていくと怖い目にあいますよ」
「かわいいかどうかわかりませんけど……気をつけます」
そう言って笑う先輩の笑顔はさっき俺の妹が話題に登った時のような、少しさみしそうな笑顔だった。
「そういえば先輩、俺は先輩のことなんて呼べばいいですか?」
「え?」
「いや、先輩の名前をちゃんと聞いてないなって思って」
「私の名前は椿。恋人って設定だから椿って呼び捨てでもいいし、あと、親戚とか幼なじみの子は椿ちゃんって呼びます」
椿先輩がそんなことを言った時だった。
生徒会室の扉がガラリと音と立てて開かれ、中から見覚えのある顔が出てきた。
「あ、椿ちゃん。おそいよー、みんなで先にキックオフ会始めちゃうところだったよ」
そう言って生徒会室の前でこっちに向かって手を降ったのは邑田茉莉だった。
……って、邑田!?
「ごめんね、茉莉。ちょっとその……彼氏と待ち合わせしていて」
「やべっ」
突然のことに、計画の中止をつげることもできずに話を始めてしまった椿先輩の言葉を聞いて、俺は思わず持っていたかばんで顔をかくして後ろに下がる。
「彼氏……?え?あれ?その彼氏さんって…」
「人違いでおじゃるよ。マロは、相馬瑞葵ではないでおじゃるよ」
「いや、おじゃらないよね?思い切り相馬君だよね?」
「そう、彼はその…相馬瑞葵さん。私の……恋人よ!」
そう言って、マンガなら大きくドーンというオノマトペが入り、集中線がいっぱい引かれそうな表情とポーズで椿先輩が宣言した。
結局さん付けになったんだなー…ってそんなこと考えている場合じゃなくて。
「って?あれ?茉莉、相馬君のこと知ってるの?」
「クラスメートだもん。ついでに杏平くんも」
「あ、そうなんだ」
「でも知らなかったよ。相馬君が椿ちゃんの彼氏だったなんて。それならさっきセイトカイに誘った時に言ってくれればよかったのに、というかどうせ入るなら断らなきゃ良かったのに…あ、もしかしてサプライズなの?にくいなあ、このこの」
そう言いながら、邑田は俺の脇腹を肘でつつく。
「いや、お前が俺を誘ったのは生徒会じゃないだろ。なんかほら、正義部みたいな」
「正義部じゃなくて、正徒会。正義の正に、生徒の徒、それに会計の会で正徒会だよ」
「え?」
『冗談ですよね?』という意志を込めて振り返ると、椿先輩はニコニコ笑いながら首を傾げた。その表情は『え?当たり前のことですよね?』と言わんばかりだ。
そしてそんなことをしているうちに、生徒会室から邑田と同じく見覚えのある顔が2人出てきた。
「お、相馬じゃん。なんだ、お前も結局入るのか?」
そう言って杏平が笑い、その隣には俺にとってトラウマの象徴とも言える宮本柊が立っていた。
「あ!お前、去年俺と試合したとき手抜きしたやつ!同じ学校だったのか!」
「手抜きじゃねえよ!何もできなかっただけだよ、っていうか、こんなこと言わせんな、はずかしい!」
俺が思わず突っ込むと、宮本柊の背中にくっついていたらしい小柄な女子生徒が彼の肩から顔を出す。
「だよねえ、柊ちゃん相手にまともに試合できる同年代なんているわけないもん。やっぱり柊ちゃんの勘違いだよ」
「うーん、そうかなあ…こいつ、強いと思うんだけどなあ…」
いやいや、それは思い切り勘違いの買いかぶりだ。あの時俺は本気で手足がすくんでいたんだから。なんだったら袴の中でちょっと漏らしていたくらいだ。
まあ……流石に恥ずかしくて口には出せないけど
「とりあえず中にはいろうか。他の皆も待ってるし、廊下では話せないこともあるし…ね?」
さきほどのポヨポヨとした口調とは少し違う、どこか緊迫感のある声色で言う邑田に促されて俺達は生徒会室の中に入る。
ちなみに生徒会室に入るときに一応確認すると、表札は間違いなく「生徒会室」だった。